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前略、魔界の実力者でしたが勇者やってます  作者: おいかぜ
一章 魔人と従者、獣人の国を巡る
24/51

822≠ワギ

………(よどんだ)…(鉄の臭い)…


……(まっくらやみだ。ここは)……


 しかしこの闇の中は、不思議と安心する。

 たとえば、母親の胎内、羊水の中。

 自分の心音となにかべつの鼓動が時おり重なる。

 彼は母親をしらないが、本能的にそのように感じた。

 深く暖かい闇に包まれている。


…………(どこだろう?)……


……(覚えていない)……


「…んだ!…れは、下拵えで…ていな…じゃ…いか…!…」


……(地面の向きも…わからない)……


(?)

…(耳ざわりな…声、罵声。…男…)…


「も…いい。822……廃棄…た…え!」


 浮遊する意識はそこで途切れた。


 鉄の臭いは…血だ。そう思ったのが最後。



 ワギは思っていた。夢をみているのだ。

 自分の意思では体が動かず、そのくせ変に生々しい。

 わけもなくいらいらする。

 これが夢でなくて何だというのだろう。

 誰も彼もが激しい敵意を向けてくる。

 おれが何をしたっていうんだ。上等だ。

 片っ端からぶっ殺してやった。

 血霧、爪が肉を裂く手応え。苛立ちはいっこうに治まらない。

 背骨が痛む。じくじくと彼を苛むなにかが居た。

 本能の命じるままあてもなくうろつく。

 足を進めるのは、帰巣本能?

 食欲は湧かない。ひたすら渇きを覚えるが、なぜか腹は空かない。

 夢だからな、そんなこともある。

 ああ、だとしても…あまりにもひどい夢だ。


 ふいに、霞のかかったようだった意識がクリアになった。

 正常な思考を圧迫していた何かが取り払われた。

 背骨の痛みとともに。

 先程までイライラしていたのが嘘のようだった。


 次第に自分の体の状態、置かれている状況がわかってくる。

 ワギは、平べったい板の上に、仰向けになっていた。

 全身がだるい。板はがたがたと揺れている。

 荷車のようなものに乗せられているのだと思った。

 日差しと、草の匂い、そよぐ風を感じる。

 泥の臭いはしなかった。ワギは目を開けた。


「ん。お目覚めだな」


 野外、眩しい青空が目に飛び込んでくる。

 知らない臭いをしたやつに声をかけられた。

「…ここは…」

 喉が痛む。ひどいがらがら声が出た。

「今、フォファガ・ロアンに向かってる。お前、名前は?」

 声が訊いてきた。質問したのは荷車を引く男のようだ。

「…狼尾人(ロオレン)の、ワギ」

 名前。他者と自分を識別するタグ。

 ワギという名前にはほかになんの意味もない。

「ほーん。ワギね。自分が誰かはわかる、っと」

 荷車が止まった。

「お前をどうするか正直迷ってる。どうしたい?」

 よければ事情を聞かせてくれよ。男はそういった。


 ギジッツと名乗った男の左目が仄かに光った。



 ワギは右足首の輪っか以外は何も身につけていなかった。

 輪には数字が刻まれているだけ。822。

 他に素性のわかるものも、荷物も、一切持っていない。

 ありていに言えばすっぽんぽんだったので、下に穿くものをエニシダが出してやった。

 寝ている間に穿かせたのはギジッツだ。


 どこから来たかもよく覚えていないとワギはいった。

 フォファガ・ロアンで傭兵になったあと、訓練のためといって同僚と馬車に詰め込まれ、どこかに連れていかれた。そこはどうやら森のようだったが確証はない。

 あとは長い夢を見ていた、そう締めくくった。


 ワギがありのままを語っていると、なんとなく思った。嘘にしては大雑把すぎたからだ。


 ギジッツも知っていることを包み隠さず伝えた。

 きょう街で魔族が出たと騒ぎになったこと、それを報せた冒険者のパーティは魔族に半壊させられたこと。

 ギジッツが出向いてその魔族を無力化したこと。

 そして、魔族が――ワギだったこと。

 ワギは口を挟まず、じっと黙って聞いていた。


「ただ。なんかヘンなんだよな」


 ギジッツの知る限り人が魔族になる(・・・・・・・)きっかけは二つある。

 一つは魔族の血を飲むこと。

 もう一つは、―――自らの意志によって。そのような魔法に目覚めることだ。

 後者はごく稀なケースで、そうそう起こることではない。


 一度魔族となったものは人に戻れない。

 そして、ワギはどちらにも当てはまらないように思われた。


「どっちかって言うと、暴れてたお前は魔獣に近かった」

「魔獣…?」

 ワギが初めて反応した。

「そ。さっきも言ったけど、お前、背中の変なのをぶっ潰したら戻ったんだが」

 ギジッツは、真っ二つになり自然に剥がれたそれを持ち上げた。

「これな。こんなん見たことないが、瘴気の出っぷりが魔獣っぽい」

 ワギはピンと来ていないようだったので、理解を助けるつもりで補足した。

「魔人はふつう瘴気を出さないんだよ。俺にはコイツから瘴気がプンプンしてるのが分かった」


 無表情だったワギが、怪訝そうな顔をみせた。

 そこで、失言に気付いた。


(いけね。人間は瘴気を感じ取れないんだった、そういや)


 まだ挽回できる。ウヤムヤにしてしまえ。


「…あんた一体……魔人…?」ワギが呟いた。


 エニシダが顔を押さえて俯いた。

 ギジッツは、自分がアホだったと思い出した。



 まだ夢の中にいるのかと思ったが、どうやら違うらしい。


 自分は――魔獣のようなものになり、わけもわからぬまま殺人を犯した。

 爪が覚えている感触と、自分の感情かわからない濁った喜悦―――

 いくらでも殺したろう。いつか殺されるまで。

 だが、そうはならなかった。


 ワギは救われた、「勇者」に。それも魔族の。


「すいません。面倒ごとになるの嫌なんで、黙ってて下さい」


 金目の勇者ギジッツに頭を下げられ懇願された。

 自分と相手のどちらも狂っていないのなら、本物の魔人であるらしい。

 ワギは毒気が抜かれる思いだった。

「…おれの口を封じれば、知っている奴もいなくなるんじゃないか?」

 なんの意図もなく思ったままを口にした。


 ギジッツは少しの間固まったあと二回ほど頷いた。

 そういえばそうか、と一言呟いたが、それを実行には移さなかった。

「死にたいのか?」

 かわりに、脅し…のニュアンスを感じ取れない。

 純粋な疑問らしいものをぶつけられた。

 わざわざワギの身を救ったのだ、目の前の魔族はさぞ親切なのだろう。

 はいと答えればたやすく命を奪ってくれそうだ。


「いや」

 一度たりとも死を望んだことなどない。

「おれは一人で、だれにも頼らず、野垂れ死ぬまで生きるつもりだった」

 泥の中以外の場所で死ぬ。それだけが望み。

 ワギは一つ、溜息をついた。

「こんなはずじゃ…誰かの手を借りて生き延びるつもりはなかった」

 ボロ雑巾とかわらない、助ける価値などない命だ。

 だが、自分だけが自由にできることに価値を見出せると信じた。


 ―――わけもわからぬまま死を選ぶのも癪だ。


「あんたたちは、おれをどうする気だったんだ?」

 街に、フォフォガ・ロアンに向かっているといった。彼の故郷に。


「そう、そこなんだよな。俺達もそれで悩んでた」


 黒衣の勇者ギジッツと、その従者、エニシダという女の二人連れ。

 彼らは魔族と人間らしい。

 どちらもこの国の者ではなく、この国の法に明るくない。

 ワギが罪を犯したというなら、裁きを受ける必要がきっと、あるのだろう。

 しかし、半ば魔人と化して人を襲った者などに適当な罪業があるだろうか。

 ワギは恐らく街に着けば、殺されておしまいだ。


「で、エニシダとちょっと相談したんだけど」

 ギジッツが言う。


 女が一歩進み出て…魔法を…使ったようだった。

 それはゆっくりと形を成した。

 どこかからか煙が集まり、骨、筋線維、血管、皮フ、毛……

 しだいに人のようなものになっていく。

 三分ほどかかって、ワギを醜く歪めたような魔人、その横たわる屍体のようなものが「生まれた」。


 やはり、ワギは夢を見ているのだろうか。


「あんたは魔人に襲われてた被害者って事にしようかと」


 荷車にワギから剥がれ落ちた血に塗れた爪と、抜け落ちた剛毛を乗せてあった。

 ギジッツは最後に、それらをダミーの死骸の周辺にばら撒いた。

 ワギはあんぐりと口を開けて事の推移を見守っていた。


「な」


「まあ、バッチリだろ。生き残った冒険者のおっさんが死骸を検めるだろうけど」

「再現率は低くないと自負しています」

 エニシダが腕を組んで胸を張った。

「というわけで、街に着いたら口裏を合わせてくれよ」

 あと魔族だって黙っててくれればいいから。勇者が言った。


 ワギは、自分本位な男だ。


「た、頼みがある。聞いてくれ」


 喉の痛みも気にならない。堰を切ったように、言葉が奔流となって溢れ出した。


「おれは知りたい。なぜ…何がおれを変えたのか知りたい。何がおれの身にあったのか。知らないままでいられない。知ったところで償いにはならないだろう、おれが殺めた命への。それでも知りたい。なあ、他人に頼み事なんて初めてするんだ。どうか頼む。引き受けてくれないか。おれを、真相へ。あんたの言うことはなんでも聞く。おれにすべてを知る手がかりをくれ。あんたたちについて行かせてくれ」


 ワギが話し始めると、ギジッツはまず少し驚き、次いで表情を複雑に歪め、最後には諦めたような顔になった。ワギは返事がどうであれ、ついていく気だった。



 ひどい嗄れ声。だが切実な響きだった。

「なんか前もこんなことあったな」

 アケイロンに押し切られて同行を許した夜を、ギジッツは思い出していた。

「”半魔人化”したのが彼だけとは限りません」

 エニシダが冷静な声で告げた。

「真相の究明は、彼のためのみならず、多くの人を助けることになるかもしれませんよ」

「別に人助けしたいわけじゃないんだよ、俺は」

「またまた、ご冗談を」

 本心だった。人助けなんてキリがないし、できることもたかが知れている。

 ギジッツはきっと”勇者”失格なのだろう。


 そうして、ワギを連れ帰ることがなし崩しに決まった。


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