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前略、魔界の実力者でしたが勇者やってます  作者: おいかぜ
一章 魔人と従者、獣人の国を巡る
23/51

魔族のこと②/格闘

 図々しいかと思えば、変に控えめな男だった。


 暑くないのだろうか、昼間から闇に紛れるような黒衣を着た男が、聞きたいことがあるといってきた。

 命がけで帰還したばかりの、初対面の怪我人に対して、建前や気遣いなど微塵もない率直な物言いで。


 それからおもむろに左目を指し示した。

 ―――微かにそれとわかる金の光が揺らめく目。

 当然知っている。知らぬ者はない。

 子供のころ憧れた勇者様のお伽噺、世界を救った精霊憑きの伝説について。


 目の前の男がそうだとはとても信じられなかったが、疑念や傷の鈍い痛み、何もかも吹っ飛んでしまった。男が知りたがったのが、魔族の出没した場所だったからだろうか。


 流行りの料理屋の場所でも聞かれるように、事も無げに訊ねられた。

 簡潔に、馬鹿正直に答えてしまっていた。

 男は黙って聞いていた。

 一通り話し終えると、サンキュウ、そういって背を向けて離れていった。

 どこかの方言か、耳慣れないその挨拶らしき言葉をぼんやり聞きながら、とんでもないことをしてしまったと自覚する。

 あれが物見遊山の野次馬であれば、たちまち殺されてしまうだろう。仲間を殺した魔人に。


 腹の底から大声を出したが、黒衣の男は戻ってこなかった。



「だいたいの居場所がわかった。行ってみるか、魔族のトコ」

 ギジッツは単身、傷を負った冒険者の傍に寄って情報を聞き出すと、すぐに踵を返した。

 用は済んだとばかりにそのままギルドを出た。

「もういいんですか?」

「人多すぎてウエッてなった。瘴気が濃いのはいいんだけどな」

 ショウキ?クラジの不勉強か、ギジッツの母国の言葉なのか、彼の言うことはたまによく判らない。人混みが苦手ならギルドに顔を出すのは自分に任せればいいのに。クラジは思った。

「勝算は?」

 淡々と、事務的にエニシダが問うた。

「ある」

 根拠は特にないのだろう。だが、クラジも心配はしていない。

「そうだ。オレがミティアさんにこの事を伝えに行きましょうか」

 ん、と言ってギジッツは片手を挙げた。

「それがいいかもな。レビーテの行方のこともあるし」

 三者はいったん別れた。クラジは一人でミティアの屋敷に戻ることとなった。


 真昼を少し過ぎたばかりの太陽が照り付けて、地面に濃い影を落としていた。



 瘴気をどのような質感として受け取るかは、どうやら魔族ごとに異なるらしい。


 ギジッツは肌で感じる。温度、湿度のほかに空気の明度(・・・・・)とでもいうようなものを感じ取る。

 光量からくる、目に映る明るさとは全く違う。あくまで肌ざわりとして感じる。

 瘴気が濃いほど「暗く」薄いほど「明るい」。ほかの魔族に伝わったことはない。

 実際に暗いのだが、朝でも魔界を暗い場所だと感じるのも瘴気のせいだろう。

 そしてどんよりと暗い場所の方が、落ち着く。


 大魔公メスとの会話の中で、ヤツは『音ではない音』として感じているといった。

 瘴気の濃さはそのまま音量の大きさで、魔界はどこもざわめきに満ちていて心地いいらしい。

 逆に地上の一部はまったくの……耳が痛くなるほどの静寂なのだそうだ。

 ゆえにヤツは地上に出ることを好まなかった。


 レビーテはどう感じているだろうか。アケイロンはにおいの一種として捉えているかも知れない。


 そして―――目の前の魔族はどうか。

 いや、こいつは魔人なのか?



 ギルドで聞いた情報の通りに、街道から少し逸れた草原に魔人はいた。

 何を思ってフォファガ・ロアンのそばまで出てきたのか知らないが、普段はどこに潜伏しているのだろう。


 やや前傾姿勢ながらギジッツよりもひと回り大きな体躯。

 全身を尖った剛毛に覆われている。

 目鼻立ちは犬や狼のそれを彷彿とさせる。双眸は殺意に溢れていた。

 上半身が筋肉によって肥大している。腕はギジッツの大腿部ほどの太さがある。

 折り曲げられた指先、大きな爪が血に濡れてぬらりと光った。

 凄惨な戦いがあったのだろう、周辺の草は所々赤く染まり、冒険者の遺体の断片が覗いていた。

 食べていた…わけではないらしい。


「ちっす。ハワーユー?」


 魔界言語で話しかけてみるが唸るばかりで返事はない。

 失礼な奴だ……いや、通じないのか、そもそも正気でないのか。

 立ち尽くしていた魔人は近づくギジッツとエニシダを睨むと、ギジッツを中心に左回りに円を描くように動き出す。


 ギジッツは怪訝に思っていた。こいつが話に聞いた魔人で間違いはないだろう。

 ただし、こいつからは瘴気を感じるのだ―――まるで魔獣のように。


 魔族は瘴気を垂れ流さない。


 悪意や害意が凝って、瘴気となる。瘴気を発するというのは、精神を、感情をコントロール出来ていない証左でもあった。


 狼の魔人からは敵対意思をこれでもかというほど感じる。

 ギジッツにピントを合わせた敵意ではなく、やり場のない怒りで以て当たり散らすような……まさに垂れ流されているというのが適切な、衝動。


 魔族は普段からその血に膨大な精神エネルギーを貯め込む。悪意も害意も、すべて。

 よって瘴気を発さない。意識してやっているというより、そうなってしまうのだ。

 血に蓄えるエネルギーを代償に魔法を行使する。


 瘴気を発するというのは、できそこないの魔人――そんなものがいればだが――であるか、魔獣のような……より生物寄り(、、、、)の存在であることを示す。


 狼の魔人は攻めあぐねているのか、ほぼ動かないギジッツに対して一定の距離を保ったまま、緩急をつけながら移動を続ける。

 ザザザと草をかき分ける音と、敵の荒い呼吸だけが聞こえていた。


(埒が明かねえや)


 地面を踏みしめ、ギジッツがひと蹴りで距離を詰めた。


「グッ……オアアア!!」


 敵が咆哮とともに重心を低く構える。

 軽く放ったギジッツの右拳が敵の左肩をとらえ…

 ……捉えなかった。


 狼の魔人は拳に合わせて左足を引き、右半身を対するギジッツの左半身側に寄せるように体を斜めにした。

 敵を目掛けて直進した拳は逸らされ空を切った。

 流れるような動き。軽くあしらわれた、という表現が適切だろう。


 逆に、スピードを乗せた敵の爪が眼前に迫ってきていた。

 拳を繰り出してからの敵の動きはギジッツに目にちゃんと映っていたが、うまく対応できない。


 首を大きく傾けて避けた。

 爪が二本掠めて、頬が少しだけえぐれた。

 魔族の血、インクのようにどす黒い血が流れる。

 ギジッツは動揺を押し殺して離れた。

 敵も、今ので仕留め損なったのを警戒してか、すぐには追ってこない。


 なんだこれ。これは…体術(ワザ)


 魔獣であれば今のような動きはしない。

 魔人は、ギジッツがそうであるように力任せの戦い方をする。

 技術などろくに磨かない。不要だからだ。

 しかし目の前の敵は、魔人に匹敵する身体能力に、高い水準の格闘術を兼ね備えている。


 かつて戦った隻腕の冒険者の剣すら、魔人の動体視力を以てすれば見切れた。

 この敵は違う。動き自体は見えているのに、攻撃をくらいそうになった。

 舐めてかかってはいけないと一合で思い知らされた。



 エニシダはギジッツが負けるところを見たことがない。

 敗北の定義にもよるだろうが、少なくとも彼女の主人は、たとえ魔王を相手にしても、いつだって生還した。


 上級魔族ともなれば、肉体をすり潰されても数年から十数年の時間をかけて肉体を再構築して復活できる。その精神の核…魂さえ死ななければ、何度でも。

 負けても死なないのだから、勝敗自体に名誉や誇りを賭けているのでもなければ、生還することにさほどこだわる意味はない。


 ただしギジッツには例外的に負けられない理由がある。


 エニシダは他に類のない魔法の素養を持つが、ただの人間だ。


 その不死性を担保するのは『拒絶』の魔法であった。


 ギジッツはいつだってエニシダを守っている。

 彼の能力の大半は従者のために使われているのだ。

 実のところ護衛人形(オートマトン)も、アケイロンに守らせる必要もなかった。これまでは。


 敵と対峙するギジッツがエニシダの方を申し訳なさそうに見た。


「すまん。ちょっと使う」


 彼が勝手にやっていることだというのに律儀に断りを入れてきた。

 エニシダは作ったものではない自然体の笑みを浮かべた。


 ギジッツは、従者が笑ったのが意外なようでわずかに目を丸くしたが、すぐに敵に向き直った。


 彼女自身にとっても意外だった。

 表情が動いてからそれと自覚する。

 笑った理由に、すぐに思い至らない。


 …ここは、戦場だ。

 敵との距離は十分とっているが、余計なことを考えていては命取りになる。

 エニシダは切り替えて、護衛人形(オートマトン)を三体生み出した。



 ギジッツの魔法のリソースに少し余裕が生まれた。

 

 身体能力を頼んで戦えない相手には、魔法を使うしか手がなかった。

 敵の拒絶の意識は全方位に向けられたもので、ギジッツだけに向けられた敵意はそれほど大きくない。


 ギジッツは手足の届かない距離の攻撃手段に乏しい。

 手頃な石か何かを掴んで投げるか、奥の手――『生命活動の拒絶』か。

 投石が当たるとは思えない。となると…

 『生命活動の拒絶』が決まれば敵は即、死に至る。

 ただし行使に大きな精神力を要した。あまり考えられないが抵抗(レジスト)される危険性もあるにはある。本当の意味で奥の手だった。

 これに頼ってはいられない。


 狼の魔人が一直線に襲い掛かって来た。

 爪がギジッツの身体に突き立てられるが、黒衣に覆われた箇所は直接攻撃でダメージを受けない。

 ギジッツを切り裂けなかった苛立ちを表すように吠える。

 裂帛の気合い。咆哮で大気が震えた。

 威嚇を意に介さず、敵、側頭部を狙ってギジッツが蹴りを放つ。

 狼の魔人は読んでいたかのごとく、体を沈めてこれを難なく躱した。


「ちっ…クソが!」


 身体能力そのものではギジッツが優っているし、敵の攻撃も目で追えていた。

 だが技術の決定的な差のため、こちらからの攻撃はことごとく空振りに終わる。

 相手の爪は、見えているはずのギジッツに届く。


 一瞬の油断。

 敵の強靭な尾が地面すれすれを薙ぎ払う。足を払われたギジッツの体勢が崩れた。

 狼の魔人はそのまま半回転した勢いで致命の一撃を加えんと、腕に、爪に、力を漲らせた。

 頭部を抉り飛ばす爪が迫る。


 ―――あ、そうか、ここだ。


 地面を背にしたギジッツが魔法を行使した。

 範囲、対象を限定した『接触』の拒絶。


 同極の磁石が反発するように、斥力が働いて空中で爪が止まった。


 相手に触れることも難しいなら、触れなければいい。

 向こうからも触れられない。


 ギジッツの頭が斥力の作用で少し動く。

 狼の魔人には起こっていることが理解できていないのだろう、爪を何度も振り下そうとする。


 ギジッツが掬い上げるように足を突き出すと、敵の身体が撥ね飛ばされて宙に浮き上がった。

 回転したその背中に微弱に発光する、脈打つ塊が根を張ってへばりついている。


 『拒絶』を解除して、ギジッツの手刀が脈打つ何かを割った。


「ゴッ!オアァ……」


 狼の魔人が呻く。その身体が落下し、受け身も取れず地面に叩きつけられた。

 背にへばりつくものは拍動を止め、光も消えていた。

 敵は死んでいないが戦う力はもはや残っていないようで、軽く痙攣している。


「何だったの、こいつ…」


 ギジッツの気が抜けた。

 狼の魔人…だったものの肥大していた筋肉が次第にしぼんでいく。

 鋭利な爪にはひびが入り割れた。

 逆立つ剛毛がばさばさと抜け落ちたその姿は、普通の亜人族と変わらないように見えた。


 獣人の足首に嵌められている金属の輪が、日の照り返しで光った。

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