魔族のこと①
かつて地上世界の覇者であった竜族の力が衰え、いまや亜人族を含む人類種は地上を席巻し、万物の霊長を気取っている。
我が物顔で大地に線を引き同種同士で縄張りを主張しあう。
そんな恐れるものなど何もないかのような不遜な彼らにも、例外的に脅威とみなすものはあった。
うちひとつが魔族。
魔界からの侵略者。個の力では人など遠く及ばない。魔獣よりもはるかに危険な存在。
人類の天敵のように、魔人は思われていた。
過去人類を襲った五度の災厄のうち、三度は魔族の地上界進出が関わっている。
その度に“勇者”と地上の国家が共同してこれを阻み魔界へと押し返した。
魔獣や魔人といった外敵の存在が人類にゆるやかな結束をもたらしていた。
一方、魔族の側の共通認識では人間は特になんでもなかった。
すぐに死んでしまう、取るに足らぬ劣等生物。
視界に入っても意識に上ることのない路傍の石。
魔族の多くは、竜族との間の相互不可侵協定―――契約により、魔界でそれなりにゆかいな隠遁生活をおくっている。魔界は魔族のテリトリーであり、ほぼ自由に脱獄の許されている牢獄でもある。
長久な寿命を持つ魔族はつねに暇つぶしのネタを探していた。
地上に進出して結果として”人類の脅威”になったのも、元はといえば単なる気まぐれだ。
単純な戦力比で考えれば、魔族総出で本腰を入れて滅ぼしにかかればおそらく一か月から半年程度の期間で、地上の全人類を根絶やしにできるだろう。たとえ勇者がいたとしても一年もかかるまい。
魔族がいながら人類が世の春を謳歌できているのは、魔族全体として人類に敵対する理由がないからにすぎない。
ただし魔族は個人主義の傾向が強い。結託して”魔王軍”などを組織しないのも、魔族が基本的に群れて行動することがないためだ。そのため大がかりな人類抹殺の動きも起こりようがなかった。
人間を憎むか疎ましく思って滅ぼそうと画策している魔族も、中にはいた。
そうしたものは規模は小さいながらも、れっきとした人類にとっての脅威なのだ。
*
「ギジッツさん?」
クラジの声で我に返る。
つい足を止めていたが、やましいことは何もない。
ケンカを売ってきた魔獣と、もはや人に戻れない低級魔人を殺しただけで、ギジッツは地上に出てから無辜の民を傷つけていない。とりあえず堂々としていよう。魔人だとバレたらその時はその時だ。
「何でもない。魔族ね…」
ギルドへと向かう歩みを再開する。人だかりの傍をすり抜けるが、見咎められることはなかった。そのままエントランスに入った。
中も人でごった返していた。こんなに密集して気分が悪くならないのか。
血痕の主だろう、ボロボロの冒険者らしき人物を囲むように何重もの人垣ができている。
「やつは…知性があった。ただの魔獣じゃない」
中心で報告しつつ手当てを受けている冒険者は命にかかわるほどの深手ではないらしい。人の頭や肩ごしにそちらを見る。防具は傷つき、武器も持っていない。腕や胴に巻いた包帯は血でにじんでいた。
「至急、討伐隊を編成すべきだ。場合によっては国に掛け合って」
「調査が先だろ」
「動けるようなやつが今いるか? 半端な連中を送っても」
「被害出てからじゃ遅いだろうが!さっさとぶっ殺せ!」
侃々諤々というのだろうか、集まった人々が口々に意見する。
「対応は上が決める。だが、いち冒険者の手には負えまい」
傷を負った冒険者の抑えた一言で、群衆は徐々に静かになっていった。ざわめきは残っているが人だかりにも隙間が出来つつある。
ギジッツは人の間を縫って冒険者に近づいた。
*
彼は三人の仲間と行動を共にしていたが、一人で戻って来た。一人が限界だった。
件の魔族……魔人とは、ある調査のさなかに出くわした。
なんてことのない依頼だったが、彼らはプロフェッショナルだ。
危険に対する備えは怠らず油断もしない。
ただの旅人や少し足を伸ばした村人であれば、たちまち魔人に寸断されていただろう。
そいつは二本の足で立っていた。草むらをかきわける俊敏な動き。
敵意に濁った目で四人の顔を見渡すと魔人が吠えた。
武器を構え臨戦態勢をとる仲間たち。
魔人は素手だ。その五指に鋭利な鏃のごとき爪が光った。
冒険者たちは苦戦した。
四人を相手にしながら互角、いやそれ以上の戦いを展開する敵。
剣はことごとくいなされる。かつっと、固いものが軽く触れあう音がし、力を逸らされている。
樫のラウンドシールドが爪で容易く断ち割られた。
槍の刺突はかわされ、逆に穂先を折られた。
後衛の一人が毒矢をつがえて弓を引き絞る。何度もこなした連携、必殺の呼吸。
目で見てからでは躱せないはずのタイミングの矢を魔人は避けた。
紙一重だったが、かすらせもしないで。
ハッハッと荒く呼吸していた魔人が息を吸い込む。
「ゥオッ…ジャ…マ…するなッ!!」
一喝。敵の爪が閃いて、血の飛沫が舞うなか前衛の戦士が倒れ伏した。
しわがれた声で、魔人が確かに人の言葉を発した。
冒険者パーティのリーダーを務める彼は、即時撤退を決断した。
(虎の子の遁走丸、使うしかない)
それは逃走を助けるための、閃光と音、ご丁寧に煙幕まで出す高価なアイテムだ。
今使わずしていつ使う。本当なら仲間が倒れるまえに下すべきだった判断。
仲間に合図を出しボールを地面に叩きつけ炸裂させる。
瞼すら透過する、刺すような光と、鼓膜を震わす爆音。
聴覚にはしばらく頼れない。立ち込める催涙性の煙幕の中、冒険者たちは散開する。
彼もまた目を保護するゴーグルを下げて逃走をはかった。
敵は……隙を見せなかった。
考えにくいことだが、魔人は冒険者たちの使ったサイン、そして遁走丸の存在を知っていたとしか思えない。
さらに如何にしてか、視覚にも聴覚にも頼らず冒険者たちを捕捉している。
魔族であっても生物だ。強い光を受ければ視界は焼けつくし、聴覚に秀でたものなら遁走丸の轟音を受ければ只では済まない。遁走丸という名前ではあるものの、場合によっては一気に形勢逆転し、討伐のチャンスすら生ぜしめる切り札なのだ。
それがまったく無駄骨に終わった。
絶望的な撤退戦に移行した。
全滅は何としても避けなくてはならない。
人の領域を徘徊する魔族の存在を街に伝えるためにも。
二人が殿を務め、彼は手負いの前衛に肩を貸し走る。
戻ったのは彼ひとり。それが限界だった。
……
…
「あの。ちょっと聞きたいんだけど、いいかい?」
―――遠慮のない調子の、緊張感のない声がかけられた。
閉じていた目を開くと、担架に乗る彼の傍らに細身の黒衣の男が立っていた。
*
ワギは生きるためなら何でも食べたが、彼の鼻はたまに、危険のにおい―――としか言いようのない臭いを嗅ぎとった。決まって鼻筋がひきつるのだ。
慣れ親しんだ泥のにおいにも少し似ていた。他人には説明しづらいが、とにかく不快な感じがした。
茸であるとか、口にすることの多い鼠の死骸の時もあった。彼が食べずにいたそれらを食べた孤児は命を落とした。
ワギは自分の中に一つルールを設けた。いざという時には鼻に従うことを。
傭兵に遅れて募集したワギは、そのテストにはすんなり通った。
条件は良かった。食事と寝床つき。
訓練の合間に、豪華とも言えないが栄養豊富そうな食事が出た。
涎を飲み込んで椀を顔に近づけると―――鼻筋がひきつった。
ワギはスープや肉に口をつけなかった。果物の時もあった。
パンと水だけ摂って、隣の誰かに食事のほとんどをくれてやった。
その判断が正しかったのかよくわからない。
傭兵に参加して三日、彼らは街から別の場所に移された。
行先を知らされず、馬車に詰め込まれての移動。ワギの鼻は、木と水と土のにおいをとらえた―――どこかの森にいるのだとわかった。
…いつの間にか眠りに落ちていた。眠らされていた、という方が正しいか。
そのせいで彼は血のにおいには気が付かなかった。
*
兄が主導する大がかりな軍事演習の情報は、やはりフェイクであるらしかった。おそらく獅子族のなかの裏切者―――今のミティアの立場がそれにあたるのだろう―――を釣り出すため、ある程度までの階層にだけ伝わるよう故意に噂を流したのだ。
一杯食わされてしまった。
ミティアは今度こそ慎重に、ひとつずつ得ていた情報を検分し、よく注意を払って調べなおした。
人と、兵站と思しき食料や物資の動きは実際にあったが、軍事演習やそれに相当する規模の作戦が実際に行われる気配がない。
そしてもう一つ気がかりなことがあった。
ガルダノが募集していた傭兵たちの行方が知れない。
そもそもフォファガ・ロアンには、十分な……いや、過剰ともいえる防衛戦力がある。戦時中でもないのに傭兵をやとう意味がどこにあるのだろうか。
集まった人員は1000を超える。傭兵たちは街にはいない。
いた形跡はあるが、既にどこかに移っている。
分散された傭兵たちのうち、もっとも人数の多い一群が、どうやらフォファガ・ロアンから西…ワニニール方面へ移っていったらしい目撃情報があった。信じるに足るだろうか?
ミティアの頭の中に、ワニニールからそう遠くない森の、兄が隠したがっている砦が浮かぶ。巨額の資金があの場所に注ぎ込まれていた。
点と点。繋げる線はまだ弱い。だが何かあるように思われた。
…そういえば、ミティアが一度フォファガ・ロアンを発ってから、まだ報告をきいていない。
砦につけている監視の目を強化するとともに、何か動きがなかったか、どんなことでも報告するようエドモンドを通じて命じた。
ラストまでのアウトラインが(多分)ほぼ固まったので章立てしました。
がんばります。そのうち誤字脱字修正、視点ごっちゃ部分手直しとか
ディテール描写プラスもしたい。




