ロシウとファヴニル
冒険者とは、読んで字のごとく「危険を冒す者」だ。
魔獣退治や人跡未踏地の調査、貴重資源の採取などの危険と隣り合わせの稼業に携わる者たちをそう呼びならわす。
何が彼らを駆り立てるのだろうか?
高額の報酬か、名誉か。あるいは”危険”そのものという者もあるかも知れない。
いずれにせよ、望んで冒険者を志しギルドに籍を置く者もいれば、一方で本人の意思と無関係に、冒険者となる道しか残されていない者もいた。
額に刀傷を負う冒険者ロシウは、後者であった。
泰平の世だなんだといって、クソみたいな世の中だ。
ロシウの胸中にはつねに怨嗟と呪いが渦を巻いている。
ロシウは、呪いを薄めるように酒を求めた。だがいくら呑もうとも、どれほど高級な美酒であっても、心は休まらない。だからといって酒のない生活は考えられなかった。ロシウはつまるところ、酒のために生きているようなものだ。
生まれて初めて口にした酒は生きていくための通過儀礼に過ぎなかった。今ではすっかり転倒していた。
そして、酒などのために命を懸けることほど馬鹿馬鹿しい事もない。
呑むには金が要る。
安全かつ効率的な集金の手立てがあれば、ロシウがそれを選択しない理由はなかった。
その女はミラージュと名乗った。素顔は見たことがない。
女がロシウと、彼と組んで仕事をすることが多かったファヴニルの二人に声をかけたのは、恐らくたんなる偶然だろう。ファヴニルは『剛力』の魔法の素養を持つ冒険者だ。ロシウはたまたまそのおこぼれに与れただけの、おまけのようなものだった。
ミラージュの持ちかけた話には魅力があった。
―――“流れの魔獣”をでっち上げるという話。
*
ココルピ村が選ばれたのは、おそらく用心棒もそこにいるからだ。
三つの村の連名での”流れの魔獣”討伐依頼を取り下げたのがココルピ村出身のクラジであることはわかっていた。
ファヴニルは背中に大剣を負い、隻腕の身でありながら巧みに馬を駆る。ロシウはその後に続く。先頭を行くのはミラージュだ。三者の間に無駄な会話はない。
ミラージュも何を考えているか読めない、食えない女だったが、ロシウにとってより理解しがたいのはファヴニルであった。
ファヴニルは酒を嗜まない。
のみならず、彼は命のやりとりを、戦いを愛していた。
そして殺戮も。
戦いの中で片腕を失ってなおそう言って憚らないのだから相当な偏執狂だといえる。
ロシウは命のやりとりなど御免だった。彼らが組むことが多かったのは戦術上の相性の関係だ。
そこにミラージュが加わったことでコンビネーションはより盤石となった。
相手は魔獣でも、軍でもない、しょせん人間の用心棒。それに戦う術を持たない朴訥な村人。
敗北はあり得ない。
こちらから奇襲をかけるとあっては尚更だ。
体力の過度な消耗を避けるため休憩を取りつつ進んだ。
ココルピ村近郊に到着したのは夜半。好都合だった。
村ひとつを見せしめにすれば残った二つの村は考えを改めるだろう。
その際、気をつけなければならないのは、あくまで”流れの魔獣”がやった、という事。そのように見せることだ。
カムフラージュのためロシウたちは鉱物資源の採取任務に赴いたことになっている。鉱物は前もって用意してあった。
あとは淡々と、手際よくこなすだけだ。
馬から下りた三人が村へと静かに歩を進める。
ここらでいいだろう。あのクラジの耳でさえも、ここまでは届かない。
「頼むぜ」
「わかってる」
ミラージュの魔法が空気を歪ませ、存在しない魔獣の影を作り出した。
同時にロシウたち三人の姿は遮蔽される。この状態の三人の姿は互いからのみ視える。
虚像を結ぶ魔法。
「では、往くか」
ファヴニルの身体からうっすらと蒸気が立ち上る。剛力の魔法が人ならざる膂力を彼にもたらした。
鞘を放り捨てると小児の背丈ほどもある大剣を小枝のごとく振り回す。むろん、片腕で。
希少な『魔法の素養』の中でも身体強化系の魔法はそれほど珍しい部類ではないが、ファヴニルの剣の技量と合わされば、対する相手にとっては悪夢のような脅威となる。
ロシウの役目は雑用だ。恐慌に陥って逃げ出す者を撫で斬りにし、事が全て済めば魔獣の仕業に偽装する。
これまで何のへまもしなかった。今度もそうなる。
*
ロシウたちの行く手には少数の人影が待ち受けていた。
(あれが用心棒先生ってわけかよ)
こちらの動向を読まれていた? クラジの耳を侮っていたか。
もしくは、居もしない魔獣に備えていたのか。真面目なことだ。
それが徒労に終わることを知っているロシウは、あわれな用心棒と村人を心の中で悼んだ。仕事が済んで酒を呑むころには忘れているだろう。
「ようこそ。この先はココルピ村だ。何の用だい?」
用心棒と思われる一人、ひょろりとした痩せた男が声をかけてきた。魔獣相手に話が通じると思っているわけでもあるまい。
「まあ、答えるはずないよな。魔獣を操ってるのか。そんな魔法もあるんだろう。どうだい、ここで手を引けばお互い無傷で帰れるぞー」
こちらの存在は見透かされている。たぶん、狙いまで。痩せ男の間の抜けた声はロシウの癇に障った。そして、ミラージュの幻覚魔法までは見破られていないようだ。
ファヴニルが目配せした。ロシウはミラージュをちらりと見やり、嘆息したい気分で頷きを返す。
ファヴニルは魔獣の虚像の影、敵にとっての死角から滑り出ると、距離を保って痩せ男と向き合った。
その姿は既に遮蔽されてはいない。
抜き身の大剣を構える。鈍い輝きを放つむき出しの殺意。
「うれしくなるな。魔法使いだろう?あまりやったことがないんだ」
痩せ男が肩をすくめて見せた。
「そういうあんたはどうなんだ。剣のでかさの割に力を込めてるように見えんね」
「答える義理は無いな」
「全くだ。そんで、帰る気もないんだな?」
痩せ男に動じた様子はない。ファヴニルも、落ち着き払った相手を前にして一切の油断をしていない。
ともに相手の出方を窺っている。
会話の間も痩せ男の仲間は動かなかった。女が一人と、只者ではない雰囲気を纏う長身の男が一人。
女の足元に花が群生しているのが目についた。ありふれた種類に見えるが、そこにだけ咲いている。
そして奇妙なことに敵はただの一人も得物を手にしていない。『魔述士』であれば呪符や何か、隠し持っているかも知れないが。
三人とも魔法使いなのだろうか?
それならば自信のわけにも得心がいく。
ロシウはふと、痩せ男の左目に目を留めた。ほのかに金色に光った気がした。
そして―――ファヴニルが仕掛けた。
ファヴニルは予備動作なしに、ひと跳びで大剣の間合いに達した。
そのまま振り抜かれた横薙ぎの斬撃が痩せ男を両断するかと思われたが―――掌が大剣を押しとどめた。ガンッと、硬質な音が響く。
痩せ男は余裕を見せている。ファヴニルは体勢を崩すことなく跳び離れた。
一瞬の攻防。
得物を持っていないこと、そしてあの音。
ロシウは、痩せ男がおそらく身体武器化系の魔法を使っていると推測した。ファヴニルも同じ推論をしたのだろう。
素手を主体とする戦闘方法をとるはず。懐に潜り込まれると大剣では分が悪い。
ファヴニルの剣が決定打にならない相手は少し厄介だ。こういう手合いを仕留めるには意識の外からの奇襲に限る。飛び道具があれば良かったが、手持ちのカードでは、硬化していない箇所を狙っての毒殺がベストと思われた。
ロシウは魔獣の幻影で残る用心棒を牽制するよう、ミラージュに短くサインを出す。自身はファヴニルの援護に回るべく、即効性の致死毒を仕込んだ短剣に持ち替え、動いた。
*
ファヴニルは研ぎ澄ませた全神経で戦いに臨んでいた。精神には昂揚と、冷徹な判断が同居している。渾身の斬撃が素手で止められても彼に驚きはなかった。想定していた状況の一つに過ぎない。
ファヴニルは一人ではない。そのような敵への対処もじゅうぶん可能なチームなのだ。
前衛として敵の足を止め注意を惹きつける。
後方の仲間を守るのが彼の役割だ。
痩せた男の軽く握られた拳が突き出され、ファヴニルの肩当てを造作もなく吹き飛ばした。
かすっただけだというのに途方もない衝撃が襲う。顔面を狙ったのだろうその拳の直撃は回避できたが、まともにくらっていればどうなっていたか容易に想像できた。
しかし見えない速さではなかった。恐怖はなく、切り結ぶ敵から目を離すことはひと時もない。冷静に己を律していた彼だが、ふと、振り回している愛剣に違和感を覚えた。
軽い…?
武器の異常は看過できない。視界の端の剣に意識を割く。
多層鍛鉄の刃が、手の形にえぐれていた。
瞬間、雷に打たれたように…動物的な直感ではなく…戦士として積み重ねた経験によって導き出される、彼我の力量差の見積もりが更新され…
ファヴニルは、眼前の男の脅威を正しく認識した。
こいつは遊んでいる。
男の背後に接近しつつあるロシウは、おそらく気づいていない。化け物の本質に。




