村へ
昼下がり、ギジッツはアケイロンを伴ってワニニールの町を散策していた。
エニシダとクラジは宿で寝ている。衰弱している場合を除けば魔族に睡眠は必要ない。
行き交う人、人、人。虎牙族らしき子供たちがギジッツの横を走り抜けていった。その後を追う子供の耳の上からはねじれた角がのぞく。おそらく羊角人だ。商業区は雑多な種族でごった返しており、目抜き通りに連なる露店は値切る客と店主の掛け合いで賑わいを見せている。朗らかな喧騒。
「活気があるな」
呟きとは裏腹にギジッツは辟易していた。魔界とは比べ物にならないほど高い人口密度にも拘らず、治安がいいのだろう、瘴気は人の多さの割に薄い。魔族の本能として瘴気の薄い場所は落ち着かない。だが、きっとここなら目当てのブツも見つかる。
ギジッツは本を探していた。
彼の知らない地上の二百年間で『印刷』という技術が発達し、かつては一部の知識層だけの趣味だった読書が庶民の間にも広まっていった。ワニニールのような都市に暮らす者の識字率は50%程度にのぼるという。お伽噺として村の古老が子供らに語って聞かせた話が、いまや書物に編纂されて市場に出回っている。
「『勇者』の伝説を描いた本を探すんだ。今回の”危機”のヒントがあるかもしれん」
「恐れながら、ギジッツ様はエスノ語を読めないのでは?」
「お前の上司に読んでもらうんだよ」
知らない言語を学ぶのはいい時間つぶしになるといって、エニシダは魔界でよく勉強をしていた。エスノ語の読み書きもその時習得したようだ。役に立つか立たないかの物差しを趣味に持ち込むものではないが、ギジッツが何の役にも立つまいと思っていたその勉強が巡り巡ってギジッツを助ける事となった。長い人生、何がどう転ぶかわからないものだ。
二つ綴じの本を象った看板が目に入る。紙の独特の臭気。書店を見つけた。アケイロンの出番だ。
「では命令を下す」
「はっ、何なりと」
「子供向けでも構わない。『勇者』に関する本を買ってこい」
「我も字が読めませんが」
「店員に聞くなりなんなりしろ!」
「はっ!直ちに!」
たまたま地上行きの列で顔を合わせて、地上で暴れさせるはずだったアケイロンが本屋を駆けずり回って使いっぱしりをしている。これも奇妙な巡りあわせだ。
ほどなくしてアケイロンが戻った。その手には一冊の…
「…まるでグルメガイドみたいな表紙だな」
「はっ、店員の薦めるものを購入いたしました!きゃつめ、言葉巧みに我を誘導し…」
ぱらぱらと捲る。文章はわからないが、挿絵はどれも料理を描いたものだ。
「クソが!」
手首のスナップを利かせてアケイロンの後頭部をはたくとスパァン!といい音が鳴った。通行人が振り返った。
「も、申し訳御座いません」
「俺が行く!そこで待ってろ」
しょげた様子のアケイロンを置いて書店に乗り込んだ。残金は本一冊買えるかどうか。真剣な表情で子供向け絵本コーナーを物色していると先ほどすれ違った子供たちが寄ってきた。
「おじさん何でこんなとこいんの」
「本、読めるの?」
「オレたちは字読めるんだ!」
うるせえクソガキども、と怒鳴りたい気持ちを抑えて静かに言った。
「おじさんじゃねえ。ちょっとあっち行ってろ」
「これがオススメだぜ!」
子供というのはへたな魔族よりよほど自由だ。人の話を聞いちゃいない。虎牙族の男児が差し出してきた本には、両手に剣を持つ男と竜が描かれていた。
「どういう話なんだ?」
「それ言っちゃうと面白くないだろー?とにかくそれがオススメだ!」
「めちゃくちゃアツいんだぜ!」
子供たちは目を輝かせてその本を薦めてくる。まあ、これでいいか。
「じゃあこれを買うわ。ありがとよ」
「おう!じゃあね、変なおっさん!」
「おっさんじゃあないぞ」
*
代金を支払って店を出て、そのまま宿に戻った。夕方というにはまだ早い時間だ。エニシダは目を覚ましていた。俺達の買ってきた本を見るとあまり見たことのない表情をした。
「『厳選!ボルドー大陸スーパーグルメナビ』に『ラスター・トーア戦記 ~炎竜の巻~』ですか」
その顔は驚いているようにも、笑っているようにも見えるが、おそらく呆れている。過去に精霊憑きが活躍した災害についての情報を得るために本を買いに行く、ということは伝えてあった。
「…なんか…間違えちゃった?」
「グルメナビは論外として、本についているこの装飾を帯というのですが、読み上げますね。
『いま一番ホットな冒険者の戦いの半生!待望の最新刊が満を持して出版!』」
言い終えると、冷ややかな眼差しがギジッツに向けられた。
「ああ…」力が抜けた。アケイロンを責められたものじゃない。
「クラジさんの出してくれたお金ですよ? 何に使っているんですか」
「すまん」
「私に謝られても仕方がありません」目と口調が冷たい。叱られる子供というのはこんな気持ちだろうか。
「この償いに、魔獣退治はちゃんとするから」
「まったく…」
結論から言うと、クラジの村に近づいているという流れの魔獣は、退治出来なかった。
*
クラジはその日のうちに村への馬車を手配するつもりだったようだが、エニシダの魔法の事を少し話して、馬車は必要ないと説得した。クラジは天上に頭をぶつけそうなほど跳び上がって驚きを表現した。
「え、エニシダ様すげぇー!!」
ギジッツはさん付けだが、エニシダは様付けなようだ。
「やっぱこの魔法って珍しいの?」
「オレは聞いたことがありません。あまり人に話さないほうがいいと思いますよ」
もちろんオレも話しません、とクラジは言った。まだ短い付き合いだがすなおな性格をしているらしいのが態度から見て取れた。
「村へはどれ位かかる」
「二頭立ての馬車で、かなり飛ばして二日ってところですね」
「半日で着かせよう。できるか?」
「無論です。仰せとあらば6時間ほどで」エニシダは落ち着いた声で言った。
「『流れ』の痕跡がみつかって十日ほどになりますが、まだオレの村やとなり村が襲われるまでには二週間以上の猶予があると思います。そこまで急がなくても」
「そうなの?」
「ええ。ご存じかもしれませんが魔獣は基本的に少食です。『流れ』の魔獣なら一度エサをたいらげてからひと月は何も口にしないはずです。村が本当に危ないのは、もっと後です」
魔獣は確かに、体の大きさに比べて喰べる量が少ない。ポウルがそうだったように。ギジッツもよくわかっていた。流れの魔獣、つまり命の危険が近づいているとわかっていながら村人たちがいまだ村を捨てずにいるのもひとえに時間があるためだ。
「だとしても、あんまりノンビリとはしてられないよな。夜通し走って明日には着かせるぞ」
「ありがとうございます!」
四人を乗せた真白い馬車が風のごとき速度で駆けだした。
*
「”流れ退治”が取り下げられただァ?」
額に傷のある男がブロードソードを磨く手を止め不機嫌そうに唸った。
「ホントだよ。抜け駆けされたわけじゃなくて、依頼が取り下げられてたの」
フードを目深に被る、赤いローブを纏った女が肩をすくめた。男はテーブルの上に置かれたグラスをひったくると酒を呷った。グラスを叩きつけるように乱暴に置く。
「どういう事だ。腕に覚えのある野郎が売り込みにでも行ったってえのか」
「可能性はあるな」三人目、髪に白いものの混じった隻腕の男が答えた。
「となれば、気は引けるが、やるしかあるまい」
隻腕の男の目は喜悦に歪んでいた。
「ハッ。おらァ嫌だね、兎の肉はキラいなんだ」
「あら。べつに食べるわけじゃないでしょォ?」女がくつくつと笑う。
「食わないものは殺さねえ主義なんでな。だが、まあ、口に合わんものは口にしない主義でもある」
傷の男は空になったグラスを持ち上げると、酒が一しずくも残っていないのを見て舌打ちした。それから隻腕の男を見た。強者との戦いの予感に顔を紅潮させている。待ちきれない様子だ。本人の言うとおり、彼には戦いだけが生き甲斐なのだ。せめて戦いになればいいがな。傷の男はぼんやりと考えた。
隻腕の男は壁に立てかけた大剣に手を伸ばし立ち上がった。
「では行くか。三日もあれば着くだろう」
「今からかァ!?旦那はせっかちなんだよ。酒でもくらってゆっくり行こうぜ」
「あんたは呑みすぎだね」
武装した三人の冒険者たちもまた、その晩、ワニニールの町を出立した。
ノリでグルメガイド出しちゃいましたが、これがあとあと活かされるかはまだわかりません。
サブタイトルは毎回ちょっと悩みます。「第何話」とかでもよかったかも。




