夜明け
優秀な斥候。
それがギルドでのクラジの評価だ。彼は弛まず能力の鍛錬を続けた。幸運にも努力は報われ、兎人の中でも群を抜いているといわれるだけの聴力を身につけた。彼が斥候として参加した隊はこれまで大きな成果を上げてきた。
しかし本人は自覚していなかったが、クラジは斥候として、ある致命的な欠点を抱えていた。
思い込みが激しかった。
膨大な情報を得る手段としてのすぐれた耳があっても、得られた情報を分析し、取捨選択できなければ宝の持ち腐れだ。彼はここで二つ目の幸運に恵まれた。これまで彼がギルドの任務で組んだ者は、クラジが聴き取った音がどんな価値を持っているのかを冷静に見極めることができる、正しい斥候の資質を備えていた。
かくしてクラジは、自分の欠点に気付くことのないまま、その評判を上げた。
行く手に待つのは『勇者』様一行。舌が渇く。クラジは歩きながらごくりと唾を飲み込んだ。
魔獣を倒したあとその三人は何事か相談しながらその場に留まっていた。
異国の出身なのだろう、聞き慣れない言語だった。話の内容はわからない。
自分の格好が失礼にあたらないかと、ふと不安に駆られる。そしてすぐに服装などを気にしている場合ではないと思い直した。
村をお救い下さるよう、なんとしても説得しなければ。
「はい、ではもう一回」
「<どうも御機嫌よう。私の名前はギジッツで御座います。貴殿は?>…こんなもんか?」
「固い気もしますが、及第点といったところですか」
「カンペキだと思ったんだが…」少しへこむ。
「二百年使っていない言葉にしては上出来ですよ。来ましたね」
ガチガチに固まった様子の兎人が姿を現した。
決意に満ちた目でアケイロンを見つめると、よどみないエスノ語で語った。
「<お初にお目にかかります>、<不躾ながらこの耳で全て聴いておりました>!
<手前は兎人族>、<クラジと申す者>。<勇者様とお見受けします>。
<何卒>、<手前にお名前をお聞かせ願いたい>!」
ギジッツは目を瞬かせた。
「…アケイロン、お前の方見てるけど何言ってるかわかる?」
「はっ。申し訳ございません!」無駄に堂に入った態度。
「若干形式ばった挨拶ではないかと」
エニシダは冷静に告げた。兎人はアケイロンから目を逸らさずじっと待っている。緊張こそしているようだが、警戒心や敵意はない。ギジッツは敵意に敏感だ。
意を決してギジッツが口を開いた。
「ええと、<どうも>、<わたし><ことば>、<よくない>。
<ゆっくり><しゃべる><ほしい>。
<わたし>ギジッツ。<よろしく>」
付け焼き刃の予習は吹っ飛んだ。身振り手振りを交えてどうにかそれだけ伝えた。
「ブフッ!」エニシダが顔を伏せる。
兎人は少しの間きょとんとした表情になったが、軽く笑って、自己紹介をやり直した。
「<オレの名前は>、<クラジ>。<おねがいがある>」
魔獣を倒した現場から、ワニニールへの道行き。
北にあるクラジの村の近くに”流れ”の魔獣が出たらしいこと、それを討伐するために強い者を探していたことを、クラジはゆっくり語った。
「オレ、最初は、そっちの人が『勇者』様だと思ってました」
アケイロンは一言も発さず首を横に振った。
「こちらのアケイロンは、私の部下…という事になっています。一応は」
「部下?同僚とか仲間じゃなくて?」
徒党を組む冒険者は対等な関係にあるというのが常識だ。
ギルドに仕事を斡旋されたチームならばともかく、旅の道連れに上下関係を持ち込む冒険者は少ない。よほど身分が高いのだろうか。
「話すと長くなる」
黒い外套を纏う金の目の精霊憑き…ギジッツのエスノ語は短い時間のやりとりで随分ましになっていた。
「エニシダ、ずいぶん言葉の上手い」
「言ってませんでした? 私、エスノ語の読み書きも出来ますよ」
「それ先に言え!」
最初に受けた冷たい印象とは裏腹に表情をころころ変える美人、エニシダがギジッツの従者。口を一文字に結んだ寡黙な偉丈夫…アケイロンが、エニシダの部下なのだという。異国の出の『勇者』一行だけあって奇妙な組み合わせだとクラジは思った。
「お疲れでしょう。今日のところは宿に泊まっていってください。明日村に出立します」
「俺たち金持ってない」
「当然オレが出しますよ。それ位はさせて下さい」
ギジッツ達は、流れの魔獣退治を快く引き受けてくれた。それも見返りなしで。クラジは恐縮した。
「それより、本当に報酬を受け取って貰えないんですか?」
「<魔族たるもの本来なら契約に見合った対価を貰うところだが、生憎今は先約があってな。他の契約を結べない>。…あ。悪い、何言ってるのかわからんよな」
ギジッツは時々素の言葉に戻る。
「まあ、その。俺は『勇者』だってことだ!」
その言葉にクラジは深い感銘を受けた。弱いものが暮らすつまらない村の一つや二つ、踏みにじられようと顧みられないだろう。誰も救いの手など差し伸べない。そう思っていた。自然と涙があふれる。
「なんて立派な方だ…」
クラジは立ち止まって嗚咽した。
「ギジッツ……様、なーかせたー」
「俺が悪い!?」
クラジは蛇鱗人の門兵にギジッツ達の魔獣との戦いを短く語って聞かせ、ギジッツの金の左目を示した。門兵は畏まった様子でギジッツ達がワニニールの町へ入ることを了承した。
「おお…すんなり」密入国同然の身。町には塀を越えて侵入するつもりでいたが、拍子抜けするほどあっさりと通行許可がおりた。
「『勇者』様なら当然顔パスですよ!」
「その勇者様ってむずむずするな。ギジッツでいいよ」
「ええ!?でも『勇者』様は『勇者』様ですし…」
「敬語も腹いっぱいだ」手をプラプラさせる。どうやら、本気で要らないという意思表示らしい。
「わ、わかりました。ギジッツさん」
クラジはその寛容さにまた涙を流しそうになった。
視線を感じてアケイロンを見ると、どういう訳かクラジを睨んでくる。ギジッツがアケイロンを振り返ると顔を背けた。
夜は明けていた。空はすっきりと晴れ渡り、白い雲の筋が流れる。朝陽が寝不足の目にしみる。
クラジの気持ちも今は明るい。
四人パーティーになりました。
次回の更新ちょっと遅れるかもしれません。