その手に大切な思い出を
手洗い場を出て、また玄関のほうへと戻ってくると、なにやら険悪な雰囲気が広がっていた。どうやらアルフィードが俺の正体を告げたらしい。予想していた事態だけに、心の準備は出来ていたが、この中に割って入っていくのはちょいと心臓に悪いな。
「やぁ、ヨミサカくん、だったかな? 君がネクロマンサーというのは本当かね?」
重い足取りでアルフィードのもとに向かうと、親父さんのほうから直球をぶつけられる。俺は肯定の意味を込めて、首を縦に振った。すると、溜息交じりに「そうか」と呟いた親父さんは、次にこう言った。
「色々と言いたいことはあるが……君は客人だ。ティフ、彼を客室に案内しなさい。私達は後から向かう。すこし気持ちの整理を付けたい」
「……えぇ、分かったわ。行きましょう」
アルフィードは乱暴に俺の手を掴むと、そのまますたすたと家の奥の方へと向かっていく。気分的に言えば、引きずられている思いだ。俺の手を掴む力は強く、足取りは荒々しい。俺の正体を両親に告げた結果どうなったのか、聞かなくても態度で分かった。
「なぁ、アルフィード」
「なによ、ヨミサカくん」
「客室に行く前に、一つ頼み事をしてもいいか?」
「なに?」
「お宅の姉さんの部屋に行きたいんだ」
その言葉を聞いて、荒々しい足取りがぴたりと止まる。
そしてぐるりと回転して、こちらを向いた。
「どう言う意図があって、そんなことを言っているのかしら? こちらが頼んでいる身とは言え、今の私は冷静じゃあないから返答によっては怒るわよ」
アルフィードの握力が強くなる。
怒るわよ、って言った時点でもう怒っているんだよな、だいたいの場合は。こう言う時、下手に嘘をつくと返って事態が悪化する。正直に、さっき見たモノのことをアルフィードに話そう。
「幽霊を見た。たぶん、お宅の姉さんだ」
「は?」
握力が更に強くなった。
「いででっ、本当だって嘘じゃあない。冗談なんか言うかよ、こんな時期に、お宅の目の前で。俺はそんなに馬鹿じゃあねーぞ」
「……証拠は? 姉さんの幽霊を見たっていう証拠」
「証拠、って言われてもな。一応、今お宅の隣にいるよ。誰にも見えて居ないみたいだけれどな」
手洗い場で彼女を発見してから、ずっと俺に付いてきている。使用人さんも、ご両親も、アルフィード本人にも見えていない。見えるのは俺だけだ。俺だけが彼女を認識できている。おそらくは彼女が幽霊で、俺が死霊術を身に付けたネクロマンサーだからだ。
「そう言うのじゃあなくて、もっと具体的な証拠を見せなさい。私に貴方を軽蔑させないで」
肉親が、姉が死んでまだ数日だ。そこにお前の姉の幽霊が見えると言えば、怒るのも無理はない。寧ろ、アルフィードはかなり怒りを抑えてくれている。本当なら殴られても文句は言えないのに、我慢してくれている。
だからこそ、俺は伝えなくてはならない。
「緩くウエーブの掛かった金髪が一番に目に入った。続けて眼鏡と、目元の泣き黒子だ。顔はお宅に似ているよ。身長も同じくらいだ。真っ白なドレスを着ているな。それに、手にメッセージカードを持っている」
「……それには……なにが書いてあるの」
その文字を見て、俺は確信した。
「大好き、トリッシュ」
そう言った直後、強く握られていた手から痛みが引いた。アルフィードが力を抜いた――いや、力が抜けたのだ。
トリッシュは、パトリシアの短縮形だ。愛称のような物だと考えればいい。ティファニー・アルフィードの姉パトリシア・アルフィード。彼女は家族からトリッシュと呼ばれていた。あの白いドレスはアルフィードか彼女の両親と縁のある物なのだろう。
そして、これらの事実は本来なら俺が知るはずのない情報だ。
愛称なら言い当てられるが、メッセージカードに書かれた文字の全文を言い当てることなど出来はしない。これでアルフィードも理解しただろう。すくなくとも否定はしきれないはずだ。
「そのドレスは……私がトリッシュ姉さんの誕生日に送ったものなの。……そっか、死んだ後も……着てくれて居るんだ」
「そうみたいだな。相当、嬉しかったんだろう。幽霊になってまで着ているんだ、間違いない」
アルフィードは掴んでいた俺の手を離すと、背を向けて歩き始める。
「……こっちよ、姉さんの部屋は」
「あぁ、いま行くよ」
それ以降は無言のままパトリシア・アルフォードの部屋についた。幽霊も相変わらず、俺に付いてきている。これまた無言のまま、眼鏡の向こう側にある瞳で、俺をずっと見つめていた。
「さぁ、入って」
アルフィードが扉を開け、部屋の中に足を踏み入れる。
室内にこれと言って怪しいところはない。年相応の落ち着きのある部屋だ。強いて特徴的なところをあげるとすれば、書物の棚が多いことだ。たしかパトリシアの職業は調合薬師だったはず。それ関係の本が多いのか。
「ここで何をする気なの?」
「そうだな、とにかくお宅の姉さんのことを詳しく知りたいんだ」
「知ってどうするつもり?」
その問いに、すぐに返答は出来なかった。
そうだ、俺は何をしているんだ? 俺はただ遺体を修復にきただけじゃあないか。ちょいと幽霊が見えたことで、気になることが出来たからパトリシアの部屋に案内してもらった。
だが、それがなんだと言うのだ。こんな部屋を漁るような真似までして、俺は何がしたい。探偵にでもなったつもりか、俺は。
ぐるぐると思考が巡る。遺体の修復しかしないと決めた過去と、パトリシアの部屋を漁ろうとしている現在。その二つから生じる矛盾が、脳内に渦巻いている。
止めよう。手を引くべきだ。無関係の部外者が深入りしていい事じゃあない。そう思考が過去に傾き、倒れようとした時だ。
「……なんだ?」
パトリシアの幽霊が、何かを見ているのに気が付いた。ずっと俺を見ていたのに、この部屋に入った途端に別のものを見始めた。その視線の先に、なにかあるのか? 彼女が見ているもの、それは一つの本棚だ。
「此処に、なにかあるのか?」
パトリシアの幽霊は何も答えない。ただ、じっと見つめたままだ。
「アルフィード。すまないが、本棚を触るぞ」
「え? えぇ」
人の好奇心や探究心は厄介だ。関わるべきでは無いと決めかけていたのに、その判断を一瞬にして覆してしまう。目の前の謎を見て見ぬ振りは出来ない。俺はパトリシアの幽霊が見つめていた本棚に手を掛けた。
「この本棚は……図鑑か」
ずらりと本棚に並べられた植物や動物の図鑑。それらの一つを手に取り、開いてみる。けれど、それには特に収穫はなく。俺が気になったことについて、繋がるものはなかった。
パトリシアは何を見ているのか。疑問は尽きないまま図鑑を元に戻そう視線を棚に移す。
「これ……」
一冊の図鑑が抜けて、すっぽりと空いた隙間。その奥に何かが見えた。白くて薄い何か、それを掴み引っ張りだしてようやくその正体が分かる。これはノートだ。パトリシアが生前につけていた研究ノート。
それを開いて目を通し、そして決定的なものを見る。
パトリシアの幽霊を見たことで生まれた気になること――疑問を解決するにいたる物証を見付けた。これを見付けてしまったのなら、もう後には引けない。関わるべきでは無いなどと、この事実から目を背けることは許されない。
「なぁ、アルフィード。このノートをお宅の両親に見せてもいいか?」
「もちろん、構わないわ。だけれど、そのノートはいったい?」
「時期に分かる」
アルフィードの許可を得た。このノートだ。このノートが全てを物語っている。急いで客室に向かうとしよう。アルフィードの両親を、これで上手く説得できるかも知れない。