馴染みのない豪邸にて
初めて魔法を使ったのは、物心がついた頃だ。たしか三歳の誕生日だったと思う。孤児院の端で死んでいる雀を見て、俺は可哀想だと思ったし、治してあげたいと思った。子供心に浮かんだ、ありがちな感情だ。
普通ならこの後に現実の残酷さを経験するだろうし、せっかくの誕生日を暗い気持ちで過ごすのだろう。だが、俺は違った。死んだ雀を治したいと思った時、その死体は修復されたのだ。
無意識下での魔法の発現。その当時は何が起こったのか理解すらしていなかったが、時期に修復が終わり元気に飛び回る雀を見て、俺は良かった、治ったんだと思った。魔法で自分の思い通りに動いているだけという事実を知らずに。
そんな事があって、俺は動物の死体を見掛けるたびに近寄って、無意識に魔法を発動するという生活を送った。車に轢かれた犬を治し、イジメ殺された子猫を治し、甲羅の割られた亀を治した。
死んだ動物を治すという過程は、魔法の解明という結果に繋がっている。何度も魔法を使ううちに、死んだ動物が生き返るという現象に疑問を持ち始めたからだ。
当時、中学生になったばかり。当たり前だったことに疑問を持った俺は、街にある図書館のオカルトコーナーへと行き、事実を知った。自身に宿った能力が死霊術の類いであること。自分がネクロマンサーと呼ばれる存在なのだということ。死んだ動物たちが、生き返っている訳ではないということを。
それ以降、見掛けた動物の死体を治そうと思うことはなくなった。
この能力を人に見せてはいけないと明確に学習したのもこの頃だ。その代償は大きく、クラスメイトからの迫害という形で、十二歳の少年を襲った。
「ヨミサカくん? ヨミサカくんってば!」
「ん……あぁ、ごめん。ぼーっとしてた、なんだ?」
「なんだ? じゃあないでしょう。さっきから言っているじゃない、家に着いたって」
アルフィードのすこし責めるような視線を受けて、ようやく状況を把握する。
俺はアルフィードの自宅に向かうため、馬車に揺られていたのだ。それが今、到着した。こんな事にも気が付かないくらい、俺は考え込んでいたらしい。馬車という腰を据えられる場所と、これから行うこと。その二つの要因が、俺をそんな風にしていた。
昔のことを思い出すのは止めよう。塞がった傷口を、無意味に広げることもない。
「悪かったよ。でも、大丈夫なのか? 俺は嫌だぞ、お宅の親や親戚に殴られるのは」
「その辺のことは私に任せて。きちんと事情を説明するわ。貴方に危害は加えさせない。決してね」
「だと、いいんだが」
詳しい事情は、馬車の中でアルフィードから聞いて把握している。
亡くなったのはアルフィードの姉に当たる人で、名前はパトリシア。この世界に生息する特殊な植物や動物の一部を調合し、新たな薬を作り上げる調合薬師の一人らしい。彼女はある日、研究室で爆死した。
原因は不明。爆発物に火を付けて呑み込んだかのように、身体の内側から爆発したらしい。ぞっとしない死因だが、それ故に遺体は酷く損傷している。肉体が破裂したのだ、それは無残な姿だろう。
俺の役目はその損傷した遺体を元に戻すこと。それ以外のことは何もしない。
「でも、今更だが俺で良かったのか? 貴族の令嬢なら、俺みたいな学生よりも優秀なネクロマンサーに依頼できるだろ?」
「ヨミサカくんにしか出来ないのよ。学生であるヨミサカくんにしかね。他のネクロマンサーに依頼することは出来るわよ? でも、私が依頼をした時点でパパにそのものを握り潰されるわ。それに私、一度それをやって警戒されているから」
おいおいおい。
それってアルフィードの父親が、すでにネクロマンサーに対して良い印象を持っていないってことじゃあないか。本当に大丈夫なのか? 娘の静止を振り切って父親が殴りにくるなんて、容易に想像できるシチュエーションだぞ。
「だから、私からはもう正式な依頼はできない。ヨミサカくんのような、まだ何処にも属していない学生以外にはね」
魔法使いの世界にも企業や派遣会社のような所は存在するだろう。そこへの正式な依頼は、貴族である父親の情報網に引っ掛かって潰される。なら、同級生である俺に直接、頼み事という形で依頼をすれば、それは引っ掛かりようがない。という、単純な話だった。
しかし、それを聞いてますます不安になった。今からやるのは強行突破に近いものだ。馬車を降りたら、ずっと歯を食い縛っておこう。
「さてと……でっかい家だな、おい」
「そう?」
馬車から降りてアルフィードの自宅を正確に視界に納めると、その大きさに思わず声が出た。
孤児院の何倍くらいだろう? 流石にあの城のような学園よりは小さいが、それでも俺の知っている一般住宅より遥かに大きい。豪勢な庭も付いているようだし、これぞ金持ちの家って感じだ。
実際は金持ちじゃあなくて貴族なんだけれど。馴染みのない俺にとってはどちらも似たようなものだ。
「おぉ、ティフ。学園はどうだった? クラス分けの結果は」
「あなた、まだ気が早いですよ。結果が出るのは明日でしょう」
「それはそうだが、すこし気になってな」
呆気に取られるくらい大きな豪邸の玄関口を潜ると、すぐにアルフィードの両親と思しき人達が現れる。互いに三十代から四十代ほどの夫婦、柔和で優しそうな人達だ。けれど、下手をすれば俺はこの人達に殴られるかも知れないんだよな。
「それで、そちらの少年は誰だね? ティフ。まさか、恋人か!」
「違うわ、パパ。この人はラクド・ヨミサカと言って――」
「あー、その前に申し訳ない。お手洗いを貸して貰えますか? さっきから我慢してて」
アルフィードの言葉を遮るようにして、そう主張する。
「ちょっとっ、我慢しなさいよ、こんな時にっ」
「仕様がないだろ、無理なもんは無理だ。それより場所を教えてくれ」
「んんんッ……あっちよっ。行けば使用人が案内してくれるわ」
力強く指さされた方向に爪先を向けて、俺はこの場から逃げるように手洗い場に向かった。本当は行く必要もないし、我慢もしていないのだが、これには大事な意味がある。
アルフィードが俺の正体を告げるタイミングに、俺が居合わせているのは都合が悪い。ネクロマンサーという単語を聞いた瞬間に、両親の中で俺は嫌悪の対象になる。敵意を抱く可能性だって十分すぎるほどある。あの場に俺が居てはいけない。
俺がアルフィードの両親と再び顔を合わせるのは、すべての事情を知って貰ってからだ。でないと、気持ちの整理をある程度つけてもらった状態でないと、俺は問答無用で追い出されてしまう。この嘘の手洗いは、その時間稼ぎだ。
とにかく、冷静になって貰わないと話も出来ない。その辺のところを、アルフィードが上手く説得してくれると良いんだけれどな。
「こちらです」
「ご丁寧にどうも」
使用人さんに案内されて、この豪邸の手洗い場に到着する。流石は貴族の手洗い場とあって、とても清潔に保たれている。これだけ綺麗だと出るもの出ないだろうな。そんなことを考えつつ、とりあえず俺は近くの壁にもたれ掛かった。
どれくらい時間を掛ければいいだろう? どれくらいでアルフィードの両親は冷静になる? タイミングを誤れば、俺は二度とこの豪邸の敷居を跨げないだろう。そう思考を巡らせつつ、伏せていた視線を今度は天井に向かわせようとする。
その途中だった。視界に意外なものが飛び込んできたのは。
「うわっ、びっくりした。あ、え? どちら様?」
いつの間にか、目の前に女の人が立っていた。
緩くウエーブの掛かった金色の髪をした、二十代くらいの女性だ。眼鏡を掛けていて、目元に泣き黒子がある。そして、どことなくアルフィードに似ているような気がする女性だ。亡くなった姉のほかに姉妹がいたのだろうか? いや、だがそんな話は聞いていないしな。
「あの、もしもーし」
無言。とにかく、彼女は無言だ。話しかけても彼女はただ立っているだけ。口を開こうとも、俺から視線を外そうともしない。ここから動こうともしないし、何がしたいのかさっぱり分からない。
いったいなんなんだ? この人は。と、不審に思い始めた時だ。俺はあることに気が付いて呼吸が止まりそうになる。それは本来なら考えられないことで、一瞬思考がパニックに陥りそうになった。
「お宅は……誰なんだ? どうして瞬きをしていない?」
この世に瞬きをしない人間などいない。もし居たとしても、そいつは常に涙を流しているはずだ。だが、この女性は、目の前にいる彼女は平然と、さもそれが当然であるかのように瞳を見開いたままだ。一向に瞼を下ろす気配がない。
「まさかとは思うが……もしかしてお宅は――」
「どうなされましたか?」
核心に触れようとした時、廊下で待ってくれていた使用人の人から声が掛かる。
驚いた拍子に大きめの声をあげていたので、それを心配してくれたのだろう。声に反応して手洗いの出入り口に向かった視線を、ゆっくりと身体の正面へと移していく。そして、やはり瞳に映り込む。アルフィードに似た、金髪の女性が。
「いえ、なんでもないです。すぐに出ますから」
そう使用人さんに返事を返し、とりあえず手を洗った。
「さて、これからどうしたもんか。厄介なことになったぞ、これは」