計り知れない恩
Ⅰ
「ラクドがまだ帰って来てない!?」
ラクド・ヨミサカという生徒が、此処に辿り着いた記録がない。そう先生に聞かされた私は、思わず大声を上げてしまった。
黄昏の森を横断して辿り着く先には、遠征訓練をクリアした生徒のために立てられたテントがある。傷付いた生徒が応急処置を受けたり、休んだりするためだ。ここはそのうちの一つ。先生達のテント。
「どう言うことですか? だって、もう殆どの生徒が」
「えぇ、黄昏の森を突破して此処に辿り着いています。まだ森の中にいるのは、ヨミサカくんを含めた数名のみ。現状から考えて、彼等は失敗したと看做すべきでしょうね」
失敗した。まだラクドは森の中にいる。
考えられるのは、大怪我をして歩けなくなったということ。後は、単純に森の中で迷ってしまったか。もしくは――これは考えたくない。きっと大丈夫、きっと無事でいる。魔物になんかに、ラクドは負けないはずだ。
「……出発前に、あんなこと言うんじゃなかった」
後ろで話を聞いていたケイトが、ぽつりと呟いた。
遠征訓練が終わったら死んでいたなんて止めてくれ。たしか出発前に言っていたのは、そんな内容だった。ラクドは縁起でも無いことを言うなと返していた。まさか、本当にこんなことになるなんて。
「もう直ぐ日が暮れます。先生方も救出に動き出すでしょう。大丈夫、そのヨミサカくんも無事に帰ってきますよ」
先生はそう言ってくれたけれど。どうしても不安が拭えない。トリッシュ姉さんを救ってくれた恩人が、今も危険な目にあっているかと思うと居ても立ってもいられない。なにか、出来ることがしたい。私にも、出来ることを。
「先生。私も参加させて貰えませんか? その救出に」
「ちょっとティフ!? なに言ってるの! あたし達だって森を抜けたばかりなんだ、もう一度森に入る十分な体力なんて残ってないよ!」
「そうよ、アルフィードさん。貴女はたしかにスペードの優秀な生徒だけれど、それは許可できない。お友達を助けたい気持ちは分かるけれど、それは先生に任せて貰えないかしら」
「でも」
分かっている。自分が無茶なことを言っていることも、無謀なことをしようとしていることも、理解している。けれど、それでもダメなんだ。頭で理解していても、心がそれを拒絶している。
何かしたい。助けに行きたい。ラクドの無事を確かめたい。心がそう叫んで鳴り止まない。トリッシュ姉さんを救ってくれた恩がある。計り知れない恩。ここでただ待っていることは出来ない。
「何を騒いでいるんだ?」
自分の心に従って食い下がろうとした所で、このテントに一人の先生が入ってくる。
無精髭を生やして、いつも使い魔の白猫を連れている先生。今日も煙管を咥えている。名前はたしか、ラルム・クライムハンズ。この学園内でも五本の指に入るくらい戦闘に長けた人だ。
「ラルム先生。いえ、森から戻らないお友達を助けに行きたいと、このアルフィードさんが」
「ほー、そりゃあ随分と友達思いな子だな。ちなみに、そのお友達の名前は?」
「それがラクド・ヨミサカという生徒で」
「なに?」
ラクドの名前を聞いて、ラルム先生の表情が曇った。
「あいつまだ森の中にいるのか。んー……こいつはちぃとばかし不味い状況だ。向こうから連れてきた生徒だし、緊急時のサバイバル能力なんてあいつには皆無だぞ。さて、どうしたもんか……」
ラルム先生はラクドのことを知っている? そう言えば、以前に勉強会でラクドが無精髭の男がどうとか言っていたはず。あれはラルム先生のことだったんだ。今ある情報で推測するなら、ラクドをこっちの世界に連れてきたのはラルム先生ってこと?
「あの……ラルム先生、ラクドを助けに行くんですよね? 私も連れていてください」
「ティフ!」
私の言葉で振り向いたラルム先生は、すこし考え込んだ仕草をする。けれど、それも直ぐになくなり、ラルム先生はゆっくりと口を開いた。
「本来なら、ダメだって言う所なんだが、正直に言えば俺も人手が欲しい。お前さん、クラスは?」
「スペードです」
「よし、なら良いだろう。準備しろ、今から十分後に森に入る」
そう言いながらラルム先生はテントから出て行った。
私も森に入るための準備をしないと。何が必要になる? バックパックの中には何が残っていたっけ。とりあえず、ラクドが怪我をしていた時のことを考えて、薬品や包帯は必ず必要になる。それから――
「ねぇ、ティフ」
必要なものを頭の中で羅列していると、ケイトに名前を呼ばれた。
「なに? ケイト」
「ティフの中で、ラクドくんってそんなに大きな存在なの? あたしは二人の関係を知らないからさ。分からないんだよ。先生に任せておけば間違いないのに、どうしてわざわざ自分から助けに行こうとするのかなって」
ケイトには、まだ話していないことが山ほどある。
トリッシュ姉さんが死んだ時、パパとママはこの事を誰にも話すなと言った。貴族の令嬢が酷い有様で死んだという事実は、世間を騒がせるのに十分すぎるからだ。せめて安らかに眠って欲しい。そう言う意図があって私は親友であるケイトにさえ、姉の死を話さなかった。
結局、私はそれを破ってラクドに事実を話したのだけれど。ケイトには、まだ話せていない。トリッシュ姉さんが生き返って、更に秘密が増えたからだ。だから、いまケイトに言えることは、たったのこれだけだ。
「ラクドは恩人よ。とても大きな恩がある。返しても返しても、返しきれないくらいね。だから、自分の手で助け出したい。ここでじっとしては居られないわ」
「……結局、何があったのかは話してくれないんだね」
悲しそうに、ケイトは私から視線を反らした。
「でもね、ケイト」
「うん?」
「ケイトが同じ目にあったら、私、絶対に助けに行くわよ。待たないし、自分から行動するわ。良い? ケイト。ラクドはたしかに恩人よ。でも、ケイトは掛け替えのない私の親友。代わりはいないわ」
「ティフ……」
「今は何も話せないけれど、きっと何時か話すから待ってて。ね?」
「待ってて、か。……うん、そうするよ。ティフは私の親友だからねー」
そう言ったケイトの表情に、もう悲しみはなかった。きちんと目を合わせて、にかっと子供みたいに笑った。いつものケイトに戻ったみたい。機嫌を直してくれたみたいで、よかった。
「焼きもち焼きなんだから」
「焼きもちなんて焼いてませんー」
ケイトはぷいとそっぽを向いた。
Ⅱ
「あたしもラクドくんを助けに行くよ。親友の恩人は、あたしの恩人だからねー。それに怪我をしているなら、あたしの魔法が役に立つと思うし」
「ありがとう、ケイト。でも、無理はしないでね」
「それ、ティフが言う?」
ケイトが救出に参加してくれることになって、準備時間の十分が過ぎる。私達はもう一度森に入る準備を終わらせて、ラルム先生のもとに向かった。
「よし、来たな。さっきより人数が増えているように見えるが、お前さんも森に入るのか?」
「はい、ティフに付いていきます。あたしもクラスはスペードなので」
「そうか、人手は多いほうがいい。歓迎するぞ。では、行くとしよう。俺の後に続いて森に入るんだ。あと、自分の身の安全を第一に考えろ。ミイラ取りがミイラになるなんて笑い話にもならないからな」
自分の身を第一に。助ける側の人間が、助けられる側になってはならない。そのことを肝に銘じて、私は腹を括った。助けに行こう。戻らないラクドを迎えにいこう。私達で連れ帰るんだ。
「一応、ラクドとそのペアの無線機に連絡を取ってみたが通じなかった。もう日が落ちかけている。行動は迅速に、だ。そのためには地上を走っていちゃあ遅すぎる。今から足場にするのは地面ではなく木だ。俺達は木の上をいく」
森に入って数歩も歩かないうちに、ラルム先生は高く跳んだ。数メートル、十数メートルの高さにある樹木の太い枝まで一息に登ってみせた。魔法も使わず、魔力を一欠片も消費せず、生身の身体でアレが出来るからへレスオキナの教師は恐ろしい。
「お前等はスペードなんだろ? 早く上がってこい」
ラルム先生の声が遠い。
「あたし達も行こう」
「えぇ、流石にアレの真似は出来ないけれど」
私達は授業でならった身体強化を施すために、体内の魔力を放出し、足へと流して纏わせる。これで跳躍力が強化された。けれど、一度の跳躍で到達できる高さは数メートルがやっと。足りない分の高さは、木の幹を蹴って、更に高く跳ぶことで補う。二度、三度と繰り返し、そして先生の立つ枝の高さまで辿り着いた。
「よし、来たな。魔力は持つか?」
「大丈夫です」
「あたしも」
この身体強化には神経を使うけれど、消費する魔力は少なくて済む。遠征訓練をクリアした直後で消耗していても、まだ十分に魔力は残っているから問題にはならない。魔法だって無闇に使わなければ、魔物との戦闘にも支障は無いはず。
「なら、後に続け。遅れるなよ」
そう言って背を向けたラルム先生は、膝を折り曲げた後に別の枝へと飛び移る。足下の枝を蹴った瞬間、太いそれから軋む音がした。あの先生は本当に身体強化をしていないのかしら? 私達は互いに顔を見合わせつつ、ラルム先生のあとを追った。




