森の支配者
Ⅰ
その連絡は、唐突だった。
「緊急連絡。緊急連絡。黄昏の森に向かってハードプラントの群れが接近しています。現在、先生方が対処に向かっていますが、念のため生徒のみなさんはその場で待機。あるいは安全な場所にすぐ移動して下さい。繰り返します――」
バックパックの側面に固定されている無線機から流れ出る音声。唐突に響く緊急連絡に、俺達はただならぬものを感じていた。何かが群れを成してこの森に迫ってきている。という情報だったが、遠征訓練を半ば中断するような指示が出されるほどに、それは危機的なことなのだろうか。
「ハードプラント……厄介だな」
「なぁ、ウィーストリア。そのハードプラントってのはなんだ?」
「とある大型の魔物に付けられた名前だ。そいつは特殊な力をもっていて、自在に植物を操れる。地面に生えた草や木に巻き付いた蔦を利用して獲物を捕獲し、捕食する魔物だ。生命力が強くて再生能力も高い」
なるほど、だからハードプラントか。となると、戦場として此処は最悪だ。森全体が武器になるようなもの、そんな奴を相手に戦うなんて勝てる気がしない。大人しく、先生方がなんとかしてくれるのを待とう。場合によっては、日数が一日延びるかもな。
「それで、どうする? 移動するか、待機するか」
「移動する。さっきから魔物との遭遇率が高い。この辺は魔物の縄張り近くだ。とても安全な場所とは言えない」
「そうか。よし、なら行こう」
俺達は進路を変えて、魔物の縄張りから離れようと移動を開始する。その間、音声を絞った無線機からは、ずっと緊急連絡が流れ続けていた。
異常事態。異常事態だ。そのことをウィーストリアは明確に理解している。だから、声音にも焦りが出ているし、足取りも何時もより少し速い。
それに比べて、俺はいつも通りだった。まったく自分の危機感のなさが嫌になる。焦りもなければ、足取りもいつも通り。経験がない、知識がない、それ故に俺は現状を楽観視している。きっと、自分が痛い目に遭わなければ学習しないだろう。
そして、その痛い目とは唐突に遭ってしまうものだ。
「止まれ。魔物の様子が可笑しい」
「なんだ? こいつら。目が見えていないのか? 俺達を無視して通り過ぎていくぞ」
前方から複数の魔物が駆けてきている。兎、猪、猿、鹿、熊のような大きい魔物まで多種多様だ。けれど、その魔物達は決して俺達を襲おうとしている訳じゃあない。なぜか、みんな通り過ぎていく。まるで俺達の存在が見えて居ないかのように。
「おい、周りの様子はどうなっている。お前が操っている魔物には、なにか見えていないのか」
「いや、どの魔物の視界にも、原因らしきものは写っていない。周りの警戒を頼む、すこし俯瞰視点から周りを探ってみる」
片膝をついて瞼をおろし、集中力を魔法に傾ける。空を飛んでいる怪鳥に意識を向け、その視点を脳内に描く。見える景色は、上空から地上を見下ろす俯瞰視点。木々に遮られた視界でも、広い範囲を見渡せる。
自分達の周りを俯瞰で見たとき、魔物の流れを正確に捉えた。一定の方角から川の流れのように走っている。だが、群れのような集団の動きじゃあない。個々の魔物が独立して、自分勝手に移動しているみたいだ。
そして何か目的地があって動いてるようにも見えない。駆け抜ける大まかな方向は同じでも、それぞれが向かう方角は微妙に違っている。
なぜ、魔物達は走っているのか。その答えは、魔物を人に置き換えてみると直ぐに分かった。人間がこうして動くとき、それは何かから逃げている時だ。
「ウィーストリア、こいつはちょいと不味いかも知れねーぞ。こいつら、何かから逃げているんだ。俺達が向かおうとしている先に、なにか危険なものがある」
「逃げている……危険なもの」
「引き返そう。そうしたほうがいい。この魔物達についていくんだ」
「……いや、どうやらもう手をくれのようだ」
ウィーストリアが見つめる一点から、異変は始まった。
葉音が押し寄せてくる。木々の枝と葉が奏でる音が、津波の如く襲来し、嵐のように通り過ぎていく。風は、吹いていなかった。無風状態で起こる葉音の波。それが何を意味するのか思考を働かせる暇もなく、答えは容赦なくやってくる。
突如、視界が大きく空ける。木々に遮られていた筈なのに、今では広く見渡せてしまう。障害物がなくなった。木々はなぜ消えたのかか? その答えは簡単だ。木々自体が自ら移動したのだ。
地面を滑るように移動し、根っこを足のように這わせ、樹木は走っていた。なんのために? 言うまでもない、包囲した獲物を逃がさないためだ。移動した木々は自らを壁として大きな檻を作った。俺達は閉じ込められたのだ。
「おいおいおい……冗談だろ」
広く見渡せるようになったお陰で、この木々の檻を作った犯人を目視することが出来た。
巨大。とにかく巨大だ。俺達の前方に巨大な蜥蜴のような生物がいる。まるでミニチュアの人形劇の舞台に乱入して来た蜥蜴みたいだ。
そいつだけが、とにかく大きい。
身体を護る鱗。鋭い鉤爪。垣間見える牙。そそり立つ角。そのどれもが桁違い。チープなモンスターパニック映画に出てきそうなほど出鱈目な生物が、目の前の現実に存在している。
「魔物が逃げていたのは、こいつが居たからか。それにこれって植物を操っているって事じゃあないのか」
「あぁ、そうだよ。察しの通りだ。あれがハードプラント、森の支配者だ」
「なんで此処にいるんだ! 先生が相手をしているはずだろ」
「理由なんて知るか。一匹だけ群れからはぐれていたか、もともと此処に棲んでいたか、だ」
ウィーストリアの表情が険しくなった。
楽観的な俺でもここまで来れば流石に気が付く。今はとても危険な状況にあると。
「さっさと逃げよう! お宅の魔法があれば脱出くらい出来るはずだ!」
「無理だ」
「なに言って――」
悲鳴。背後から飛んできた声が、俺の言葉を遮った。
それは断末魔だ。生命の終わりに発せられる、生への執着で成り立つもの。それが後方から聞こえて来た。人間のものとは明らかに違う、獣のような声に釣られて、俺は背後を振り返る。
目の前に飛び込んできたのは、植物に襲われる魔物達の姿だった。
「なんだよ……あれ」
「言っただろ。ハードプラントは植物を操り、獲物を捕獲する。弱らせているんだよ。蔦や蔓で攻撃したり、木の枝を伸ばして突き刺したりしてな」
木々の檻から逃げ遅れた魔物達は、次々と動けなくなる。痛めつけられ、命を奪われた魔物は次から次へと蔦が絡まり、蔓が縛り、捕獲されていく。それらが向かう先は、ハードプラントの足下だ。続々と、一カ所に集められている。
「くそ、俺達もああなるんだぞ。一刻もはやく逃げないと」
「早まるな、そこを動くんじゃあない」
逃げだそうとした足を、ウィーストリアに止められる。
「俺達はいま、動かないから生きていられるんだ。ハードプラントは植物から、地面を歩いた生物を感知できる。いまは止まっているから襲われない。岩か何かだと思われているからだ」
岩か何かだと思われている。だから、襲われない。
だが、それは何時まで通用するんだ? ハードプラントは俺達から目視できる位置にいる。いまは食事に夢中だから気が付いていないが、それが終われば俺達の存在に必ず気が付く。
一応、膝を折って背の低い茂みに身を隠したが、これもほんの気休めだ。
「不用意に動くべきじゃあないのは分かった。……だが、どうする。……そうか、フレアだ。助けを呼ぼう」
さっそくバックパックに手を伸ばす。。
「いや、待て待て。フレアを打ち上げたら目立つに決まってるだろ。自分から存在をアピールしてどうする。なに考えてるんだ、俺は」
ダメだ。今の俺は冷静じゃあない。頭に浮かんだ安易な方法を、よく考えもせず実行しようとしている。落ち着け、ハードプラントはまだランチタイムだ。目線は運ばれてくる魔物に、つまり下にしか向かっていない。
こっちにはまだ気が付いていないんだ。冷静になって、許された時間を有効活用しなければ。
「フレアは無駄だ。打ち上げた所で、あんな目立つものはすぐに打ち落とされる」
「蔦や蔓の届かない場所で打ち上げることができれば……」
「魔物の死体を投げられる。石とか岩とかもな」
そう聞いて、空に配置していた怪鳥に意識を向ける。たしかに、言う通りだった。今は自動で避けているが、地上から対空攻撃を仕掛けられている。蔦や蔓によって投げ飛ばされた石や魔物が飛び交っている。
あれではフレアを飛ばすことは出来そうにない。
「無線機……無線機がある。無線機なら通じるんじゃあないか?」
「どうやって居場所を伝えるんだ?」
「ハードプラントに襲われていることだけでも教えれば探してくれる。間に合うかも知れないだろ」
そこまで言って、ようやく俺は周りが無音であることに気が付いた。
無音。何も音がしていない。ついさっきまで無線機が緊急連絡を発し続けていたのに、今ではその音声が聞こえない。もしやと思い、バックパックの側面をみた。そして、無線機がなくなっていることに気が付く。
「冗談……キツいぜ」
「さっき多くの魔物と擦れ違った。近くの木々も大勢動いていた。それでだろうな、俺の無線機は此処にあるが、ぶっ壊れてやがる」
ウィーストリアの手の平には、大きく亀裂が走り中身が飛び出た無線機があった。あれではもう通話は不可能だ。受信もままならない。修理なんて、俺達に出来る訳がない。
「……ここを脱出する方法は、もうない」
ウィーストリアの口から出たとは思えない弱気な台詞が聞こえた。
「諦めるな。まだお宅の魔法がある。炎の魔法なら、襲いかかってくる植物も焼き払えるさ。ハードプラントの本体が近付いてくる前に、木の檻だって灰にして突破できるはずだ」
「無理だな」
「だから、なんで無理なんだ」
何時もの態度のデカいウィーストリアは何処にいった。
「言いたいことは分かる。俺の魔法を使えば、とりあえず檻になっている木の幹まで到達できるはずだ。だが、その先を突破するのは不可能だ」
「……どうしてだ」
「この木の檻は一列で作られている訳じゃない。何列にも重なって層になっている。木の一本や二本を燃やして脱出できるなら可能だろう。だが、それが何十、何百となると間に合わない。使えないお前も護らなくちゃあならないんだ。二人で脱出なんて不可能だ」
二人では無理。
「……一人なら、出来るのか?」
「なに?」
「一人なら脱出できるのかって聞いているんだ」
投げ掛けた問いに対して、ウィーストリアは目を丸くした。
「俺みたいな足手纏いは置いていけばいい。負担が減れば、可能性が出て来るんじゃあないのか」
「お前……正気か」
「あぁ、正気も正気だ。でも、勘違いするなよ、別に自己犠牲って訳じゃあない。お宅が檻から脱出してフレアを打ち上げるんだ。俺は先生がくるまでに、どうにか生き残る」
「どうやってだ? この檻の中に生きた生物はもういない。使えるのは、いま操っている魔物だけだ。それでどうやって生き残るつもりだ」
そう言えば、まだ気付かれてはいなかったな。
「心配するな。操れる魔物なら此処に沢山ある」
「……嘘をついているなら――」
「嘘じゃあない。俺はネクロマンサーなんだ。俺の魔法の対象は、生きた魔物じゃあなくて死んだ魔物なんだよ」
そう告げるとウィーストリアは目を見開き、難しい顔をしてゆっくりと瞼を閉じた。
これまでを振り返って、答え合わせをしているんだろう。俺が魔法で操った死体は、みんなウィーストリアが焼き殺した魔物だ。そのことに気が付けば、俺の言っていることが嘘ではないと分かるだろう。
「たしかに、嘘じゃあなさそうだ」
「だろ? だったら行けよ。こっちはこっちでなんとかする」
「だが、その案には乗れない。もともと一人でも無理だからな、檻からの脱出は」
「……そうか」
なんだか損した気分だ。
「だが、お前がネクロマンサーだって言うなら、まだ希望はある。お前は今ただの足手纏いから、立派な戦力に昇格した」
「……あぁ、そうか。お宅にとって、さっきまでの俺は役立たずなのか」
俺は最初から死体を操っていたから気が付かなかった。
俺がネクロマンサーだと知らないウィーストリアにとって、俺はとんでもないお荷物に見えて居たんだろう。生きている魔物がいない現状で、戦力はたった魔物三等分、居るだけ邪魔な役立たずなペアだった。でも、たった今、その評価が変わったのだ。
自ら正体を明かした甲斐は、あったみたいだな。
「ハードプラントを殺す」
「それ、マジで言っているのか? お宅」
「脱出できない。助けも呼べない。存在を悟られるのも時間の問題だ。なら、打って出るしかないだろ。違うか?」
「……違わねぇな。たしかにそうだ」
持ち運べるフレアだけを取り出して、バックパックを地面に下ろした。身体は軽いほうがいい。今は食料やランタンは必要ない。不必要なものは邪魔になるから置いていこう。
そうして身軽になった俺達は、ゆっくりと茂みの影から立ち上がる。
「足を引っ張るなよ。間抜け面」
「あぁ、肝に銘じておくよ。デカ態度」
嫌味を言い合い、互いにハードプラントに爪先を向ける。
いま開戦の火蓋が落ちる。照りつける太陽のもと、俺達は大胆に動き始めた。




