第七十四話 異世界の常識
更新が大変遅れました。
作品の頭に一年以上更新されていないと出た時は冷や汗がでました。
大変申し訳ありません。
それでは、七十四話です。
辿り着いた街は、岩だらけの街だった。
砂埃は舞うわ、相変わらず日差しはキツいわ。
民家はモルタルを塗りっぱなしにしたような四角い家ばかりで、道を歩いていると、頭上には道を挟んだ建物同士の間に帯状の薄い布を渡して日陰を作っていた。
日陰を何とか生み出そうと工夫が凝らされた街で、建物も熱を溜め込まないような作りをしている。
砂漠を歩くより、圧倒的に涼しかった。
「とりあえず、宿をとって休もう」
ソーニアは連日の砂漠越えのおかげで体力を極端に消耗している。異論は出なかった。
街の規模はそう大きくなく、ざっと見回したところ、住宅地一街区分くらいの広さにしか満たないほどだ。
布で日光を遮られた道を適当に進み、宿らしい建物を探す。
はっきり言って、街はそう広くないのだ。歩くだけで宿はすぐに見つかった。
文字の垂れ看板を出している宿を見つけた。
看板の文字は読めないものだったが、一も二もなく足を踏み入れる。アラビアンテイストな内装が特徴的な宿だった。入ったフロアは食事場のようで、受付のカウンターと併設されている。
しかし食事場には閑古鳥が鳴いていた。寂れたテーブルと椅子が並んでいる。
俺はここにきてどっと疲れが出たのか、思わず食事場の椅子に座り、あとはソーニアに任せてしまった。
彼女はカウンターの痩せ細った老人と話をつけてくれた。
言葉が通じなかったのか、戸惑っていたが、なんとか身振り手振りで意思疎通し、部屋を二つ借りた。
やはりここは異国の地のようだと得心がいく。
部屋は上階にあって、俺とソーニアは部屋に入ると気絶するように寝てしまった。
◇◆◇
おきなさいよ。
俺はソーニアのそっけない言葉で目を覚ました。
まだ体がだるい。疲れが抜け切っていない感じがする。
外はまだ明るかった。まだ眠いわけだ。最低でも夜までは寝るつもりだったのに。
「なにさ、まだ明るいじゃないか。もう少し寝かせてくれ」
「あらそう。別に私は構わないけど、もう丸一日寝てるわよ」
「……」
寝ぼけ眼で考えたが、どうもかったるいと言って二度寝できる雰囲気ではない。
俺は飛び起きた。
「いま何時」
「私の時計で朝の九時を過ぎたところ」
そうね、だいたいね、とはさすがに返事しないか。
服装は相変わらず怪盗ノームミストのままだ。
「くっそー、情報収集しようと思ってたのに。なんでもっと早く起こしてくれなかったのさ」
思春期の男子が母親に言いそうな理不尽ワードを、臆面もなく言ってしまう俺の器の小さきことよ。
「あの……情報収集ってことなら、昨日の夜に済ませといたけど……私のできる範囲で」
「んんん? そうなの?」
「うん」
意外とこの子できる子のようだな。
しかも自分は情報収集で休む時間を削るというのに、俺のことは寝かせておくという気遣い……さては嫁候補だな?
ソーニアの話によると、ここは『ソティラス』という町なのだそうだ。
しかも、ソーニアがここの住民にエアスリル王国にはどうやって帰るのかと尋ねたところ、誰も道を知らないどころか、エアスリル王国の名前も聞いたことがないような反応を見せたそうなのだ。
しかも言葉も通じないときた。
「夜になっても人は増えなかったし、この町が信じられないくらい田舎なんじゃない?」
「その可能性はあるな。ここで情報を集められるだけ集めたら、もっと大きな町に移ろう」
「そうね。でもこの町の周辺は確かめておきたいわ。何かわかるかも」
ソーニアの言う通りだ。
下階の食事場で腹を満たしてから、町や町の周囲の散策をする方針になり、何か帰る手掛かりが見つかり次第、可及的速やかに行動に移るという流れを目指そうと話はまとまった。
食事場に下りてくると、やはり誰もいなかった。
しかし食事場であるからには、食事の提供を受けられるはず。
二人でカウンターの亭主に朝食を依頼する。
「め、メニュー、なに、ある?」
亭主はこの町のように痩せ細っていて、日に焼けている老人だった。
何とも滑稽なボディランゲージを駆使する俺を一瞥してから、食事のイラストが書かれた紙を出してくれた。
「じゃあ、俺はこれ」
「私はこれで」
イラストを指差して、注文する。
すると亭主は指差したイラストを確認してから、驚いたことにこう言ったのだ。
『まいど』
「!?」
カウンターを去ろうとした俺は、その言葉に、その言語に、弾かれたように振り返った。
『おっさん、今なんて!?』
俺が口にしたのは、『日本語』だった。
十数年ぶりの日本語。
思いの外、久しい前世の母国語はすんなりと出てきた。
『な、なんだよ兄ちゃん、『古代語』で喋れるんじゃねえか』
がっつり日本語だった。
『古代語』……つまり古代ではここは日本だったということなのか?
ソーニアは目に見えて困惑していた。
俺が急に現地の言葉を話し始めたのだから、無理もない。
俺は思わず宿を飛び出した。周囲の景色を確認したかったからだ。
何か、何かここが未来の日本だと裏付けるものがないか。
必死に見渡した。
東京タワーでも、清水寺でも、通天閣でも、何でもいい。
何か残っていないか。
『なんもない……』
あるのは砂漠と、干からびたこの町だけ。
トボトボと宿に戻った。
ここはどこなんだ。
本当に俺の元いた世界……つまりエアスリル王国と同じ世界なのか?
もしそうなら、ここは未来の地球なのか?
地球ほどの文明が、なぜいまは魔法に頼った世界になっているのか?
こんな砂漠へ飛ばした張本人オリオン。オリオンと契約しているソーニアに聞けば早いだろうと思い、ソーニアの待つテーブルに戻る。
「どうしちゃったの、急に飛び出して……なんでここの言葉話せるのよ?」
懐疑的な目を俺に負けるソーニア。
言うか……? 前世のこと……。
まだこの世界の誰にも言ったことのない最大級の秘密……。言えば信じてもらえるだろうか。
『外人さんで古代語を使う人は初めてみたよ。なんだアンタ、この辺の出身かい』
と、そこに割り込むように亭主が俺に、亭主は問いかける。古代語なる日本語を扱う異国の人間が珍しいらしい。
『いいや。出身はエアスリルだよ。外人さんって言ったけど、よく来るの?』
『ああ、最近はよく来るね。外人さんのおかげでこの宿も保っているようなもんだ。この近くの巨大遺跡の調査とか何とか言ってたな……君らもそうかい?』
『巨大遺跡?』
『なんだい、その調査じゃないのかい』
『うん、違うよ……』
巨大遺跡か……。
それもソティラスというこの町の近くと言うじゃないか。
この町の位置や、エアスリルに帰る算段が得られるかもしれない。
『なんだ、調査じゃないのか』、と俺たちが長期滞在の客じゃないとわかり、亭主の老人は肩を落としてカウンターの奥へ引っ込んで行った。
それに代わって、ソーニアが顔を詰めてくる。
「ねえ、何の話をしていたの? 何でここの言葉を話せるの??」
「……」
「なによ」
「実は前世の記憶があるんだ。で、あのジイさんの言葉がちょうど前世の時と同じ言語だった……て言って信じる?」
意を決して言ってみた。
まさかこの世界で初めて前世の話を打ち明ける相手が、怪盗ノームミストの中の人であるソーニアになるとは思いもよらなかった。
しかしさすがにこのぶっ飛んだ話を信じる人間はこの世界にはいないだろうし、俺自身、そんな規格外の話を信用するほど心の広い人間がいないことも弁えている。
「ええ……信じてあげてもいいわ」
「だよな……こんなバカみたいな話信じるわけ……ってええ!? 信じるの!? 頭大丈夫か!?」
「アンタが信じるかって言ったんでしょ! それに前世の記憶があるって方が、さっきのデンリュウとかの話の説明もつく気がするの。アンタの突拍子のない言動や思い切りの良さも、そこから来てるのなら、疑うつもりもないわ」
「へぇ……お前、良い女だな……」
「はっ……は、はぁ!? アンタなに口説いてんの!?」
ソーニアは照れて顔を赤くしたが、実際に良い女、延いては人間ができているなと素直に感心する。
夢にも思わない話を突然聞かされても、頭ごなしに拒絶するのではなく、総合的に分析して感情的にはならずに客観的に意見をくれた。
これって普通のことのようで、実際その判断を下す立場と状況になると、ものすごく難しいことなのだと思う。
しかも、理屈より感情を優先する女性が多い中、彼女の論理的な意見は、俺の理解者の存在を強烈に感じられ、目頭が熱くなるほどだった。
悲しいことに俺はそれほど、この世界の人間の理解に関しては期待していなかったのである。
だからその期待値の低さに反比例して、ソーニアが理解を示してくれたという嬉しさは大きかった。
「いや、信じてくれるとは思わなかったもんで」
「別に全部信じたわけじゃないけど……前世ってどのくらい昔のことなの?」
「昔っていうか、世界が違うんだ。前世は地球っていう惑星の日本って国にいた。地球には魔法がない代わりに、さっき言った電流を使った科学って分野が発達してたんだよ」
「惑星? 星ってこと? 夜になると光るあの星に住んでたの?」
「ははは、違うよ。夜に見える星は恒星って言って、あれは燃えてるから光って見えるんだ。地球はそうだな……月みたいなもんだよ。太陽に照らされて、昼になったり、太陽が隠れて夜になったりする星だよ。それでいうと、太陽は恒星かな」
「どういうこと? 私たちのいる大陸や海の周りを太陽と月が回ってるんじゃないの?」
「あ、この世界は天動説なのか」
「テンドーセツ?」
「うん。俺のいた地球は太陽を中心にして周りを回っていたんだ。でもこの世界は逆なんだなって……」
いや、そもそも星としてこの世界が認識れているのかどうかも微妙なところだ。
この世界に生まれてから、この世界の住人にとっては当たり前なこと過ぎて話す機会はなかったのか、この世界の天動説は初めて聞いた。
俺も俺で地動説だと思い込んでいたものだから、これまでその齟齬を見落としていたのだ。
「この世界はね、私たちのいる大陸を中心にして海が広がっている円盤状なんだって。地面を掘っていくと、裏側の世界に通じているらしいわよ」
「そうなのか?」
と言いつつ、この世界は文明を魔法に頼っている分、科学的な観測や実験などと言った方法を遠ざけている。だから未だにそんな古代エジプト人のような地球平面説を言っているのだ……と思いきや。
「うん、裏側の世界に行った人が昔に居たんだって」
「そうなのか!?」
「う、うん……どうしたの、そんなに驚いて……聞いたことない?」
「な、なかった……」
「そう。じゃあ裏側が魔大陸になっていて、この大陸とどこか繋がっている穴を通って魔物がこっちの大陸に湧いて来るって話も?」
ソーニアは伺うが、俺は首を横に振る。
「アンタ何にも知らないのね。前世の知識に頼り過ぎなのよ。気をつけなさいよね」
た、確かに、その意見はもっともだ。
どこか俺も前世で得た知識や処世術で何とかなるだろうと増長した部分があった。
この世界は、地球平面説などではなく、明らかに世界が平面だと証明されているのだ。
つまり天動説は真実となり、俺の価値観は通じなくなる。
俺はソーニアの平然とした表情を前に、目眩を覚えた。




