第七十一話 暗い夜明け
また更新の期間があいてしまいました。
善処いたします。
〈アスラ視点〉
やけに口の中が乾いた。
数メートルほど落下したようだ。
しかし衝撃は柔らかい地面に吸収された。
そして寒い。純粋に気温が下がった寒さである。
「ここ……どこ?」
独り言ちても、誰から返事があるのでもなく、ただそこにあるのは、ひたすらに広がる夜の砂漠だった。
見渡すも、どこまでも続いていそうな砂の大地。
……それと怪盗ノームミスト……。
白い服を着たそいつは、地面に横たわって、砂を味わっていた。
元はと言えばコイツのせいだろう。
ええ? おい。
ノームミストが逃げ出して、辿り着いた一室。
それはソーニアの部屋だった。
さらに、そこには見知らぬ顔の女もいた。
ノームミストはその女に、何かを懇願していたように見えた。
何が言いたいかっつーと、見るからにグルの女も捕まえて一網打尽にしてやろうと思ったのだが……。
なんで俺は砂漠にいるんだ。
誰でもいいから教えてほしかった。
そしてこんな面倒な状況に俺を追い込んだ、目の前の怪盗とやらのことが、妙に腹立たしく思えてきた。
理由はその二つ。
目の前に横たわるソイツを、俺は胸倉を掴み、力づくで起こした。
近くで見てみると、ノームミストは小柄だった。
それに軽い。
「あれ……ロブじゃない……?」
そう言えば、解放軍に王都で捕まる直前に、一度話したことがある。その時、声は確か女声……俺はずっと女を相手にしてきたのか?
だけど、それは胸倉を掴む手に、僅かにかかる柔らかな圧力が熱烈に物語っていた。
胸倉を掴んだ手はそのままで、もう一方の手で、一度胸を触ってみた。
これは確認のためだ、確認のため。
消してやましい欲情のためではない。
と、特に意味はないが、自分に言い聞かせた。
特に意味はないのだがな。
「ううーん……」
この手に余る弾力と柔らかさの融合。
むしろよくこれで女だとバレずに今日まで過ごしてこれた……あ、胸はあるみたいだから女で決定なんだけど、揉めば揉むほど考えさせられると言うか……味が出るというか……まあこれ以上触る必要もないんだけど……。
「なに深々と考え込みながら触ってんのよ、この変態がっ!」
ゴスっ!
「っが、ハッ!」
いつ目を覚ました……。
それとここの効果音は、「ゴスっ!」じゃなくて「キーンっ!」の方が適切な俺の臓器に直撃した。
この女の足が……。
こ、これって蹴られたら直撃部じゃなくて、下腹が痛くなるんだね……。
下腹部痛と、触った感触を手に残し、俺はしばらく呻いた。
「ふぅ、厄介な場所に飛ばされちゃったわね」
と、あそこを抑えて這いつくばる俺の隣で、そいつは白い画面を取った。
「お、おまえ……」
「やはりあんたは馬鹿なのね。私だと気付くでしょうが、あの部屋を見たら」
ノームミストの画面を手に取り、ノームミストのシンボルとも言える、白いピエロのような服に身を包んでいたのは、他でもない、ソーニアだった。
ソーニア=キーリスコール。
「は、はい? き、気が付いてましたけど何か? と言うかあなたも僕の部屋に夜這いに来ましたよね」
「わざとらしくトボけるのはやめなさい……それに夜這いじゃない!」
「嘘つけ、普通は寝てる男のベッドの上で、馬乗りになったりはしない。ありゃ夜這いだ」
「夜這いじゃない! それに私が襲おうとしたのは、あの赤毛の子だったじゃない! どういうことよ説明しなさい」
ノームミスト、もとい、ソーニアは顔を真っ赤にして肩で息をする。
この手の話には慣れてないのか?
さすが下品な話に耐性を持たない貴族様だ。こっちの方が優位。
「わかったわかった。説明はするから、その代わりに、ここはどこなのか、なぜ急に場所が変わったのか、教えてくれ」
「あんた……私一応あんたの雇い主なんだけど」
「こんな緊急時なんだ、無礼講だろう。それに、誰かさんが俺を襲おうなんて考えなかったら、こうはなってない」
「……ぐ……」
バツの悪そうな顔をするソーニア。
ノームミストのシンボルとも言える、白い道化師のような衣装から、ソーニアの顔が出ているのは、コスプレみたいで、なかなかどうして愉快だ。
「とりあえずここはどこなのさ」
「……どこかの砂漠……」
「……」
そりゃそうだろうよ。何が何だか状況が分からない俺でも、ここが「どこかの砂漠」だってのはわかる。
つまり俺と同等の答えしか持ち合わせていないソーニアは、何が何だか状況がわかっちゃいないのだ。
「何よ、その目は」
「別に……」
とりあえず休戦だ。
ソーニアは、ノームミストが自分だと俺に知られ、口封じをするために今夜動いた。
だけどこんな状況で口封じもヘチマもない。
第一に帰ることを考える。
まず、ここはどこなのか、それが重要だ。
俺たちが屋敷にいた時と、今は共通して夜。時間軸は繋がっていると、思いたいところである。
しかし見渡す限りの砂漠。
方角はわからない。太陽を見ればわかるらしいのだが、生憎、屋敷にいる時から太陽の方向など気にしていなかった。
だってこうなるなんて思ってなかったんだもん。
そもそもノームミストの正体がソーニアだなんて簡単に他人に言うものか。
多少猶予は与えるのが普通。
じゃないとそれを餌にした脅しなどが出来なくなる。体を要求す……げふんげふん、金銭を要求できるかもしれないのに。
アテもなく歩く他に行動手段はないものか。
と、頭を悩ませていると……。
「お、おい、どこ行くんだよ」
「こんなとこで突っ立ってても、何も起こらないでしょー」
ソーニアが、まさにアテもなく歩き始めた。
「目的もなく動くのはやめよう。危険だ。食料も水もない」
「じゃあここにいれば? 私は行くから」
離れて行くソーニアの声。
もう二十メートルほど離れたからだろうか。
ソーニアはてくてくと夜の砂漠を歩いていく。
「お、おい、待てって……」
ソーニアは、耳だけをこちらに向けているようで、ヒラヒラと適当な動きで手を振っていた。
一人になるのは危険だ。
なぜって俺が心細いから。
なんて感情はおくびにも出さず。
「仕方ないな。俺も行くよ」
やれやれ系を装って彼女について行く。
夜の砂漠は冷え切っていた。満点の星空が皮肉にも綺麗に見える。
歩いても歩いても進んでいる気がしない地面。
状態の悪い足元。
「……」
「……」
俺とソーニアは、無言で歩いた。
真夜中だっていうのに、寒さで眠気が吹っ飛ぶ。
歩いていると体が温まるとタカをくくっていたのだが、体はブルブルと震えた。
「……」
「……」
俺とソーニアは、一定の間隔を保って、歩く。
ソーニアが前。俺が後ろ。
たまに後ろを振り向き、俺がついてきているか確認するソーニア。
対敵するのか優しくするのか、よくわからない。
「……」
「……」
ソーニアは女の子の割に、文句も垂れずによく歩く。
一歩一歩が力強かった。
歩き始めて、何時間経ったろうか。
二時間? いや、もっとかも。
「ソーニアの部屋にいた女は誰なんだ?」
ひたすら歩くことに飽き、頭に浮かんだことをただ口にした。
「……私の精霊……」
たっぷり間を置いてから、ぶっきらぼうに答えるソーニア。
「じゃあ、何らかの魔法でここに俺たちはいるんだ」
「そういうことになるわ……」
徐々にソーニアは返答をしてくれるようになる。
しかし、彼女の声には疲れが見られた。
「属性魔法じゃ……ないよね。無属性?」
「……だったら何?」
今度は、えらく機嫌が悪そうな返事が返ってきた。
砂漠を何時間もぶっ続けで歩いた疲れ、苛立ち。
俺といるというこの状況。
彼女はいっぱいいっぱいなのだろうな、と思う。
でもそんなの、俺も同じだ。
クシャトリアとアルタイルを放って、ここにいる。
さらに、ロイアやミレディの状態も全くわからない。
はっきり言って、お手上げだ。
だけど、少しだけはっきりしたことがある。
まだ救いだ。
「その精霊ってのは……人工精霊だな?」
「……っ」
ソーニアのあからさまな動揺。
当たりだと確信した。
彼女は、正解ですと言わんばかりに驚愕で目を見開き、足を止めて俺を振り向いた。
「ど、どこで人工精霊のことを……?」
そうだ、彼女は、王都で黒いウサギの仮面をした人物の正体が俺だとは知らない。
ただの魔法学園の生徒だと思っているに違いない。
解放軍が非人道的な方法で生み出していた人工精霊……。
それらの真相を暴き、白日の元に引っ張り出して、解放軍を壊滅に追い込んだのは、他でもない俺なのだから、こと解放軍と人工精霊に関して言えば、その知識量で右に出る者はいないはず。
ソーニア……怪盗ノームミストに扮して彼女も魔法研究所と解放軍、人工精霊のことを探っていたようだが、無属性魔法を使う精霊は、俺の知る限り、人工精霊しかいない……。
「この仮面、見たことない?」
「く、黒いウサギの……じゃあ、あんたっ! 最初から私達のことを……っ!」
俺が懐から取り出した、黒いウサギの仮面を見て、ソーニアは疲れなんて忘れたように、激昂を見せる。
「騙したりなんか、するつもりないさ」
食い気味に答えた。
「じゃあなんで……っ!」
「黙っていたか?」
「そうよっ!」
まさに我を忘れて……今のソーニアはそんな感じだ。
「だって、冷静じゃいられないだろう?」
「このっ……ッ‼︎」
彼女は怒りのあまり、俺に掴みかかってきた。
この状況には、身に覚えがある。
俺はあっさり倒され、マウントポジションを取られる。
体術で、頼りの精霊のいない彼女を組み伏せるのは簡単だ。
だけど、大事なのは相手の戦意や敵意を削ぐこと。
そう、サーシャと戦った時のように。
うら若い淑女には、特に効果的である。
「……」
「っヒ……っ」
バッと俺の上からどいたソーニア。
顔が赤く染まっている。耳まで真っ赤だ。
「あ、あああ、あんたっ! 頭おかしーんじゃないのっ⁉︎」
固くなった男性のモノが股間に触れたくらいで、なにを戸惑う少女よ。
恐れるほどのことでもあるまい。貴様さっき蹴り上げてたじゃん。
その仕返しの意味を込めてみると、案外興が乗る。
「ここは人っ子一人いない真夜中の砂漠。肌寒さはあるが、人目がないという条件では望ましい場所……君もそう思うだろぉ? ソーニアぁぁ」
「あ……あ、あんた……私を襲っても助からないわよ……」
「それは体に聞いてみるとするよ」
「や、屋敷のみんなが黙っちゃいないわ……!」
ふふふ。
急に縮こまるソーニア。
顔を赤くするソーニアがあまりにも面白くて、ついついからかってしまった。
「そうなの? じゃあ今屋敷のみんなを呼べば?」
ソーニアは純真さんなんだなぁ。
何にも穢れを知らない。正義のために、解放軍のことを嗅ぎ回るくらいなのだから、想像はつく。
それに逆に俺の興が乗る。
「ひ……あ、ゆ、許して……何でもするから……」
ついには涙目になってしまったソーニア。
や、やり過ぎた……。
「ご、ごめん、冗談だって。つい興が乗ってしまって……な、泣いてる?」
「な、泣いてない……っ」
意地を張って鼻をすするソーニア。
どう見ても泣いている。
ま、まあ……とりあえずは怒りが収まってそうだから良しとするか……泣いてるけど……いや良くはないな。うん、良くはない。
「と、とにかくだ……。俺も解放軍のことを探ってたクチなんだよ。それでゼフツに辿り着いた」
「私は……おじいちゃんが……魔法研究所で働いてたの。でも不自然な解雇にあって……その原因が、私のお母さんが研究の実験中に死んじゃったことにあって……」
「ノノが……? ごめん、ソーニアのお母さん亡くなってるのは、知らなくて……ごめん」
不躾な話になってしまった。
しかし、さっきのようにソーニアが激昂することはなかった。
彼女は、代わりに首を横に振る。
「ううん。もういいの……。おじいちゃんのせいで、お母さんは死んだんだと思ってた。それか、お母さんが危なかったのに、おじいちゃんは助けてあげなかったのか……って、ずっとおじいちゃんを責めてた……」
魔法学園の編入をかけた試合の時だ。
会場でたまたまノノに出くわしたソーニアは、ノノに辛辣な態度を取っていたのを、覚えている。
ソーニアは続けた。
「でもおじいちゃんは、そんな人じゃないから……そんなのわかってたのに、おじいちゃんを責めたの。馬鹿みたいだよね」
ソーニアは、また涙を浮かべて、感情を吐露する。
しかし今回の涙は、先のものと比べて、切なげな感じだった。
「だから、魔法研究所のことを調べてたら、ゼフツ=フォンタリウスに辿り着いて……でも気がついたら、ゼフツは騎士隊に捕まってた。私、何もできなかった。誰かに復讐の先を越されちゃったみたい。お母さんの仇を取れなかったんだって……」
さっきまでの無言が嘘のように、次から次へとソーニアの感情が、洪水のごとく押し寄せた。
今までそれを、誰に相談するでもなく、一人で抱えて生きて来たのだ。
さて、ここで問題なのは、ゼフツを捕縛に追い込んだのが俺だと白状するべきか、否か。
白状すれば、俺は後腐れがなくなるが、ソーニアの俺に対する不審感は募る一方。
黙っているのは、俺が彼女に後ろめたい面を備えることになる。
いや、俺は前者を選ぶ。
腐っても俺は男だ。
正直に生きよう。
「あのさ、ソーニア……俺」
「いいのっ! 何も言わなくて。言いたい事はわかってるから……」
「いや、そうじゃなく—————」
「いいんだって! ありがとう、アスラ。慰めようとしてくれてるんでしょ? でもいいの、私強く生きるって決めたから」
「いやね、ソーニアさん。そうじゃないんだって——————」
「もうっ! しつこいなぁ! 誰かに慰めてなんていらない! 頼んでないったら!」
「あ……え、ごめん……?」
「ううん、こっちこそごめん……」
ソーニアは、積もりに積もった感情を、吐きだしたからか、話こそ暗いが、表情は清々しさが滲み出ていた。
でもそのせいで、結局俺のことは言えずじまい。
情けないったらない。
そうしていると、暗く寒かった砂漠が、ほんのりとオレンジ色に照らされた。
「あ、朝だ……」
ソーニアが遠くの砂漠の地平線を眺めて、独り言ちた。
光は、砂漠の全貌を明らかにする。
地平線まで見渡せるその光は、まるで俺たちの未来のようだ……
なんて言うと思ったか。
砂漠が見渡せるようになったせいで、余計に落ち込んだわ。
どこまで歩きゃいいのさ。
ホントに見渡す限りの砂漠だなぁ。キリがないよ。
朝日が昇れば、遠くに町の一つや二つ見えると思っていたのに。
朝日は、その名に相応しくない、暗い感情を、俺の中に植え付けた。
砂漠での最初の朝は、そんな風に迎えられた。




