第六十九話 屋敷の策略
ガチャ。
「案外余裕だったな……」
俺はソーニアの部屋から二階に移り、ソーニアの部屋の真下にあるであろう部屋の鍵を、魔法により解錠した。
鍵は特に複雑な構造だということもなく、外力によって解錠されて何らかの仕掛けが働くという罠もなかった。
「少し慎重になりすぎたか……」
と言いつつも、解錠した扉を恐る恐る開く。
薄暗い部屋だった。
奥の窓にもカーテンが掛けられており、光源はカーテンの隙間から漏れ出る日光だけだ。
俺はそっと部屋の中に入った。
目を凝らして、室内を見渡した。
部屋自体は小さいもので、内装も倉庫か物置きのような風体。壁紙や絨毯があるわけでもない。
部屋にあるのは、一つの大きな机と、その上にある大量の紙……何かの資料のようだ。
「これは作戦台……?」
大きな机は木製で、部屋のど真ん中に置かれていた。
沢山の資料が置いてあるが、よくよく見ると、地図が中央に置かれている。
地図の場所によって、様々な情報を記載した資料、絵、何者かのプロフィール、事細かに記された資料が、ピンでまとめられていた。
そしてピンとピンを生糸で繋げて、関連情報などを場所ごとに示唆しているように見える……。
そこで問題なのが、その資料に数多く出てくる、ある一つのキーワード。
「解放軍……?」
しかし、解放軍の言葉が多く見られる資料には、ことごとくバツ印がつけられている。
中にはゴミ箱に入っている資料もあった。
だが、ひときわ目を引いたのは、作戦台ではなかい。
その奥に見える人影……。
でもそれは、すぐに人ではないとわかる。
簡易なマネキンに服を着せているだけだ。
だがその服が問題なのだ。
「ノームミストか……?」
両目が見えるように穴を開け、目の周辺を隠すマスク。
白を基調とした道化師のような服に、シルクハットとマント。
俺が解放軍に潜入してたとき、王都で戦った相手だ。
衝撃的な相手だったので、よく覚えている。
霧を魔法で発生させ、姿を眩まし、さらには瞬間移動もする化け物。
この服がここにあるのだとすれば、この屋敷の住人の中に、怪盗ノームミストがいるということなのか?
だとすれば、相当やばい。
喉が急に乾き、息がつまる。
固唾を思わず飲んだ。
もしノームミストが俺たちに敵意を向けているとすれば、戦闘になり、最悪の場合は殺される。
安全策を取るなら、一刻も早い屋敷からの逃亡が最善。
しかし誰だ。誰がノームミストの正体だ?
そいつは確実に俺たちを怪しんでいる。間違いない。
王都を脅かすような怪盗が、この屋敷に潜伏している。
怪盗は新しく屋敷に来た使用人を警戒しないはずがない。
幸い、本人は俺がこの部屋に忍び込む現場は見ていない。
立ち去るなら今しかない。
状況整理し始めた俺の脳だったが、現状が切迫しているとわかるやいなや、困惑し始めた。
冷や汗で、服がべったり体に貼り付く。
まずはここから一度離れ、情報を整理、そしてアルタイルとクシャトリアに説明し、意見を仰ぎたいところだ。
もう少しこの部屋を探りたいが、部屋の持ち主がノームミストでは話が別。
できたらノームミストの正体に繋がる手掛かりくらい欲しいものだが……。
この急務の中、視界をよくするためにカーテンを開ける。
すると、ノームミストの服を着たマネキンの足元に、ある物を見つける。
「これは……?」
ノームミストの服を着たマネキンの側に、一つだけ紙の束が不自然に置かれていた。
資料は全て作戦台の周辺に固められているのに、この紙だけは独立して、まるで放って置かれているみたいだ。
紙の束といっても、そう分厚い束ではない。
あって五、六枚といった程度。
「魔法研究所研究員名簿……?」
束ねられた紙のうち、一番上の紙には、そう表題が書かれていた。
パラパラ紙をめくり、中を覗くと、魔法研究所内で働く職員の名前が、部署ごとに並んでいる。
俺の目を引いたのは、装置開発部という部署。
二名の研究員の名前が、二本線で上から消されていた。
しかし、研究員の名前が削除されているのは何の問題でもない。
問題なのは、その削除された職員の名前。
一人は、ノノ=キーリスコール。
消された名前の横に、『自主退職』と書かれている。
ノノ=キーリスコールと言えば、あのノノだな?
ソーニアの祖父で、今喧嘩している相手。
ノノが、魔法研究所で働いていた?
魔法研究所と言えば、国にも顔が効くとも言われている、貴族のエリート機関だ。
そんなところに、なぜノノが?
今はノノの息子であるノアが貴族だが、ノアが貴族になる前は、ノノもキーリスコールも、ただの平民だったはず。
つまり、ノノが本当に魔法研究所の研究員だったのだとすれば、ノノは平民の身でありながら、王城の統括下にある上級職に就いていたとこになる。
それだけの知識や技術があったってことなのか?
あの馬車の御者のイメージしかないおじさんが、研究員だったという事実に、驚きを禁じ得ない。
そして、もう一人、名前を線で消されている人物。
名前はコロナ=レストレンジ。
名前からすると、女性か……?
コロナ……聞いたことがある。
『コロナの秘宝』。
クシャトリアと精霊契約するときも、アルタイルのときも、それが必要だった。
人工精霊との契約では欠かせない謎のアイテム。
名前が同じというだけで、関連を疑うなどと安直ではあるが、調べる価値はあるはずだ。
ノノ=キーリスコールとコロナ=レストレンジ。
二人の研究所からの除籍が、ノームミストに関係あるのだろうか。
ノームミストが研究所から盗んだ資料とは、おそらくこの名簿。
粘って確かめた価値は充分にあった。
このまま何も無かったかのように立ち去ろう。
もうすでに面倒ごとに足を踏み入れているが、まだ抜け出せる。
俺は名簿の紙の束を閉じた。
いや、閉じようとした。
そこで、別のページにも上から消されている名前を見つけた。
「なんだろ……」
しかし今度は二本線で消された、言ってみれば訂正程度のものではない、乱雑な名前の消し方だった。
赤のインクを筆でぐちゃぐちゃに塗りたくったような、混沌としたページになっている。
「なんでこの名前だけ……」
尋常じゃない、常軌を逸した訂正痕。
が、それもそのはず。
消された名前が、それを物語っていた。
それは『魔法研究所長』という役職を頭に添えて、名前が記されていた。
「ゼフツ=フォンタリウス……」
普段どんな仕事をしていたのか、全く不明だったゼフツだが、まさか魔法研究所長といて国に勤めていたとは。
しかし、奴は解放軍の幹部として、国に裁かれているはず。
今頃は王都にある監獄の中だ。
あるいは、解放軍の幹部だと摘発されてから、この名簿の持ち主がゼフツの名前をぐちゃぐちゃに消したか……。
ノームミストが魔法研究所から盗み出した資料というのは、ほぼ間違いなく、この名簿……。
ということは、時系列的に、ゼフツが解放軍の幹部として捕まる前に、名簿は盗み出されたということになる。
つまり、このゼフツの名前を消したのは、ノームミストか?
しかしこの消し方……ノームミストはゼフツに何か恨みがあった……? 二人はどういう関係なんだ?
くそ、このまま、この部屋を漁ってやりたいが、ノームミストが戻ってくる時間が気がかりでならない。
だが屋敷にいる限りは、この部屋に入るチャンスはいくらでもある。
もしこの屋敷の住人の中にノームミストがいるのだとすれば、その人間がこの施錠された部屋に長時間篭るのは、怪しまれるはず……。
だとすれば、そいつはこの部屋を空ける時は多いはず。
いや、まずはノームミストの正体を突き止める方が先か。
危険は犯さない。
俺は名簿を拾った時と同じ場所に戻し、部屋内すべてを、粗方元通りに直した。
「……よ、よし……っ」
そして、俺はこの隠し部屋を後にしたのだ。
◇◆◇
隠し部屋の一件以降、特段問題なく一日を終えた。
サーシャから食卓の準備や調理、配膳方法などを学び、風呂の湯を沸かす。
屋敷住人の入浴中にベッドメイキング。
主人たちが寝静まった後、使用人たちの夕食時間だ。
時間は夜の十一時。もうすぐで日が変わる。
しかし今日のような激務も、俺は片手間にこなすことができた。
その理由として相応しいのが、幸か不幸か、この屋敷の秘密を抱えてしまっているから、というもの。
屋敷の二階。鍵のかかった一室。
中には、その部屋の持ち主が、王都を震撼させた怪盗ノームミストであると証明するに、容易いことこの上ないほど、様々な資料から、ノームミストの特徴的な服に至るまで、証拠が揃っていた。
そんな部屋を見た俺は、目ぼしい情報だけ漁り、しかしノームミストの襲来を恐れ、焦って部屋を後にした。
最低限の証拠隠滅を行ったつもりだが、どれも素人の技と手際。
犯罪者は少なくとも、一つの犯罪に少なくとも三十のミスを犯すという……いや、十だっけかな。それとも二十? まあそんなこたぁ、この際どうでもいい。
要はいかに犯罪を臆面もなく犯す輩ですら、ミスをいくつか残すというのに、素人の俺が残す痕跡やミスは数えだしたらキリがないほど多いはずだ。
そんなことを、一日考えて仕事をしていた。
考え事をせず、真面目に仕事に取り組めばどれほどの手際か。
それほど、俺は考え事に耽っていたのだ。
とは言え、万が一を考慮し、対策を講じておくに越したこなとはない。
使用人だけで夕食を摂っているところで、俺は揺すりを掛けてみた。
あの部屋の持ち主が、使用人という線もありえる。というか、それが濃厚だ。
なんたって、使用人の部屋が並ぶのは総じて二階。隠し部屋があるのが二階というのなら、その持ち主は屋敷の使用人であるのが道理。
見極めてやる……。
俺とクシャトリア、アルタイル。それに加え、ロブとサーシャが、食堂のテーブルを囲んで、共に食事をしていた。
食堂はテニスコートほどの広さがあり、そのド真ん中にフェンシング台並みの大きさを持つテーブルがあっる。
そこには主人たちの残飯、サーシャが適当に見繕ってくれた食事が並んでいる。
その量も質も、申し分ない。相当美味かった。
のだが、俺はサーシャとロブを疑っている。
たった一つの真実見抜く見た目は子供、頭脳派を演じる大人、その名も……まあいいや。
「今日ソーニアの部屋で、床板が脆くなってる部分見つけてさ……」
あたかも今日の出来事を世間話を装い、アルタイルに話す。
ここでアルタイルの良いところは、俺を完全コピーしているために、言葉を掛けると自動的に俺の思考を読んでくれる能力があるところだ。
それだけ俺が話すと、アルタイルは一瞬ハッとし、悟ったような表情をする。
……よし。いいぞ……。
「サーシャさんに頼んで、木材の位置を教えてもらったんだよ」
「そんなことが……。それで、床板は修理できたのですか?」
「いや、床板は……あ……」
やっべ。修理してねーわ。
さらにやっべ。確実でないにしても、俺が床板を修理しにソーニアの部屋に入ったことは、サーシャが知っている。
そしてソーニアの部屋に今日入った人物は、サーシャ伝てに容易に知ることができる。
その上やばいことが、ソーニアの部屋に入った人物は、何らかの理由により、ソーニアの部屋に訪れた目的である床板修繕を、とある理由で放置している。
それはほぼ間違いなくソーニアには知られているはずだ。
そして確率は五分五分であるが、床板修理を何らかの理由で放棄した人物は俺であるのが確実に知られる状況であるし、なぜ床板修理を放置したか、その理由は、床下の部屋の存在を知ってしまったから、という観点に至ることは極めて容易ッ!
まずいまずいまずい。
隠し部屋に入ったことまでバレていないにせよ、まずソーニアの部屋から、床下の隠し部屋を覗いた人物は、俺である事実は、サーシャに聞けばわかる。
それはつまり、今夜もしノームミストが行動を起こすとすれば、ターゲットは間違いなく俺……!
なんとかしなくては……。
だがまだ退路はある……!
まず、サーシャの部屋の床下は、床板の破損部分から覗くことは極めて難しい。
それはつまり、床板修理を放置した理由は、床下の隠し部屋を見つけたこと以外にあるということに繋がりはしないだろうか……いや無理だ絶対コレばれてるよ俺。
退路とか毛ほどもない。
「修理してないなぁ……忘れてた」
という解答に至る俺。
あえて堂々と言うことで、相手の動揺を誘う……などと心理戦を繰り広げようとカッコつけたが、俺の負けが込んでいるのは、周知の事実!
「おっちょこちょいだなぁ、アスラ君は」
と、笑い飛ばすロブ。
「仕事はできるのに、そういうところの詰めが甘いですよ、アスラさん」
お姉さん口調で諭すサーシャ。
……なんかサーシャ優しくなったというか、丸くなった?
「やる気がないなら帰れ」
と、クシャトリア。
お前は頼むからすっこんどいてくれ……。
「……」
そして俺に呆れ果てるアルタイル。
わかる、わかるんだけども、せめてフォローしてくれ。
だが、これでノームミストの正体は絞れた……気がする!
もしサーシャがノームミストであれば、まず俺がソーニアの部屋の床板を修理すると言い出した時点で、床下の隠し部屋を見られることを防ぐために、自分が修理すると言い出すだろう。
その理由は、俺はまだ使用人として日が浅いから、とか、女の子の部屋だから、とか言いようはいくらでもある。
だが対してロブぅ?
お前には、俺の床板修理放棄という職務怠慢への言及はあっても、笑い飛ばす理由はないはずだぁ。
お前の優しげに見えて鋭い瞳、その怪しさには最初っから勘付いていたんだよ、俺は。
それに屋敷に来てすぐに行われたサーシャとの肉弾戦、その後に、ロブが手合わせ願いたいと言い出す動機もメリットも、何もない。
差し詰め、俺の力量を計りたかったのだろうが、俺はお前ほど甘くはなぁい……!
むしろ、術中にいるのは、俺ではなく、お前だロブ。
そういう計略を、俺は最初から立てていた。そう! 最初から、俺の思惑通り……。
だからソーニアの部屋の床板修理忘れてたとか、そんなんちゃうし。
今夜の対策は、現時点をもって、決定した。
徹底的に、迎え撃つ……!
「えっへへ、いっけね!」
可愛らしくドジっ子を演じておいた。
さらに俺の余裕ぶりに戸惑え、ロブ!
お前の計画は、もうすでに頓挫しているんだよぉ!
あーっはっはっはっはぁっ!
俺は、内心高笑いしながら、夕食を済ませた。
鼻歌混じりに食器を片付け。
意気揚々と入浴を済ませた。
そして悠々自適に自室に戻り。
奇々怪界とベッドへ……もとい、嬉々としてベッドに入る。
ふっ、いつでも来い、ロブ……。
いいや?
怪盗ノームミストッ!




