第五十二話 その精霊、把握の王につき
「アルタイル、今何時だ?」
「さあ、王都の居住区では夕飯が作られるころかと」
「そうか、じゃあもう少し待ってくれ」
「はい、しかしなぜ時間など?」
「もう少ししたら自由になるから」
「……なるほど」
アルタイルがなにか納得したように薄ら笑いをする。
彼女は俺の思考や記憶さえもコピーしてしまう。考えがわかるのだ。
魔法陣に受けた影響で、体の脱力感がひどかったが、今は手足を動かせるくらいには回復してきた。
あとはこの手枷さえはずせれば。
俺の魔法をもってすれば、こんな手枷など朝飯前に外せるはずなのだが……。
「無駄です。その手枷は魔石で作られています。アスラ様には相当な魔力がおありですので、お気づきになられないかもしれませんが、魔力は徐々に吸い取られています」
「なんだと」
魔石で作られた手枷か。
磁場が影響しないワケだ。
仕方ない、アルタイルに言った通り、もう少しそのときにがくるのを待つか。
何事にもタイミングがある。
そのタイミングに意味があるのだ。何事にも意味がある。そう考えると人生が多少楽。
極端なことを言えばリストラ等にも意味はあるはずなのだ。職を失った、これからどう生活していこう、職を探さねば。などと今後を悲観的に捉えるよりは、この先いつこんな長期的な休みを取れるかわからない、今だけは人生を楽しむんだ、と楽観的に考える方が幾分か気が楽だ。
即物的な楽観主義者の典型例だが、今の俺は無理にでもそんなお花畑空想にすがっていたいのだ。
そうでないと、この下水道の異臭と、この先に待つこのどこの下水道かもわからない場所からの脱出という不安に頭がやられてしまいそうなのだ。
まあ俺ならリストラされようものなら人生に絶望するがな。会社に立ちションの一つや二つしてやりたいものだ。
しかしここは下水道。立ちションなんて腐るほどできる。あははは。
……笑えない。
早くその時が来ないか。
それから体感にして一時間ほど経ったかも知れないし、もしかすると三十分も経っていないかも知れない時間が流れた。
すると、体が急に熱くなった。
と思いきや、一気に体が縮んだ。
「わお」
アルタイルが大して驚いてもなさそうな感嘆符を浮かべる。
彼女は俺の記憶をも再現できるんだ。驚かないと言えば当然か。
がちゃ。
エクストリミスの効果が切れ、体は元の十三歳の大きさに戻った。
十三歳の小さな手は、簡単に手枷をすり抜ける。
数時間の間、挙手状態を維持していた腕をほぐした。肩を回したあたりで、魔法陣の影響で、まったく下肢が動かないことに気付く。
「立てないや」
「アスラ様、それが狙いだったんですね。まんまと逃げられる。これであなたも自由の身です。さあ、おいきなさい」
「わかったわかった。今枷をはずしてやるから待ってろ」
「ふふふ」
嫌味なやつだ。俺がアルタイルなしじゃ脱出できないことを知った途端に皮肉を言ってきた。
ガキョッ!
俺はアルタイルが捕まっている檻の鉄格子を、磁場を操り、捻じ曲げた。
体の機能は一部使えないが、幸いにも魔力はまだ十分に残っている。俺の魔力量を解放軍が読み間違えたことが、何よりの救いだった。
そして間もなくアルタイルがを拘束している手枷足枷を破壊する。
ガシャンッ!
破壊された枷が地面に落ち、この下水道に金属質な音が響く。
「ふう」
一息ついたアルタイルは、普段通りと思われる足取りで、へしゃげた鉄格子の隙間から出てきた。
ロウソクの明かりにやわく照らされたその紅い髪は、この場所に似つかわしくない幻想的なものだった。
「あなたは私の恩人です、アスラ様。全力で、あなたをこの場から逃がすと誓います」
「それはありがたいが……お前、解放軍はもういいのか?」
「ええ、私は作られたものとは言え、誰であろうと見限ってきた者は私からも見限ります。でもあなたは私を見捨てなかった。そうでしょう? アスラ様」
「ま、まあ……」
いきなりまっすぐに目を見据えられ、少々たじろぐ俺の恥ずかしさ、笑っちゃうね。
アルタイルは人の手によって生み出された精霊だ。
しかし、生み出されたとは言え、彼女は生きている。意思を持っているのだ。人と何ら変わりない。
その精霊はもう未練はないと言っている。
ここからは共闘だ。
「しかしどうしたものか」
「こうしてあげます」
「ッうわ」
元の姿に戻った俺の未発育な体を、ヒョイと持ち上げ、抱え込んだアルタイル。
タイトル、綺麗なお姉さんに抱っこされている少年。絵面的にはそんな感じだった。
こうして見ると、本当に綺麗な顔立ちをしている。クシャトリアにも負けず劣らず容姿端麗な、真紅の髪をもつ精霊。
アルタイルはひとしきり俺の目を覗き込んだあと、背中で俺を抱えて、おんぶの状態に持っていった。
「私があなたの手足になります。何でも言ってください」
じゃあだっこ。などと言おうものなら、地面に叩き落とされるなコレ。
魔法陣の影響で体の自由が上手くきかないで困っていた矢先、まさに渡りに船。
これで何とかここから抜け出さるかもしれない。
しかし問題なのはここがどこかとうことだ。
まずそれの把握からしよう。
「アルタイル、一応聞くけど、ここがどこだかわかるか?」
「いいえ、これっぽっちも」
堂々と言うな。
しかし参ったな。仮に解放軍の手中だったとして、ここから屋外に抜け出せても逃げ道がなかったら意味がない。
アルタイルがいることだし、もしかしたら力でゴリ押しできるかもしれないが、ここは着実な方を選ぼう。
俺は慎重な男。決してビビリではない。
しかしここでうんうん悩んでいてもキリがない。
行動あるのみという無計画なことをするタイミングはここか?
そうだ、タイミングには意味があると言ったばかりじゃないか。
これにもきっと何か意味があるに違いない。
「アルタイル、とりあえず出口らしき方向に向かうぞ。さあ歩いた歩いた」
「とりあえず?」
アルタイルが俺の無計画な発言にジト目を返す。
この下水道、ずっと一本道だ。
上流か下流しかない。
そして下流側を目でたどると、排水口を見つけたが、石造りの壁と地面の間に僅かな隙間ができているだけのものだ。
十三歳のサイズでも、さすがに入り込めない。ましてや下水と共にどこに流されるのやら。
川に出られるのなら御の字なのだが、その保証もない。
俺は決してビビリではない。慎重なのだ。
ならば、男は黙って上流側だ。
「下水道の上流だ。上流に向かってくれ」
「わかりました」
曖昧な計画だが、とりあえず進み始めた。
俺はアルタイルの背中の上。俺の足が回復するまで、彼女が足になってくれる。
敵に出くわさないことを願うばかりだ。
しかし、もし敵に遭遇した場合はどう対処しよう。
磁力で応戦してもいいが、鎖鎌は取り上げられている。稲妻や鉄分の操作も結構だが、本体の俺を狙われると元も子もない。
アルタイルも魔力の供給元がないようで、先日のように俺の魔法を使うことはできないだろう。
壁に取り付けられたロウソクの火がゆらゆら揺れる下水道に、ペタペタと裸足の足音が響く。
しばらく下水道を歩いていると、階段があった。ようやくZ軸方向に進める。下水道から抜け出せそうだ。そこでアルタイルと俺は下水道を離れる。
歩いている間、アルタイルは無口だった。俺がおぶられて以来、言葉は交わしていない。
アルタイルはアルタイルなりに今後の策略でも立てているのだろうか。
アルタイルがもし裏切って仕掛けてきたときのために俺も対応を考えておいた方がいいか?
しかし彼女は俺を逃すと誓った。その言葉の真偽はともかく、その言葉を発する程度には恩を感じているのだろうか。
まあどちらにせよ、俺の足には力が入らないままだし、アルタイルに裏切られたらいよいよマズイ。
俺はそうならないように願うばかりだ。
階段を上がり切ったところで、薄暗い広間に出た。
ロウソクの明かりが灯っていた下水道とは異なって、ここには光源がない。下水道の階段から漏れ出してくる光が、今しばらくの視界を作ってくれている。
ふと、アルタイルが向きを変え、歩き始めた。
明かりを発する通路がある。今の俺たちには明かりになるようなものもないし、他に道が存在するのかすらわからない。
仕方がないだろう。その光に誘われるように進んだ。
下水道の水の音は、どんどん遠ざかり、ほぼ無音となった。
ここは静かだ。
ヒタヒタと足音が余計に耳につく。
通路は一本道だった。
ずっと先の方まで明かりが灯されている。
下水道と構造が似ており、ここも一直線に進むと、階段が見えてきた。
俺は背中からアルタイルと一度顔を見合わせ、階段を上ることに決める。
俺たちはやはりしゃべらない。
ここは静かだった。
階段の上には、堅牢な金属の扉があった。
扉は少なくとも五メートルはあった。そして巨大な南京錠。
「わあ……」
俺の感嘆の声は、その空間に響く。
巨大な扉の収まる大きな部屋だ。ドーム状なのはわかるが、天井が遠く、暗くて見えない。
しかし進む道はこの扉以外にはない。
ここを進むしかないのだ。
俺は回復しきらない魔力を使い、南京錠を無理矢理はずす。
ガキョッ! ガシャン!
巨大な南京錠は、自由落下の力だけで石畳の地面をえぐった。
再び磁力を生み出し、巨大な金属扉を開ける。
ゴゴゴゴゴゴ。
人ひとり通れる隙間をつくると、アルタイルは迷うことなく扉をくぐっていった。
********
ブオンブオンブオンブオン……。
その部屋はファンの音がやたらと耳についた。巨大な換気扇がある。出口は近い。
しかし、そんなことはどうでもよくなるくらい、その部屋は常軌を逸した景観を見せつけてきた。
いや、惨状と言ってもいい。
「ッ!」
部屋には大きな大きな石版があった。
その石版にはいろんな情報が書かれてあった。俺が見るに、これは研究の記録だった。
『一億五千万』
『魔力注入の長期的な継続』
『精霊化』
大きくそれらの文字が表題として掲げられており、その下にその方法や要領が記されていた。
しかしこれほど不気味な表題はない。
うそだろ……。
でもその悪い予想は大的中。
アルタイルは絶望的な言葉を、何の気なしにこう言った。
「ここは……私たち人工精霊が生み出された場所です」
「……」
言葉を失うとはこのことだ。
ひどく人間の傲慢が恐ろしいと思った瞬間でもある。
無理だ。理解できない。
いや、理解したくないのだ。頭ではもちろんわかっている。でも。
「私という意識が芽生えたときに、この部屋を見た覚えがあります」
薄暗い研究室。
いたるところに、どういう技術かわからないが、魔力を閉じ込めた巨大なガラスの容器が設置されている。怪しいファンの音。
人型にくり抜かれた金属の実験台。それには数えきれないほどの注射器が備え付けられており、想像するだけで頭が痛くなる。
拷問器具とどう違うというのだこれは。
こんなもので人工精霊を作っていたのか。
『人体に一億五千万数値の魔力を強制的に送り込めば、人体に精霊化の現象が顕著に表れた』
実験結果と記された石版に、そう書かれていた。
ではなんだ。
こいつら。
クシャトリアもアルタイルも、元は人間だったってのか。
そんな非人道的でむごたらしい行いがここで敢行されていたのか。
驚きを通り越して恐怖すら覚える。戦慄も戦慄。俺はそれを禁じ得なかった。
俺の顔をアルタイルが怪訝そうに覗き込んでくる。
ふと、聞いてしまった。
「アルタイル」
「はい?」
「お前、人間だったころの記憶は?」
「……さあ?」
「……」
そうか……。
少しは、と言っても凄惨な状況には変わりないが、これで人間だったと自分を認識できてしまっていたら、彼女らは平常じゃいられないだろうな。
彼女らは生まれて、いや作られて、初めて意識をもったとき、どうこの状況を感じたのだろうか。
お前は精霊だと言われて、はいそうですかと受け止められた?
そんなの、わからない。
わかるわけがない。
これを受け止め、受け入れて今に至るのは彼女たちの強靭な精神の賜物だと思いたい。
でないと俺が悲しさで押しつぶされそうだ。
俺にだって悲しさっていう人間らしい感情はある。
では彼女たちは? 自らの状況に翻弄され、悔やんでも悔やみきれない今を、後悔するとかあるんだろうか。
これは俺の自己完結だが、彼女たちは自分たちは精霊、精霊として生きるのが常と思い、何も疑問は抱いていないんじゃないだろうか。
知らないことは救いでもあるが、哀れなことだとも思う。
でも。
ここはあっちゃいけない場所だ。
彼女たちがどれたけここを受け入れていたとしても、俺はここが嫌だ。
そんな単純で、子供が駄々をこねているような感情だが、俺はありったけの憤りと、ありったけの魔力を込めた。
「アルタイル、ここを壊すぞ」
「え……」
「解放軍の心臓部と言ってもいい所なんだろ?」
「あ、いえ、重要度で言うと胃腸くらいかと」
「ええい、うるさいどっちでもいいだろ。とにかく奴らにとっては大打撃だろ」
「しかし今はここから抜け出すことが先決……」
「お前を生み出したくせに都合が悪くなりゃお前を廃棄処分するって言う連中なんだろ!? 仕返ししてやろうとかないのか!」
「それは、その……」
なんだ。
何を遠慮しているんだ。
お前は普通の人間じゃ考えられないくらいひどい仕打ちを受けているんだぞ。
ええい。
俺が仕返ししてやる。
もう右手に込めた魔力は爆発下限界。
「もういい、降ろしてくれ」
「あ、はい」
咄嗟な言葉に戸惑いつつも、アルタイルは俺を背中から降ろす。
まだ足に力は入らないが、立てないというほどでもない。
でもこんなの、利益のために精霊に変えられることに比べたら、屁でもない。
ここはあっちゃいけない場所なんだ。
その瞬間に、右手の内側に張りつめた魔力が爆発した。
俺はそれを電流に変える。
ここは研究所。
時代や文化、延いては世界に違いはあれど、どこの研究室も金属だらけだ。
この研究所内の機械という機械に、規格外の高圧電流がほとばしり、物を狂わせていく。
黒い煙とともに機械はたちまちショートし、ただの鉄の塊と化す。
バリバリバリバリッ!!
ガシャン!
ぷすぷす……ボンッ!
びりびりびり!
ばりん!
ゴシャ!!
けたたましく破壊の音を上げ、電流が駆け巡る。
これは俺の憂さ晴らしだ。
災難続きで俺自身、参っていたのだ。
だからこうして解放軍に怒りをぶつけている。
吠え面かきやがれ。
激しさを増す破壊の音。爆発、破裂、亀裂、こなごな。
破壊のファンファーレを聞いているかのような、奏でるような激しい破壊音。
すべてが亡き者に変わる。
数十秒間、電流が研究所内を駆け巡ったあと。
「気が済んだ。もう行くか、アル―――――」
俺は息を飲んだ。言いかけた言葉を口のなかにとどめる。
彼女は瞳に涙を溜めていた。
初めて感情らしい感情を目にした気がする。
いつも通りの真顔で、でもしかし確かにそこには悲しみ以外のものが浮かんでいるように見えた。
やはり、この施設に、彼女自身、思うところはあったのだろう。
それを彼女が自覚しているのかどうかは知らない。
それがどんな感情なのかも知らない。
しかしそれがどんなものであれ、辛かっただろう。その一言に限る。
「大丈夫か?」
「え?」
「泣いてるぞ」
「あ……」
アルタイルはそっと目元を拭い、俺に向き直った。
無表情に変わりはないが、晴れ晴れした顔だと、俺は自分勝手に思う。まったく我ながら都合のいい頭をしている。
「……」
アルタイルは俺と向き合っていたと思いきや、俺の背後に視線を移した。
俺もつられて振り返る。
いったい何を見つけたんだ。
「あれ……」
「『コロナの秘宝』?」
壊れ果てた研究所だった部屋に、淡く赤く灯りをともした玉があった。
石造の人の丈ほどある燭台の中央に置いてある。
その『コロナの秘宝』の両端にも、同じようなはめ枠があるが、かつて『コロナの秘宝』がはめ込まれていたのだろうが、そこは空だった。
俺がここに破壊活動のはずみで、見つけられた『コロナの秘宝』。
クシャトリアと契約する際も使用したもの。
おそらくここには、元は三つの『コロナの秘宝』がはめられていたのだろうが、もうここには一つしかない。
一つはクシャトリア、もう一つは持ち出されたものだとして、それではここに残っている一つは。
「?」
アルタイルに目を向けると、彼女は首を傾げた。
契約……できるのか?
解放軍に見限られたアルタイル。
それを手にして誰に文句を言われようか。
ここから逃げ出すためなら、喉から手が出るほど彼女は必要だ。
今は現状のせいで同盟関係であるが、契約してそれを確かな味方にできれば助かることこの上ない。
しかし、問題は魔力だった。
人工精霊であるクシャトリアは膨大な魔力を日々俺から吸い取っている。
そして同じく人工精霊のアルタイル。
いったいどれほどの魔力が……そもそも今契約関係にあるレオナルドはどうなるのだ。
契約を反故にして、俺のものとできるのか?
いや待て。
レオナルドでも契約できたのだ。
レオナルドは昔に言っていた。
魔力がないから、魔法使いを諦め剣の道に進んだと。
その魔力がないレオナルドが、人工精霊を戦闘に参加させるほどの魔力を提供できたのだ。
魔力量に一過言ある俺ならあるいは……。
「アルタイル……これを使って―――――」
「脱出できるかもしれない、でしょう?」
そうか、こいつは一度コピーした相手なら記憶や思考すらも再現してしまうんだった。
「考えていることは同じか」
「ええ」
ああ、失念していた。
このコピー能力のことを。
さっきまでの俺の不安や、アルタイルへの同情も、全部筒抜けだったんだ。
あの涙の意味も彼女自身の思いではなく……。
彼女はそれを知ってもなお、何も言わなかった。
この彼女の、瞳に灯る意思の強さが何よりの証拠。
馬鹿だ俺は。
アルタイルは今の俺にとって、一番の理解者だ。
「言いよどんでいるようですね」
俺は彼女の言葉にハッとする。
「それでは私から言いましょう。遠慮など無用です。アスラ様に気を遣われるほど、人口精霊は柔く作られていませんよ?」
「私と契約してくださいますか? アスラ様」




