第四十六話 誰だこのハンサム。死んでしまえ。
アスラと別れてからはカウンターのあるロビーに戻ってきた。何すればいいんだっけ。あ、依頼か。
ロイアに目配せしてみると、特に何の感慨も示していないように突っ立っていた。
「どうしましょうか」
「ん、とりあえずどんな依頼があるか見に行ってみよ」
意見を促してみると、思ったよりあっさりと切り替わった返事が返ってきた。アスラのことを尚も考えているのは私だけか。
ギルド依頼の一覧表を眺めているロイアの後ろから覗いてみると、最低ランクであるFランク依頼にも関わらずなかなか数がある。何か本日中に終わらせられる依頼はないものか。
可及的速やかに依頼を達成し、アスラの力になりに尽力するのだ。
今の私に時間はない。
なんちゃって。アスラがすぐに終わると言っているのだ。信じて待ってよう。
とりあえず課題を達成できる何か簡単な依頼は……。
「ミレディ、これなんてど?」
どの依頼にしよう逡巡していると、ロイアが提案してきた。なんとなしに目を向けてみた。
『冒険者ギルドの酒場商い』
ロイアが指さしている依頼項目の表題には、そう書かれていた。内容欄に目を移してみると。
「酒場のウエイトレスだって」
ロイアがこちらを振り返る。思わず口が引きつった。
「今日一日だけ限定でって書いてある。人員不足みたい」
ロイアは何とか助けてあげたいと言わんばかりに目を輝かせている。表情がそのままなだけに器用なマネをする。まあそれは私も同じなのだと、最近アスラに言われていることなのだが。とまあ、そんなことは措いといて。
ロイアはヒーロー気質溢れる善行しないと死んでしまうような人間だ、とアスラが馬鹿にしていた。
これもその一種なのだろうか。
人助けをしたいと顔に書いている。
最近、このロイアという女子生徒がなかなか気の合う人間だということはわかってきた。課題のため、行動を共にするようになってからだ。アルルーナの森の合同授業のときも、彼女は解放軍に攫われた私を追ってきた。
だからこそ、わかる。彼女の中にある『正義』が疼き始め、やがて火を灯してしまってはもう止まらない。
要するに、こうなってしまった彼女を止めることは出来ない。
「はあ……」
私は溜息をたっぷりと吐き出して。
「わかったわ……。それをやればいいのでしょう?」
彼女にしては珍しく、頬を紅潮させて僅かに嬉しそうに頷いた。
はぁ。わかっていたわよ。なんとなく、こうなりそうだなって。
******
「ええ、失礼しました。それでは順を追って説明しましょう」
レイナードはそう言って顔を少しだけ引きしめた。自然と場の空気も緊張感を帯びる。
「単刀直入に言います。今回の騎士隊任務は」
レイナードは十二分に間を持って、いや、躊躇ったように言いとどまり。
そして。
「解放軍への潜入です」
そう言い放った。
ミカルドとヴィトナは徐々に動揺を見せ始める。
俺は静かに固唾を飲み込んだ。
さらにレイナードは十分に言い淀んでから、さらに続けた。
「この任務は王族には内密に進めており、騎士隊でも任務を知っている者も私を含め、ごく一部です。どうやら、王族及び騎士隊から内部の情報が解放軍に流れているようなんですよ。任務のことを全体に知らせていないのはそのためです」
おそらくネブリーナのことだ。
内部情報の流出。エアスリル王国とレシデンシア王国が睨み合っている今、それはかなり重大な損害になってくる。しかし俺はその真実を知っている。以前は子供の戯言と一蹴されるだろうと思っていた。
でもその戯言が真実味を帯びてきて、騎士隊の極秘任務にもなっている。その事実を知らせべき時は今ではないのか。
「任務目的は解放軍の内部情報の収集です。集めてほしい情報は主に三つ。解放軍の規模、そのおよその人員数、そして協力関係にある組織。最後の他組織については存在が不確かですが、解放軍は力を持った組織です。きっと手を組んでいると私は踏んでいます」
少し、話を最後まで聞いてみようという気になった。
これから俺の関係する任務だ。
ギルドでAランク以上と認められた者しか受けることのできない極秘の任務。
「そこで、今回の潜入にはアスラ君を採用します」
と、ここで早速最後まで聞く気が失せた。
潜入は騎士隊がするんじゃないのか? いくらAランカー冒険者と言えど、騎士隊がそこまで高がギルドの冒険者を信用していいものなのか?
「ちょ、ちょっと待て。そんな重要な役割を俺に回すの?」
「ええ、そうですよ」
「さっき言ってた若過ぎるどうのこうのは?」
「それに関しては私が対処します」
もしかするとこのまま本当に潜入することになるやもしれん。
それでは学園の課題どころじゃなくなる。ミレディにもすぐに済ませると言った。
しかし、これはギルドに冒険者登録している対価だ。ギルドに属する限り、ギルドの命令には極力従わなければならない。ミレディとの約束があるから、という理由がギルドの命令を、延いては騎士隊の依頼を拒む理由にならないことは、もはや明確だ。
それに極秘任務の機密情報もある程度聞いてしまった。王族さえも知らないような情報をだ。
「アスラ、わかっているとは思うけど、あなたに拒否権はないと思いなさい」
ミカルドも同じ見解なのか、釘を刺してきた。
「わかってるよ」
俺はうんざりしたように頷く。
すると、レイナードが幾分か顔を輝かせた。
「それでは、騎士隊の依頼を受けてくれるのですね」
「ああ、どのみち強制なんだから」
「それもそうだ。申し訳ない。しかし心底安心しました。ありがとう」
いいよ、と俺は手をヒラヒラ振る。
レイナードは懐から何やら紙を取り出し、目の前の長机に置く。目を通してみると、一見ギルドの依頼受注の際の承諾書だ。しかしそれは騎士隊仕様で、いつものギルドが用意するものとは違っていた。
「ここに、依頼承諾の署名と拇印を」
そう、レイナードが差し出してくる。
その承諾書の内容を読んでみる。
潜入にあたって必要な準備や手筈は騎士隊がすべて整えてくれるようだ。それに報酬はとんでもない額が記されていた。
期間は達成度によって変わる。
危険度も不明。依頼の途中放棄は不可能。
なんてこった。
はあ、ミレディに何と言おう。
俺は若干むしゃくしゃしながらも、朱肉につけた親指を承諾書に押し付ける。
「では、これで依頼の受注は完了となります」
かなり、いや全てなし崩し的に進んだ手続きだった。俺の意志に介在の余地はない。これはギルドの命令だったのだ。これがAランクに伴う義務とやらか。
「それでは、より詳細な説明を――――」
それからレイナードは細かな説明を続けた。
俺が任務の参加を表明した途端にゲンキンなやつだ、本当に肩の荷が下りたようにスラスラと説明する。
話の内容をまとめると、今回の任務目的は解放軍の規模、人員、関係のある他組織についての情報収集だ。
その方法はこうだ。
まず、先に潜入している騎士隊の人間が偽の情報を解放軍内部に流して、俺が解放軍のとある小隊の隊長に就任する。偽の情報ってのが気になるが、外部への派遣から戻ってきたとか、そんなものだと大まかにレイナードは説明した。
小隊と言うのは、主に現場で活動する役職のようで、小隊長であると現場で動きやすいそうなのだ。俺、そして騎士隊が望む情報を探るのには持って来いなのだとか。解放軍の現場活動というものが、どんなものなのかがイマイチわからないために、潜入においてその役職のありがたみが俺にはわからなかったりする。
上手いこと動いて解放軍についての情報を掴まなければ。
とっとと終わらせて、とっとと平穏な学園生活に戻りたい。
それに目的や立ち位置は示されているものの、今後どう動くかはほとんど現場判断だと言うのだ。つまり、俺の臨機応変な対応を期待している、とかなんとか。そんなことをレイナードは言ってきたのだ。
大まかな行動予定概要は、その都度通達を貰えるようなのだが、それも大まかにしか指示は出ない。
その『大まか』を大きく外れた行動を取らなければ、それでいいらしい。
「アスラ君、そんな心配そうな顔をしなくていい。さっきも言ったが、先に騎士隊の人間が潜入している。その者に指示を仰ぐといい」
レイナードはこの任務、潜入捜査とでも言おうか。この潜入捜査に潜入してもらえる冒険者が見つかったことに、肩の荷が下りたような清々しい笑顔を浮かべている。
まったく、こちらの気も知らないで。ハゲろ、は言い過ぎか。まだレイナード若いしな。
もしかすると、ここのギルドにAランク以上の冒険者が集まらなかったのって、騎士隊の依頼を強制させられると、事前にどこからか情報が冒険者の間で流れていたからじゃないのか?
俺はそう、勝手な想像を巡らせた。
「それでは、さっそく明日から任務にあたってもらう!」
なんて良い笑顔で言い放つんだ、この男は。まるで初仕事を計画通りに成し遂げることができた新入社員のよう。
そう考えてみれば、この男はかなり若い。まだ二十代前半そこらといったところだろう。王都で初めてあった時も、そんな風に若く見えた。それも解放軍との戦闘で混乱の中だから、自分を騎士隊として取り繕う余裕もなかったはずだ。
自国の姫を助けることしか頭になさそうだった。
そう、あのときのネブリーナは彼女本人でなかったと言うのに。
俺はそのことを伝えようと思い立った。
それが、きっといいと、俺は思った。
「あの、レイナード」
「ん? なんでしょう? 質問かな?」
本当に嬉しそうな笑顔だ。これから俺の話す内容を聞けば、そんな笑顔も保ってられないだろうな。悪い。
「王国の内部情報が流れているって言ってたよね」
「ああ、それがどうか?」
「はっきりと見たり聞いたりしたワケじゃないけど、ネブリーナ姫が犯人だよ」
「……。はい?」
何を突飛なことを。そんなワケないだろう。これだからガキは。
などと思っているだろうか。
レイナードが、呆れ果てているように見えた。
しかし、すぐに表情を戻し。一息つく。
「アスラ君、それは冗談でも言ってはいけないよ。自分の国の姫を疑うなんて……」
レイナードは、真偽を疑うどころか、冗談と受け取るでもなく、その表情を見るにだ。まるで重犯罪者を聖職者が諭すかのような、そんな目をしていた。こいつの目に映るのは、ただただ哀れまれている俺だった。
そう言って頭を撫でてきた。
しかし、俺には反論する気は起らなかった。むしろ得心がいったのだ。
なぜか。
この男は、きっとネブリーナに好意を抱いている。あの姫が、そんな悪事を働くはずがないと。そう信じ切るに足るだけの好意は、少なくともレイナードは抱いているはずだ。憧れとも言えるだろうか。
思えば王都でも解放軍の反乱時も、そんな風を思わせる行動が目についた。
隊行動原則の騎士が、自隊を抜け、単独で姫を助けるため俺に助けを求めてきたのだ。
その時の俺はウサギを名乗っていた。魔剣武際で決勝トーナメントにまで上り詰めていた。
姫を助けるためには、藁にも縋る思いだったのだろう。
少なくとも、少なくともだ。
それほど姫を想っているのだ。
その男にこの話をした俺が馬鹿だった、とも言える。
「……」
あとで泣いても知らないぞ。
そう心の中で呟くしかできなかった。
「それで? あとは歳の問題だけかしら?」
ミカルドは場の空気を換えてくれたのか、それとも話を早く先に進めたいのか、レイナードに問いかけた。
「ああ、それは心配には及びませんよ」
パッと表情を入れ替えたレイナード。
嫌味なほど笑顔だった。その笑顔のまま懐から小包を取り出した。
そして小包から取り出したのは、小さな小さなガラスの容器に小分けにされた粉薬だった。
「これは王都の宮廷魔法研究機関が独自に作り出した薬です。我々は『エクストリミス』と呼んでいます。これの存在を知っているのも、今回の任務に参加する人間のみとなります」
レイナードは小瓶を一つ摘まみ、振って見せる。中の粉がサラサラを揺れる。
エクストリミス? 俺とミカルド、そしてヴィトナは揃って首を傾げた。
まったく聞き覚えのない名前だ。
サイノーシスで痛い目に遭ってから、この世界の薬には少々臆病になっている俺がいる。しかしそんなことはみんな度外視。ですよね。
「くどいようですが、アスラ君は若すぎる。そのナリでは解放軍に潜入してもすぐにバレる可能性があるでしょう。そこで、これです」
どこぞのテレビショッピングで採用されそうな仰々しい仕草で小瓶を俺に突きつけてきた。何と言うか、レイナードごめん、今一瞬ちょっとだけ鬱陶しいなって思った。でも今はそんな思ってないから安心してほしい。
「エクストリミスは約五歳年を取ることができる薬です。それでもまだ若いくらいですが、この薬の効力は極めて強力です。副作用の恐れがありますので、一回に一瓶。それが原則です。しかし、これで正体が解放軍に知られることはありません」
なんと。
それは凄い薬を生み出したものだ。それならば若返る薬もあるのではないだろうか。
そんな若返り薬が完成しようものなら、貴族の貴婦人などから金がガッポガッポ懐に舞い込んで……げふんげふん。いや、世の研究において重大な発見というものは徹頭徹尾みんなの役に立ってこそなのだ。特定の個人が得をするためのものじゃない。誰だ、瞬時に金の損得勘定を脳内で繰り広げたのは。危うく国民栄誉賞を受けるところだ。
「効果の持続時間はおよそ一日。毎日欠かさず飲んで頂きたい。回数と量さえ間違えなければ体に害するものではないから安心してほしい。それともいかがか? 今から効力を試してみては? それなりに数はあるので」
そう言って小瓶を入れた包みを俺に差し出すレイナード。
俺は恐る恐るだが、どこか好奇心を湛えて小瓶を包みから取り出す。
小瓶の蓋をキュポンっと外した。
ミカルドとヴィトナは興味を隠せないと言ったような目を向けてくる。
レイナードは相変わらず笑顔。
なんだこの空気。なんで俺がイッキするみたいな雰囲気が出来上がっているんだ。
「水です」
「ありがと」
レイナードの差し出した水の入ったコップを片手に、小瓶を口の中に傾ける。
サラサラっと口に巻かれる粉薬。
水を流し込んだ。
意外にも喉をスッと通った薬。
ごくん。
「アスラ、どう?」
ミカルドが一番に聞いてきた。
「そんなもん、飲んですぐ効果が――――」
びりっ。
「――――出るワケ……え?」
いつもより目線が高い。
体が軽い。
ミカルドとヴィトナを見下ろせる。いつもは見上げていたのに。
心なしか、肌寒い。
俺はいま、十八歳になった。
「きゃああああああッ!!」
急にヴィトナが叫んだ。どうしたというのだ。きっと、俺が急に大人になったから驚いているのだろう。
一方、ミカルドはミカルドでうっとり恍惚となった表情で、自分の頬に手を当てて俺の下半身を見つめている。
いや、そんなことよりヴィトナだ。
ほら、怯えてしまって壁際で丸まっているじゃないか。何故か顔を赤らめて、頭を腕で隠すようにして「いや」とか「こっち来ないで」とか喚いている。
かわいそうに。そんなに怯えることでもないだろうに。
「ダイジョウブ。怖くないヨ……」
「きゃああああああッ!!」
「え?」
唐突に、再び叫びながら、ヴィトナは立ち上がる。そして右拳を丸く固めて。
「前隠せぇぇぇぇッ!!」
ズグン!
き、効いたぜ……。ヴィトナのボディーブロぉ……。
俺はようやく、そこで自分の来ていた学生服がビリビリに破けて床に舞い散っていることに気が付いた。
急に成長して十八歳になった俺の体が、以前着ていた十三歳の俺の服を突き抜けたのだ。
なるほど。
俺の下半身に頬を赤らめていたのか、彼女は。あ、彼女ってヴィトナのことね? ミカルドも顔赤くしてたけど、きっとあれは羞恥とかではなく別物だから。
ブローに伴う腹部痛に耐え兼ねて地面にうずくまる俺に、レイナードが服を渡してくれた。
******
「ふう」
「アスラ、あんた……」
「ん?」
「ちゃんとした格好すると結構カッコイイじゃない」
「そおか?」
レイナードが渡してくれたのは、白いシャツに黒のジャケットとズボン、そして革の靴という案外まともな服だった。
適当な服を見繕われると思っていただけに、意外も意外。
こんなちゃんとした服着ることなんて滅多にないから、なんだか気持ちが自然とフワフワする。それにやっと前世に追い付いた身長。いや、追い抜いているか。目測で百七十後半だろう。長い腕に長い脚。
プロポーションは別にして、変な話、前世の自分に戻ったような感覚だ。
「似合っていますよ」
「お、おう。ありがとう」
レイナードにも純粋に褒められて、若干照れる俺。
「あ、アスラ……君」
一方、ヴィトナは尚も頬を赤らめている。もう服を着ているのに。一瞬社会の窓の解放を疑ったが、しっかりと施錠されていたようで一安心。
「ほほう?」
「な、なんですかっ、ギルド長っ」
「いいえ~? なんでもぉ~?」
「う、うぅ……」
俺に聞こえないような小声でミカルドがヴィトナに詰め寄り、そしてヴィトナがさらに赤くなり俯く。
なんだ、この一連のやり取りは。
「と、とりあえず、これで効果は実証ですね」
レイナードが話を逸らした。なんかもう付き合うのが面倒に思われてないだろうか。笑顔は笑顔なのだが、目がうんざりしている。
「アスラ君には学園に戻らず、我々が用意した宿に泊まってもらいます。いいですね?」
「どうせ強制なんだろ」
「ええ、まあ……」
レイナードは申し訳なさそうに笑う。
「明日の朝、解放軍に潜入済みの騎士隊の者がお迎えに上がります。それまで英気を養ってください」
それでは今日はここまで、とレイナードは切り上げた。
しかし、そこで待ったをかける者がいた。いや、待て。俺じゃない。今日は何もしていないが、なんだか疲れた。早く休みたいと心底思っている。知っていたか? 人は休みを噛みしめるために働くのだ。なんて持論は措いといて。
異議を唱えたのは、ミカルドだった。
「ちょっと疑問が浮かんだんだけど、この作戦は国王様も知らないのに、私たちギルド職員の二人は知ってしまっているでしょ? それって、私たちも作戦に抱き込むべきだと思うの。この騎士隊の任務を知った私たちも、任務に手を貸すことで効率は上がるし、口止めにも多少はなると思うわ。私はギルド長としての役目があるから、そんなにギルドを抜けられないけど、この子なら。どうかしら?」
「えぇ!? ギルド長!?」
「む、確かに……」
ミカルドの突飛な提案にヴィトナは驚き、レイナードは一理ある、と納得の声を上げる。
ん? でもミカルドはこんなギルド側に旨味のない提案をなぜしたんだ?
この依頼は騎士隊からの依頼だ。相当な額の報酬が、冒険者にもギルドにも期待できる。でもこの提案はギルドの損害でしかない。一人とは言え、職員が一人減るのだ。それをなんでミカルドはわざわざ提案を?
しかし、意外にもその提案の真の意味を理解したような素振りを、ヴィトナは見せた。
「いっ! いいですよ! ギルド長! そんなことしなくたって……」
「いいじゃないの。きっと良い経験になるわ。これはギルド長命令よ。それにさっきギルドの酒場の人員が二人増えたみたいだし、酒場のウエイトレスを一人受付に回せば人員不足も解消よ。あなたはアスラのサポートをしなさい。いいわね?」
「よくないですよ! それに酒場の人員が増えたって、あれは今日一日限りの依頼だったはず!」
「そんなもの私の権限でいくらでも覆るわよ」
「なんてこと言うんですか!」
ヴィトナは、ミカルドに抗議を申し立てている間、しきりに俺のことを気にするように、真っ赤な顔でチラチラ流し見てくる。
なんだ? まだ俺の裸のことを気にしているのか?
「なんの話でしょう?」
レイナードが二人のやりとりを蚊帳の外から眺めながら、ぼそっと呟いた。
「さあ……」
俺もぼそっと呟く。
「とにかく! 私はあなたの力になろうってのよ! ヴィトナ! あなたこう見えて奥手なんだし、これくらいが丁度いいのよ!」
「そ、そんな、横暴ですよぉ……」
ヴィトナの抗議は見事に一蹴された。ついにヴィトナは涙目になりながら、諦めて。
「……はい」
と頷いた。
「話はついたわ、アスラ。明日からこのヴィトナがあなたの身の回りをサポートするわ。それにこの子、結構美人だし気が利くのよ?」
「ああ、助かる。俺も美人だと思っていたところだ。気が合うな」
「あー……。アスラ……。あなたもこれから大概にしなさいね? 私もだけど」
ミカルドの言葉に首を傾げたが、その時に視線がずれて、ミカルドの後ろで赤い顔でわなわなと震えるヴィトナを、俺は確かに見た。
忙しい受付嬢だことで。
「それでは皆さん、今後ともよろしくお願いします」
キリのいいところで、レイナードが今度こそ締めくくった。
とてもいい笑顔でミカルドは頷く。
そしてヴィトナはそっとミカルドの後ろを離れて俺にそっと、よろしくと言ってきた。どうやら、もう裸のこと、延いては俺の下半身事情は気にしていないようだった。
俺も、こちらこそ、とだけ返しておいた。
******
「申し訳ないんだけど、ミレディとロイア。明日からまた一人欠員が出るみたいなのよ。この依頼の延長してもいい?」
先輩ウエイトレスのキャシーが、申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる。
助けてあげたいのは山々だし、一度乗りかかった船ではあるのだけれど。
でもそれじゃあアスラとの約束に――――
「もちろんです。私たちが微力ながらも協力させて頂きます」
この良い声は私じゃない。ロイアのものだ。
まったくこの子は。なんで私の意見を聞かずにこうも……。
はあ、アスラになんて言ったらいい――――
「きゃあああ! ねえ、見てみて! あれって騎士隊のレイナード様だわ! ほら、解放軍の反乱のときにネブリーナ姫を助けた!」
今度はなんなのだ……。
キャシーが何やら興奮した様子でカウンター奥から出てきた騎士を指さした。確かに騎士隊の鎧を身に着けて凛々しい顔をしているが、私はアスラの方が断然……。
「なんだよ、あの二人がウエイトレスの依頼してんのか? 例の長引くってやつ。まあ俺の依頼も長引いてるから丁度いいけどさ」
と、騎士の後ろに続いて黒髪の男と、ミカルドさんと受付嬢のヴィトナが出てきた。
普段なら、私はアスラがいないことに気付くだろう。でも気付かなかった。それはなぜか。
とてつもなく納得がいかないが、私は。
私はその黒髪の男に見惚れてしまったのだ。
「丁度いいけどさ」と、そう言うぶっきらぼうな声は私の耳をとろけさせ。
アスラを連想させる黒い髪と漆黒の瞳は私を魅了してやまない。
そして普段アスラが着ないであろう、細見の黒いジャケットが、彼にはよく似合っていた。
程よく引き締まった体。長い手足。学園の保険医のミリス先生顔負けの、いい男と言ってしまえばふしだらだろうか。
ミリス先生は感じの良い容姿の優れた男だが、あの彼は圧倒的なまでの射抜くような目を基調とする、目が覚めるような、まるで透き通るような顔立ち。その気だるそうで、でもどこか好戦的な目は私の心を鷲掴みにした。まるでアスラのように。
年齢は十八歳くらい。
気のせい、きっと気のせいだと思う。どこかアスラを感じさせるだなんて。いや、アスラ本人ではないのかとまで思う私の思考は、きっとどうかしているのだ。
ああ、だめ。
私にはアスラがいるの。
あんな格好だけの男に現を抜かすようでは駄目なの。まだアスラへの愛情が足りないのだろうか。
はあ、でも彼は。
溜息の出るような男だった。
私は、その男がギルドを出るまで、アスラの不在に気が付かなかった。
うっとりしている私の頭上から、ミカルドさんとヴィトナの声が聞こえてきた。が、その二人の声だと頭が認識するだけで、その時の私はあの黒いジャケットの男に夢中になって内容は耳から抜け落ちてしまっていた。
「ヴィトナ、あんた案外惚れっぽいのね」
「アスラ君が去った途端にそれを言わないでくださいよぉ……」
「でも、確かに驚くくらい格好良くなってたわね。あれは世の女をひいひい言わせるに違いないわ」
「や、やだ、私そんなひいひい言うような女じゃないですよ」
「ふふ、それはどうかしらね」
私はそして気付いた。
あの、どこかアスラを彷彿とさせる男に一目惚れしたのだ、と。




