第四十五話 ギルド長の女と騎士隊の男
今回は少し短めです。
ああ、長期休暇に入ってしまった。
帰省をして、実家で家族に会う。私はどこにでもいる平民の生まれだ。しかし学園には貴族が多い。貴族は魔法に比較的長けた者が多いから。そういう血筋なのだそうだ。
逆に言えば貴族は魔法に秀でているから、栄えることができている。
しかし突発的に先天性の魔法技術を身に宿して生まれた私はどうにも周囲に疎まれるようだった。
実家に帰るとその事実を否応なしに突き付けられた。
みんなは今頃何をしているのだろうか。やっぱり私みたいに帰省?
ミレディとロイアは帰省したとしても、何となくアスラは学園に留まりそうな、そんな気がする。
私の実情を知らない生徒はたくさんいる。彼らは私のことを知らないが故に、疎まない。対抗戦のときだって、対アスラ戦では応援すらしてくれた。
そう、私を知らないが故に。
しかし世界とは妙なもので、こんな理不尽な周囲が当たり前だとは思わないが、抵抗もできなかった。
これ以上状況を悪くしたくないという恐れや、下手に抵抗をして周囲に広がることを危惧したのだ。その広がることと言うのは、周囲の、こいつはいじめられている人間なんだ、という認識である。
しかし、それを自覚しながらも何もしない私は、静かな弱虫だ。
友達はやがて距離を置き。
やがて話さなくなり。
すれ違うだけの存在となった。
でも私は強がることだけは上手かったようで、その虚勢のおかげで、私は変に弱ることはなかった。
でも私だってストレスは感じる。虚勢を張ることが無意味だということも知っているし、そしてそうするエネルギーも無尽蔵ではないのだ。いつしか、私は知らず知らずのうちに他人に助けを求めるようになった。
でも当時は、学園の生徒が味方になるとは思えなかった。
私は依頼斡旋機関をアテにした。そう、冒険者ギルド―――――
******
受付嬢にカウンターの奥に連れられた俺とミレディ、そしてロイアはロウソクでほんのりと明るい通路を進んでいた。カウンターの奥に通された俺たちは、何事かと酒場の客に好奇の視線で見送られて、受付嬢の後を無言で歩いていた。
数十メートル歩いた先には、木の扉が見えてくる。
受付嬢は若干緊張した面持ちで、扉をノックした。
「どうぞ」
扉の内側からは意外にも女性の声がした。穏やかではあるが、なんだか気の強そうな声だ。
受付嬢はそっと扉を押し開ける。そして遠慮がち顔だけ室内に覗かせた。俺には器用に半開きの扉の隙間に顔を差し込んでいる受付嬢の、艶めかしい臀部の美形が一望できた。
「なんだ、ヴィトナじゃない。どうかしたの?」
「あの、ギルド長。その……Aランカー冒険者が現れました」
「あら、それはびっくり。通してくれない?」
「はい……。ほら、入って」
扉の向こう側にいる声の主はギルド長か。
ヴィトナと呼ばれた受付嬢は、俺たちを扉の中に招き入れる。先にヴィトナと呼ばれた受付嬢が入室し、俺たちはそれに続く。
そして俺はギョッとした。
もちろん、それは向こうも同じことだが、向こうは幾分か顔に感情が現れるのを抑えたようだ。
「あなた、ミレディじゃない。それに隣りにいるのは……アスラ、なの?」
ギルド長は目をパチクリさせながら、その美人顔に似合わない唖然とした顔で言う。
ミレディは首を傾げ、俺はギルド長、否、ミカルドに首肯した。
「久しぶり……」
かなり照れ臭かったが、努めて口角を上げて答えた。
ミカルド。
ミカルド=フォンタリウス。フォンタリウス領主の第一夫人。領主、ゼフツの妻。ノクトア=フォンタリウスの母親。流れるような赤毛に、気の強そうな切れ目。俺が五歳で屋敷を出た時からざっと計算すると、今の年は三十半ば。しかし見た目は二十代後半でも十分通じそうな美人だ。
いや、少し化粧が濃くなったか?
しかし、その彼女がここ、都市ウィラメッカスの冒険者ギルドのトップになっているなんて。
思いも寄らなかったと言えば、そうだが、彼女の性格上なんだか腑に落ちてしまうところがある。
昔からギルド長の職務に就いていたのだろうか。
「で、誰がAランカー冒険者なの? まさかミレディじゃないでしょうね」
ミカルドは値踏みするような視線を巡らせて、薄くからかうような微笑みを浮かべる。
ヴィトナと呼ばれた受付嬢は困ったように笑った。
「ギルド長……Aランカーはこの子です」
ヴィトナが俺の肩を後ろからそっと持つ。
「え?」
ミカルドが浮かべていた笑みは、そのままの形を保ったまま固まった。しかし、すぐに。
「ぷ、あははははは!」
笑いに変わった。
何がそんなにおかしいんだ。ワケがわからず、今度は受付嬢ヴィトナを含め、俺たちが固まった。
「ヴィトナ、あなたの冗談を初めて聞いた気がするわ。ぷ、うふふ……」
ミカルドは込み上げる笑いを、口に手を当てて抑えようとする。でも堪え切れずに、肩を震わせていた。
まあ屋敷にいた頃の俺はまったく力のない、無力で期待も持てないガキだった。
何かの冗談だと思われても仕方のないことかもしれない。でもいざ目の前で笑われてみると、妙に顔が引きつる。
「でも突飛過ぎて冗談だとわからないわよ。そういう馬鹿話なら、酒場にいる冒険者かぶれの連中が得意でしょ」
なおもヴィトナの話に向き合おうとしないミカルド。心の底から冗談だと思っているんだろうな。俺ってそんなに弱く見られてたんだ。それは、屋敷を出て一人で暮らしているうちに、少しはたくましくなるという予想すら抱かせない程のものなのか。
「で、ヴィトナ? 懐かしい顔を連れて来てくれたのには感謝するけど、本当の用件が別にあるんでしょ?」
「ええ、ですから、このアスラ君がAランカー冒険者なんです。手引書の規定によると、ギルド長に会わせる義務があります。冗談などではなく」
「え……」
再び、ミカルドの表情は固まった。今度は先ほどまでの愉快そうな表情が引き抜かれたように、唖然としている。
口に当てていた手が、そっと降ろされた。
「それ、本当なの?」
ミカルドは打って変わって真剣な眼差しでヴィトナの真意を確かめる。ここで冗談と言おうものなら承知しないわよ、と言わんばかりにこちらを威圧してきた。
これがギルド長などと度胸の塊のような役職に就ける所以なのだろうか。
ヴィトナは固唾を飲み込んでから。
「はい、本当です」
負けじと眼光を込めて答えた。
「そう……」
ミカルドは、何故か残念そうな顔で、額に手を当てる。
それは予想が外れたことへの落胆か? ぷぷぷ、そりゃそうだろな。なんてたって、かつて自分たちが無能だと見限った存在が、今こうしてAランカー冒険者となって目の前にいるのだからな。
気持ちはわからんでもない。
俺は束の間の優越感に浸る。しかし、もう絶望への秒読みが始まっていることに、俺は何一つ気付かず間抜けの一言に限る気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
そう、もう本当に五秒前だったのだ。後になって思えば、ここで耳を塞ぎ全力疾走でこの建物を出ておけば良かったのだ。
「ヴィトナ、よく手引書の規定通りに動いてくれたわ。礼を言うわ」
ミカルドは極めて遺憾を湛えた微笑みで、ヴィトナにそっと言った。
そして、今まで、そう、今日一度も見たことのないような、真剣な面持ちでミカルドは俺を見据えてきた。
こうして向き合ってみると、かなり美人だと思う。
三十半ばでこれか。なんと言うか、エクセレントと賞するしかない。
などと考えている俺とはまったく正反対の内容が言い渡されることは、ミカルドの顔色から容易に想像ができた。
「アスラ、あなたの自由を当分の間、拘束させてもらうわ」
「は?」
「あなたはギルドに登録した冒険者よ。その上Aランクの。高い評価にはそれなりの責任が伴うの」
王都で。Aランクに昇格するときに、ニコがそんな説明を俺にしていたのを思い出した。
社会には責任が伴う。それはどの世界でも同じだ。
これも責任の一つなら。
「……話を聞きたい」
さっきから話に置いてきぼりを食らっていたミレディが、ここで思い出したように声を上げた。
「あの……ミカルドさん、アスラをどうするの……?」
場所を移そうとしていたのか、立ち上がったミカルドはミレディを振り返って、クスリと笑う。
人を安心させる笑みだった。こんな笑顔もできるのか。
普段はさばさばしていそうなのに。だから、本心だけは人を思いやっていたりするのだろうか。
勝手に憶測する。
まあ、俺には到底わからないことだが。
一方、ミレディの瞳には僅かに敵意が灯っていた。
「大丈夫よ。悪いようにはしないわ」
悪いようにはされないらしい。それを聞けただけで満足だ。ミレディ、よくやった。
「ミカルド、どこにいくんだ?」
「ふふ、ギルド長よ。生意気な坊やだこと」
俺の無礼にミカルドは笑ったが、ちょっとムッとしているように見えた。ミカルドと呼べる人間は限られているのだろうか。
ヴィトナが俺の後ろで呆れたように溜息を吐いた。
「で、ミカルド」
「ギルド長と呼びなさい」
「馬鹿」
ヴィトナが俺の頭をはたいた。ぱしっと小気味良い音が俺の頭から響く。
ミカルドは短く息をつき、行き先を伝えた。
「アスラ、あなたにはある依頼を受けてもらうわ。ちなみにあなたはに拒否権はない。これからその依頼人を呼んで、じかに説明を受けてもらう。あなたには依頼人に会うための部屋に移ってもらうわ。それほど重要な依頼なの。ミレディとそこの女子生徒さんにもこの先は聞いてもらうワケにはいかない」
申し訳ないけど、とミカルドは付け加えて、ヴィトナを連れて先に部屋を出た。
ここまで聞いたミレディは、落ち込んだようにも、しょげたようにも、拗ねたようにも見える。普段無表情なミレディが口を尖らせている。
「今日で依頼終わらせるって決めてたのに……」
そうポツリとこぼしたミレディは、何と言うか、しおらしくて妙に愛らしかった。
俺はそっと隣りに立ち。
「ごめんな。ロイアと先に何か簡単な依頼を終わらせておいてくれ。それが終わる頃には、戻ってくるよ」
囁くと、ミレディは少し顔の陰りを薄めて、代わりに頬を少し染めた。
「わかったわ。約束ね」
「ああ」
そして最後には、ミレディは目を細めて笑った。
そうだ。
この笑顔を見たかったんだ。などと、俺は不意に思った。
この滅多に見せない表情が、俺は少し好きだった。
「ロイアも、ミレディと頼むぞ」
「ん」
ロイアはいつもと変わらず、コクリと頷いただけ。
ミレディが、何よ、と嬉しそうに口を尖らせた。
本当は、ここで離れるのはミレディとしては避けたいことだろう。それはよくわかる。俺も同じだから。同じ課題達成を目指す以上、行動を共にしたい。それに直接気持ちは聞いていないにしても、昔に屋敷で俺に伝えたミレディの気持ちがセーブされたままなら、ミレディは個人的にも離れたくないはず。
でもそこを笑顔を見送ってくれるのは、信頼の表れだろうか。すぐに戻るという俺の言葉を本気で信じているのだろうか。
もちろん、俺もできない約束をしたわけじゃない。ただ安心させたいだけだなんて、その場しのぎのエゴだ。
しかし、信頼されていると感じてしまった。アスラならすぐに戻る。そう全身で感じて、信じて、笑っている。
これは彼女のためじゃない。彼女のためなどではないが、少しでも早く面倒事を済ませようと、素直になり切れないなりに、そう思った。
俺たち三人はミカルドの部屋を出て、別れた。
ミレディとロイアは来た道へ、俺はミカルドとヴィトナのいる道へと進んだ。
「じゃあな」
「ええ、また」
「……ん」
短く挨拶を交わして、手を振った。
俺は努めて切り替えて、ミカルドとヴィトナの待つ通路を進んだ。
******
俺が通されたのは、堅牢な扉に閉ざされた石造りの部屋だった。その部屋までは、ヴィトナの持つロウソクの燭台だけが視界の頼りになるような薄暗い通路だった。振り返ると、さっきまでいた部屋の前の通路から来る光の方が明るい。
ミカルドは、どこぞの牢獄にでも用いられそうな重厚な扉の前で立ち止まった。
するとミカルドの足元に赤い魔法陣が僅かに発光し、浮かび上がる。
唐草模様にも見えるその陣は、まるで上に立つ人物がミカルドだと認識したかのように、次は青に色を変えた。
ガチャッ
魔法陣が青くなった途端に、扉の奥から開錠された音が聞こえた。
ヴィトナが扉を恭しく開く。
「どうぞ、入って」
ミカルドが先に入室し、俺はその言葉について行く。
部屋の中は意外にも明るかった。天井の四隅に白く明るい光がある。レオナルドとジュリアの家にもあったような魔石の光。魔力を少量加えると発光する魔道具だ。
部屋は十畳ほどありそうな広さがあった。そこに大きな長机と椅子が数脚ある。
俺が部屋に入ると、ヴィトナが扉を閉め。
ガチャ
施錠した。
「拘束すると言ったでしょう?」
ヴィトナは少し申し訳なそうに、だが努めて口角を上げて言った。
「わかってるよ」
俺は椅子に座り、背もたれに体を預ける。
それに続いてミカルドが座り、ヴィトナはミカルドの着席を確認してから座った。
「あなた、屋敷にいた時より少し高慢ちきになったんじゃない?」
ミカルドは長机に頬杖をついてクスリと笑う。
「そりゃあ追い出されもしたら社会が嫌になって不躾にもなるさ」
「あら、その歳で社会風刺?」
「そんなとこだ」
「ふふ」
今日、初めてミカルドの楽しそうな顔を見た気がする。屋敷にいた時期だけの話になるが、もとは家族だったのだ。その元家族との久々の対面に適した会話かどうかは首を傾げたくなるが、彼女はこういう斜に構えた会話の方を好むのかもしれない。
「もう少しで依頼人が来るはずだから、ゆっくりしてなさい」
またクスリと笑う。
「あの、お二人は以前にもあったことがあるのですか?」
ヴィトナが遠慮がちに手を上げて、疑問を投げかけた。それにミカルドは、ええそうよ、と答えて大まかに説明した。
******
「――――へえ、だからアスラ君はニコ先輩のギルドにお金を稼ぎに来たんだ」
「まあね」
「あら、あなたギルドを訪ねたの? 路頭に迷うかと思ったんだけど」
「そう思うなら助けてほしかったよ……」
「ごめんなさいね。屋敷の主は主人だったから」
楽しそうにミカルドは謝る。まるで、てへぺろとでも言うかのように。
俺が屋敷を追い出されるところまでミカルドが話し終わって程良く場が和んだところで。いや、和むような内容の話ではなかったが、俺が当時ほど重く受け止めていないせいか、ミカルドのサバサバした性格のせいか、話しているうちに雰囲気は温まった。
さて、場が和んだところで、扉がノックされた。
「はーい」
場が和んだせいなのか、ヴィトナは宅配便に返事をするかのような軽い声で、扉を開けに立ち上がる。
開けられた扉から姿を見せたのは、なんと騎士姿の青年だった。
短めの茶髪に、精悍な顔立ち。王都騎士隊のマントと鎧。そして腰に挿した、神々しいまでに洗練された剣。
どこかで見たことがある、ような気がした。
気のせいか。まあデジャブなんでよくあることだ。
「貴殿がウィラメッカスの騎士隊指定任務を受注した冒険者ですか。えらく若いですね」
こちらに敵意と敬意と不信感を織り交ぜて、騎士隊らしい敬語で包んだ声だった。
にしても、その態度の梱包方法は、若干不信感がはみ出している。
「そう構えないで。確かなAランク以上の冒険者よ。騎士隊の要望通りのね」
ミカルドは騎士隊の青年の堅物そうな声に被せるように軽く答えた。
しかし、まだ話が見えない。大人しく説明を聞くとしよう。なんたって、この騎士隊の男が依頼主のようなのだし。
「冗談ではなさそうですね」
「私だってこの子から聞いたときは冗談だと思ったわよ」
ミカルドは笑いながらヴィトナを指す。ヴィトナは困ったように笑った。
「とにかく、話をお聞かせ願いたい。はじめまして、レイナードと言う者です」
先ほどとは打って変わって、温和で優しげな、目下の子供に話しかける手本のような笑顔で名乗った。
だが、俺は初めましてではない。
名前を聞いて思い出す。
王都での解放軍の反乱のさなか、捕えられている姫を助けるのを手伝ってくれとウサギに頼み込んだ一人の騎士がいた。
それが、この茶髪の青年、レイナードだった。
当時のフレンドリーで何かに必死な前向きな姿勢があり、どこか残る子供の雰囲気とはだいぶ違い、かなりお堅くなっていそうだが、まさしく彼だ。間違いない。
存外、俺は人の顔と名前を覚えるのが得意なようだ。
「こんにちは。アスラだよ」
「大人しそうな子ですね。本当にAランクの冒険者か疑いたくなる」
レイナードの疑心はもっともだと、ヴィトナは答える。
「確かにそうですね。でも彼は数年前にワイバーンを単独で倒しています」
ヴィトナの真剣そのものな言葉と表情に、レイナードは眉唾と疑う暇もなく驚嘆した。
「それは本当ですか!? 素晴らしい! 今の私でもそんな命知らずなことはできないでしょう。まさに逸材。でも少々幼すぎ……失礼、若すぎますね」
「若いといけないのか?」
「ええ、今回の任務にはそれなりに歳と経験が必要です。しかしワイバーン単独討伐の力は手放すには惜しい。惜しすぎる……」
俺の失礼にもあたりそうな問い掛けに、レイナードは無礼など気にしないほどにうんうん悩み始めた。
レイナードは『依頼』ではなく、『任務』と言った。それほど重要な内容なのか。
唸る前に説明がほしい。
それはミカルドとヴィトナも同じ考えなのか、ミカルドが急かした。
「いったいどういうものなの? 『任務』っていうのは」
「ええ、失礼しました。それでは順を追って説明しましょう」




