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第四十二話 悪者だーれだ その6

「アスラ……気を付けて」


 ミレディにしては珍しく、冷や汗を垂らしていた。

 その目に映るは焦燥の色。彼女が滅多に見せない色であることは確実。そんな稀有な表情だ。

 

「どんな精霊か知っているのか?」


 ミレディは固唾を飲み込んでから、警戒心全開で口だけ動かした。言うのも躊躇われるような人の名を口にするかのように。


「アスラに化けるの」

「え?」


「私が捕まった時、あの精霊がアスラに化けて現れたわ。油断した……」


 あれは仕方なったとでも言うように、ミレディはその時のことを思い出したのか、頭に手を当てる。別に巧妙な罠でもなんでもない。ただ姿を似せていただけだろう? 俺のこととなれば途端警戒心緩みすぎだな。程度というものがあるぞ、さすがに。


 と、これが油断だったと気が付くのはまだ先――――


「……わかった」

「気を付けて……」



 俺は半ばミレディの失態に疑問を抱きつつ、苦笑いを浮かべる。

 大丈夫だ。魔力は残り十分。

 クシャトリアの力も借りれる。あとが怖いが、今のうちは力は貸してくれるのだ。


 しかし、それは俺の予想の遥か上をいく魔法。ちんけな俺の想定なんて、今までいくらでも破れてきただろう。未だにそれが身に染みていない自分に嫌気がさした。



「イミテイション……」


 レオナルドがアルタイルと呼んだ精霊が、ポツリと口にするその言葉は、デジタルなエフェクトのかかった声に聞こえた瞬間。

 その声、というか詠唱にも近い語意を感じたその言葉の不自然なエフェクトよりも、さらに不自然な事象が起こる。


 バリッ!


 そう、不自然なのだ。まるで放電したような閃光が音を立てて発光する。

 アルタイルの手が自身の体を撫でる。バチバチと電気を思わせる閃光を走らせながら。撫でた瞬間、撫でたところから、パーツというパーツが俺のものと姿を変えていく。

 顔も。

 服も。

 髪も。

 肌もすべて。


 バチチッ!


 やがて、否。すぐにアルタイルは俺へと形態を変えた。

 ミレディの言った通り。これはもう再現や真似などというような安っちい魔法ではない。

 それは、俺だった。完全無欠の究極的模写、とでも言おうか。まるで鏡に映る自分を見ているかのようだ。

 

 そっと、アルタイルは手を前に突き出した。


 と、次の瞬間。アルタイルはクスリと甘い笑みを浮かべる。愉悦にも似たその笑みとは裏腹に、その手から放たれたものは、甘いなどととんでもない、それは激情を思わせる荒ぶる魔法だった。


 バリッッッ!!!


 青白い閃光が放たれた。そして特有の耳をつんざく轟音。

 それはまるで。


「稲妻……!?」


 ミレディがうめくように声を上げる。

 でも俺はそれどころじゃなかった。


「クシャトリア!!」


 俺とミレディの後ろでクシャトリアが倒れた。

 クシャトリアが立っていた後ろの木々が黒く焦げてミシミシと倒れる。

 あの稲妻はクシャトリアを貫いたのだ。


「お姉さま。ゆっくりおやすみなさい」


 アルタイルが不敵な笑みを浮かべてつぶやく。俺はひとまず、その言葉の意味を問いただしたい衝動を飲み込み、反撃の態勢を取ろうとしたとき。


「ま、待て、アルタイル……」

「はい、マスター」


 レオナルドが冷や汗を流しながら、荒い息で今にも倒れそうになっているではないか。

 俺はその症状をよく知っている。だって、これまでに何度も俺はその症状に見舞われたから。時には地面に倒れこみ、時にはそのまま気絶。

 レオナルドは倒れこむ寸前といった様子だ。


「レオナルド、魔力切れなのか……?」

「アスラ。いつもの敬語はどうした」

「強がるなよ。なんで今のレオナルドに敬語を使わないといけないんだ……。それよりも答えろ。なんでレオナルドが魔法を使えるんだ?」

「くっ……」


 ひどい頭痛と吐き気が頭と喉の奥でぐるんぐるん回っているはずだ。もうまともに立つこともできなくなるまで魔力を使ったのか。

 でも、魔力を何に使った?

 察するに、先ほどの稲妻だろうが、そもそもあの稲妻一発撃つのに必要な魔力はレオナルドに備わっていない。そのために魔法使いじゃなくて剣士の道に進んだ彼なのに。じゃあアルタイルの魔力?

 では、なぜレオナルドは魔力切れになったのか、という疑問に行き着く。

 やはりレオナルドの元々あった魔力を何千倍にも増幅させてアルタイルという媒介を通して放ったと考えるのが妥当か。



 しかしそれでも、魔力量の話を有耶無耶にだが、着地させただけ。根本的な問題となるのはレオナルドが魔法を使えたこと。それは俺の思考を邪魔するかのように、俺の頭でぷかぷか浮かんでいる。


 基本的にはこの世界の人間であれば、誰でも魔法を使うことができるはず。

 でもそれは、魔法を使うだけの魔力があってこその話。そもそもレオナルドが剣を持つようになったのは、彼にそれだけの魔力が生まれつき備わっていなかったからだ。超回復で魔力を増やそうにも、元がすくないばかりに気が遠くなるような時間が必要だ。

 なら、いっそのこと剣士になってしまえばいい。

 そうしてレオナルドは剣士になった。

 そして今、仮にアルタイルから、精霊からの魔力提供を受けたとしよう。それなら魔法を使うだけの魔力が備わったのには納得できるが、あの、俺にしか使えないはずの魔法を、俺にしか放電する方法を知る者がいないこの世界で、なぜあの魔法が使える?



「ちっ、人工精霊のお披露目には早かったようですね。まさかこんなにも魔力を消耗する魔法をお使いだなんて……。いったいあなたにはどれほどの魔力があるのでしょうねェ? アスラ様?」



 高見の見物を決め込んでいたシェフォードは、あまりに呆気ない幕引きに、苦虫を噛み潰したような苦し紛れの笑みを浮かべた。

 俺の魔力量を読み違えたのだ。そりゃそうだ。あの魔法は本当にいかれた量の魔力を消費する。まさか、と高をくくってそこまでの想定を彼らはしていなかったのだ。



 アルタイルという精霊が使った放電の魔法。どうやら俺が使うのと同等の魔力量を必要とするみたいだ。

 もし、その魔力をアルタイルはレオナルドに一時的に付与し、その上で何らかの方法で放電の物理的手段を見出せば、あの魔法は可能だが。

 磁力を操る魔法が俺の能力だと知っても、その扱い方次第で雷を起こす結論に辿り着くのは、この世界の人間には無理だ。もちろん、アルタイルがレオナルドの魔力を吸出して、魔法の行使をすべてアルタイルが精霊としての立場を維持したまま担っていたとしても、だ。もし仮にそうなのだとしたら、レオナルドは完全に魔力を吸い出されるためだけのタンクの役割だ。本来精霊からの恩恵を目的として結ぶ精霊契約において、それほど残酷なことはない。

 駄目だ。疑問が疑問を呼ぶ。

 決定的な材料が足りない。


「今回の作戦は失敗ですね……。ここは引きましょうか。いいですね、レオナルド」


「はっ……はい……」


 大きく肩を揺らしながら、レオナルドは意識を失いそうになりながらも答える。


 俺には自分と同等の強さあるか、いや、もしくはもう勝てないと、シェフォードは悟っているのかもしれない。はっきり言って、シェフォードと戦って勝つ確率はおそらく五分五分程度だが、俺はすでに腕を一本取り上げている。シェフォードもさすがにこの状況で戦うほどイカレてはいないだろう。


 甲冑の連中はみんな地面で伸びていて、レオナルドも魔力切れ状態。


 客観的に見て、相手にとって状況は劣性も劣性。



「あッ……アルタイル……帰るぞ……」


 息を切らしながらもレオナルドは、アルタイルの指揮を取ろうとする。アルタイルもそれに答え、だがしかし振り向きざまに、ゆらりと赤いツインテールを揺らして、俺の耳にのみ、俺だけに聞こえる距離で囁いた。



「アスラ様は前いた世界にない魔法に興味がおありですか? 私はあなたの元いた世界に大変興味があります、アスラ様……いえ、ダイキチ様?」


「!?」


 今、なんて言った?


 アルタイルはクスリと再び笑って、レオナルドの体を支えにいく。


 俺は追いはしなかった。

 放電を受けたクシャトリアのことも気になる。精霊でも魔法の攻撃を受けても大丈夫なのか。いや、実際倒れているのだからダメージとしては残るのだろう。

 それにここにいる俺以外はクシャトリアが精霊だとは知らない。

 このあとどうするかな……。



 しかし、それよりもだ―――――



 俺の前世の名前はダイキチだった。羽鳥大吉。こうやって若くして死んで、他の世界に転生して。何が大吉なのかわからない。というか、その凶運の状態が大吉であり、既に一種の天井なのだから、俺がおみくじで凶を引いて底辺に落ちた時にはどんな酷い目に合うか……。


 と、言いたいのはそうじゃない。


 なぜアルタイルが俺の転生を知っているか、だった―――――




「アスラ、追わないの?」


 エリカが俺の顔を覗き込むように尋ねてきた。気付けば、俺は俯いてしまっていた。

 正直に言って、今の俺はアルタイルという人工精霊の謎、そしてその脅威の力にあてられて茫然自失としていたのだ。追うなどという発想が浮かんだのは、もう解放軍の面々の姿が見えなくなってからだった。

 俺は努めて気丈に振る舞う。


「ああ、クシャトリアが心配だ。あの連中は放っておけ。じきに教師たちが来るだろ」


 確かに今奇襲を掛ければこの先の不安も拭えて、シェフォードを倒せて一石二鳥かもしれない。しかし、なんの情報もない未知の存在、人工精霊と呼ばれる、あのアルタイルが今の俺にとって脅威でしかなかった。

 それに最後にアルタイルが残した言葉……会いに来いということか?

 どっちにしろ、俺の転生を知るアルタイルを、このままにさせておくつもりはない。レオナルドやシェフォードの様子から見るに、まだアルタイルは俺のことを誰にも話していないようだったが、それも時間の問題か。でもまずは情報集め……ではなく、今はクシャトリアの治療か。



「アスラ、大丈夫。安心して」



 不意にミレディが無表情を向ける。

 彼女の手には緑色の粒子。ミレディはクシャトリアに治癒魔法を使っている。

 そうか、ミレディはついさっき自分の最も得意な魔法だと言っていた。治癒魔法という力は様々な体の異常を対処できる万能の治癒に当たるのかどうかは、俺にはわからない。おそらく症状によってピンキリだろうが、使い手の力によっても左右される。

 まあ、ミレディほどの魔法使い、さらに治癒魔法が得意だと豪語するミレディが使う治癒魔法だ。心配はいらないだろう。


「これで大丈夫よ。アスラも、もう腕は平気かしら?」

「ああ、もう腕はなんの問題もない。助かったよ、ミレディ」



 さすがは王級精霊のクシャトリアを無傷でのした凄腕魔法使い。クシャトリアの処置を初めてまだ一分と経っていない。


「いいえ、気にしないで。アスラだって私たちのために尽力してくれたじゃない」


 ミレディは基本無表情だが、それでも照れたようにそっぽを向く。


「そうよ、アスラが来てくれたから、ミレディさんも助けられたのよ。あんたが来なかったら今頃私たちはどうなっていたことか……」


 エリカも続いた。

 俺も切り返す。


「もし本気でそう思うなら、今度からあんな無茶はやめてくれ。何のために俺を置いて駆け出したんだよ……」


「なによ、あんたが怖気づいてると思ったから、私が行こうと思ったんじゃない」


「編入生くん、怖気づいてたの? あれだけの力を持っておきながら」


 そこに、ロイアが割り込んできた。

 そう、俺がウサギだということはもうすでに周知の事実。言い逃れも何もするつもりはない。結局、クシャトリアがいなければ隠し通すことなど、ハナから不可能だったのだ。



「俺が全員を守りながら戦い抜くことはできない。仕方ないだろ?」

「なにそれ。全然怖気づいてない。戦う気満々」


 ロイアもミレディに似たもので、無表情のまま俺を貶す。

 疲れて早く休みたくて、激しい戦闘の後で気が立っている俺にとって、それはちょっとしたストレスだったのかもしれない。だからなのか、少し意地悪な返事をしてみた。


「ならロイアが助けてくれればよかったんだ。元Sクラスなんだろ? お得意の優等生の魔法で助けてほしかったなぁ」


 俺はおどけながら冗談のつもりで、チラッとロイアを見てみると、彼女は暗い顔をしていた。少し言い過ぎたか、と内心焦る俺。


「ごめんなさい」


 すると意外にもロイアはぺこりと頭を下げて謝った。な……なんだか俺が悪いみたいじゃないか。ロイアらしくないと言えば、ロイアらしくない行動だ。別にそこまで言わせるつもりはなかったのだ。


「い、いや……ちょっとからかっただけだ。そこまで気にすることでもない」


 俺はきっと、ミレディやエリカから見るとワタワタと慌てているように見えただろう。その証拠に、ミレディがクスリと笑う。


「でも、この前私は編入生くんに実力がないって馬鹿にした。本当にごめんなさい……」

「うッ……」


 ロイアは静かにホロリと一滴の雨滴を目から落とした。俺はそれに少々たじろぐ。そう言えば以前ロイアは、実戦は対抗戦とは違う、と説教してきたことがあった。ロイアはこれで正義感というものが、かなり強い。もちろん俺のことを思って言ったことなのだろうと腑に落ちていたが、まさか馬鹿にしていたとは……。

 しかもその上、彼女は俺を馬鹿にしたことに、さらに強い責任を感じてしまっているのだ。いじめの現場を見逃せないようなヒーロー気質のロイアは、そういった人情に関しては人一倍気にする節がある。



「私、怖かったの。実戦とは違うって編入生くんに言った私が……」


 顔を強張らせながら、まるで塞き止めることのできなくなった恐怖が、安堵によって押し出され、ロイアは真情を吐露する。


「怖かった……。敵に追い付いてから、急に怖くなって、声も出なくなって、動けなかった……」


 それは後悔か、それとも過ぎ去った恐怖の余韻か、もしくはそのどちらもがロイアの胸の中をぐるぐると掻き混ぜる。彼女の普段の言動にはそぐわない本音を垂れ流す姿。何とかして、内側で塞き止めていた恐怖を、息苦しそうに吐き出す。きっと、積りに積もった恐怖を少しでも早く吐き出して、そして彼女が求めるのは安心だ。


 俺が何か掛けてやれる言葉はないかと、探っていると。



「貴様たち! 無事か!」



 そこに、メルヴィンとその他教師たちが駆けつけてくる。

 先程、俺が情報を聞き出したロイアのペアの生徒も一緒だ。半泣きなままだが。


「今、学園の方に解放軍の一味と思われる者たちの手配書が届いたらしい。この辺に潜伏しているという情報だ」


 潜伏しているも何も、すでに事が起こった後だ。しかし、それほどに解放軍の動きが静かで、早かったということか。


「状況はこの女子生徒に聞いた。が、話は学園に戻ってからだ。すぐに集結地点に戻るぞ」


 メルヴィンたちが急を要しているのは、明らかだ。教師にとっても、それだけの事態なのだ。


 はい、とこの場の生徒が短く返事する。

 メルヴィンたち教師の後を、ミレディたちはついて行く。

 俺はそそくさと倒れているクシャトリアを抱えて、後を追おうとしたが。


「おい、アスラ。なぜここにクシャトリアがいる?」


 さすがに気付かれた。俺がバツの悪い顔をすると、メルヴィンはそれについても学園に戻ってからだ、と先を急いだ。やはり、魔法使いの学生の手本となる学園教師にとっても、解放軍は脅威のようだ。

 教師たちは周囲に注意をピリピリ張り巡らせながら、足を速めた。




******




「――――――で、アスラが駆けつけて撃退したと……」


「はい! そうなんですよっ! アスラもう、有り得ないくらい強くて!」



 エリカが感情冷めやらぬ身振り手振りで、メルヴィンに事の顛末(てんまつ)を説明する。

 あれほど馬車の中でなるべく俺とクシャトリアのことは伏せてくれと言い聞かせたのにも関わらずだ。



「アスラ……。貴様とローマワイズマンワンドトーリカコリス、そしてSクラスのフォンタリウスが言っている話がすべてバラバラなのだが……。そしてエリカの話が一番信憑性を感じる。なぜだ? 答えろ」


 メルヴィンは、もうどうしようもない奴らを、何とか対処しようと頭を痛める。もう長い時間、この教師は眉間に指を当てている。



「えっと、ほら、みんな混乱してると思いますし。エリカなんて性格上、その最たるものですよ」


「そうか、仮に数万歩譲って、お前の言う通りだとしよう。しかしクシャトリアが現場にいた理由がどこにも見つからない」


 ぎ、ギクーッ!!

 その言い訳は、今回の事件で最も上手いこと思いつかなかった事柄の1つだったりする。


「さ、さあ、知りませんね……」


「冷や汗を思いっきり掻きながらそっぽを向くな。嘘がばればれだぞ」


「そ、そんな……ばれが嘘嘘だなんて、そんなはずは……」


「諦めろ。その動揺の仕方が決定的な証拠だろうが」



 あの後、集結地点で馬車に乗り込んだ生徒たちはすぐさま学園に戻されることになった。俺たちとは違い、まじめに精霊契約をしていた生徒たちは、俺たちが教師たちから事情聴取されている間、別教室で契約した精霊を見せ合って騒いでいる。

 初めは突如として終わりを迎えた合同授業に、生徒たちは困惑していたものの、今となってはこの盛り上がりだ。

 壁を隔てても、となりの教室が契約したばかりの精霊の話でもちきりなのは、耳を塞いでもわかった。



「こら、アスラ。なに耳を塞いでる? 私の話を聞きたくないってか?」


 ミレディとロイア、そしてロイアのペアの女子生徒は、俺とエリカの前にこの部屋で事情聴取を終わらせていた。

 そしていくら耳を塞いでも聞きたくない言葉は容赦なく降り注いでくる。

 まあ、もっとも。

 もうすでに解放軍にはこちらの手の内をほぼ晒してしまっている。

 これ以上学園側にも隠す必要はないのだが……。



 しかし、そこで俺たちのいる教室の扉がノックされる。


「誰だ。使用中だ」


 メルヴィンが素っ気なく扉に返事をする。


「あらあらごめんなさいね。でも大事な用だったから」


 しかしメルヴィンの言葉を半分無視して扉をあけて姿を見せたのは。


「がっ、学園長!?」

「ゼミール!?」


「久しぶりね、アスラ」


 ゼミールは語尾に音符でも付けるかのように、弾んだ声で笑う。

 屋敷にいたときから変わらない、朗らかで、無駄に明るい性格。ミレディの母親とは思えない、ミレディにはない多彩な表情。ふわふわした雰囲気。

 どれも数年前と同じだ。


 パシッ

「った!?」


 小気味いい音で俺の頭がメルヴィンにはたかれた。


「学園長と呼べ学園長と!」

「へい……」


 俺は頭をさすりながら恨めしそうにメルヴィンに返事をする。


「メルヴィン先生、その辺にしてあげて? 結果的にはアスラのおかげでうちの生徒たちは守られたのだから。それに解放軍幹部、シェフォードの存在に私たちが気付けなかった落ち度もあるわ」


「しかし、学園長! この生徒、アスラはきっとまだ何か隠しています!」


 メルヴィンがやけに勘のいいことを言うものだから、俺は内心焦った。

 しかし、ゼミールはメルヴィンとの感情の温度差をはっきりさせ、落ち着き払った様子で。


「うーん、そうねえ。話は変わるけど、メルヴィン先生? この合同授業で精霊と契約できていないのは誰かしら?」


「は、はあ……。ここにいるアスラ、そしてアスラのクラスメイトのロイア=ローマワイズマンワンドトーリカコリス。そして学園長のご息女、ミレディ=フォンタリウスです」


 唐突なゼミールの質問に、メルヴィンは多少戸惑いながらも答える。

 それにしても、俺とロイア、ミレディの他の生徒たちはみんなまじめに授業してるあたり、さらに差が開いたような気がする。

 もともと編入したてで授業の進み具合に追いつくのも大変だというのに。



「そう。わかったわ。それではこうしましょう、授業をまじめにできなかった三人には、罰を与えます。それで今回、合同授業中に起きた乱闘の件は不問とします」


「「はあ!?」」


 初めて俺とメルヴィンの息が合った気がする。

 しかしそれではメルヴィンが今回の事件で俺に問いたい内容が一つも解消されていないような……。いや、これは好機と見るべきか。

 ゼミールが助け舟を出してくれたのだ。

 絶対これは好機に違いない。

 多少、いやかなり強引にだがゼミールは俺の何らかの事情を読み取ったのだ。そうでないにしてもゼミールは俺の過去を知る数少ない人間。

 俺の真意まで至らないものの、勘繰るぐらいはして、この一件について俺が望むおよその着地点は察しているのかもしれない。

 そしてメルヴィンは勘が鋭いし、人の真意を探る目も長けている。このままではいつ、今までの知られたくない事情や秘めて明かさなかった過去を明るみに自分自ら吐き出すかわかったもんじゃない。俺はそれほど人との探り合いに強くない。

 このまま長引けばいずれ俺が負ける。


 そして何より、俺はまだこの学園にいたかった。

 編入の時にも確かに思ったのだ。クシャトリアの問題が済んだら、前世で味わえなかった学園生活とやらに身を投じてみたい、と。

 しかし、その前には罰だ。これは俺の欲する学園生活の対価のようなものだと思えばいい。


「わ、わかった……じゃない、わかりました。どんな罰でも受ける所存です」

「あ、アスラ!? 貴様ッ……」


 俺はメルヴィンにしたり顔を返す。メルヴィンにも俺がこの提案に乗る意図がわかったのか、まんまと逃げられたと言わんばかりに顔を歪める。メルヴィンの顔にまた皺が増えそうだ。

 しかしメルヴィンも学園長、自分の属する組織のトップの前だ。いつもの暴力は自重するだろ―――――


 パシッ

「――――――うッ!?」


 やはりはたかれた。


「学園長、今回だけですよ。アスラ、貴様もだ」

「はいはい。うふふ」



 そう、メルヴィンは言い残して俺とエリカ、そしてゼミールを残して教室を出る。とびきりの不機嫌な顔で、その憤りを扉を閉める力に込めていた。

 彼女は俺と学園長の、不可思議な阿吽の呼吸にしてやられたのだ。まあ結果としてゼミールの出した助け舟である『罰』という言葉は、俺がその話に乗っかりやすく、なおかつ逃げ場も用意されているという、好カードだったということだ。 


 それに上手い具合に引っかかったメルヴィンはさぞ悔しかろう。

 その証拠に、バン! とけたたましい音を立ててメルヴィンは扉を閉めた。

 そしてゼミールは俺とエリカに向き直る。


「エリカさん、あなたは精霊と契約できていたわね? あなたに与える罰はないわ。教室へ戻っていいわよ?」

「はい、学園長」


 ゼミールの言葉に、エリカは良い返事を返しながら、したり顔で薄目を開けて自慢げに俺を流し見た。

 ざまあみろ、とでもいいたそうに、流れるような仕草でこの部屋の扉へ向かう。

 その足取りは軽く、罰を与えられた俺への当てつけのようだ。

 こっちの事情も知らないで呑気なやつだよ、全く。


「失礼しました」

 エリカは行儀よくおじぎをして部屋をでる。

「はぁい」

 ゼミールも笑顔で返す。


 そしてその笑顔のまま、俺に向き直った。



「積もる話もあるでしょうけど、それはまた今度にしましょう。今は、これから与える罰を粛々と受けてもらいます。いいわね?」



 いつになく凄みをました声音で話すゼミール。

 保身のためにも、どんな罰でも受けるとか言っておきながら、言ったそばから俺は後悔していた。

 まさか体罰ではないだろうな。

 と、俺の心配とは調子はずれな軽い口調でゼミールは告げる。


「アスラにはちょっとした課題をしてもらいます」

「課題? 肩もみとか?」

「いいわねっ! それ。ではそれも課題に含めましょうっ」

「そ、それもってことは他にもあるの?」

「あたりまえです。授業で決められた内容を達成できなかったあなたに与える課題が肩もみなどと軽微な罰なワケないでしょう?」



 でもまあ、直接体に訴える課題じゃないだけマシか。

 課題と言えば、普段にプラスして勉強をしたり、今回の授業で達成できなかった精霊契約を再度試みるとか、そういった内容だろうか。

 なんにせよ、課題と言うのだから、生徒である俺がこなせそうにない無茶な罰にはならないだろう。



「今回あなたに与える課題は三つ。まず一つ目は、人間関係の修復にあたってもらいます」

「それって、誰かと誰かを仲直りさせるってこと?」

「あら、話が早くて助かるわ」


 手をパン、と鳴らして嬉しそうに髪を揺らすゼミール。その銀髪を見るたびにミレディを思い出す。

 生徒間の問題なら、まだ成功の余地はある。

 なんせ相手は子供だ。人間関係修復の糸口なんて、束になってそこら中に散らばっている。

 が、しかし―――――



「一つ上の学年にソーニア=キーリスコールという生徒がいるわ。Aクラスの女子生徒よ。そのソーニアのお父上、キーリスコール伯爵からのご要望でね、ソーニアの祖父にあたるノノ=キーリスコールという方が、このウィラメッカスにいるそうなのだけど、そのノノさんとソーニアの関係修復よ。キーリスコール伯爵には以前から学園の資金面でお世話になってるの。だから絶対に失敗できないわ」


 ゼミールは胸の前に握り拳を作って、決意を露わにする。


「……」


「嫌?」


「い、いえ……。嫌ではないけど」


 俺は正直、絶句した。

 これは何の巡りあわせか、それとも人為的なものか。とても俺の経験から推し測ることなど出来やしないが、心底驚いた。

 しかしこれは良い機会だ。対抗戦で出来てしまったお互いの溝を埋めるチャンスなのだ。

 それに、この一件、ソーニアの父親たっての願いだ。ソーニアの父親もノノとの関係を少なからず気にしているという何よりの証拠。

 対抗戦ではノノが自分の息子、つまりソーニアの父親は伯爵だと言っていた。それだけの権力者の頼み事。おそらく関係修復にあたって、協力を求めれば得られ、成功すれば謝礼もある。

 下世話な損得勘定だが、旨味のない話でもなさそうだ。

 そして何より、対抗戦ではノノに世話になったのだ。その恩返しがしたい。俺の気持ちは、その言葉に尽きる。



「その課題、善処しますよっと。で、残りの二つの課題の内容は?」


 俺はゼミールに先を急かした。


「ああ、残り二つは簡単よ。一つは冒険者ギルドの依頼を一つ成功させること」




 確かに、簡単だ。適当な雑用仕事の依頼を受け持って、手早く目的を達成させてしまえばいい。ギルドに雑用の依頼などごまんと舞い込んでくるはずだ。

 それに俺は過去に偶然とは言え、単身でワイバーンを討伐したことがギルドに認められてAランクの冒険者であるからして……。



 まてよ……。



 Aランクということは、そんじょそこらのFランク、Eランクの冒険者が受け持つような雑用クエストなど回してもらえるはずがないではないか。

 抜かった。完全にぬかった。

 でかい魔物の一つや二つ討伐するような、端的に言えば人間社会に悪影響を及ぼす魔物を討伐するような、高難易度の依頼を受けなければならない。

 それがAランカーであるための条件でもあり、それと同時に所以でもあるからだ。

 王都のギルドでAランク昇格にあたって、そんな説明をニコという受付嬢に聞いた覚えがある。



「どうしたのかしら。青い顔をして」

「い、いや、何でもない。最後の一つの課題は?」



 課題三つか。

 授業で成績を残せなかったからと言って、そこまで厳しい罰など聞いたことがない。しかも俺は解放軍を追い払ったというのに。

 この仕打ちはあんまりだ。

 だから頼む。

 せめて最後の一つの課題は楽な仕事にしてくれ。


 俺が心中祈りを捧げていると、ゼミールは顎に手を当て、考える仕草をする。


「うーん、最後の一つはまだ秘密。今言った二つを終わらせることが出来たら課題として与えるわ」


 と、俺の予想に反した言葉が返って来た。


「まずは関係修復の証として、キーリスコール伯爵からの謝礼状と、ギルド依頼達成の証明書を貰ってくることね。わかったかしら?」



 もう隠す素振りもなく、顔にげんなりとした表情をありありと浮かべている俺に、ゼミールは俺とは正反対の満面の笑みで、俺に言いつけるのだった。









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