第三十九話 悪者だーれだ その3
「メルヴィン先生、昨日の授業のことなんですけど……」
「あ、メルヴィン先生、今日の授業の範囲の予習でわからないところがあって……」
「おはよう、先生。今日も化粧のノリが――――ごふぁっ!!」
今日も今日で、私に生徒たちはたくさんの笑顔をくれる。この学校に着任してから約三年が経つが、この職に就いて良かったとつくづく思う。王都の魔法研究機関の仕事を辞めて正解だった。
しかし本当に勉強熱心な生徒が多い。
魔法は勉強し、努力した分だけ自分の力に顕著に反映される。それをわかっているからこそ、仲間と高めあい、良きライバル良き友人同士で切磋琢磨できるのだろう。
でも今日あいさつをしてきた生徒の中におかしなのが一匹混じり込んでいた。私の化粧のノリを気にする生徒など、まあ、お目にかかった試しがない。一発と言わず、三発くらいパンチを叩き込んでもよかったのではないだろうか。
あいつは確か家を勘当されて、それ以降の情報や経歴が一切不明だ。どこで何をしていたのか、まったくの謎に包まれている。職員の間でも編入させるかどうか、大いに意見が分かれた。
一緒にいたウサギ、もといクシャトリアは学校の看板になるだろうから編入は即決だったが、あのアスラという生徒はどうやら誤解を生みやすいようだ。
私の最近、特に気にかかる事はそれだ。
「メルヴィン先生」
教室に向かっていると、後ろから声を掛けられた。
振り向くと、そこにはエルフの男性教諭が立っていた。首元まで伸ばした、男にしては長い髪に眼鏡。スリムなスーツ。しかしこのエルフの男、若く見えて実は余裕で五十歳を超えている。
シェフォードという名の、大先輩の教師だ。
一つ上の学年の主任を担当している。
「シェフォード先生。どうされました?」
「はい、実はですね。二日後、メルヴィン先生の学年で野外授業があるでしょう? そこに、私の学年の生徒も合同という形で参加させて頂きたくて」
「はあ、そういえばシェフォード先生の学年も」
「はい、精霊の応用技術の勉強をしています」
私は少し渋るような顔をしたと思う。はっきり言って、今回は第八学年だけでのびのびと野外授業をさせてやりたいと思っている。
「メルヴィン先生以外の先生方にも了承を頂いています。どうでしょうか」
「で、でも学園長は……?」
シェフォードは大人っぽい笑みをクスっと浮かべ、眼鏡の眉間部分をクイッと上げる。
「もちろん、許可は頂いております」
そうだ、忘れていた。
彼はこの学校一の古株。あの学園長よりもだ。
こういう校内での取引の類のやりとりは十八番の一つだろう。それに頭もかなり回る切れ者だ。
なら私は。
「わかりました。私のクラスもご一緒させて頂きます」
「はい、よろしくお願いしますね?」
こうやって従うしかできない。
シェフォード、何を企んでいるんだ?
******
「――――というワケだ。野外授業は合同授業になり、上の学年とペアを組んだ二人一組での行動となった。ペア決めは明日の放課後まで。早めにSクラスの連中に声掛けてこい」
今日の放課後前に、Dクラスの生徒の前でそんなことを、メルヴィンが言い放った。
今日の放課後を除けば、あと一日しかペア決めの時間はないじゃないか。
急に教室の外が騒がしくなった。他のクラスは早々に生徒を放課後へ解き放ったようだ。Sクラス生徒争奪戦だ。
「他のクラスの連中も早速動き出したようだ。出だしが遅れたな、すまない。もう挨拶はいい。さっさとペアを決めてこい」
そうメルヴィンが口にした瞬間、Dクラスの生徒ほぼ全員があっという間に教室をでて上のフロアへ駆けて行った。
「ロイア、行かなくていいのか? 先越されるぞ」
「あなたこそ、編入生くん。それに言ったはず。私は元Sクラスだからそんな心配いらない」
「そうだぞ、アスラ。お前の取り柄は顔しかないじゃないか」
俺は前の席のロイアに注意を促したが、一蹴されてしまった。
それに続いてメルヴィンが嬉しくも素直に喜べない言葉を投げかけてくる。
しかし、いったいロイアが何の力をもってSクラスだったのか知りたい。俺と同じ無属性魔法使いだから、珍しい魔法のはず。
「ふ、俺も別にいいんだよ。対抗戦入賞者だぜ。なめるなよ」
「呆れた。どれだけ強かろうと、今回の授業は対抗戦じゃない。それにDクラスのあなたに誰も見向きもしない」
こいつ、抑揚のない平坦な声で、何でもない風に言うけど、結構辛辣だ。
これが素なんだから余計にタチが悪い。
と思いきや。
がらっ!
教室の扉が突然開け放たれた。
そして一人の生徒が入ってくる。
「失礼します」
「お前、第九学年Aクラスのエリカ=コーデイロじゃないか」
メルヴィンの言葉に、エリカは会釈を返すだけだった。
「アスラ、二日後の合同授業、私と組んでくれない? ていうか組みなさい」
「なんだアスラ、貴様やはり自分の顔の使い道くらいはわきまえていたようだな」
「メルヴィン先生茶化さないでほしんだけど」
「悪かった、邪魔者は仕事に戻るとするよ」
俺が半眼で視線を送ると、メルヴィンは教材を脇に抱えて教室を気だるそうに出ていった。
そして俺はロイアに、したり顔を振りまきながらエリカに向き直る。別に断る理由もないのだ。
「それが人に物を頼む態度か。でも組んでやらないこともない」
一瞬、エリカの顔が輝いた。昨日のことを引きずってるんじゃないか心配したが、この笑顔を見せられるとその心配が嘘のように晴れる。
「編入生くん、急に態度が大きくなった」
「ロイア、ごめんね? 私アスラには勉強のことは手伝ってあげるって約束してたから」
エリカは申し訳なさそうにロイアに手を合わせる。
「別に、構いません。エリカ先輩とは昨日会ったばかりですし、急にペアを組もうにもお互いをよく知りませんしね」
「どうだロイア、俺に見向きするやつはいたぞぉ?」
「勉強を教えてもらっている分際で調子に乗らないで。じゃ、また明日。エリカ先輩も」
そう言って、ロイアは早々に教室を後にした。
「あ、うん、また明日……どうしたの? アスラ」
「いや、なんか、胸が痛い、というか、心が痛い」
エリカは自業自得だ、と大笑いする。
******
俺とロイア、そしてエリカはひとまず教室をでる。廊下がやけに騒がしい。
しかしその原因は考えるまでもなく、我が学年のSクラスの生徒をペアにしようと躍起になっている第九学年の先輩方たちだ。
そしてその輪の中心にミレディがいた。
俺の顔が思わず引きつる。
「ミレディさん、俺とペアを組もう! 頼む!」
「フォンタリウス様、私とペアを組んでくださらない!?」
この喧噪の渦の中心にいながらも、表情を一切崩さずに、その輪をすり抜けていく姿には、正直尊敬する。
俺にもあんな度胸が欲しいものだ。
「あのミレディって子、大人気じゃない」
「あの子、この前、校舎の隣の広場で決闘してた子じゃない。私も広場にいた。あの時編入生くんもいたよね」
エリカが大層感心した声で、ミレディとその周囲の様子を眺めている。
一方、ロイアは何やら俺を探るような視線で、ボソッと口にする。
「お前見てたのか」
「ん、ミレディさんとどういう関係? あの後どこに連れて行かれてたの?」
ロイアは小さく頷くと、その無表情を俺に詰め寄らせてきた。くそ、あんまり知られたくない。フォンタリウス家出身の者がこの学園にいると他に知れたらどうなる。
フォンタリウス家出身の者は誰だ。アスラという人物はなんだ。
そしてそれが解放軍の耳に入ってみろ。
俺の居場所がクシャトリアの潜伏先になる。この学園に何か仕掛けてくるのは自明の理、てのも今更な感じがするが……。まあ突き詰めた話、俺がウサギだと悟られなければいい。
「え、アスラってミレディさんと友達なの!? ねえどういう関係!?」
さらに食いついてくるエリカ。
そしてどこからともなく、声がした。抑揚のない、平坦な声だ。
「アスラと私は兄妹よ」
「「?」」
俺に詰め寄っていたエリカとロイアが同時に振り向く。
そこには綺麗な銀髪が揺れている。
ミレディだ。
「ミレディ……」
「こんにちは、アスラ」
やっと、ミレディと昔約束したことを思い出したところだ。どんな顔をして向き合えばいいのかわからない。
気まずいと言えば、気まずいし。
申し訳ないと言えば、申し訳ない気持ちだ。
今の今まで、ミレディとの大事な約束を忘れていたのだ。ミレディにとっては相当なショックだったことは簡単に想像がつく。以前ロビーで何ともなく俺が口にした言葉がミレディを泣かせたのだ。
だって、あれは。あの時のミレディの気持ちは――――
「アスラ? 顔色が悪いわよ?」
ミレディが小さく俺を覗き込んでいた。知らず知らずのうちに俺は俯いてしまっていたようだ。
「あえ? いや、何でもない」
「変なアスラ」
ミレディはクスクスと、いつもの無表情を崩す。その表情は滅多に見られない。
俺の気持ちも知らないでと言いたいが、どの口が言うのだという話だ。一番そう言いたいのはミレディなのに。
俺とミレディのやりとりを、エリカとロイアは何も言わずに見ている。
「アスラ、次の合同授業のペアは決まったの?」
「ああ、たった今な」
「ふうん、なんて男子生徒なの?」
「なぜ男子生徒前提なんだ。その娘だよ、その娘」
俺が指さした女子生徒を見て、ミレディは、一瞬。ほんの一瞬。本当に一瞬だったが、今にも泣きだしそうな表情を、深い深い影を、小さく浮かべた。
「初めまして。私はミレディ=フォンタリウスと申します。アスラをよろしくお願いしますね」
すぐに取り繕ったミレディは、笑顔で手を差し出す。
しかしおかしい。
おかしすぎる。あまりにも不自然だ。
ミレディがあんな笑顔を浮かべるなんて。
そんなこと、天地がひっくり返ってもありえないと思っていた……は言い過ぎにしても、こんな笑顔、初めて見た。もちろんそれは、とびっきりの悪い意味で。
「は、初めまして。エリカ=コーデイロよ。よろしくね」
そんなことに、もちろん気づきもしないエリカは、まるで有名人と握手するかのように、恐る恐る手を伸ばした。
ミレディはそれに快さそうに応じる。え、笑顔がこわい。
ミレディの笑顔が見ることができたと、周りは大騒ぎ。おめでたい連中だ。でも一番おめでたいのは俺かもしれない。なんたって、ミレディの異変の原因が何となしに予想が付いているのに何も言い出せないでいるから。
「じゃあ、アスラ、またね」
ミレディはくるりと、踵をかえす。
笑顔のまま、ミレディは去って行った。ミレディが俺たちと話している間は、ペア決めに押し寄せた生徒たちは、気を遣わせて静かにしていたが、ミレディが俺たちから離れると、また喧噪は舞い戻っていた。
ミレディはそれに飲まれるように、姿を消した。
「まるで嵐のようね」
「はい」
「ああ」
エリカの言葉に、別々のことに唖然としていた俺とロイアは、適当に相槌を打つ。
「二人とも飲まれちゃって」
能天気なエリカをよそに、ロイアはボソッと耳打ちしてきた。
「あの人の笑顔、恐ろしい」
女の勘ってあるんだな、と思った。ロイアは俺が思っている以上に鋭いのかもしれない。
俺はロイアに返事をするでもなく、ミレディが歩いて行った廊下を、ただただ眺めていた。
その廊下では、未だにペア決め争奪戦が繰り広げられている。Sクラスの生徒がとられたなら、次はAクラス。といったような流れで、成績上位のクラスから順にペアが決まっていた。
しかしペアを頻繁に申し込まれるSクラスなどの好成績の生徒も、ペアは選ぶ。当然、誰だって成績の良い、そして魔法の上手な生徒とペアを組みたがる。
必然的に、Sクラスの生徒はSクラスの生徒と、Aクラスの生徒はAクラスの生徒と、ペアが決まっていく。
ほぼ力が均衡した生徒同士のペアだ。
しかし考えてみればそうだ。
魔法が上手だからと言って、弱い者と組みたくなるわけでもない。
もちろん、強い生徒からペアは決まっていく。
そして余ったDクラス、Eクラスあたりの生徒に声がかかり始めるのは明日からだろうと、大体の目星がついた。
そんな中、Aクラスのエリカとペアを組むことができた俺は比較的幸せ者だろう。
「ロイアはペア、どうするんだ?」
俺はふと気になり、聞いてみる。
「考えてない。別に編入生くんに教える義理なんてないし」
二言目と言わず、一言目には憎まれ口かよ。恐れ入ったわ、むしろ。
ここまで思ったことをすぐに口にする人間、なかなかいないと思う。裏表がないのはいいことだが、この場合は、俺的には悪いことだ。
エリカはその様子を楽しそうに見ている。
「でもさ、ロイアは美人だし強いし、すぐに声がかかるんじゃない?」
そうか、ロイアは元Sクラス。それほどの実力者なのだ。
しかしロイアはあまりそれを口外していない様子だが、元クラスメイトやある程度ロイアに興味のある生徒なら知っているはず。
声はかかるはず、と俺も頷く。
それに美人というエリカの言葉にも頷けた。女の子女の子していないのに、女らしさのある女子。本人が意識せずとも、他に自分がいい女だと否が応でも意識させてしまう。顔だけではなく、そういう一種の特別な空気も相まって、美人なのだと思い知る。
「……」
ところがいつもの無感情で辛辣な言葉は出てこず、代わりに照れに照れたロイアがいた。
素直じゃない。
どいつもこいつも。
エリカといいロイアといい、それに……ミレディも。
今日は、あの笑顔、不自然な笑顔が気がかりで、あまり眠れなかった。
******
合同授業前日。今日のペア決め争奪戦は、昨日ほどの激しさを見せなかった。
そりゃそうだろう。下位クラスのペア決めなんて湿気たものだ。
基本的には、上級生が誘いにくる。俺たち下の学年は「はい」と答えるだけの簡単なお仕事。
俺たちにはえり好みしている余裕なんてない。
ロイアも二つ返事で、名前も顔もしらない女子生徒とペアを組んでいた。おっとりした印象の女の子。自信なさげでいつも俯いているその表情は、まるで子犬のようで保護欲を掻き立てられた。
でもだめだ。
俺はクシャトリアの契約者であり、保護者でもある。他に構っている余裕などないのだ。
だから。
「あなた、アスラくんよね? 対抗戦で入賞した。私、第九学年Bクラスなんだけど、よかったら明日の合同授業、ペア組まない?」
「すみません、先約がいて」
「は? あたしBクラスよ? このチャンス逃すっていうの? Dクラスの凡才くん」
「はい」
「あ、そ。まあいいや。声かけてどんな奴か気になったけど、この程度なんだ」
そうして俺に声をかけてきた女子生徒は去っていく。
丁重にお断りしたのになんだその態度は。敬語使って損した。よくよく見ればあの女子生徒、エリカをいじめてた三人組の一人じゃないか。
差し詰め、S、Aクラスの生徒に声かけまくって相手にされなかったとか? 俺はなんの根拠もない憶測を、負け惜しみ程度にしてみた。
それよりクシャトリアだ。
あいつ、昨日も会ってない。どういうつもりだ。もしかして俺の知らない間にサイノーシスの効力が切れて、正気に戻ったとか?
それで俺に会いに来ないのも納得できるが、そんなウマい話か?
「編入生君、今日はもう寮に戻る」
「エリカには会っていかないのか?」
「ん。明日の準備もあるし」
明日の準備。
おそらく勉強だ。ロイアはあれはあれで頭がいい。きっと明日の授業の課題である精霊との契約を確実に成功させるつもりでいる。
ロイアの無属性魔法がどんなものかは知らないが、心なしかロイアなら明日の課題は難なく成功させそうなきがした。
「そうか。じゃあ俺も帰るとするか」
「編入生君こそ、エリカさんに会っていかないの? ペアなのに」
「ああ、今日は予定がある」
「そ。じゃあ、また明日」
ロイアを教室から見送ったのち、俺は校舎の階段をとぼとぼ上がる。
そして渡り廊下を渡り、別の棟へ足を運ぶ。目的地は第十二学年の教室。その中でもSクラスだ。
しかし、第十二学年はまだ授業中だった。
学年が上がると、やはり授業数も多くなるのだ。当たり前っちゃ当たり前か。
俺が廊下からSクラスの教室の様子を、ドアのガラス越しに覗く。窓際の席には、つまらなそうに窓の外を眺めているクシャトリアがいた。
ものすごい勢いでつまらなそうだな。日曜朝の女児向けアニメを見ているお母さんかお前は。あのつまらなそうな顔といったらない。
廊下で待つこと一時間。
鐘の音と同時に、生徒が我先にと廊下になだれ込んでくる。
と、そこで声をかけてきた金髪カールの美少女がいた。
「あら、あなた今年編入してきたアスラくんじゃない。何か用かしら?」
始業式の日、壇上であいさつしていた生徒会長、セレア=クレイドルだ。
優雅という文字が今年一番似合う人物かもしれない。ああ、あの胸に包まれたい。ああ、あのふわふわカールの髪をもてあそびたい。
そんな気分だ。
「あ、はい。クシャトリアを」
「わかったわ。呼んできてあげる」
先輩の見本みたいな生徒だな。第十二学年というと、十七歳か。若いな。
まあ俺からすると、この学園の生徒みんなが若く見えるが。
窓越しに見えた。
机の端に頬杖を突き、窓の外を眺めているクシャトリアに、窓際の席までわざわざ赴き来客を伝えるセレア=クレイドル。
まったく、この国には美少女が多いな。
男としては冥利に尽きるが。
そこにセレアが廊下に戻ってきた。
「ごめんなさい、クシャトリアさん、今は忙しいから会えないって」
セレアは申し訳なさそうな顔で、髪を掻き分けた。
「え?」
ウソだろ。ありえないだろ。
そういや、確かミレディが以前決闘で、負けた方は二度と俺に近づかないという賭けをしたと言っていた。
ウソだろ律儀にもその約束事を守っているのか? あの傍若無人チャンピオンのクシャトリアが? しかもサイノーシスにやられて半分理性が飛んでるのにか?
もしかすると本当にサイノーシスの効果が切れてるんじゃ……。
くそう、もうこうなったら強硬手段だ。
こんなのおかしい、絶対に。
仮にサイノーシスの効果が切れていたのだとしても、一言いってやってから、別れたい。
お前は自由なのだと。
「あ、ちょっと!? アスラくん!?」
「すみません先輩方ァ! 失礼しまーっす!」
セレアは俺の奇行に驚き、教室に残っている生徒は状況についていけない。
「あ、アスラ!?」
クシャトリアは今までのつまらなそうな表情が嘘のように吹っ飛び、顔を真っ赤にした。やはりサイノーシスの効果は健在か。
「銀髪から聞いているだろう? 二度とアスラに近づかないって……」
目に見えてしょんぼりしているクシャトリアは、俺の制服の腕裾を掴みながら言う。
どこにも行くなと主張するかのように。
いったいお前が言いたいのはどっちだ。
来てはいけないのか、行くな、なのか。
「別に俺から近づくのは悪くないだろ」
「……あ……ううう……アスラぁぁ」
大粒の涙を目に浮かべながら、クシャトリアは感情をあらわにする。
でもやっかいだな。ここまでサイノーシスの効果は絶大なのか。
クシャトリアは涙でぐしょぐしょの顔を、俺の制服に押し付けた。冷たい。
俺は苦笑いを浮かべながらクシャトリアの頭をなでた。
と、そこに。
「おい、お前。下級生だな。何クシャトリアさんを泣かせて、あまつさえ抱いてやがんだ」
「あんまり調子に乗るなよ」
二人の上級生に囲まれた。
窓際で、追い詰められた。
と、さらにそこで。
「黙れかす。アスラに近づくな」
赤い目でクシャトリアが吐き掛ける。
まるで汚物を見るかのような目で。
「そ、そんなああああ!?」
「クシャトリアさああああん!!」
上級生の二人は、断末魔に近い嘆き声をあげて、絶望する。
いつものクシャトリアの調子が戻ってきた。
俺とクシャトリア、それにクラスの生徒たちは、嘆き声を高らかに走り去っていく二人の生徒を眺めて、軽く笑う。
「ミレディとの約束が気になるなら、また俺から来てやるよ。もしくは約束を反故にするか」
「反故」
「即答だな。その代わり、お前が掛け合え。ミレディには俺とのことを全部話せ。ミレディは信用できる。いいな」
「アスラが、そういうなら」
「ん? 何してるんだ」
「んー」
クシャトリアは頬を染めて、目を閉じ、ハグを求めているようだ。
俺は大人しく、抱かれた。
身長差的に、俺がクシャトリアの胸に収まる絵面になる。
はずかしい。
教室の生徒がすべて帰ったわけじゃない。黄色い声がちらほら聞こえる。
三十秒後、俺は解放された。
今日はサービスだ。
もう今後はない。ミレディにサイノーシスの効果を解いてもらう。そう考えたら、今までの可愛いアスラ大好きっ子クシャトリアが恋しい。
今まで、例え精霊でもこんな美人に、大好きと言われまくっていたのだ。
でもそれでいい。
それが本来のクシャトリアなのだから。
考えた結果、きっとミレディはクシャトリアをサイノーシスの催眠から解くだろうと、俺は結論に至った。
昔と性格が変わっていなければ、真剣に頼み込んでくる者には、そいつがどんな奴であろうと、その頼み事には真摯に向き合うだろう。
例え恋敵でも。
そう、俺はミレディの気持ちを知っている。それを利用するわけではないが、ミレディからすると、おそらく俺の頼みに応えたい一心で、行動に移るだろう。
ミレディは、サイノーシス状態のクシャトリアに、少し似ていた……。
そんな気がしたのだ……。
「もう用事は済んで?」
セレアが後ろに立っていた。俺とクシャトリアを、おめでとう、と祝福するような笑顔で。
「そろそろ教室を閉めたいのだけど」
その言葉を最後に、俺とクシャトリア、そして残っていた生徒たちは、ぞろぞろと教室を出る。
寮まで帰る間、クシャトリアは俺の手をずっと握っていた。
俺は、クシャトリアにはサイノーシスの効果を解くことを告げていない。ミレディにも俺から言うつもりだ。だってクシャトリアには、俺への好意が超必然的事実であり、真実的な愛だと信じて疑わないからだ。それもサイノーシスのせい。
今日は良い話っぽく終わったけど、その実クシャトリアを騙すようで、俺の中では若干の不安がくすぶっていた。




