第三十八話 悪者だーれだ その2
「三日後、野外授業を行う」
今日の魔法学園、第八学年Dクラスの担当教師メルヴィンは開口一番にそう告げた。
「授業内容は精霊との契約だ。まだ貴様たちには知識しか教えていなかったな。そこで、野外授業で実践してもらおうというわけだ」
まてよ。
そうなれば俺はどうなる。もうすでにクシャトリアと契約を済ませてしまっている。ここでクシャトリアとの関係を知られるのはマズイ。
「授業場所は都市ウィラメッカスからすぐ北にあるアルルーナの森だ。当日は一日自由時間にする。時間内に精霊と契約できていれば合格だ。手順は授業で習った方法で契約すれば問題ない。それで契約できる精霊ばかりだ。その場だけの一時的な仮契約にすればいい。今のうちに復習しておくことだ」
話が終わると、メルヴィンは淡々と授業を始めた。
俺はその日すべてを、どうやってクシャトリアと契約していることがバレないように誤魔化すか、その方法ばかり考えることに費やした。
しかし、良案は浮かばないまま、放課後を迎えてしまった。
今日はミレディは顔を見せなかった。
それにクシャトリアも。
それはそれでいいのだが、それはそれで気になる。まったく、自分でそう考えてて俺はかまってちゃんか、と叫びたくなるくらいバカバカしくなった。
俺は子供か。いや、まあその通りなんだけども……。
中身はもう大人だ。いつもまとわりついて毛嫌いしていた奴らが急に姿を見せなくなって寂しくなるとか、もうただのウザいおっさんじゃないか。
「あ、そういえば」
放課後はエリカに呼び出されていたんだった。
たしか、一つ上の学年は上の階だったよな。
そんなぼんやりとした頭のまま、俺は少し重めの足取りで階段を上がる。人気のない石の階段に、足音が響く。
「AクラスAクラスAクラスっと……。あ、ここか。ちくしょういい設備してやがる」
この学校は習熟度別にクラスが分かれている。設備にも差があるとか、バ〇テスか。
「ご―――――」
ごめん遅れたと言って、教室に入ろうとしたところで、俺は華麗な身のこなしで手近な机の陰に隠れた。
お前、好きな男子を目にした女子中学生かと言われれば俺はそのツッコミに甘んじるしかないが、俺の言い分も聞いてほしい。
「あはははは、あんた貧乏なんでしょ? ほら、1ゴールドあげるわっ」
「きゃはは、ちょっとあんたそれ多すぎ!」
「あ、ごめーん、コーデイロさんには多すぎたか。だってそれすらありがたく感じちゃう貧乏だもんね」
どこの高校だよ。いじめとか。
俺が教室に入ろうとしたところで、中にエリカと他に三人の女子生徒が見えた。
率直に言うと、エリカがいじめにあっている。
今どきこんないじめのお手本のようないじめは中々お目にかかれないんじゃないかな。なんて言ってる場合じゃないか。
知らない生徒がいじめられてたんなら、たぶん俺は見て見ぬふりをする。その場でいい格好をしていじめの標的にされたくないからな。そういうのは俺の知らないところで勝手にやっていてほしい。まあ教師に告げ口ぐらいはしないでもないが。所詮は子供同士の問題。大人が首を突っ込むものでもないのだ、というのが俺の持論。反論は聞かない。
「……」
エリカは終始黙って俯いて、言われたいように言われている。普段の凛とした姿勢はどこへいった。
そこでさっきの持論だが、知り合いがいじめられているのでは話が別だ。どうやっても後でその実態は俺の目の前に浮上してくるはずだ。良くも悪くも俺がそれに巻き込まれるのは目に見えている。
ならば、芽が育つ前に刈ってしまう。そしてあとで教師に告げ口する。それが俺のエクストリームコンボだ。反論は認めない。
「にしてもあんたダサい服作ってるよね。よくもまあ」
「ね、これどうする?」
「こんな人に見せられないような服、店に並ぶ前に捨てちゃった方が店のためだよ」
「じゃあ決まりね。風の精霊よ、我にちか――――」
がたっ
机が音を立てた。
「は、ちょっとあんた誰よ」
「あのネクタイの色、ひと学年下じゃない?」
「あんた回れ右よ、ほら」
いじめっ子女子生徒が闖入者に気づく。そしていきなり集中砲火だ。
その様子をエリカは目に涙をためて、まるで何かを懇願するかのような眼差しでただ見ている。
……しかし、俺はまだ机の陰にかくれたままだ。
今、俺の横を通り過ぎていじめっ子女子生徒と対峙しているのは。
「ローマワイズマンワンドトーリカコリスさん……?」
つい口を突いて声に出してしまった。にしても我ながらよく覚えていたな、名前。
「……」
ローマワイズマンワンドトーリカコリスさんは俺を一瞥するだけで、すぐにいじめっ子女子生徒に向き直った。
「おい、もう一人いるだろ、隠れてないで出てきなよ」
俺がぼそっとローマワイズマンワンドトーリカコリスさんの名を口にしたのを聞かれてしまったらしい。
だが断る。ばかめ。
俺の他に第三者が介入してきたんだから、今更自分から面割るワケないだろ。ローマワイズマンワンドトーリカコリスさんは、もう十分な抑止力だ。
他人の目。これは案外気になって、普段通りの行いができなくなるものだ。特に何をするにも誰かとつるまないとできないようないじめっ子は尚更だ。
「その人から離れて」
ローマワイズマンワンドトーリカコリスさんは抑揚のない声で、小さく一言そう告げた。
「……」
「……」
「あんたら、覚えてろよ」
なんてお決まりの捨て台詞。こいつら、わかってるぜ。
結果的にはいじめっ子女子生徒三人が、ローマワイズマンワンドトーリカコリスさんとの無言の睨み合いに負けて、その場を去った。
ローマワイズマンワンドトーリカコリスの登場で、一瞬にして幕引きだ。
結局俺は姿を見せずに済んだ。
「う、うええ……」
緊張が解けたのか、エリカはその場にへたり込んで泣き出してしまった。
……ふつうに傷ついてたのか……。
いつも気丈に振る舞っているのに。
俺は、エリカに似合わない弱々しい声を聞いて、損得勘定してる場合じゃなかったと今更後悔した。
「でてきて」
ローマワイズマンワンドトーリカコリスさんはそう言った。
かなり短縮された命令文だけど、十中八九俺に向けた言葉だろう。
がた。俺は立ち上がる。
「あ、アスラ……」
「……しりあい?」
エリカは赤い目を見開いて、ローマワイズマンワンドトーリカコリスさんは無表情な顔で俺とエリカを見比べた。
「……」
再び無言。
口火を切ったのはローマワイズマンワンドトーリカコリスさんだった。
「えっと……編入生くん……。何か言うことは?」
ローマワイズマンワンドトーリカコリスさんは俺を編入生くんと呼び、視線を送ってきた。
それは『おいぃ、なにか言えよぉ、無言気まずすぎぃ、の何か言うことは?』の何かなのか。それとも『知り合いが目の前でいじめられてたのに机に隠れて助けを待つだけのアスラ君、言うことは?』の何かなのか。
1000%後者だろうな……。
言うことね……。言うこと。風当りきついな。
「あんた」
「なに」
俺はローマワイズマンワンドトーリカコリスさんを指さす。
「名前長すぎ」
「え……?」
******
率直に言うと、俺はエリカがいじめられているという事実がショックだった。あんなに明るくて、すぐに人と仲良くなれるような子が、いじめっ子の前では糸の切れた人形のように虚ろな目をしているのが、今までのイメージをひっくり返したからだ。
「ロイア、そう呼んでいい? 俺はアスラでいいから」
「……」
無視された。知っていたかい? これも立派ないじめだ。
「どうして、ここにいるの?」
自分がいじめられている現場を目撃されたのがショックなのか、エリカは不安そうに聞いてくる。
「お前に呼ばれたからだろうが。朝、ラウンジで」
「あっ……」
忘れてやがったな。こいつ。
「どうして、あの三人に……その……」
ロイアがやっと口を開いたかと思うと、口ごもった。
「どうしていじめられてたんだ?」
だから俺が代弁した。
「ちょっと、言葉を選んで」
「い、いいのっ、大丈夫だから」
ロイアの気遣いを、それをエリカが引き止める。
しかし、自分がいじめられているような人間なのだと、他人に認識されるのは結構クる物がある。その最たるものが、この質問だと言ってもいい。少なくとも、俺はそう思っている。
ロイアに言われて、俺も少し見習うことにした。
「で、なんで……えっと、喧嘩してたんだ?」
結果的に、これを聞くのも本人にいじめられてたって事実を逃げ場なく突きつけるようで、気が引けてしまう。
いじめられる側は、こいつはいじめられてるんだ、という見られ方を友人からされるのが一番辛いとも言うし……。
「えっと、私が貧乏……だから?」
「それだけ?」
いつものエリカの天真爛漫とした表情はない。服屋で見たような、今朝見せたような、笑顔はない。
しかし、答えはしてくれた。
エリカの答えにロイアが超反応。ほんとに読めない。まるで昔のミレディを見ているようだ。
無表情で、言葉足らずで、人付き合いが不器用で……と、そこで何かに思い当たる。
確か、今朝、夢でミレディが。
ここでエリカの問題と向き合わないといけないときに、全く別のことを考えている俺はかなりの薄情者だろう。だけど、やっと手が届いた。なんとなく、思い出せた。
これを利用すれば……。いや、俺が犠牲になるか……。でもクシャトリアが……。
「ねえ、聞いてる?」
「んっ、ああ、聞いてる」
一つのことに集中しすぎていた。ロイアに声を掛けられて、とっさに嘘をついてしまう。
さっきの話の続きだ。エリカがそれを口にする。
エリカは辛いことを頭から無理矢理引っ張り出して、俺たちに伝えようとする。
彼女自身、いじめられたくないと思っているのだろうか。問題解決には前向きだった。
「二ヶ月前に、急にいじめられ始めて……お前貧乏だとか、貧乏臭さがうつる、とか」
「明らかに理由が見当たらないな。他には」
「いや、ほんとに急にだったの。いきなり……」
原因はエリカの知らないところでか……。ならエリカの記憶に残らないような些細なこと、もしくは逆恨み。
なにはともあれ、こうなってしまってはいじめの主犯に聞くのは一番手っ取り早いのだが。
ほかの生徒に聞き込みで情報収集って手もあるが、「エリカがいじめられてるってけど、何か知ってる?」と聞くわけにもいかない。何よりエリカの負担になりかねない。
「なによ……さっきは隠れてたくせに急に親身に考え出しちゃってさ」
エリカが口を尖らせる。
別に俺は親身ではない。それを言うならロイアこそがエリカのいじめに一番向き合おうとしているだろう。俺はと言うと今も頭のどこかでクシャトリアとミレディが仲直りして、クシャトリアの催眠作用を解く糸口を探している。
ただの薄情者だ。
「エリカ、お前さ、つらくないか?」
ストレートに聞きすぎだと、ロイアが静かな無表情で睨んでくる。
しかしそんなことは気にもしていない様子でエリカは、ちょっと腫れた目をはにかんだように曲げて、笑って見せた。
「あんたたちがいなかったら、ね」
ロイアが少し安心したように、口元をほんの少しだけゆるめたのを、俺は見逃さなかった。ロイアはおそらく今までエリカとの交流はなかったはずだ。なのにこの現場にためらいなく身を投じ、こうしてエリカの力になろうとしている。
なかなかできないことだと、俺は思う。正直俺がロイアに便乗したようにしか感じられなくて、勝手な劣等感を覚えてしまいそうだ。
「今日、服のこと、どうするんだ?」
俺は話を変えた。
今朝に予定していたエリカの服の手伝いは予想外の始まりとなった。エリカがこんな状態でも、それでもするというのなら、やぶさかでもないが。
「ううん、今日はやめとく。顔もこんなだし」
「わかった。また服のことで話があったら声を掛けてくれ。いつもの朝はもう少し遅めの時間にラウンジにいる」
「うん」
「……」
エリカがやけにしおらしい。
まあ、ひと悶着というか、揉め事のあとでもあるし、いつもの調子が狂うのにも無理がないと無理からぬことか。
そのまま、流れるように三人で教室をでて、寮へ帰ることにした。
ロイアはその後、終始黙っていた。まるで俺とエリカの会話に入るのを避けるかのように。
もともとは昔の、無言で無表情の感情を読ませないミレディに似ている。
何かが昔のミレディを今のようになるまで成長させた。昔のミレディと今のミレディとでは明らかに差異がある。
強さというか、自信というか、無表情には変わりはないが、昔と比べると圧倒的に自分を表に出すようになっているのを、昨日話して感じた。
そんな風に思うようになるまでは、昔のことを思い出した。
思えば過去の辛いこと、フォンタリウスの屋敷の記憶は、俺の頭のどこかでシャットアウトしていたように思える。
そう思ってしまえば、何が昔のミレディを変えたかまでは大体予想がついた。
そりゃそうだ。
昔のミレディに似ているロイアには、昔のミレディを今のようになるまで変えた、その何かが足りなかったのだ。
そう、俺は憶測した。
そして、その何かとは―――――
「アスラ、それに……えっと」
「私のことはロイアで構いません」
エリカが校舎を出たところで立ち止まった。エリカの話にロイアが耳を傾ける。
「そう、じゃあロイア、それにアスラ、私店に一度寄るから先に帰ってて? じゃあまた明日」
言うやいなや、エリカは駆け出した。なぜ逃げるように走る。そりゃいじめの現場を目撃されたあとだ。気まずいのはわからんでもないが。
俺は少し声を張り上げた。
「送ってこーかー!?」
もう背中がだいぶ小さくなるところまで駆けたエリカが、大丈夫と手を振るのが見えた。
「編入生くん、いちおう気は利くんだ」
ようやく口をきく気になったか。
「まあな」
「……」
「……」
俺、昔のミレディにどう接してたっけ。
しばし無言。
「なあ、どうしてあそこでエリカの教室に入ってきたんだ?」
「いじめられていたから。止めないと」
「それだけ?」
「それだけとは?」
ロイアは小首を傾げた。様になる、と思った。
ロイアは少し前髪が長めで、目が隠れがちだけど、よくよく見てみるとキリッとした目をしている。目鼻立ちも綺麗。美人だ。
ミレディのような圧倒的美少女でないにしても、雰囲気があると言えばいいのだろうか、黒いショートの髪、指定の制服以外の衣類はほぼ黒、なのに肌は雪のように透き通る白。
黒がより黒を濃くし、しかし白がより黒を引き立てる。
なんと言うか、上手くは言えないが、女の子女の子していないが美人に見えてしまう。そんな風に俺は感じた。
だから小首をかしげるとか、急にされたら、やはり様になるとしか俺の口からは言えない。
俺の口からは、な。
「だから、もっと他に理由があって助けたのかと思ったんだよ」
「そんなの聞くの、野暮」
「じゃあ他に理由なしにあんな風にいじめっ子連中を敵に回したのか?」
「そう、悪い?」
「いや、わるかねーけど。わからないよな。なんで話したこともないやつにそこまでするか」
会話をしているうちに、寮の前に着いた。
向かって男子寮は左手、女子寮は右手だ。
そこでロイアは挨拶もなしに女子寮に向かって歩き続けた。俺、相当嫌われてるな。やっぱり机なんかに隠れるんじゃなった。
しかし、数歩歩いたところでロイアは振り返った。
「あなたは対抗戦で運よく勝って編入したけど実力は所詮Dクラスレベルの凡人。今の会話で私のこと理解できるわけないじゃない」
「悪かったな凡人で。そりゃわからねえよ。俺と同じDクラスなのに自分をさもSクラスの天才みたいに言ってるお前の考えなんてな」
今まで無表情だったロイアの顔に急に表れた本当に、本当に小さな笑みは、俺を小馬鹿にするものだった。
「私、去年までSクラスだったから」
「は? じゃあなんで今年はDクラスなんだよ」
また、ロイアは俺をからかうように、クスクスと小さく笑って。
「さあ、なぜでしょう」
そう言って女子寮の方へ姿を消した。
「なぜでしょうって……ヤなやつヤなやつヤなやつヤなやつ」
俺はロイアがSクラスからDクラスにきた理由を、ぼそぼそと耳をすませば聞こえる程度のつぶやきを唱えながら、考えるのだった。




