第三十五話 修羅場
「アスラ君は、ウサギとどういう関係なの?」
手を挙げたのは最前列席の女子生徒だった。
俺は一瞬考えを巡らせて。
「知り合いだ」
と答えた。
女子生徒は俺のつまらない回答に苦笑いを返す。
「へえ。ウサギと知り合いだなんてすごいね。恋人ではないの?」
どうやらこいつはスキャンダルを望んでいるようだ。先日の商業区での騒ぎの中心が俺とクシャトリアだと知っているのだろう。
さて何と答えたものか。いっそ気を失ってもらおうか。いや、それではマイナスイメージだ。しかし彼女の望む通りの答えを返してもマイナスイメージ。
だから
「恋人ではない」
と答える。
女子生徒は目に見えて溜息をついた。こいつ色恋沙汰の話を主食とする人種だ。
「もう質問がないなら俺は席にもど――――」
「はい」
今度は男子生徒が挙手。
「アスラの無属性魔法はどんな能力なんだ?」
その男子生徒の目はあくまで真剣で、決して俺をからかうものではないと俺に悟らせた。
最近この学園の生徒からの風当たりが強いから、つい勘ぐっちゃったぜ。
しかしこれも困った質問だ。
本当のことを言えば、磁場を操ることができる、だが。果たしてこの世界で磁場とか言ってわかる人間はいるのだろうか。
おそらく、人を気絶させる魔法の正体を、みんな知りたがっている。
しかしその仕組みを説明したところで理解してもらえず、あまつさえ真相を偽っているのではないかと尚更疑われる可能性も、無きにしも非ずだ。
ならば勝負には出ずに、真実そのままのことを言うのが無難か。
「俺の魔法の効果は、磁場を操ることだ」
「ジバ?」
やはり、といった感じだった。初めて聞く単語にクラス一同は首を傾げる。
俺が苦笑いを浮かべると、それを見かねたメルヴィンが口を挟んできた。
彼女は何気なく言ったことだろうが、俺にとっては衝撃だった。
「皆が知らなくても無理はない。磁場とは超魔法的技術だ。その力はこの国の技術では知られていないことがとても多い」
「せ、先生、ご存じで?」
「かじったくらいだが」
「ははは、さすが」
どうやら俺は下手を打ったようだ。
磁場がこの世界で知られていないものならまだしも、下手に知れわたり、日本とは大きくかけ離れた解釈をされている。それは普段何気なく使っている大したことないと思っていたことが、周囲にとっては驚異的なことだったということだ。
なんて言った? 超魔法的技術?
そんなカッコいいモンじゃない。ただの、ごく日常的で、至る所で目にする科学だ。ただし日本での話だが。
というか、そもそもこの世界に科学そのものが存在しないんだっけ。変に注目されるのは御免だぞ。
「しかしアスラ、よく磁場の存在を知っていたな。公表こそされているものの、かなりごく一部だけなのだが」
「い、いやあ。昔本で読んだことがあっただけですよ」
嘘は言ってない。嘘は。
「なるほど。まだあまり解析されていない技術ならアスラの魔法も納得できるな」
「確かに。知られていないだけに未知の魔法として使うことができるからな」
「ええ、私たちにとっては初めて見るような奇妙な魔法があっても不思議じゃないわね」
クラスの生徒は口々に好意的な反応を示してくれた。ちょっと嬉しい。
つかみはこれでいい。
この調子で俺の悪評を払拭できればいいのだが。
一先ずは、このクラスにおいての俺の評価が卑怯者から不思議魔法系男子に格上げしたことは間違いない。一安心だ。
しかし、やはりこの世界の文明は科学的にかなり遅れている。
魔法に突出し過ぎた影響だろうか。
磁場がまだ未知の技術と呼ばれる世界だ。
あまり知った風な口をきくのは避けたほうが問題は回避できるだろう、という俺の持論だ。
なんだ。案外よかったじゃん。自己紹介。
俺は自席に戻った。
******
「ということから、セレスティアは神聖魔法を得意としていて、必ず適正魔法にもなっている」
『種族と魔法の関係』。
それが今やっている授業の内容のようだ。はっきり言って、中途入学の俺にはついていくのが難しい。新しい情報が次々と頭に放り込まれて、パンク寸前だった。
これは記憶系の教科だ。
セレスティアは神聖魔法の適正を持つ、天使のような容姿をした種族だ。
対して、ヘルスティアは暗黒魔法を得意とする、鬼を連想させる容姿の種族。
ここまではわかりやすい。種族のイメージそのままだからだ。
しかし、どの魔法がどの系統に属するのかが、いまいちぱっとしない。
他にも種族がいっぱいある。
先祖が魔獣と人間である、獣人族。昔屋敷にいたソフィやユフィがそうだ。
基本的な身体能力が高い。しかしその高い身体能力は無意識化で身体強化の魔法を使っているからであり、魔力を消耗している。そのため、使える魔法は無属性魔法で、日ごろから魔力を身体強化に回しているせいで、魔力量はさほど多くはない。
余談だが、先祖が人間に害する魔獣であるため、身分は低い種族とされているそうだ。
耳長族のエルフ。もう顔もおぼろげにしか覚えていないが、ヴィカがそうだ。
高い魔力量と魔法の技術を誇る。水や風の属性魔法の適正を持つ者が多い。しかし種族の数が少ないため、大した力を持っておらず、勢力的に事実上人間の下位の種族という潜在意識がお互いの種族間に生まれているらしい。
その他にもたくさんの種族の説明を聞いたが、うろ覚えだ。
情報は右耳から左耳へ。
授業自体は初めての知識が溢れていて、楽しいは楽しいのだが、いかんせん情報が多い。
予習とか復習が必要になってくるのかな。
面倒くさい。そんなの高校以来だ。
とりあえず、理解は二の次にして、支給された分厚いハードカバーのようなノートに粗方の内容を書き留めておく。
筆記用具は羽ペン。使い辛いことこの上ない。字がインクでべちゃべちゃだ。それにたまに日本語が混じる。
こんなにも魔法学園が疲れる所だとは思わなかった。
******
気付けば、教室の外で鐘が鳴っていた。昼を告げる鐘なのだという。メルヴィンは午前はここまでと、教室を出て行った。午前はずっと『種族と魔法の関係』についての授業だった。
午前すべてを使って、1コマのようだ。
Dクラスの生徒は思い思いに昼食を摂っている。弁当を広げる者、食堂へ行こうと友人を誘う者。様々だ。
様々というくらいなのだから、机に座ったままぽつーんとしている生徒だって、もちろんいる。
もっとも、その生徒は俺なわけだが。
話をしてみたいと思っていたローマワイズマンワンドトーリカコリスさんはすでに俺の前の席にはいなかった。
食堂へ行ったのだろうか。
俺も食堂へ行きたかったが、実は金を持ってきていない。ぶっちゃけ始業式の日は始業式のみで授業などないと思っていた。
魔法学園を相当舐め腐っていたのだ。
むしろ気付かぬうちに遊び感覚でいたのかもしれない。
忘れるな。俺の目的はクシャトリアのサイノーシスの効果を解くことにある。
俺は一層、気を引き締めた。
ぐう。
腹も引き締まりそうだった。
******
なぜだ。なぜ来ない。
あれほど言ったのに。休み時間おきに来いと。
いや、それは私の傲慢だろう。しかしだ。しかし。
昼休みになっても来ないというのはどういうことだ? クラスの場所も伝えてある。12学年のSクラスだと。
お金だって用意してある。私には料理ができなくても、アスラを食堂に連れて行くことくらいはできるはずだ。
それに何より、アスラが昼休みに会おうと言ったのだ。よもや忘れるわけがあるまい。アスラのことだ。何かよっぽどの事情があるに違いない。
「クシャトリアさん、どこへ行かれるのですか?」
「お、おれもご一緒しても?」
「あ、私も!」
鬱陶しい。クラスの有象無象たちが私のあとについて来ようとしてくる。
「私はアスラに用がある。ついてくるな」
「ええ? またあいつですか?」
「くっそう。あの野郎。生意気なんだよお」
「ああ、俺たちのクシャトリアさんが・・・・・・」
いちいち耳障りな連中だ。
私はそれを無視して、アスラのもとへ向かうことにした。
そう、アスラなら何か事情があって私に会いに来れないに違いない。
そうに決まっているのだ。
私は廊下を走った。
******
早く会いたい。
ずっと前から決めていた。授業が終われば会いに行こう。
ああ、アスラ。どれほど待ちわびたことだろう。
アスラ。やっと面と向かって会える。
アスラ。
アスラ。
最後に見たアスラは8年前。屋敷でのことだ。
私は彼の辛そうな顔から目を逸らした。でも今度は違う。絶対に目を離すものか。絶対に。
アスラ。アスラ。
彼にすべて与えると決めていた。そのために頑張った。学年で1番の魔法使いになった。
アスラのためにだ。
彼はSクラスには来なかった。
調子が悪かったに違いない。試験を担当した教師は誰だ。見つけ次第・・・・・・。
・・・・・・はっ、そんなことよりアスラだ。
確かDクラスだったはず。
まだ教室にいるかな。アスラ。アスラ。
「あ、ミレディさん」
「フォンタリウスさん、どこへ?」
「どうしたんですか? そんなに早足で」
ああ、うるさいうるさいうるさい。もう放っておいてほしい。
私が手入れの難しい銀髪を毎日といだのも。
引き締まった身体を作るために魔法以外に運動を欠かさなかったのも。
見た目に気を遣ったのも。
全部アスラのためだ。
お前たちのためじゃない。
ああ、はやく。はやく。アスラ。
私はアスラのこととなると周りがどうでもよくなる。それを自覚していても、直そうとはしない。
だって、アスラが私のすべてなのだから。アスラが。
やっと到着だ。
Dクラス。
Dクラスを前にしてこんなに気分が高ぶったのは初めてだ。うれしい。うれしいうれしい。
がらっ
扉を迷いなく開ける。
Dクラスの生徒はまばらだったが、そのほぼ全員がこちらを見た。
「お、おい」
「あ、ああ。フォンタリウスだ」
「Sクラスの!? なんでDクラスなんかに」
「あのウサギの正体も美人だったけど」
「ああ、勝るとも劣らずだ」
そう、ほぼ。ほぼ全員だ。
一人だけ机に突っ伏している黒髪の生徒がいる。
「おお、入ってきた」
「な、なにかごようですか? フォンタリウスさん」
「あ、お前。抜け駆けは反則だぞ」
「ごめんなさい。通してもらえるかしら」
次にアスラの許可なしに私に話しかけたら凍らせよう。
そんな意を込めて言うと、道は自然にできた。
教卓を通り過ぎ、階段を上り、机に突っ伏している少年の机の前まで来る。
ああ、いま1メートルしか離れてない。
息が荒くなるのがわかった。
落ち着かなければ。そう、いつも通り。
自然に。
「ん」
むくり。
少年、もといアスラが目を覚ました。
目を擦って、こちらを見上げる。
8年前と変わらない黒い黒い瞳。
シュッとした小顔。
僅かに吊り上っている、眠気の残る目。
そして不意に。
首元から青いペンダントがのぞいた。
それは魔石を無理やりペンダントに改造したもの。
なぜそんなに私が詳しいか。私があげたものだからだ。
私のペンダント、ずっとつけてくれていたのだ。
それを見た瞬間、私の頭は沸騰しそうなくらい熱くなって。
視界がぐるぐると回り。
何がなんだかわからないほど、嬉しさや幸福感が溢れてきた。まるで洪水のように。
私の中を満たした。
幸せで混乱するなど聞いたことがないが、私はまさに今その状態だ。
そうして私は自分でも信じられない言葉を口走っていた。
「あれ、お前。ミレディか?」
「久しぶりね、アスラ。ちなみに私、今日。安全日だから」
「へ?」
アスラは素っ頓狂な声をあげた。
クラスはにわかにざわつく。
自分が何を言ったのか、それに頭が追いついた頃には後の祭り。
そこへ急に。
がらっ
Dクラスの扉が勢いよく開かれた。
「アスラ! いるか!」
ウサギだ。正確には、ウサギの仮面をつけて対抗戦に出場し、優勝した人物。
とてつもなく強力な魔法を使う、少なくとも王級相当の魔法使い。
アスラと同じ無属性魔法使い。
そして先日、この都市、ウィラメッカスでアスラとの関係を囁かれた、騒ぎの張本人。
そして私は心の底から、こう思った。
なんなのかしら、あの女。
ウサギと私を見比べて、アスラは困り顔をしていた。
かわいい。
とも思った。




