第二十三話 nymph
「今日も会談ですか? お父様」
「ああ、そうだよ」
「また会談のお話聞かせてくださいね」
「ははは、ホントにネブリーナは政治の話が好きだね。いいだろう、それまではメイドの言うことを聞いて、良い子にしているんだよ」
「はい、お父様」
その男は国王である前に、一人の父親だった。
自分の娘に、お姫様、と言って国事に勤しむために出掛ける国王である父親。
一見、親子の微笑ましい光景だが、その父親は娘が静かに口を歪めたことには気付くはずもなかった。
それは純白の姫の皮を被った魔女の姿だった。
****
俺は久しぶりに夢を見た。
しかも、かなりリアリティのある、まるで俺が直に体験したかのような夢。
俺はそれがルースの記憶だと確信している。
きっとクシャトリアと契約したことにより、ネブリーナとして生きているルースの記憶が不定期に俺と共有されるのだ。
どうせなら淫夢が見たかったなどと心の中で小言を言いながら、俺は目を覚ます。
気を失う直前にクシャトリアの魔力提供があったこともあり、今の俺の魔力は満タンだ。
しばらく魔力を吸われても大丈夫だろう。
すぐそばでパチパチと木が燃える音が聞こえた。
俺は寝転がった状態でそっちに目を向けると、クシャトリアが骨が付いた何かの肉を火で焙っていた。
考えたくないが、その肉はおそらく大きな生き物の身体の一部。
その光景の奥では大量の肉が待機しており、剥がされたであろう鱗が散乱している。
俺はナンマイダと念じながら、起き上がる。
そこでようやく、俺の目覚めに気が付いたクシャトリアと目が合った。
「クシャトリア、それ、さっきのワイバーンか?」
「無論そうだが? 食べるか?」
洞窟は肉を焼く炎で照らされている。
その入口の方を見ると、真っ暗だった。
外部からの明かりは見受けられない。
どうやら俺は気を失ってから、そのまま夜まで眠っていたようだ。
夜まで何も食べてないせいか、肉から滴る肉汁が俺の食欲を誘う。
クシャトリアは精霊だ。
食事を必要としない。
ただ肉に火を通しているだけだ。
あぐらを掻いて、手に持っているのが骨付き肉じゃなかったら、炎に照らされるその姿は幻想的で美しかっただろうか。
「これ、もう焼けている分だ。お前のために取っておいた」
「あ、ありがとう」
ムシリ、ムシリ、と肉を素手で削ぐこの乱雑さがなかったら、きっと俺は揺れる光を浴びる彼女の美貌に賛辞を呈していただろう。
俺はもったいないな、と思いながらワイバーンの肉を口にする。
香ばしい肉が口の中に広がり、俺の舌が美味い、もっとよこせとはしゃぎ出した。
あのトカゲ料理からでは、かなりの進歩だ。
やれば出来るじゃないかクシャトリア。
しかしこの大量の肉、いや、ワイバーンと俺をここまで運ぶのには骨が折れたことだろう。
その上、気を失っていた俺に食事の準備までしてくれていたんだ。
この火だって、手作業で起こしたに違いない。
もしかして尽くすタイプ? という暢気な考えはさておき。
「身体強化を使ってここまで肉を運んだのか?」
「わかりきったことを聞くな」
そう言えば、こいつ質問されるのを嫌っていたな。
だけど俺は知らない事を満たすために、質問を続ける。
「身体強化って、俺にも出来るのか?」
「結論を言うとアスラには無理だ。希にお前のような珍らしい無属性魔法を使うヤツもいるが、適正魔法がない者のほとんどの無属性魔法は身体強化だ。身体強化は単に筋肉や骨に魔力を強化するというだけだから適正魔法を持つ者にも使える。それ程珍らしい魔法でもない。しかし身体強化以外の無属性魔法で使える魔法の枠を埋めてしまっているお前には、それすら出来ない。可哀想にな」
今度は予想外に快く、そして俺を哀れむように答えてくれたクシャトリア。
適正魔法を持たない者が得られる無属性の魔法は一つだけだと聞いている。
俺の場合は磁力を操る力のみってわけだ。
適正魔法を持たない者が本来一つだけ得られる無属性魔法の枠を、身体強化ではなく磁場操作で埋めてしまった俺は身体強化すらできなくて可哀想と、こいつは言っているのだ。
無属性魔法使いには、使える魔法が一つだけ、という枷がある。
適正魔法があるヤツは他の属性魔法使えるのにな。おかしいよな。
だけど、別に哀れに思われたって、全然気になんかしてないんだからっ
磁場作れるからいいもんね。
もしクシャトリアが提供してくれる大量の魔力で身体強化できれば、かなり羨ましい力だな、とか思ってないし。勘違いしないでよね。
しかし、身体強化なら、剣士にとっては大きな力になるだろう。
何しろ身体の動作が戦いに関わってくるのだ。
レオナルドやジュリアもそういった考えなのかも知れない。
「でもクシャトリアは自分も含めて人に身体強化の力を付与できるんだろ?」
「ああ、できる」
なら俺にも希望の光が射すってもんだ。
しかし、その光はクシャトリアの一言で遮られてしまう。
「だが、今のお前には身体強化はしない」
「何でだよ」
俺は、これは差別だ、と根拠のないことを思った。
俺は少しムッとした、若干険しめな顔をしていたかもしれない。
「お前は私の提供する魔力を使いこなせてなかったじゃないか。身体強化の魔法を駆使する余裕もないだろう。そんな内から私に身体強化を付与してくれだなんて、厚かましいな」
艶のある声は俺の耳に心地よく広がるが、それは俺に無力の二文字を突きつけてきた。
ちっくしょう。可愛い声してるくせに、割とドギツイこと言ってくれるじゃないか。
「それはお前が俺にくれる魔力の量が多すぎるからだろうが。調整ぐらいしてくれ」
「さすがはお子様の貧困な発想だな。私が提供する魔力はお前から吸う魔力が多ければ多い程に高まる。そんなこともわからないで何が契約だ」
こんの女ぁ・・・・・・。
言わせておけば。
「元はと言えばお前が問答無用に、俺の同意なしで勝手に契約させたんだろうが。忘れたのか? その若さでもう痴呆か? オムツの替えはちゃんと用意してあるか?」
「何だと子供の分際で。それに私は貴様よりよっぽど長生きだ。精霊の寿命を舐めるな」
何だとコイツ、外見と年齢が合致していないだと?
詐欺にも程がある。
年齢不詳で勝手に契約させておいて魔力を大量に取り上げるとか詐欺すぎる。
いやまあ、でも詐欺だ詐欺だと言っても、ちゃんと提供してくれた魔力には量があった。
ありすぎるぐらいに。
しかしそれも俺から普段吸う魔力の量に関わってくるんだから、それは俺にどうすることも出来ない。
さらにそれはクシャトリアが制御できるものではないのだと言ってきた。
オンとオフの両極端な切り替えしか出来ない。
そんな感じだろうか。
少し頭を冷やした俺は、落ち着いてこれからの手立てを練る。
「まあいいさ。お前から俺に注がれる魔力の調整はどうすればいいんだ? やはり俺の魔力の上限を突破しないようにお前の魔力を使うしかないのか?」
「そういうことになるな。ただ、私がお前から一度にもらう魔力量は今で限界だ。つまりこれ以上お前に魔力を提供するペースが早まることはない。それなら・・・・・・」
「それなら俺が魔力の上限を上げるしかないのか」
「そういうことだ」
俺の魔力の上限が上がればいいんだ。クシャトリアが提供する魔力の量で俺の意識が飛ぶことはない。
クシャトリアが俺から魔力を吸うペースは今が限界なのだから、それはつまり俺に一度に提供する魔力の量もこれ以上増えることはないということだ。
それならば、俺自身が持つ魔力を内包できる量を増やせさえすれば、一度に多くの魔力を渡されても、そうそうすぐに上限を迎えて気を失うことはなくなるというワケだ。
今度は下限に加えて、上限にも注意を払わないといけない。
それは先の長い話だが、それは強くなるための、そしてその理由を見つけることに繋がる。
強くなる理由なんて後付けでいい。
強くなる前から理由を探っていては道を見失う。
今はまず、強くなることを目指すと決めたんだ。
少なくとも、王都で戦ったシェフォードに勝てるぐらいには。
ワイバーンを倒せたのだから、もしかしたら今の俺ではシェフォードなんて目じゃないかも知れない。
ギルドランクAのワイバーンを瞬殺したんだ。
十分ありうる話だ。
でもそれはクシャトリアがいたからだ。
彼女の力があってこその成果だ。
ここで調子付くのはお門違いというものだろう。
とりあえずは魔力を増やさないと。
でもクシャトリアに魔力を吸われながらでは難しい。
彼女に魔力を吸われ続けて、魔力が尽きる寸前、つまり記憶に手を出される前に、寝てしまうという手段もなくはないが、ミスした時の事を考えるとリスクが高い。
それなら魔力の超回復も望めるのだが・・・・・・。
何とかならないものか。
「何を見ている。早く食べないと冷めてしまうぞ」
俺は考え事をしていると、無意識の内にクシャトリアをまじまじと観察していた。
目の前の壁を乗り越えるのに、何か良い方法はないものか、と。
でも即座に良いアイディアが浮かんでくることもなく。
やっぱりこの魔力が尽きる寸前まで吸い取ってもらって、超回復の効果がでるくらいまで魔力が減ったら、寝る。
今のところはこの手しかなさそうだ。
何て扱いづらい精霊なんだ。
溜息を吐きたい衝動を、肉を口に放り込むことによって抑えるのだった。
******
翌朝。
おはよー!
いい朝だー!
今日は朝から昨日の肉が、油が、胃の中でぐったりしている。
めっちゃ胃がムカムカする。
それでも、洞窟生活を続けるには食料を手に入れに、外に出ないといけない。
できれば今日は肉以外が望ましい。
魚とか。
山菜とか。
もうこの際、土とか食ってクシャトリアを驚かせて一泡吹かせるのもいいかもしれない。
と言うのは冗談だが。
そのクシャトリアはというと。
暢気に寝息を立てていらっしゃる。
あの上から目線の態度と口調がなかったら、多分今この瞬間に俺はクシャトリアに襲いかかっているかも知れない。
それくらいに寝ている姿は、例え黒装束でも、可愛らしさがある。
それに、ただでさえ10年間のお預けをくらっているのだ。
まあ身体が幼いだけに、前世ほどの性欲は湧いてこないが。
「まったく、勿体無い」
俺はひとりごちて、朝食を探しに行く。
昨日は俺が意識を失っている間に色々としてくれたのだ。
今日はクシャトリアが起きる前に朝食を用意して、驚かせてやろう。
精霊は食事は必要ないが、食べてはいけないという決まりもない。
一緒に食べて、少しでもお互いを理解し合える時間にできればいいと思う。
俺達は契約しているのだ。
コミニケーションは良く取れている方だとは思うが、昨日はちょっと喧嘩みたいになってしまったこともあり、今日はそのお詫びに労ろうと躍起になっている自分がいたことに、まだ俺は気付いていなかった。
そうだ。
昨日は若干後味が悪かった。
クシャトリアは口が悪い。
だけど契約者たる自分は、それを受け止めなくちゃいけないのだと、俺は思うのだ。
昨日のように売り言葉に買い言葉になるようではいけない。
それは俺に必要な度量だと思うからだ。
ただでさえ、ワイバーンと戦って気を失った俺を洞窟まで運んで、食事だって準備してくれたのだ。
彼女からすれば、礼を言われる覚えはあっても、憎まれ口を叩かれる筋合いはないだろう。
こんな些細なことで悩む俺は少し神経質なのかも知れない。
クシャトリアはこんなこと気にも止めておらず、朝になるとサッパリ忘れているかも知れない。
でも、そういう土壌ができてこそ、初めて彼女と向き合える、そんな気がしていた。
これが躍起になる、ということだろう。
何故かって?
それはすぐにわかる。
俺はワイバーンと遭遇した森を歩いていると、川の水が流れる音が聞こえた。
しめた、と思い駆け出す。
やはりそこには川があり、木々の影に包まれながらも、木の葉の間を抜けて降り注ぐ日光が水面に反射して綺麗に光っている。
そして綺麗な川には魚がいるもので、ふよふよと気持ちよさそうに泳いでいる。
気持ちよく泳いでいるところ悪いのだが、俺は持ってきた鎖鎌で4匹仕留めた。
磁場を駆使して、一瞬で着水した鎖鎌は魚に鎌を突き刺した。
次は野菜として食べられそうなものを探すことにしたのだが、俺はこの世界の植物にはあまり明るくない。
そういう分野に精通した本を読んだわけでもなく、屋敷の書庫では魔法に関する本ばかり読んでいた事が、ここにきて裏目に出た。
そう思えば、さっき獲った魚も食べられるのかわからない。
魚に関する知識もロクに持ち合わせていないのだ。
だが俺は、クシャトリアが目を覚ます前に食材を持って帰りたかった。
その躍起になった考えは、焦りを生み、焦りは間違いを生む。
そしてその間違いは俺の脳に、判断を下したのだ・・・・・・。
俺は森には木々が生い茂っているけど、食用になりそうな草や木の実などが一つもないことに、今更気付いた。
木の実もないって、そりゃ食べ物がなければ、ここで生息する生き物に全然出くわさないワケだ。
ワイバーンだって、たまたまこの森に降り立っただけかも知れない。
小鳥の鳴き声は聞こえるが、それ以外は生物の気配すらない。
いっそ小鳥でも食うか。
と、その時、俺はきのこを見つけた。
その見た目はかなり、椎茸に似ていた。
と言うか、椎茸だと思う。まんま椎茸だ。
こちらの世界に来てからというもの、椎茸は食べたことも見たこともなかったが、確かにそこでは椎茸が自生していた。
これを魚と和えたら、多分美味い。
調味料は乏しいけど、塩さえあれば何とかなるはず。
醤油と味醂があれば尚の事、良いんだけど、この際贅沢は言うまい。
俺はさっそく椎茸を採って、洞窟に戻った。
食材は手に入るわ、辺りの散策になるわで一石二鳥。
得した気分だ。
更に洞窟に戻ってみると、クシャトリアはまだ寝ている。
早起きは三文の得というのは本当だったんだな。
昨日クシャトリアが使って火を起こしたであろう、焦げた小さな木片を見つけた。
俺はそれを再利用して火を起こす。
そして昨日食べた肉に付いていた骨を、魚や椎茸に突き刺し、火で焙る。
魚本体はすぐに火が通ったようで、少しずつ茶色くなってきた。
椎茸はバーベキューの時のような具合に焼き上がり、美味しような匂いがする。
そしてその匂いで目を覚ましたかのようなタイミングでクシャトリアが目を覚ました。
「おはよう。さっそくだが飯にしよう」
「んんんう」
どうやらまだ寝ぼけているようで、いつもとは違う子供っぽい、目を擦る仕草が微笑ましい。
ペタペタと素足で地面を鳴らしながら歩いて、洞窟を出て行く。
洞窟を出てすぐのところで、伸びをしているクシャとリアが見える。
相変わらず綺麗な黒髪。
この洞窟という環境で、よくあの光沢を保っていられるものだ。
「なんだ。今日は昨日にも増して、やけに早いな」
「ああ。昨日のお返しに飯をご馳走しようと思って」
「別にお返しなどはいらない。それに精霊である私には食事は必要ない」
「まあまあ。でも食べちゃいけないってこともないんだろ。昨日だって肉食べてたじゃないか」
「あれはワイバーンが魔力を持っていたからだ。あいつが火を吹くのは魔力がある証。魔力が宿った肉を食べればある程度の魔力が手に入る」
俺は戦慄を禁じえない。
どれだけ魔力大好きなんだよ。
と思ったけど、実際は違った。
「肉から魔力を得ている間は、お前の魔力は吸っていない。お前は魔力の枯渇を極端に嫌っているみたいだからな」
本当に秘密なんだが、俺は少しウルッときた。
こいつは、無断で魔力貪り女ではない。
ちゃんと考えて、他人を思いやれるのだ。
ほら、たまにいるだろ。
言葉は悪くて、態度もデカくて偉そうだが、実は優しい良い奴だっていうアレ。
「そっか。ありがとな」
俺はクシャトリアに舐められないように、威厳たっぷりで努めて表には出さないようにしていたが、内心感激していた。
礼を言ってから、俺は良い塩梅に焼けた魚と椎茸を差し出す。
「今は俺の魔力吸ってもいいから、これ食え。なるべく美味しそうにな」
「ふん。素直じゃないやつ」
憎まれ口を叩きつつも、俺の手からワイバーンの骨に刺さった魚と椎茸をひったくる。
俺はこいつと契約して、初めてお互いが理解し始めることができる、スタートラインに立った気がする。
この精霊はとんでもない量の魔力を取り上げるが、いざって時にはとんでもなく強い力を授けてくれる。
そして契約者が気を失った時には、洞窟まで運び、食事も用意してくれる。
そんな精霊と契約できたことが、この先プラスになるのかマイナスになるのか、現時点ではわからないが、俺は少なくともこのクシャトリアというヤツが良いヤツだと思っている。
俺は情にほだされやすいタイプかも知れないな。
そんな間にも、魚と椎茸に貪り付くクシャトリア。
もう少し綺麗に食べれんかね。
せっかくの綺麗な顔が魚の油や旨味成分で汚れてしまっている。
この乱雑さがなかったら絶対俺の心臓はズッキンドッキン来てるね。
ちょっと言い回しが古いか・・・ってこんなこと前にもあったような―――――――
ガバッ
「え、ちょ、お前。急にどうした」
「抱きついている」
「いや、それはわかるが、なんで?」
10歳の子供の身体に見た目は十代後半ぐらいのクシャトリアが抱きつくと、どちらかと言えば、俺が受身になって抱きつかされているような身長差だ。
こうなってみると結構身長差があるんだな。
黒装束の胸に顔が埋もれる。
このダボダボのサイズの黒装束で着痩せしていたようだが、割と胸はある。
土の上でさっきまで寝ていたというのに、何故こんなにも良い香りがするんだ。
何て暢気なことを考えている間も、ずっとこの体勢。
「なんでって。大好きだからだ」
俺はその意味不明な言葉の羅列を口の中で飴玉を転がすように反芻する。
・・・・・・いや、だから。なんで?




