第十八話 ルースの終焉
途中の文章に修正を加えました。
H26.07.05
R07.01.04
「行かせないよ、ウサギぃ! ファイヤーボール!」
ガノシュタインは俺が逃げると見かねたのか、走る俺の背後からファイヤーボールを放ってきた。
俺は進行方向と逆方向に鎌を飛ばす。
磁場で加速した鎌はファイヤーボールに衝突し、双方の勢いを相殺する。
ガノシュタインには、最早先ほどの本屋店員のような大らかさは皆無で、代わりに狂気に満ちた笑顔が貼り付いている。
瞳孔が開いていて、ちょっと怖い。
追いついては来ないだろうが、何のために、ポーチに仕込んである手の平サイズの太い鉄針を五つ飛ばす。
その五つの鉄針をガノシュタインに打ち込み、その身体に五つの風穴を開ける。
もちろんフィールド上なので精神ダメージにしかならないが、痛みは本物だ。
「がああああッ!! 貴様あぁぁ!!」
後ろからガノシュタインの苦悶の声が聞こえてくるが、大丈夫だ。問題ない。
俺はウサギなだけに、脱兎のごとくフィールドを駆け抜け、観客席のルースの元へ向かう。
「待てぇ!! ウサギぃぃぃ!!」
誰が待つか。
自国の姫と自分の命が危険に晒されている状況に、右往左往して逃げ惑う観客達。
いくら敬愛している姫とは言え、みんな我が身可愛さに、保身に走る。
結局は他人。
姫の命と自分の命。
天秤にかけるまでもないのだ。
それどころか強者揃いの決勝トーナメント出場選手でさえいなくなる始末。
現に俺は解放軍の忠告を無視している。
だが姫の首は落ちていない。単なる脅しだ。
しかし、されど脅し。
脅しだけでこの有様だ。解放軍がどれほどの脅威なのか、国民がどれほど恐れているのか、伺える。
狂乱と絶望の声の中でもしっかりと俺の耳まで届くガノシュタインの奇声。
その全てが俺の足の回転を速めて、気持ちを急かしてくる。
俺は焦っているのだと自覚しながらも、無我夢中に走る。
そしてガノシュタインを完全に振り切ったという頃。
「あっ」
「ッ!」
観客席を逃げる観客とは逆方向に駆けていると、一人だけ誰かを待っているように律儀にも席に座っている女がいた。
ルースだ。
みんなが逃げ惑っているのに、律儀なやつだな。
だがそのお陰でルースはすぐ見つかった。
まあこの際なんでもいい。
「来い、ルース!」
「え、なんで私の名前……」
「いいから来い!」
俺は仮面を付けたままの状態で意図的に話したのは初めてだ。
レオナルドには内緒な。
「ダメです! 私ある人を待ってますからっ!」
ああ、もう、ウザったい。
俺は手早く仮面を外して、ルースの手を引く。
そして再び仮面を付ける。
「俺だ! 声でわかれ!」
「あ、アスラ!? ウサギの正体はあなっ……むぐむぐ……」
俺はルースの口を手で塞ぐ。正体がばれるところだ。
仮面を一瞬外した時も結構焦ったのに、名前まで出されると決定打になりかねない。
まあ観客みんなが混乱している状況だから大丈夫だとは思うが、心臓に悪い。
「今は黙って走れ!」
「は、はいっ」
全く、コイツに危機感という概念はないのか。
俺は苛立ち気味にルースの手を引きながら、ひた走る。
*****
「はあ、はあ、ここまで来れば大丈夫だろ」
「ここはどなたの家ですか?」
「俺のだよ」
俺は第一会場を抜け出し、居住区の家に飛び込んだ。
もちろん俺の家だ。
ここまでの間、レオナルドやジュリア、ミレディには会わなかった。
もう逃げているのだろうか。
俺はそれを切に願うばかりだった。
ここに辿り着くまで、王都の街の状況をある程度把握した。
おそらくこのままだと、この王都は壊滅するだろう。
行く道の先々で逃げる街の人間の死体が転がっていた。
女、子供関係なくにだ。
子供を守ろうと、身体を呈して子供に覆いかぶさったまま、剣で子供ごと串刺しにされた親子の死体。
小間切れになって、どの手足がどの胴体のものなのか判断がつかない死体。
かなりむごたらしかった。
民家や出店、さらには城にも火が放たれて、空を黒煙と火の粉が覆っている。
木材や人が焼ける匂いが身体から臭う。
居住区建物の焼き状況から見て、この家に燃え移るのも時間の問題だろう。
そしてその非道な行為に手を染める解放軍の連中。
俺はその手の輩を道すがらに無力化するも、数が多すぎる。
姫の首は脅しだったかも知れないが、こと関係のない国民に関しては、容赦がなかった。
俺は必要な物だけを持って、この王都からの脱出を試みる。
必要な物を取りに来るあたり、火災とかで俺みたいな人間が真っ先に死ぬんだろうなと思う。
だが、そうまでしても手放せない物があった。
ヴィカに貰った金貨袋もそうだが、もっと大事なものだ。
それは、ルースの木箱だった。
これは今後、俺がどう生きていくかの指針になる。
いや、現時点では指針になってくれるかどうかすらわからないが、今はそれだけが頼りだ。
それにすがるしかない。
俺は二階の自室にある、ベッドの下のエロ本よろしく木箱を取り出す。
よかった。
まだ無事だったようだ。
もう火の手はすぐ隣の家にまで迫って来ている。
「その箱は何ですか? この模様……どこかで……」
何を隠そう、これはルースが俺に手渡した木箱だ。
俺に渡した本人が記憶を無くして忘れてしまっている。
と、その時だった。
木箱に描かれた唐草模様の魔法陣が赤く怪しげに発光する。
「な、んだ……?」
レオナルドがどれだけ剣を振りかざし、突き立てても、何の反応も示さなかった木箱が変化を見せた。
「ルース、この木箱のこと覚えてるか?」
「いいえ、でも何だか懐かしいような……」
ルースはそう言って、おもむろに木箱の魔法陣に手を触れる。
すると、赤く光っていた唐草模様はさっきと転じて、青い発光をし始める。
それも今までよりずっと激しく、目を開けていられないような眩しい閃光だ。
俺は反射的に目をしかめる。
そしてその発光は一瞬で消え失せ、代わりに唐草模様は、パリンと弾ける。
バラバラになった唐草模様は、かつての光を彷彿とさせるような輝きはない。
本当の枯葉のように、ひらひらと舞いながらゆっくり床の上に落ちる。
そして今までの堅い木箱の蓋が嘘のように、あっけなく開いた。
中にあったのは、無色透明のガラス球だった。
材質はガラスかどうか分からないのだが、重さや質感、手触りがガラスのそれに近い。
俺が五歳の時の適正魔法の儀式に用いられたガラス球に似ている。
「なんだこれは……」
俺には全く意味が分からない。
何故急に魔法陣が光って、その魔法が解けたのか。
そして、この球体は何なのか。
すると、ルースが。
まるで水を得た魚のように、いや、答えを得て、今まで引っ掛かっていた問題や謎が一瞬で解けたような、清々しい声を挙げた。
さっきまでのオドオドした声ではなく、はっきりと耳に届く優雅な声。
「よくやったわアスラ。 あなたを産んで正解ね。それにしてもあの精霊……どれだけ私の記憶を吸えば気が済むのかしら」
「は……?」
******
「この球体はね、アスラ。私と精霊を結んでいる、いわば契約の媒体よ」
「はあ……」
この急展開に付いて来れてないのは、果たして俺だけだろうか。
ルースの言葉、一言一句余すところなく理解できない。
「まあ混乱するのも無理はないわね。でも今はここでのんびり話してる場合じゃないわ。一端ここを出ましょう」
「ああ」
俺はワケがわからないまま、さっきのガラス球だけ持って家を出る
火の手から遠ざかる方へ逃げた。
魔法を使ってさっきの会場のように猛スピードで走ってもいいのだが、ルースが付いて来られない。
何より、今日の立て続けの試合で魔力も残り少ない。
この先何があるのか分からない以上、無駄な消費は避けたい。
それにしてもルースのことが気掛かりだ。
急に変わった別人のような口調。
俺が屋敷で話した時のルースに戻っている。
おそらくコイツ、記憶が戻っている。
あの木箱に変化が起こってからだ。
あの魔法陣が解けて、木箱の蓋が開いてからだから、その過程のどこかでルースの記憶に関わる何かがある。
しかしあの唐草模様の魔法陣はあくまで木箱の蓋のロックに過ぎない。
ではあのガラス球が何なのか、それが問題だった。
「あなたまだその仮面を付けてるつもり?」
「ああ。正体を隠すためだ」
「ふうん。まあいいけど」
今は周囲に警戒し、物陰に隠れながら王都の出口に向かっている。
建物を燃やす炎でルースの服は煤だらけになっている。
それでも、外行き用の服を着ているとは思えないような素早い動きを見せるルース。
目の前の白いワンピースの美人がやたらと頼りがいのある人間に見えた。
「木箱の中身、あの球体は何なんだ。答えろ」
「ふふっ、随分と品のない口調ね。またゼフツに叱られるわよ?」
「今はあんなヤツどうでもいい。俺の質問に答えろ」
俺はルースを威圧するように、辛辣な態度をとる。
ルースはそれを軽く鼻で笑い、答えてくれた。
どこまで俺を馬鹿にしているんだ、コイツは。
「いいわ。答えてあげる」
「……」
「私はある精霊と契約しているの。精霊の名前はクシャトリア」
は?
精霊?
今までそんなこと言ってなかったじゃねえか。
でもそれも仕方のないことか。
ルースと俺は全く親子らしい生活を送っていなかったのだから。
屋敷を出る直前に会話を生まれて初めて交わした。
再会したと思ったら記憶がない。
「精霊は契約すれば有事の時に魔力の提供をしてくれるわ。でもそれ以外の時は精霊に魔力を私達人間が提供しなくちゃならないの」
「それが木箱の中身と何の関係があるんだよ」
俺が話を急かすが、ルースはそれを無視する。
「でもクシャトリアはとんだぼったくりでね。私が吸い取られる魔力が規格外に多いのよ」
「へえ。で、お前の魔力はその精霊に差し出して余りある量はなかったと。そういうことか?」
「ええ、その通り。と言うか、足りなかったの。それで私が提供する魔力の足りない分、上乗せで差し出したものがあるの。ここまで言えばわかるでしょう」
「ああ、その上乗せ分がお前の記憶だったってわけだな」
「飲み込みが良いのね。まあ問題はそれだけではないのだけど、ほぼ正解よ」
だがそれでは矛盾する。
何故記憶が戻ったかという答えになっていない。
「待て。じゃあ何でお前の記憶が元に――――――」
「しっ 誰か来るわ」
俺が浮かび上がった疑問を口にしようとすると、ルースに遮られた。
俺とルースは建物の物陰に身を潜めながら、そのルースの言う『誰か』の様子を伺う。
姿勢を低くして、建物の瓦礫と瓦礫の小さな隙間から覗き見る。
そこには全身黒の鎧を纏った人影が五つあった。
そのうちの三人は杖を持っていて、二人は剣を持っている。
ギルドで言うと、近距離と遠距離のどちらの戦闘にも対応出来るバランスの良いパーティと言える。
ここの他に道はなく、一本道だ。
後ろには火の手が迫っているから早くこの道を抜けたいところだ。
「何だあいつら」
俺達は囁き合うように、小さな声で話す。
「解放軍よ」
「なんだと!? 何故そんなことがわかる!?」
「ちょっと前にスカウトを受けたのよ。もちろん断ったけど」
「ちょっと待て、解放軍解放軍って、解放軍って結局は何だ?」
「それはここを切り抜けてから話しましょう。あの黒の鎧、おそらく解放軍の幹部とその直属の部下よ」
幹部の集まり。
ならば何か重大な情報を持っているはずだ。
しばらく聞き耳を立てて、様子を伺う。
かすかにだが、その話し声が聞こえて来た。
『おい、ガノシュタイン。例のウサギの仮面の捕縛はどうなった?』
『申し訳ありません。取り逃がしました』
『ふん、何をしておるのだ。貴様は自分の無能を私達に知らしめるためにここにいるのか』
一人はガノシュタインという名前だ。
俺の決勝トーナメント第一回戦の相手。
試合で俺と戦い、観客を盛り上げ、警備が手薄になっている間にクーデターを手引きした男。
『まあまあ、相手はあのウサギだ』
『そうよ。あの子、私たちより強いんだもの』
ん? あの声。
いや、まだ確証があるわけでもない。
声の記憶なんて曖昧だ。
しかもこの距離で耳をそばだてて、やっと聞こえるかすかな声だ。
でもその五年以上共に過ごした声の記憶は正確だった。
俺の外れて欲しいと切に願った希望は残酷にも打ち砕かれる。
今の男女の声の主は頭の鎧を取って、一人は金髪を、一人は黒髪に浅黒い肌を露わにした。
『あのウサギと一番長く過ごしたレオナルドとジュリアが言うのだ。確からしいな』
「ッツ!!」
「どうしたの、アスラ?」
「ッ……何でもない」
レオナルドとジュリアが解放軍の鎧を着て、その幹部と話している。
これ程に今の状況を最悪だと物語ることはできるだろうか。
そう、最悪だ。
今まで俺がお世話になってたレオナルドとジュリアがテロリストだと?
冗談にも程がある。
俺の中で様々な感情が渦を巻く。
俺は努めてその事実から目を背けたが、それがどうしようもない真実なのだと思い知らされる。
「あの二人、知り合いなの?」
「ああ」
「ふうん、そう。残念ね」
「ああ」
下手に心配して、同情されるよりかは幾分かマシだ。
他人事だと割り切ってもらえた方が俺も楽だ。
『だからウサギの正体も分かっているんだよね、レオナルド?』
『ああ、その通りだガノシュタイン。あいつは十歳の子供だ。ガキのくせに恐ろしく頭がきれる。でもそれはあんたが一番よく知ってんだろ? ゼフツさん』
!?
どういうことだ!?
今しがたガノシュタインの俺を取り逃がしたという報告に不満をこぼしていた鎧な男だ。
ゼフツ、と確かにそう呼ばれた男は、頭の鎧を取り、レオナルドの方を振り返る。
白髪の混じった四十代の男。
その見下したような目は他を拒絶していて、屋敷での五年間俺に向けられた目だ。
『いいや。私はあの子供とは余り関わっていない。ここまで力を伸ばすとは思っていなかった。それに私には長男のノクトアがいる。あいつは優秀だ。もう解放軍への入隊も志願済みでもある』
あの野郎。
ゼフツも解放軍の人間だったようだ。
もう疑いようもない。
ゼフツとレオナルド達はグルだ。
俺はまんまと踊らされていたのだ。
この精霊祭でこのクーデターを引き起こすための材料として。
それにノクトアの解放軍への参加。
あのゼフツに憧れていたノクトアなら言い出しそうなことだ。
バカ親子め。
こんなの家庭崩壊になりかねないぞ。
まさかミレディまでけしかけてるんじゃないだろうな。
『実の息子の名前も呼ばないなんて、冷たいですねえ』
『そうよ。もし今聞かれてたりすればどうするの? 例えば、あの瓦礫の影とかで。いるんでしょ? アスラ。出てきたら?』
「ここまでのようね」
ルースが諦めたような声で情けないことを言う。
「どうするんだよ。これから」
「あなたは逃げなさい。少なくとも今のあなたで勝てる連中じゃないわ。私が時間を稼ぐ」
そう言ってルースはすぐに立ち上がり、瓦礫の影から出て姿を晒す。
「ここにいるのは私だけよ」
「お前……! 何故ここに……」
ゼフツが苛立たし気に腹の底をうならせるような声を上げる。
それに反応するレオナルドとジュリア。
「え、ゼフツさんの奥さん? うひょー、凄い美人だなあ」
「へえ。あなたが『絶対領域の魔女』さん?」
絶対領域の魔女?
過去に何をやらかしたんだコイツは。
そんな疑問も吹っ飛ぶようなドギツイ声でうなるゼフツ。
「そこにアスラもいるだろう」
「いいえ。私だけよ」
ルースは即答した。
後がないと言いたげな顔をしている。
まるで俺をかばうように、俺の前に立つ。
何だお前。
ここにきてヒーローアピールはよせ。
今までドジっ子記憶なしキャラを確立しかけてたヤツが何言ってんだ。
記憶が戻った途端に格好をつけるな。
お前だけにおいしい場面を持って行かれてたまるか。
しかし、ルースが俺をかばっている?
その疑問を頭の奥底にしまい込むために、俺は強がって、自分を奮い立たせた。
俺はウサギの仮面を付け直し、立ち上がる。
もう躊躇なく立ち上がった。
「あ、アスラ! 私の仮面付けていてくれたのねっ! 嬉しいわっ」
今の状況にそぐわないジュリアの能天気な明るい声。
そのギャップが、余計に俺にプレッシャーをかける。
何でこの状況でそんな声が出せるんだよ。
俺はそれに悪寒を感じる。
ルースが、逃げろと言ったでしょ、とでも言いたそうな顔で俺を睨みつけてくる。
だが俺はもう後には退けない。
突き進むのみだ。
「俺を騙していましたね?」
俺は努めて淡々とした口調を心がけるが、頭の中は何を考え、何を悔やめばいいのか、他にも色んな感情がゴチャ混ぜになって、上手く思考が出来ない。
俺は悔しいのかも知れない。
レオナルドとジュリアに裏切られていたことが。
「いいや、違う。後で言うつもりだった」
レオナルドが焦った声で俺に返す。
その焦り具合から見て、それが真実なのか、その場凌ぎの嘘なのか、俺には推し量ることは出来ない。
「よくもまあ、ぬけぬけと」
「本当だ。信じてくれ。その証拠に、俺は本気でお前を強くしようと思った。勘当されたって聞いた時も、本当に何かしてやれないかって思った。だから嘘偽りなく、お前に剣術を教えたんだろうが」
お前が教えたのは鎖鎌の使い方ではなくて、俺に剣を打ち込んで教えた現実の不条理さだろうが。
今の鎖鎌の扱いを確立させたのは、ほぼ俺じゃねえか。
これは怒りだ。
何でお前みたいな良いヤツが解放軍なんかにいるんだよ。
後悔と怒りが溢れる。
「もしそれが本当だとして、それで俺に何をして欲しかったんですか」
俺はもう何に対して怒っていいのか分からん。
でもただ言えるのは、俺にとってレオナルドは間違った道を進んでいるということ。
今まで世話になった恩人が、なんでこんなテロリストなんだよ。
本当に、あんたは俺に現実の不条理しか教えてくれないよな。
「お前を解放軍の一員として迎えたかった」
その一言に、腹が立った。
この男にも、自分にも。
こんなことなら見限られていたままで良かったんだ。
この出来損ないがって言ってもらった方がまだマシだったかも知れない。
「その答えは聞かなくてもわかるでしょう」
「ああ。でもさ、お前の力があれば、本気で世界を変えられそうな気がしたんだ」
「世界を変える? 参考までに教えてくれませんかね」
俺は投げやりに、相手を馬鹿にするような声音で尋ねた。
自分でも分かる程、俺の言葉には刺がある。
平静を保てない。
レオナルドは若干、渋るような素振りを見せた後、ツラツラと答えた。
「いいぜ。まず初めに、この世界は間違っている。そう思った。終わることのない身分の差別や争い。ラトヴィス国王はまた近隣の国と戦争を起こそうとしている。戦争は金になるからな。でもそんなことをして潤うのは一部の上級貴族と皇族だけだ。国民はそいつらに食い潰されていく。だから、俺たちはそうさせないために、自由と平等を掲げて戦っているんだ」
レオナルドは自分たち解放軍の掲げた事に何の疑いもなく、自信と誇りを持っている。
それは立派なことだが、所詮その自由と平等とやらは啓示学上の机上の空論だ。
やってる内容は結局は争いだ。
国王と変わらない。
何が平等だ。お前のやってることはゼフツと何も変わらない。
「詭弁ですね。結局はその自由も平等も争いの上に成り立ってる」
「だからそれはっ……」
レオナルドは俺の言葉に押し黙ってしまう。
俺はこんな結末は望んでいなかった。
嫌だ。
そうだ。
嫌なんだ。この状況が。
子供のように嫌だ、としか言えない。
例え身体は子供でも、中身は三十年以上生きている。
そんな精神年齢をしていても、この状況を呪って、嫌だを言うことしか出来ない。
なんて情けないんだ、俺は。
そこで、ゼフツが割り込む。
「もういい。レオナルド。こいつにいくら言ったところで私達の崇高な目的は理解出来ない。ここは頼んだ、シェフォード」
「了解」
ゼフツはガノシュタイン、レオナルド、ジュリアを連れてその場を去る。
レオナルドとジュリアと目が合ったが、ふと逸らされてしまった。
そして五人のうち、最後まで口を開かずに残り、シェフォードと呼ばれた男が杖を構える。
全身黒の鎧で覆われていて、その素顔は分からない。
だが、その身体から漂う魔力の量が半端じゃなく多い。
周囲の景色を蜃気楼のように歪ませる程、密度の高い莫大な魔力が放出されている。
「アスラ、よくやったわ。でも後は私に任せて逃げなさい」
「乗りかかった船だ。俺も戦う」
「それは許さないわ。相手は国家級魔法使いよ。今のあなたが敵う相手ではないわ」
相手は国家級魔法使い。
俺にそんな明確な称号はない。
つまり俺の強さにも、そんな指標になるような記号が付けられているワケではない。
自分と相手の力の比較が出来ない。
そこを見誤れば、一巻の終わりに繋がるかも知れないのだ。
ルースは戦闘経験豊富然りといったような顔で俺をたしなめる。
おそらくその経験からくる忠告だろう。
「あの絶対領域の魔女と戦えるなんて、光栄の極み。闇の精霊よ、我に力を。ナイトメア・サーカス!!」
俺達には話す暇も与えないということか。
シェフォードが呪文を唱えた直後。
この周囲一帯が真っ暗な闇に包まれる。
まるで濃い黒い霧がかかったような空間。
それは建物を燃やす炎の光も一切遮断していた。
「落ち着いて、アスラ」
と、おもむろにルースが手を前に掲げた瞬間、一気に黒い霧が晴れた。
まるで煙に突風が吹き込んで、どこかえ飛ばされるように拡散した。
「私もあなたと同じ無属性魔法使いよ。能力は私の周囲のいかなる魔法も無力化すること」
何故この力を持っていながら夫と共に解放軍に入っていないのか。
俺にはわからない。
それに精霊に魔力を吸い取られていると聞いたんだが。
何故魔法を使える?
俺の混乱が晴れることはない。
「ほお、ゼフツ様に聞いた通り、素晴らしい魔法です。このまま殺すのには惜しい人材。しかし、これでどうでしょう?」
今度は杖を捨てて、剣を構えるシェフォード。
まさか、接近戦?
ならばここは俺の分野の範疇だろう。
そう思い、俺が鎖鎌を構えようとした時。
手が、と言うか、体が動かない。
まるで金縛りにでもあっているかのようだ。
「クックックックっ……ウサギ、君は杖がないと魔法使いは戦えないと思っていましたか? それに無詠唱でも魔法は発動出来るんですよ」
これは剣を構えて接近戦に見せ掛けるフェイクだ。
まんまとかかってしまった。
いや、でもこちらにはルースの魔法の無力化の力がある。
何故あいつは魔法が使えるんだ?
これでは俺がルースの魔法の範囲内だからという理由で魔法を使った応戦しなかった意味がなくなる。
ふとルースの方を流し見ると。
ルースは激しく、辛そうに呼吸をしていた。
まるで呼吸苦を訴えているかのような状態。
「なんでだよ……」
何でこんなにも早く魔力切れになるのに、シェフォードの最初の攻撃で魔法を使っちまったんだよ……。
ルースは魔力が切れている。
絶対領域の魔女とか呼ばれてたんじゃないのかよ。
こんなちっぽけな力でそんな称号が与えられるはずがない。
ルースには何かがある。
何かを隠している。
俺はレオナルドとジュリア。そしてゼフツの解放軍との関係のことで頭が一杯だ。
その上、こんなに追い詰められていて、その極限状態ではルースの真意を読み取る思考をする余裕はない。
ヤバイ。
殺される。
怪しくふらりとシェフォードが揺れた直後。
そいつは二十メートル程の距離を一瞬で詰めて、俺の眼前まで迫っていた。
俺の魔法で剣を取り上げるという発想に至る暇もない。
手に持った剣が怪しく光り、その綺麗に磨かれた等身には、俺の絶望に満ちた顔が反射して映っている。
「魔法は無効化できても剣には通じまい!! 死ねええッ!!」
もう終わったと思った。
何でレオナルドとジュリアが解放軍にいるのか。
何でルースが本来の力を出し切れていないのか。
そんなことも知ることが出来ずに。
ザク……。
血が飛び散り、俺の仮面にかかる。
でもその血は俺のじゃなかった。
「何で、何でなんだよ……お前……」
「うっ、ぐ……」
「あっはははははっ、素晴らしい親子愛ですね。親が息子を身を呈して守る。実に美しいですよ」
ルースは俺をかばって、代わりに刺された。
剣が突き刺さった傷口からは血が止めどなく流れている。
剣が刺さっているのは心臓の位置だ。
俺は魔法で剣、ルースの血に含まれる鉄分、全ての金属を使ってルースの傷口を防ぎ、止血を試みる。
でも傷口を防ぐ度に近くの血管に穴が空いて、また血が吹き出る。
「さあ、ウサギ。君も母親と仲良く逝かせてあげま――――――」
シェフォードが俺にさっき持っていた杖を構えた時。
『おい、こっちから声がしたぞ』
『我々は王都騎士だ! 誰かいるのなら声を上げてくれ!!』
遠くから声が聞こえる。
「運がいいですね。今回は私が退きましょう」
そう言って、シェフォードは瓦礫の山を飛び越えながら、姿を消した。
ひとまず、ルースの事に集中できる。
俺がワイバーンに突っ込んで骨を折った時に治癒魔法をかけてくれた人のようなことは出来ない。
治癒魔法は水属性の魔法だ。
こんなにも無属性魔法は無力なのか。
俺には助けを呼ぶことしか出来ない。
「こっちだ!! 来てくれ!!」
俺の声を聞いてさっきの王都騎士の人達がこちらに駆けてくる鎧の音が聞こえる。
その間にも、止血の手は止めない。
だがその時、俺は自分の服が引っ張られていることに気付く。
ルースだった。
「もう、いいの。これは……私の償いよ……」
「何ワケのわからんことを言ってんだ!? 止血してんだから黙ってろよ!!」
俺は怒鳴る相手が違うだろうにと思いながらも、このやるせなさを抑えることが出来ない。
情けない、本当に。
「私はあなたに……母親らしいことはしてなかったけど、でも……あなたをあの屋敷から遠ざけたかった。あの解放軍の幹部の近くには……居て、欲しくなかった」
何で今になってそんなこと言うんだ。
そんなのは聞きたくない。
いつもみたいに、馬鹿なんじゃないの、って目をしろよ。
「だけど……私は記憶が曖昧で、ゼフツに逆らえ、なかった、から……こんなこと、しか出来、なかったのよ」
もう絶命を感じ取っているのか、一瞬一瞬を噛み締めるように言葉を紡いでいく。
息も絶え絶えに言う。
でもそんな声はお前の声じゃねえだろ。
何で今にならないと素直になれないんだよ。
ルースも俺も。
こんな状況で考えることじゃないだろうに、親子だな、と暢気に思う。
でもわかっている。
それから目を話しても現実は目の前に広がっている。
どうしようもなく残酷な現実が。
「でも、あなたは……生きるの。絶対に……生きて。それだけでいい、の」
早く来いよ。
王都騎士の連中。
何してんだよ。
ここに今にも死にそうな女が、いや、俺の母親がいるんだよ。
俺は気付くと涙を堪えていた。
目頭が熱く、ジーンってする。
涙腺が開いているのを感じた。
何泣いてんだよ。
俺は峠越えのバズーカ。
こんなの屁でもないはずなのに、涙が止まらない。
仮面の内側が涙で湿る。
「………」
そしてその後にルースは最後に一言だけ、力を振り絞ったその言葉を口にして、絶命した。
橈骨動脈も、頚動脈も触知出来ない。
瞳孔は開いていて、呼吸も止まっていっる。
足掻くこともない、美しい死にざま。
俺はルースの開いたままの目をそっと閉じて、その死体を地面に寝かせる。
逃げる途中に見てきた死体と変わらない肉塊となったルース。
俺は自然と、その時は涙が出ることはなかった。
人の死というものは呆気ないものだ。
ルースの場合は特に。
生への執着が感じられなかった。
ただ、俺に生を一方的に与えるだけ与えて、死んでいった。
この感情は悲しみもあるが、それだけではない。
これは決意に似たものだと思った。
ルースが最後に言った言葉を反復する。
「私の可愛い子……」
その気持ちはこれからの目標が明確に決められたと、俺に知らせていた。
もっと強くなれと。