第十話 レオナルドの尊敬と鎖鎌
〈レオナルド視点〉
あいつはよく泣く弱虫野郎だと、はじめは思った。
しかしそれは少し違う。
あいつは弱虫野郎なんかじゃなかった。強い男だ。
俺の足元に及ぶくらいには強い。
俺は五歳のころ、ジュリアと親父、そして俺とジュリアの母親二人と暮らしていた。
ジュリアの誕生日だった。
俺はジュリアより一つだけ年上だった。
今はもう立派な大人で昔の面影はないが、そのころのジュリアは泣き虫で、よく俺と喧嘩しては母親の元へ行って泣いてた。
そんな毎日が幸せだったと感じたのはその後のことだった。
誕生日パーティの最中。
俺とジュリアの母親は第一夫人、第二夫人となっているがとても仲が良かった。
俺、ジュリア関係なくどちらの母親も母親として面倒を見てくれた。
母親同士、とても仲が良かった。
親父も優しくて、いつも笑いかけてきてくれた。
こんな毎日が当たり前だったが、それが当たり前じゃなくなった。
急に家の玄関を蹴破って入って来たのは、村でも噂になっている山賊。
いきなり親父を剣で刺し、母親を攫った。
それでも抵抗した両親。
後に山賊は村の人間に差し押さえられたが、両親は俺とジュリアを逃がすため、抵抗した時に命を落とした。
だが、そのおかげで俺とジュリアは今こうして、剣の腕を磨き、ギルドでもちょっと。ほんのちょっとだが名の知れた冒険者になれた。
たくさんの人に助けてもらった。
そこまで二人で辿り着くにはかなり大変だった。
こんな過酷な幼少時代を過ごしてきた奴はそうそういない。
そう思っていた。
「よよよ。このおじちゃんの膝の上に乗せられたんです」
ギルドの魔物の群れの討伐依頼を済ませたあと、古い馴染みのモーリスの宿で変なガキがいた。
ジョークの上手い面白いやつだ。
あの極悪ヅラのモーリスをからかって、ケタケタ笑ってた。
度胸のあるガキだ。
「なかなか真に迫ってたぜ。ガキんちょ」
「この子面白いわね」
俺とジュリアが声を掛けて振り返ったそいつはアスラって名前らしい。
黒い髪に、それより更に漆黒に染まった瞳。
達観した顔つきだった。
成り行きで、そいつを王都まで送ることになった。
馬車でそいつを見ていると、何の苦労も悩みもなさそうな陽気な奴だった。
だから能天気に一人旅なんかできるんだ。
生意気にも敬語を遣い、しっかりしているが世の中の恐ろしさも知らない。こういうガキが真っ先に死ぬんだ。
これぐらいの歳だった頃の俺とジュリアなら、こんな馬鹿な真似はしない。
あとでちょっと説教でもしとくか。こいつのためだ。
俺って大人? そう思った矢先。
「ねえ、アスラ、何でその年で一人旅なの? 格好からすると良いとこのお坊ちゃんみたいなのに」
「ああ、確かに気になる。五歳つったよな。お前しっかりしてるがかなり幼いぞ」
「そうですね。お互いのことを知るためにも、話しておきましょうか」
最初は嘘話だと思った。
モーリスの時みたいに俺たちをからかってるんだと思った。
だが聞いている内に、だんだん現実味を帯びてきて、真実なのだと分かる。
本当に好奇心だったんだ。
悪気なんてこれっぽっちもなかった。
こいつをこんな、悲しい気持ちにしてやろうなんて微塵も考えていなかった。
少なくとも俺はドデカイ悲しみとショックを受けた。
「うぐっ えぐっ おま、お前、苦労してんだな……うえ、うえ」
俺はアスラの話を聞いていると、昔の自分と重ね合わせて涙が出てきた。
俺はその涙を冗談めかすことしか出来なかった。
こいつの過去は俺なんかよりもずっと凄惨で、残酷で、人間の悪意が渦巻いていた。
俺にはジュリアという存在がいた。
例え幼くても、二人なら頑張れた。
お互いがお互いの心の支えになれた。
だが、アスラは一人だ。
本当の意味で一人なのだ。
俺やジュリアとは違い、こいつは両親からの愛すら受けたことがない。
俺はちっぽけな奴だ。
俺とジュリアに比べれば、他の人間の人生なんて天国だと思っていた。
だがそれは逆だ。
アスラの人生に比べれば俺の人生なんて天国そのものだ。
俺には親に見捨てられたことすらなければ、勘当されて一人で家を出たこともない。
そんな苦しみを一身に背負っているこの五歳児はヘラヘラしていて、ふざけていて、陽気な奴だ。
感情が穏やかだ。
でもそんなのはありえない。
この苦しみを心が訴えないわけがない。
これは心の救難信号がどこかで遮断している笑顔だ。
このままではこいつの心は死んでしまう。
それが普通の考えだ。
そうだろ?
でもこのアスラって男は、そうじゃない。
その悲しみすらも糧として、己の道を照らしていた。
時折思い出したように涙は見せるものの、もうとっくに克服している。
一人でだ。恐れ入ったよ。
強さっていうのはさ、魔法や剣術だけじゃないんだ。
これも強さだ。
そういう意味ではアスラ、お前は最強だよ。
「だから俺はお前の力に少しでもなれたらって思ったんだよ」
「え? 今なんか言いました?」
「い、言ってねえよ! バカヤロウ……おほんっ さあ、剣握れ。続きだ」
俺とジュリアも子供の頃は大人に助けてもらったから生きてこれたんだ。
なら今度は大人の立場の俺達の番だ。
これは同情なんかじゃない。
純粋な男としての尊敬だ。
*******
〈アスラ視点〉
レオナルドという男は変な男だ。
魔法がダメなら剣術を教えてやるだの、宿が決まってないならうちに居ればいいだの、お前から貰う金なんかいらねえだの、急になんでもかんでも勝手に決めていく。
まあ俺のことを思っての親切なので、俺は嬉しいのだが、どういう理由でそこまでしてくれるのかが知りたい気も無きにしも非ず。
この家に来た翌日。
俺は地下室で早速剣を握らされていた。
「ちょっと、兄さん。気持ちは良くわかるけどいきなり実践は無理よ。私が型から教えるからお昼でも作ってて」
「そ、そんなあ。妹よ。俺の気持ちはわかるんだろ? 何でアスラにここまでするか」
「わかるわよ。私もアスラを凄いと思うわ。私たちの過去と比べても壮絶だもの」
「だったら――――――」
「でもそれとこれは別。ちゃんと基本から教えていかないと」
いったい何の話だ?
俺の困惑をよそに、レオナルドが地下室を出て、トボトボと階段を上がっていく。
その背中には哀愁が漂っていた。
どこの世界でも妹が強いんだな。
貴重な情報だ。
「アスラ、兄さんを悪く思わないであげてね。兄さんはああだけど、アスラの事を思ってやってるのよ」
「ええ、わかっていますとも」
「そ。よかった。じゃあ、まずは剣術というのを大まかに説明するわね」
「剣術には、魔法みたいに決まった呪文や魔法陣はないの。何にも決まってないのよ。だから戦い方も千差万別。同じ剣術を持つ者はいない。自分の剣術は無二なのよ。だから私の剣術を教えてもただ真似するだけになっちゃうから、私のは参考程度に。少しずつ自分だけの剣術を模索するのよ」
いきなり剣術の核心のような、剣術の真髄というか、醍醐味みたいなものをぶちまけてきた。
ドラマの初見にして、最終回を目の当たりにしたような気分。
兄を助けるために自ら刑務所に入った弟が、ファイナルシーズンで死んでしまうという結末を見たようなあっけなさ。
こういうのって、弟子に自ら答えを導き出させないとダメなんじゃないのか?
「へ、へえ。剣術って奥が深いんですね」
「でしょ? まずは武器を使うという意味を知ってほしいの」
ジュリアは地下室の部屋に立て掛けてある剣を手に取ると、ひゅんひゅんと軽く、だけど綺麗な弧を描いて振り回す。
装飾も何も施されていない、訓練用の剣だ。
腰につけている双剣とは違い、重さがありそうだ。
それに人の腕ぐらいの長さはある剣だ。
軽く扱うのは上級剣士のジュリアだから出来る技だろう。
「まずは私が構えるから、よく見てて」
ジュリアはその浅黒い肌にじんわりと汗を浮かべて、真剣な眼差しになる。
レオナルドと同様に身体から微弱な魔力が放たれている。
達人の域に達すると自然と魔力で身体強化を施すことができると本で読んだことがある。
身体強化かどうかはわからないが昨日のレオナルドの太刀捌きを見ると、人間業ではなく、少しは魔法によるものだというのは感じた。
「どうだった?」
「え、綺麗でした」
主にその首筋からうなじにかけて流れる汗が。
その動きに合わせてなびく黒髪が、弾む胸が、綺麗だった。
そこには俺を剣術とは別の何かにいざなう力があった。
どこ見てんだオマエ、と言われても仕方がないとこに着目してしまった。
「剣を握っているのではなくて、自分の身体の一部にするのよ。そうすれば剣は自分の思った通りに動いてくれる」
体の延長線みたいな感覚を掴めりゃいいんだな。
「その為に自分にあった剣を使ってほしいの。この部屋にはたくさんの武器があるわ。好きなものを手に取ってみて」
この地下室の壁には様々な武器が並んでいる。
揃えるのにいったいどれだけの金と労力をかけたんだ?
剣だけではなく、槍や大槌、斧や薙刀、ジュリアの持っているような双剣などもある。
俺としては、この五歳児の身体に負担のかからない軽い武器がいい。
だが、それでは成長して重さに耐えられるようになった時、それまで使ってきた手に馴染んだ武器を手放して、また一から別の武器を選び直して再びそれに馴染まなければならない。
それは手間だ。
好きな武器を選べというのはそういう意味もあるかも知れない。
「これにします」
「へえ。それを選ぶなんて珍しいわね」
俺が手に取ったのは鎖鎌だった。
麦や稲、草を刈る農具に鎖に繋がれた分銅をつけることで使用されるようになった武器だ。
帯刀を許されなかった農民が護身用、もしくは隠し武器として用いていたもので、小太刀の役割に当てはまるだろう。
ただ、その分メジャーではないだけに使い辛いとも言える。
「剣士を目指す者で剣やレイピア、斧を使っている人はよく見かけるけど、鎖鎌なんて珍奇ね」
「そうですか? 俺にはぴったりだと思います」
剣士はこの武器を好まない。
ジュリアはそう言っている。
俺に似ていると思った。
実際に手に取る前から使えないと、その先の可能性も奪われて、見限られている。
剣士の戦い方は多種多様だとジュリアは言った。
それなら使用する武器だって同じじゃなくても何も変じゃない。
だってそうだろ?
もし俺に向いていなかったら、また選び直せばいい。
お試し期間ってやつだ。クーリングオフ対象。
今のうちにいろいろ吟味しておいて、最終的に俺が成長してからも末永く使える武器にすればいい。
「いいじゃない。忌み子だったアスラと誰も好まない武器。お似合いかもね」
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「うーん、一応持ってはいるけど、使ったことあまりないのよね。これ」
目の前の褐色美人は眉をハの字にして困り果てる。
鎖鎌を構えてみたり、分銅を振り回したりするが、いまいちしっくりと馴染まない様子。
刃渡りと柄の長さが同じぐらいで、五十センチくらい。
鎖は推定五メートル。分銅はペットボトルくらいの重さだから……五百グラムといったところだろうか。
日本の鎖鎌より少しばかり増強仕様だが、使えないことはないと思いたい。
これも訓練用の武器で、鉄一色だ。
「取り敢えず、基本の構えはこう! いや、こっちだったかな……」
ジュリアは頭を掻きながら、あれこれ悩んでいる。
武器の使い方を教えると言った手前、格好がつかない。
「剣は教えられるけど、これは専門外かな……。確かに剣術なんだけど、これは特殊というか」
結局そうなるんかい。
いや、このウェポンチョイスした俺も悪いんだけどね。
もう小作農をするしか俺に道は残されていないのだろうか。
「ご、ごめんね。わ、私も最初は誰に教わったでもなくて、自分で練習したからさ、アスラもそうするといいんじゃないかな!?」
「え!? ちょっと!」
丸投げされてしまった。
ジュリアは兄さんを呼んでくる、と言って階段を脱兎のごとく駆け上って行った。
峠越えのバズーカである俺さえをも凌ぐその駆け上がり、あっぱれだ。
などと現実逃避しながら、手に持つ鎖鎌を見つめる。
しばらくすると、レオナルドがジュリアを連れて地下室に降りてきた。
ジュリアは例によって、いかにもバツの悪い顔をする。
だがレオナルドは違った。
俺の前で仁王立ちをして腕を組みながら、ジュリアに教訓を言う。
「だから言っただろ、ジュリア! 実践が一番なんだって! 基礎なんて実践の中で磨いていくものだ!」
それは違うだろうともジュリアは言えず、レオナルドの後ろで申し訳なさそうに俺に向かって手を合わせる。
「はっきり言って俺もこの武器の剣術はわからん。俺にできるのはアスラと真っ向から剣を向け合うことだけだ。構えろ、アスラ」
そう言うやいなや、レオナルドは剣を構える。
昨日とは違い、剣は炎を纏ってはいない。手加減をしてくれるのであろう。
対して俺は初めて触れる武器の構えも分からないまま、レオナルドを見据える。
やべえ。
何もわかんねえ。
この持ち方で当っているのかすらわからん。
ていうか鎖鎌について何が分からないのか、それすらもわからん。
初心者丸出しの俺にレオナルドは向かってきた。
何も言わずに剣を振り下ろしたレオナルドは真剣そのもので、目にも止まらないとはこういうことを言うのだろうか。
一瞬で目の前に来たと思ったら、俺が反射的に鎖を横に張ると同時に剣が振り下ろされた。
その振り下ろされる力は有無を言わせずに、鎖を地面に叩き付けた。
鎖を持っている俺は当然、地面に突っ伏す。
「ごはっ」
「よし、そこまでだ」
なに?
もう終わるだと?
レオナルドの攻撃が始まって、まだ二秒も経っていない。
「アスラ、ここでお前のどこが悪いかわかるか?」
「わかるわけ、ないでしょ……」
俺は息も絶え絶えに声を搾り出す。
余裕がなくなった俺は自分の情けなさから湧き出る怒りをレオナルドに向ける。
「いいや、お前はちゃんとわかっている」
「?」
「そう、その敵意だ。次は俺を殺すつもりで来い」
そうか。これがレオナルドの教え方。
一つ一つのミスを削り出すことで、ほんの少しずつだが、ミスが一つ一つなくなっていく。
人間はミスをするものだ。
だが、そのミスをなくしていくと、人はどうなる?
そしてまた、レオナルドは構える。
凄い眼光だ。
まるで兎を狩るのにも全力を尽くす獅子のようだ。
刀身から炎は出さないものの、技そのものは手を抜くつもりはないらしい。
「いくぜ。アスラ」
俺は目で答える。
と、次の瞬間。
「あ、しまった! 台所火ぃかけっぱなしなんだった!」
何とも締まらないレオナルドだった。




