⑨幽明鏡
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
9.
「アク姉……巫女の手が……」
オルディナの声が、震えていた。
紅蓮の瞳が、恐怖を隠しきれずに揺れる。
紫紺の巫女の右手。
そこに白い骨が触れた瞬間――“意味”が剥がれ落ちた。
パラリ、と。
灰が舞う音。
それは燃え尽きる音ではない。削り取られる音だ。存在そのものが、薄い紙のように剥がされていく音。
「くっ……!」
アクシオンは奥歯を噛みしめ、崩れていく右手に紫紺のルミナを流し込んだ。
再生。
指が戻る。掌が形を取り戻す。――だが、白い骨は再生した端から、容赦なく灰に還していく。
守ったはずの盾が、触れた場所から“なかったこと”にされる。
肉が裂ける痛みではない。もっと嫌な痛み――“自分が否定される”感覚。
意味ルミナが、喉の奥から引き抜かれていくみたいに、薄く、冷たく、消える。
巫女の両手を重ね、白い骨を受け止める。
キィ……と、嫌な摩擦音がした。
紫紺の光が骨の接触面から濁り、燃えかすのように散っていく。
散った粒子が床に落ちるたび、空気が一段冷えていく気がした。
アクシオンの瞳の三重螺旋が、かすかに揺れた。
光が、じわじわと弱まっていく。
瞳の奥が、焼けるように痛む。
――長くはもたない。直感が、冷たく言い切っていた。
「いつまで……持つかしらね?」
白いアマリリスが、くすくすと笑った。
少女の喉から出ているのに、封印の間の闇がそれを増幅して、別の声まで重なって聞こえる。
嗤い声。呻き声。泣き声。
まるで、そこにいる“誰か”の声が、女王の声に寄生しているみたいだった。
アクシオンは息を吸おうとした。
しかし空気が重い。
黒紫の瘴気とは違う。白い“虚無”が、肺の中に冷たい粉を入れるみたいに、息を薄くする。
「アク姉!手伝うよ!」
オルディナが叫ぶ。
紅蓮の奔流が彼女の全身から溢れ出した。奥に黄金の微粒が混じる。
あの純光。アウリアが残した祈りの残火。
「おーりゃあー!!!」
見えない拳が白い骨をガシッと掴んだ。
その瞬間、骨がきしむ。ミシミシと軋む。
オルディナの肩が震え、歯を食いしばる音が聞こえた。
「このまま――ぶっ潰す!!」
オルディナが吠えると、白い骨にヒビが走り、破片がぱらぱらと床へ落ちた。
破片が触れた床が、白く乾いた灰になっていく。
床の大理石が砂糖菓子みたいに脆く崩れ、粉が舞う。
いける。
そう思った――その瞬間。
白いアマリリスが、にやりと笑った。
「かかったわね……まずはオルディナ……お前から壊してあげる……」
彼女とヴォイドゾーアの眼が、さらに白く発光する。
骨の表面が、ふっと膨らんだ。
それは“内側から芽吹く”みたいな膨らみ方で――嫌な予感が、背骨を滑った。
次の瞬間――
グサッ。
「え?」
アクシオンの思考が、そこで止まった。
理解が追いつかない。
時間が一瞬、遅くなる。
だが、耳を裂く悲鳴が現実を叩きつけた。
「きゃあああああっっ!!」
オルディナが踞っていた。
両手のひらに、ぽっかりと穴が開いている。
赤黒い血が滴ではなく、流れとして落ちていく。
床に落ちた血は、すぐに白い粉に吸い込まれ、赤がくすんで消えていった。
「オルディナお姉ちゃんっっ!!」
ロゴスが駆け寄る。
だが彼女の顔色も一気に青ざめた。
冷静なはずの声が、かすれている。
「うぐ……何で……私に直接……」
オルディナは唇を噛み、震える指先に生命ルミナを集める。
だが、穴の縁が白い霜に灼かれたみたいに冷たい。
ルミナが入っていくのに、戻ってこない。
吸われるでもない。弾かれるでもない。――“意味が通らない”。
生命ルミナが「治す」という意味を、白が拒否している。
「あはは……この骨を砕こうなんて思うからよ……」
白いアマリリスが楽しそうに笑う。
ヴォイドゾーアがそれに応えるように、おぞましい笑い声みたいな唸りを上げた。
封印の間の壁が、その音で震え、どこかで細い亀裂が走る音がした。
ロゴスが《オラクル・アイ》を細めた。
オルディナの傷口を見つめ、喉を鳴らす。
「生命ルミナに……干渉してきた……この白いルミナは、黒紫とは違う……“壊す”んじゃない……“意味”を反転させて、持ち主に返してくる……」
――攻撃したはずなのに、痛いのは自分の方。
しかも急所だけ正確に。
“治す”“守る”“裁く”――こちらの善意や機能を、反対側に折り返して突き刺してくる。
ロゴスの背筋が、ひゅっと冷えたのがわかった。
氷より冷たいのは、論理が通らない恐怖だ。
「だったら……直接、あの眼を叩く!」
ロゴスは両手を広げた。
青碧の光が立ち上がり、黄金の微粒がそこへ混じる。
空気が急に凍えた。
息を吐くと、白い霧が広がり、すぐ粉に変わって落ちる。
「《終審ノ氷剣》!!」
青碧に輝く六つの剣が、一直線にヴォイドゾーアの白い眼を狙った。
氷が裂ける鋭い音。
空間が剣筋だけ冷たく切り取られる。
白いアマリリスは、まだ笑っている。
その笑いは、余裕というより――確信だった。
「……ロゴス……次はお前だ」
「反転……」
その囁きと同時に――
六つの剣が、ヴォイドゾーアの眼に突き刺さった。
はずだった。
だが封印の間に響いたのは、化身の悲鳴ではなく――
「ああああああっ!!!目がーーっっ!!!」
ロゴスが両目を押さえ、床へ崩れた。
指の隙間から血がどくどくと流れ出す。
眼窩の奥が、冷たい刃で抉られるみたいに凍りついていく。
「……っ、う……!」
ロゴスの声が喉の奥で折れた。
いつもは抑えられている感情が、痛みによって剥き出しになっている。
アクシオンは、胸の奥が締め付けられた。
どうして……こちらの攻撃が、こちらに――
疑問が形になる前に、白い女王の声が刺さる。
「ふふ……アクシオン……集中が途切れてるわよ?」
「え?」
気づいたときには遅かった。
腹の奥に、生暖かいものが入ってくる感覚。
一瞬、痛みより先に、重さが来た。
そして次に――焼けるような熱。
視線を落とす。
巫女の両手を貫いた白い骨が、そのまま――アクシオンの腹を貫いていた。
「が……っ……」
息が抜ける。
熱いのに冷たい。
身体が自分のものじゃないみたいに、力が抜けていく。
床へ膝が落ちる音が遠い。
赤黒い血が奔流のように溢れ出し、石の溝を伝って広がっていく。
血の匂いが鼻腔に刺さり、喉の奥が鉄で満たされる。
――私が倒れたら、二人は。
妹たちの悲痛な声が聞こえる。
けれど言葉の輪郭がほどけて、遠ざかっていく。
音が水の中に沈むみたいに、鈍くなる。
「案外……脆かったわね……」
白いアマリリスが嘲る。
その言葉が、アクシオンの胸を最後に蹴った。
「さて……お前らの魂……貰うとしよう……」
彼女が片手を振り上げると、ヴォイドゾーアの口から三つの胡桃みたいな球体が付いた白い触手が伸びた。
球体がぱっくり割れ、上下の顎が形になる。
不揃いの牙が並ぶ口が、三姉妹の頭上へ迫る。
逃げろ、と叫びたいのに、声が出ない。
身体が動かない。
白い虚無が、関節の“意味”さえ奪っていく。
吸われる。
紫紺、紅蓮、青碧――三色のルミナが、身体から剥がされていく。
胸の奥に穴が開く。
息が薄くなる。
意識が、縁から欠けていく。
「無様ね……三姉妹……みっともない……」
白い声が上から降る。
だがアクシオンにはもう届かなかった。
闇が、落ちる。
底のない闇が、静かに覆い被さる。
静かだ。
妙な静けさが世界を包み込んでいる。
アクシオンは、ゆっくりと瞳を開いた。
「……ここは……?」
どこまでも白い空間。
でも、ただの白じゃない。
白の中に、見えない“揺らぎ”がある。
遠い雷鳴みたいな、微細な呻きみたいな、声にならない音が層になって漂っている。
懐かしい匂いがする――それだけじゃない。
声にならなかった悲哀、憎しみ、苦しみが、白いルミナの中に溶けて漂っている。
触れるだけで、誰かの痛みが指先へ移るようだった。
「……あたしたち、死んじゃったの?」
隣でオルディナが体を起こした。
両手の穴は紅蓮と黄金の微粒を含んだルミナで塞がっている。
けれど指先がまだ震えている。
さっきの痛みが、骨の内側に残っているのだ。
「ここ……ナヤカのS.G.Sの中枢に似てる……でも、同じものじゃない……」
ロゴスが顔を上げた。
両目の出血は止まっている。だが瞼の裏に痛みが残っているのが表情でわかる。
彼女は恐怖を論理で押さえようとしている――けれど、押さえきれていない。
「幽明鏡ですよ」
三姉妹は声のする方を振り返った。
「あっ……」
古代賢者――ツクヨ、フリギア、ルミアナ。
影を退け、神器へ封印した三人が、そこに立っていた。
彼らの存在は、白の空間に“輪郭”を与えている。
ここがただの死ではない、と辛うじて思わせる光だった。
「ふふ……またお会いしましたね……アクシオン」
ツクヨが袖で口元を隠し、微笑む。
その笑みは柔らかいのに、瞳は鋭い。
見通している――魂の奥まで。
「幽明鏡って?」
アクシオンの声は、自分のものじゃないみたいに軽かった。
生きている時の重さがない。
その事実が怖い。
「現世と死の狭間……魂が映る鏡の部屋。あなたたちは今、肉体を離れかけているのよ」
ルミアナが柔らかく言った。
「えっっー!!それって本当に死ぬ間際じゃん!!」
オルディナの声が今にも泣き崩れそうになる。
強がりの皮が剥がれて、子どものような怯えが覗く。
「安心しなさい。そうならないように、私たちがいる」
フリギアが淡々と言う。銀髪を耳にかけ、その瞳は冷たいほど澄んでいた。
だが冷たいのではない。迷いがないのだ。
「でも……フリギア……あの白いルミナ……私たち、手も足も出ないよ……」
ロゴスが両目を押さえ、呟く。
痛みの記憶が、まだ瞳の奥に刺さっている。
「大丈夫ですよ……あなたたちは既に対抗策を持っています。使い方を知らないだけ」
その言葉に、アクシオンの胸が小さく跳ねた。
ルーガを浄化したとき、三人の手が重なった感触。
虹色に混ざり合った光――拒まないで、包み込んで、受け入れた感覚。
「虹色のルミナ……」
アクシオンが呟くと、妹たちが姉を見る。
希望にすがる顔と、怖がる顔が半分ずつ。
「それって……ルーガを浄化したときの、あれ?」
「そう……“虚無”に還す白に対して、虹色は包み込んで受け流す……拒まない。だから、壊されない」
ツクヨが静かに頷いた。
「それだけじゃない。あなたたちはアウリアから授かっているはずよ……純光を」
ロゴスが顎に手を当てる。
思考が戻る。痛みを押し返すように、論理が灯る。
「……なるほど。私たちのルミナと純光を重ねれば……白の反転を超えられるかもしれない」
「いい?チャンスは一回だけだよ」
ルミアナが笑う。その笑みは優しいのに、どこか切迫している。
時間がない。現世の三人の肉体が、今も吸われ続けているのだ。
「今からあなたたちの魂を現世に戻す。――その間、私たちが白い触手の吸い出しを引き受ける」
フリギアが淡々と告げる。
「その間に、あなたたちは“重ねる”。一撃で決めるのです」
ツクヨの螺旋の瞳が鋭く光った。
その光が、幽明鏡の白を切り裂く刃のように見えた。
アクシオンは無言で頷く。
オルディナも、ロゴスも――同じように頷いた。
怖い。けれど、怖いままでも、やるしかない。
「大丈夫……あなたたちなら、成し遂げられます」
ツクヨの慈愛に満ちた微笑みが、遠ざかる。
いや、遠ざかるのではない。
幽明鏡そのものが、剥がれていく。
白が薄くなり、世界の重さが戻ってくる。
アクシオンの意識が、再び沈む。
封印の間。
三つの白い触手が、紫紺・紅蓮・青碧を吸い上げていた。
ヴォイドゾーアの身体が三色の光を脈打たせ、震えている。
まるで、甘味を味わう舌のように。
白いアマリリスは恍惚とした表情で目を細めた。
「……絶品ね……」
その声は陶酔だった。
だが陶酔の底に、ひどく冷たい“空腹”がある。
そのとき。
白い触手が、三姉妹の頭上から距離を取り始めた。
押し上げるように、三色の球体が触手を跳ね返している。
紫紺、紅蓮、青碧が――互いの境界を失い、混ざり合おうとしている。
「……なに?……」
アマリリスの虚無の瞳に、黄金を纏った三姉妹の姿が映った。
黄金が、三色の中心で脈打っている。
まるで心臓だ。
彼女たちの“生”を、もう一度鳴らそうとする鼓動。
「なぜだ!?なぜ、動ける??」
白い女王の声が、初めて乱れた。
笑いが消えた。
代わりに滲んだのは――焦りと、理解できない苛立ち。
触手の先の白い顎が、ぎり……と噛み鳴らした。
封印の間の闇が、一段深くなる。
ヴォイドゾーアの六つの眼が、白く、白く、悪意を凝縮させていく。
そして――
三姉妹の胸の奥で、虹色のルミナが“形”になりかけていた。
――つづく
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