⑤影の騎士
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
5.
謁見の間に、ステンドグラスから反射された月光が差し込んでいた。
砕けた大理石の粉がまだ宙に漂い、薄い靄のように光を散らしている。遠くでは、倒れ伏した親衛隊兵の甲冑が、月の冷たい光を拾って鈍く瞬いた。
「グルルルル」
二匹のグリフォンが大きな口ばしから涎を垂らし、奈落の底から沸き上がるような声を出した。
黒翼の毛並みは夜そのものだ。光を吸い、輪郭だけが滲む。
白翼は逆に、月光を受けるたび骨のように白く、陶器の表面みたいに冷たい艶を返す。だが両者の眼だけは共通して、凍てつく赤――獲物を裂くための赤だった。
「黒翼、白翼……行け……」
ルーガが銀の剣を三姉妹に向けて、言い放った。
地面を勢いよく蹴り、翼を広げて、二匹のグリフォンが空に舞った。
風圧が謁見の間を舐め、床に散った粉塵を巻き上げる。翼の一振りごとに、天井窓が小さく震えた。
獲物を捉えようと真っ直ぐに三姉妹へ突っ込んでくる。黒翼の爪は影のように、白翼の爪は刃のように、月光を裂いて迫った。
「アク姉!グリフォンはあたしとロゴスに任せて!ルーガをお願い!」
オルディナが生命ルミナを放出させながら、謁見の間の中心から側方に逸れていく。
彼女の動きに呼応するように、空気の流れが変わった。生き物が駆けるときにだけ生まれる“気配の熱”が、床を流れた。
グリフォンは雄叫びを上げながら、彼女を追従した。
黒翼の方が先に、獲物を見つけた獣の速さで角度を変える。白翼は半拍遅れて、ロゴスの方へ向かった。青碧の光が揺れた方向へ首を振った。
「わかった……」
アクシオンはルーガに紫紺の瞳を向けた。
胸の奥が静かに冷えていく。
敵を前に立つと、心が静かになる。
頭が澄んできて、視界が冴えてくる。
でも、嫌な予感だけは、胸の奥で鳴っていた。
「統合の巫女……自らお相手してくるのですね……光栄です……」
ルーガは地面を勢いよく蹴り、アクシオンとの距離を一瞬で詰めてきた。
漆黒の甲冑が重いはずなのに、その歩法は異様に軽い。床を蹴る音が二重に聞こえた気がした。まるで“影”が一歩先に走っているみたいに。
銀の剣の剣筋が月光を浴び、煌々と輝く。
剣が頭上に振り下ろされる瞬間、アクシオンはさっと体を翻し、剣撃を避けた。刃は虚しく虚空を斬り、冷たい風だけが頬を撫でた。
アクシオンはすぐさま反撃に応じ、紫紺のルミナを形態変化させた巫女の手で張り手を繰り出す。
空気が震えた。巫女の掌が通った跡に、目に見えない“筋”が残る。意味ルミナが空間を押し潰す感覚だ。
ルーガも剣を振り下ろした推進力を利用して体を回転させ、間一髪で巫女の張り手を避けた。
巫女の手が地面に激突し、地響きのように床が割れる音が木霊した。大理石が粉々に割れ、散り、白煙がその場に舞う。
白煙の中で影がうごめき、すぐさま銀の剣の乱舞がアクシオンに差し迫ってきた。
刃が幾本も見える。一本ずつではない。剣筋が連続して、網のように迫る。
アクシオンが発動した巫女の手はすぐさま防御に転じ、銀の剣を弾いていく。
キンっ!カンっ!と銀の剣が巫女の手に弾かれる音が鳴り響いた。弾かれるたび、紫紺の光が薄く火花を散らす。
アクシオンは片手で防御に徹しながら、もう片方の巫女の拳をルーガの頭上に振り下ろした。
ドゴーン!と先程よりも激しい音が鳴り響き、大理石が粉々に割れる。床が沈み、亀裂が蜘蛛の巣のように広がった。
粉々になった大理石が宙に舞い、月光がそれを銀粉みたいに照らした。
ルーガは巫女の拳を避け、一度後方に距離を取った。すぐさま、銀の剣を構える。
息は乱れていない。体勢も崩れていない。崩れていないのが、逆に不気味だった。
「……完璧な矛と盾ですな……あなたの目はご健在のようだ。」
ルーガは冷ややかな目をアクシオンに向けた。
アクシオンは無言でルーガを見つめた。
漆黒の甲冑に覆われながらも、その重さをものともしないしなやかな動き。無駄のない剣さばき。
アマリリス女王を守ってきたその剣は、同じ夜を越えたはずのアクシオンへ、いま無情に向けられている。
「ルーガ……女王がこれから何をしようとしているのか分かってるの?」
「愚問ですな……理解しておりますよ……女王はこの地のため、抜本的な策を取られようとしている……世界を根本的に作り変えようとしているのですよ。」
ルーガは肩を竦めた。
その仕草は軽い。
だが言葉は重く、刃のようにまっすぐだった。
「その策が問題なのよ……この地に生きる人たちを犠牲にして、世界を作り替えるなんて、許されることじゃない」
アクシオンは螺旋の瞳で睨み付けた。紫紺の輪郭に、三重螺旋が淡く浮かぶ。
「……許されるのですよ……あの方は選ばれたのです……そう、神にね。」
ルーガは冷ややかな目をアクシオンに向けた。
「神に導かれしお方の為さることに、民の承認など必要もない……むしろ……承認という考え方がおこがましい……女王は神に導かれながら、その責務を一人で背負われようとしている……ただ嘆くだけの民に四の五の言われる筋合いはないのですよ」
ルーガは淡々と言った。
淡々としているからこそ、背筋が冷えた。これは説得ではない。信仰だ。揺らがない、硬い信仰。
「ふざけないで!!それはこの地に生きる人たちへの冒涜よ……一人一人に生きる権利があり、意見を述べる権利があるわ!!」
アクシオンは肩を震わせた。
怒りが熱になる前に、言葉として結晶する。彼女の怒りはいつだって、守るべきものの形をしている。
「世迷い言を……いや、それはただの理想論だ。はっきり申し上げましょう。痛みも苦しみも受け入れ分かち合う覚悟もない能無しの者には女王がこれからお作りになられる新世界に立つ権利などない……黙ってその贄となればいい!」
ルーガの声が謁見の間に響いた。
天井の高い空間が、その声を遅れて反響させる。まるで“城そのもの”が同意しているみたいだった。
「話は終わりです……アクシオン殿……次はもう少し速度を上げてみましょう」
言い終わるや否や、ルーガの姿がアクシオンの前から消えた。
甲冑の擦れる音が消える。いや、音が“遅れて”聞こえる。視界だけが置き去りにされた。
「なっ!!」
アクシオンが反応に一拍遅れた。
一瞬で目の前にルーガが姿を表し、抜刀の構えに入っている。刃が煌めいた次の瞬間、また消えた。
足元に、黒紫の膜が走った気がした。影ルミナが床を這い、速度そのものを“滑らせる”ように。
ザンっと、肉が切れる音が鳴り響いた。
背後に回ったルーガの銀の斬撃が、容赦なくアクシオンの右肩を抉っていた。
斬られた肩から血が噴き、温かいものが腕を伝う。痛みが遅れて爆ぜ、呼吸が一瞬だけ詰まった。
「っっ!!」
アクシオンは顔を歪めた。
巫女の手が、ほんの一拍遅れて閉じる。右腕に力が入らない。なのに守らなきゃいけない。その焦りが、足先にまで走った。
息をつく暇もなく、ルーガの二撃目の剣筋がアクシオンの細い首に迫ってきた。
「《ルミナ・レクイエム》!!」
アクシオンの螺旋の瞳から、目映い紫紺の光が散乱し、ルーガに炸裂した。
視界が一瞬、歪む。鉄の味が濃くなる。
やっぱり、長くは保たない。
だがいまは、それでもいい。
「くっ……」
ルーガは目映い光と幻術の効果で動きが止まった。
止まった、と言っても“固まった”のではない。身体の意志と、行動がずれた。刃が遅れ、呼吸が遅れ、瞳だけがわずかに揺れた。
アクシオンはその隙を見逃さなかった。
「はっ!!」
巫女の渾身の一撃をルーガに叩き込んだ。
ドゴッ!!っと漆黒の鎧がへこみ砕ける音を響かせながら、ルーガは吹き飛んだ。床を滑り、粉塵を引きずり、倒れた親衛隊兵の影の手前で止まる。
「はぁ……はぁ……」
アクシオンは肩で息をしていた。右肩から深紅の血が腕を伝って、床に滴る。
滴る音がやけに大きく聞こえた。彼女の“時間”だけが、少し遅い。
ルーガはよろよろと立ち上がっていた。《ルミナ・レクイエム》の術効果で動きが鈍い。
拳をまともに受けた鎧は砕け散り、ギャンベゾンが露になっている。そのギャンベゾンも酷くへこんでいた。巫女の一撃の衝撃を吸収しきれなかったのだ。
このまま一気に決める……。
アクシオンは唇を噛んだ。口の中に鉄の味が広がる。自分の血か、術の反動か、もうわからない。
だが迷いはなかった。迷えば、次の一撃が首に届いてしまう。
アクシオンは紫紺の瞳を閉じた。全身の意味ルミナを両目に流し込む。
瞼の裏で螺旋が回り始める。視界の端が、ほんの一瞬、白く滲んだ。
「《夢葬輪唱》」
彼女の喉から生まれた幾重もの声がルーガを襲った。
声が音ではなく“鎖”になる。耳から入り、思考の根に絡みつき、逃げ道を塞ぐ。
世界が静かに、悪夢へ沈む。
「しまっ……」
ルーガは言い終わらないうちに、その場で立ち尽くしてしまった。
彼の手から滑り落ちた銀の剣がカランッと鳴らしながら床に落ちた。
瞳だけが揺れた。口が開く。だが声は出ない。代わりに喉の奥で、何かが焼けるような呻きが震え、涙が勝手に溢れ落ちていた。
ルーガは悪夢を見せられていた。
誰よりも統制を誇った男が、統制を剥がされ、むき出しの“責務”だけで立たされている。
アクシオンの喉まで鉄の味が広がった。額から汗が流れる。
右肩が疼く。痛みが術を揺らす。だが、いま止めるわけにはいかなかった。
「終わりよ……ルーガ……これで……」
そのとき、ルーガの体がぴくぴくと動き出した。
「まさか……私の幻術に抵抗できるわけ……」
アクシオンは慌てて術の効果を高めようと、ルミナを更に螺旋の瞳へ流し込む。
だが、ルーガの抵抗は止まらない。額には血管が浮き出ていた。
“恐怖”では折れない。悪夢に沈まない。沈みながら、立ち続ける。そんな抵抗の仕方が、この世にあるのか。
ルーガは懐から黒い液の入った魔法瓶を取り出した。
「……し……かた……あり……ませ……んね……」
アクシオンは目を見開いた。
今までこの幻術に屈服しなかった者など存在しなかった。まして、口を利ける者など……。
「……アマ……リリ…………スじょう……おう……わ……た……しは……さい……ご……まで……せ……き……む……を……は……た……し……ます」
唇が祈りの形で動いた。声は割れているのに、言葉だけは崩れない。
その瞬間、アクシオンは悟った。
この男の心臓には“女王”しかない。
ルーガは魔法瓶の黒い液体を一息で飲み干した。
次の瞬間、ルーガから膨大な黒紫のルミナが放出され、その爆風でアクシオンは吹き飛ばされた。
「ぐっ……」
アクシオンは辛うじて、巫女の手で直撃を免れた。床を抉る衝撃が伝わり、右肩の傷が跳ねて熱を上げる。
謁見の間の空気が、一気に重くなる。黒紫の膜が濃くなり、月光すら鈍らせた。
ルーガから放出された黒紫のルミナは触手のように彼へ纏わりつき、彼を作り替えていく。
まず甲冑が鳴った。軋む音。金属が歪み、限界を越え、剥がれ落ちる。
次に胸と肩が肥大化し、壊れた鎧が床に落ちた。
肌は灰色になり、全身から逆立つ漆黒の毛が生え、背中が大きく隆起する。骨格が変わる。人間の形が、内側から押し広げられる。
端正に整えていた銀髪は長く延び、顎からも銀色の髭を生やしていた。
目は紫色に染まり、憎悪の炎を宿す。
その瞳は、もはや人のものではない。
だが、“責務”だけは、まだ残っている。
獣のような鋭い爪を有した手には、漆黒の槍が握らされていた。
いつの間にかそこにある。影が形を与えた武器だ。剣ではない。騎士の刃ではない。それは処刑の槍だ。
腰から下は馬のように四足獣に変化し、漆黒の毛で覆われている。
床を踏む音が変わった。二本足の音ではない。四つの重さが、謁見の間を揺らす。
「ルーガ……あなた……」
アクシオンは目を見開いていた。
右肩の血がまだ滴る。喉に鉄の味が残る。
それでも、視線だけは逸らさない。
「ぐぉぉぉぉぉ!!!!」
影の半人半獣に変化したルーガの、奈落の底から沸き上がるような雄叫びがアクシオンの鼓膜を揺さぶった。
ステンドグラスが震え、月光が割れた。
――つづく
ここまで読んでいただきありがとうございます✨
ブックマークで追ってもらえると励みになります!




