⑮勝利の代償
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
15.
祈りの雷槍で頭を貫かれた黒竜は、その場で、ぶらんと長い胴体を重力に逆らわず空の海へ下ろしていた。
竜の頭から顔を出した雷槍の刀身は、黒竜の血で赤く染まっている。
――吸い寄せられていく。
アメリの残り少ない黒紫のルミナと、竜王アメジスのルミナが、槍へ、槍へと流れ込んでいく。
奪われているのではない。
あの槍は、ただ回収している。
行き場のなかった痛みを。名もつかなかった怨嗟を。
“ここに置いていい”と、赦すみたいに。
やめろ……
勝手に、ほどくな……
私の力を、勝手に抜き取るな……
――いや、違う。
力じゃない。
この胸の奥で、ずっと腐り続けてきたものを、勝手に見つけるな。
私の心を、勝手に覗くな……。
アメリは抗おうとして、喉がひゅっと鳴った。
竜の器が軋み、視界の端が白く滲む。
叫びたいのに声が出ない。
怒りの形を作る前に、意識が、槍の光へ吸われていく。
黒竜の身体が、尻尾からボロボロと崩れだした。
鱗が粉になり、骨が灰になり、黒紫の光が霧散する。
灰は空の海へ落ちていき、陽光を浴びて、鈍くきらめいた。
それは祝福にも見えたし、弔いにも見えた。
竜の頭まで灰になったとき、竜を貫通していた槍は、音もなく空の海を越え、地上へ落ちていった。
――風が北へ引いた。
焼けた煤の匂いに混じって、冷たい高地の気配が一瞬だけアクシオンの鼻を掠める。
霊峰セフィラ。
アクシオンの故郷。
皮肉にも、黄金の槍はその麓へ突き刺さった。
黒竜がいた場所に、青白い肌の少女が姿を表した。
淡いラベンダーの髪も肌も煤を纏い、衣装は裂け、身体はぼろぼろだ。
額には大きな傷が走り、深紅の血がだらだらと流れている。
「……勝ったと思うなよ……アクシオン……」
今にも消えそうな声だった。
けれど目だけは死んでいない。虚ろで、なお憎悪の火を抱いている。
アクシオンは無言でアメリを見つめていた。
螺旋の瞳は、勝者の光ではなく、どこか哀れみを含んでいる。
その眼差しが、アメリの心を逆撫でした。
「……その目だ!その何もかもわかっているというような眼差しを私に向けっ――ごほっっ」
言い終えぬうちに、アメリは口から大量の血を吐いた。
深紅に染まった血は雨になり、空の海へ降り注ぐ。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をする。
喉の奥が熱い。
胸の内側が冷たい。
――頃合いだ。
十分、“目的”は果たせただろう。
アメリは血を滴らせながら、にやりと笑った。
「また会おう……アクシオン……この戦争の勝利はお主にくれてやる……」
そう言い残すと、アメリは次元の狭間へ姿を消した。
空の海を満たしていた黒紫のルミナが、潮が引くように薄れていく。
それを合図にするかのように、背後から一斉に翼兵とガーゴイル軍が飛び立ち、アステリアを去っていった。
アクシオンはなお、次元の狭間を見つめていた。
勝ったはずの戦場で、風だけが鳴っている。
――何かが、足りない。
何かが、奪われた。
そんな気配が、ずっと胸に刺さって抜けない。
*
空の戦争から翌日。
リユニエ各地に“知らせ”が落ちた。
鐘の音よりも早く、噂よりも鋭く。
応急処置を施されたアステリア城の謁見の間。
崩れた壁は仮の木組みで支えられ、天井には煤の筋が残っている。
それでも玉座だけは、辛うじて原形を保っていた。
書記官が、震える指で薄い紙束を開く。
紙は煤の匂いを吸い込み、角が少し焦げていた。
「……戦後報告を読み上げます」
乾いた声が響く。
「――アステリア交易路境界に配置された黒構造体は、迎撃により破壊を確認。
同時刻、リユニエ王国側より報復的措置として大規模侵攻。
空の海に黒竜の顕現を確認。
黒竜の光線により、天雷槍座広場ならびに周辺市街が壊滅的被害。
死傷者多数。行方不明者、現在確認中――」
言葉が続くたびに、謁見の間の空気が重く沈んでいく。
「――なお、黄金の槍状兵装により黒竜を撃破。
黄金の槍は空より落下し、霊峰セフィラ麓への着弾を確認。
古都クヅラハ、幻影都市ナヤカより復興支援の正式声明を受領。
本日明朝より、人的・物的支援が開始――」
そこで、書記官の声が一度詰まった。
次の紙をめくる指が、止まる。
「――そして……」
誰かが唾を飲んだ。
「典礼院より、緊急報告。
聖典、奪取。
司祭、死亡。
……以上です」
次の瞬間、謁見の間に地響きのような怒声が落ちた。
「聖典が奪われただと??それは本当か?」
セレノス王の声だった。
怒鳴った反動で顔が歪む。
黒竜の光線で崩れた城の瓦礫に当たり、腕を骨折している。
包帯に巻かれた腕が小刻みに震えた。
傍らでエリシアが王の背中を擦る。
エリシアもボロボロだ。背中の開いた白いドレスの上から、露出した肌という肌に包帯が巻かれている。
歌姫の身体に、戦争が刻んだ痕が痛々しく残っていた。
マーラ師団長が一歩前へ出た。
頭に包帯を巻き、甲冑は煤で黒ずんでいる。
声は悔しさで掠れていた。
「申し訳ありません……私たちが駆けつけたときには、司祭はもう……」
彼の脳裏に、典礼院の祭壇が蘇る。
紫の蝋燭の炎だけが、まだ揺れていた。
祈りの匂いのはずの場所が、血の匂いに塗り替えられている。
書棚は引き剥がされたように崩れ、床に散らばった頁が、誰かの足跡で踏みにじられていた。
司祭は、聖典を抱えるようにして死んでいた。
守ろうとしたのだ。最後まで。
だが、そこから無理やり片腕ごと剥ぎ取られ――聖典は、破られていた。
祈りの匂いの代わりに、血の匂いだけが残っていた。
「司祭は最後まで聖典を守ろうとしたようです……それが功を成して、全ては奪われておりません」
マーラ師団長はそう言って、唇を噛んだ。
「奪われたのは……アウリアの断簡?それともツクヨの?」
隣でアクシオンが尋ねた。
声は平坦で、疲労の奥に冷たい芯が残っている。
マーラ師団長が驚いたように目を見開いた。
「アクシオン殿……そのお二方がお書きになったものと知っていたのですか?」
「ええ……司祭に直接教えてもらったからね……それで、どっちなの?」
「わかりません……申し訳ありません。私はこれまで直接見たことがなかったものですから……ただ、聖典は裏表紙の方から無くなっています。破り取られたところには文字も何もなく、空白の頁のようでしたが……」
王が、挑むような目でアクシオンを見る。
「アクシオンよ……これでどちらの賢者様が残された方が奪われたのか推測できるか?」
「はい……奪われたのはツクヨの方でしょう。私もこの目で聖典を閲覧させて頂きましたが、アウリアが残した断簡と比較して、ツクヨの断簡は数頁にも満たないのです。よって、聖典の後半は空白の頁が続きます。」
「ならば……安心ではないか……リユニエ軍も愚かなことをしたものだ。中身をろくに確認もせずにもぎ取るとはな」
セレノス王が安堵の息を漏らす。
だが、その空気を、アクシオンの声が切り裂いた。
「リユニエ王国の目的が空白の頁に記された断簡であれば、話が変わってきますがね」
謁見の間が凍りつく。
全員が紫紺の巫女を見た。
「どういうこと……アクシオンちゃん……」
エリシアが震える声で尋ねた。
「空白の頁にはツクヨが残した言葉が記されています。でも、これは普通の目では解読できない」
アクシオンはそう言うと、紫紺の瞳の縁に螺旋状の紋様を浮かび上がらせた。
その目を見た瞬間、誰もが息を止める。
「私と同じこの目を持っていないと、中身は確認できないように術式が施されている」
王の喉から、重苦しい声が落ちた。
「アマリリスは最初から、聖典の……いや、聖典のツクヨ様が残された空白の頁を奪うことが目的だったということか?」
「確信は得られてませんが、そう考えると辻褄が合うし、この事態は緊急性を帯びてきます」
アクシオンの声は、報告書を読むみたいに平坦だった。
けれど胸の奥では、アメリの言葉が腐るように残っている。
――この戦争の勝利はお主にくれてやる……
あれは陽動だったのだ。
戦力の要を戦場に釘付けにすれば、城の守りは薄くなる。
混乱の最中に典礼院へ忍び込み、司祭を殺し、聖典を奪う。
それが“勝利”の本当の意味だったのだとしたら。
アクシオンは唇を噛んだ。
「具体的には……どういうことだ?」
セレノス王が前屈みになる。
「リユニエ王国は……アマリリスは……聖典を使って、何をしようとしているのだ?」
答えるより早く、背後から懐かしい声が聞こえた。
「影のものの復活だよ」
――その声に、アクシオンは息を止めた。
聞き間違えるはずがない。
謁見の間にいる者全員が驚き、声の主の方を振り返る。
アクシオンはその顔を見て、胸がきゅっと締まった。泣きそうになる。
燃えるような赤髪を肩まで伸ばし、溢れんばかりの生命ルミナを紅蓮の瞳に宿した次女――オルディナ。
まばゆい金髪を二つ結びに纏め、氷のように冷たくも慈しみを同時に纏った論理ルミナを従える青碧眼の末っ子――ロゴス。
二人が謁見の間の入口に立っていた。
「アクシオン姉ちゃん……久しぶり!」
ロゴスが少し照れたような表情で言う。
「オルディナ……ロゴス……無事だったのね……」
アクシオンは涙目で答えた。
二人はアクシオンの両隣に立つ。
三姉妹が、数ヵ月の時を経て、再び集結した。
「伝説の三姉妹が……揃ったか……」
セレノス王が独り言のように呟く。
傍らでエリシアが涙を流している。
「せっかくの再会のところ、すまないが、影のものの復活というのは本当か?」
王が議題に戻す。
「はい……そう見て間違いないでしょう」
ロゴスが淀みなく説明を始めた。
「私たちや精霊の力を吸収した神器は影のものの封印装置です。そして、聖典は――」
ロゴスはそこで切り、後をアクシオンに任せる。
「神器の解術装置でもあるということです。ツクヨの空白の頁が奪われたということは、あちらにも読める者がいるということ……そして、その空白の頁こそが、神器の“鍵”だと、ツクヨは私に伝えてくれました。」
アクシオンの言葉は、迷いなく並んだ。
泣きそうな胸を押さえつけるように、論理が先に走る。
この世界を壊す“鍵”が、すでに敵の手にある。
それだけが、確かな現実だった。
謁見の間に長い沈黙が流れた。
「これからどうする?」
セレノス王が三姉妹に聞く。
三姉妹は互いに顔を見合わせ、短く頷いた。
アクシオンが一歩、前に出る。
「私たちは聖典を……いえ、リユニエ王国を奪還します」
その声は凛としていた。
傷も、恐怖も、後悔も――全部抱えたまま、前を向く声だった。
三姉妹の最後の戦いの幕が、静かに上がった。
第6章 完
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