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三姉妹とリユニエの星環  作者: ケミパパ
第6章 譜面の戦場

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⑬槍座の変貌

※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)

13.



天雷槍座があった広場に、全身が黒い毛並みで覆われたグリフォンが退屈そうに欠伸をかいていた。


煤と煙が低く漂い、焼け焦げた石の匂いと、鉄が溶けた匂いと、人の体が焦げる匂いが混じり合って、空気そのものが粘ついている。

ガーゴイルどもは飽きもせず、かつて人だった肉や骨をつつき、ついばみ、引き裂いている。血の甘さが広場に残り、腐敗の兆しが生温い風に乗って鼻腔へ貼りついた。


グリフォンは軽蔑するような眼差しでそれを眺めた。

食う。壊す。笑う。

こいつらは、そういう命令を与えられたとおりに動くだけだ。――知能が低すぎる。


アメリ様が放った一撃で戦況は確実にこちらに好転した。

征服は、時間の問題だろう。もう一体が、この見るに堪えない悪魔と、影のルミナで改造された人間どもを率いて、のそのそと奥へ侵攻していった。


広場の向こう――壊滅した街の中心部から、人間の呻き声や怒号が聞こえる。

ということは、まだ抵抗しているということだ。

よく粘るものだ。粘ったところで、お前たちに待ち受けるのは“敗北”と“死”でしかないのに。


グリフォンは溜め息を吐くように短く鳴いた。

その声にガーゴイルが一斉にびくりと反応し、貪る手を止めた。

だが、次の瞬間には何事もなかったかのように、また肉を裂き始める。

同じ音。

同じ、骨が折れる音。

同じ、肉を噛みちぎる湿った音。


――同じだ。


空には天馬精霊が翼を広げて飛んでいる。

こちらに向かってくる気配はない。先ほどの一撃を一度は退けた巫女と、姫が乗っていたはずだ。

もはや何もできまい。できたのなら、目の前に広がる凄惨な光景は起きなかったはずだ。


グリフォンはもう一度、天馬精霊を見上げた。


桃色の髪を有した女が、天馬の背に乗っている。

――姫だな。

あの女の魔術は独創的だった。空の海に五線譜を引き、人間を導く。人間特有の協調性を術に変えるなど、滑稽ですらあるが、嫌いではない。

兵士たちの足が揃い、呼吸が揃い、剣の振りが揃う。

音で世界を縫い合わせる――そんな術だ。


だが、もう一人は――


いない。


グリフォンは目を見開いた。

天馬の背にいるのは、女が一人。姫だけしか確認できない。


巫女はどこだ?


首の羽毛が、ぞわりと逆立つ。

グリフォンは警戒の眼差しで辺りを見回した。

だが、広場にいるのは相変わらず、人間の亡骸に夢中なガーゴイルだけだ。


待て。


なぜ、その亡骸は無くならない?


グリフォンは首を傾げた。


ずっと、さっきから食べているはずだ。

骨も、肉も、臓も――尽きるはずだ。

無限に湧いてくるわけでもあるまい。


なのに、量が減っていない。


私の目の前に映っている光景が、先ほどから同じだ。

ガーゴイルの顎の動き。

骨が折れる音の間。

腐臭の濃さ。

煙の渦の形。

欠伸の余韻。


まるで、時間が一秒たりとも進んでいない。


――いや。


“進んでいるように見せられている”。


煙の匂いが、同じ位置で止まっている。

風が吹くはずの空で、煙が“揺れるだけ”で、移動しない。

耳元にあるはずの羽音が、同じ拍で繰り返される。


これは……。


まさか……これは巫女の!!


そう確信に迫った瞬間、背後から冷たい声が落ちた。


「……ありがとう……あなたは既に私の幻術の掌中よ。」


声は近い。

あり得ないほど近い。

振り向くより先に、視界の端が細く裂けた。

広場の色が、紙みたいに剥がれていく。


――見えていたのは、餌の山じゃない。

――聞こえていたのは、骨の音じゃない。

――嗅いでいたのは、匂いじゃない。


気づいたときには遅い。


グリフォンの意識は、そこで途切れた。





エリシアは天馬精霊ラファルの背に乗って、天雷槍座の広場に舞い降りた。

降りた瞬間、喉の奥がひゅっと縮む。


目を背けたくなった。


広場に上陸していたリユニエ王国の魔物軍は、既に一掃されている。

マーラ師団の軍員の亡骸を弄んでいたガーゴイルたちも、退屈そうにそれを眺めていたグリフォンさえも――全員、斬首されていた。

首が、無様に転がっている。

煤と血と灰の中で、首だけが妙に静かだ。

その首たちが囲むように、中心にアクシオンが立っていた。


「アクシオンちゃん……」


エリシアは恐る恐る巫女の名を呼んだ。

返事がないのでは、と一瞬だけ思う。

だが、アクシオンはゆっくりこちらを向いた。瞳の奥が、以前より澄んでいる。――澄みすぎている。


「ここは制圧したわ……準備に取りかかりましょう……」


アクシオンは淀みなく答えた。

その声の温度が、いつもより少しだけ低い。

――まるで、報告書を読み上げるみたいに。


嬉しいはずなのに、胸の奥が冷える。

遠い。

――アクシオンちゃんが、少し遠い。


「どうやって……」


エリシアは疑問を口にした。

自分の声が震えるのが嫌で、わざと明るく言いそうになる。だが、そんな余裕はどこにもなかった。


「《夢環断頭ループ・ギロチン》……《ルミナ・レクイエム》の三重螺旋を取り戻したから、発動できた幻術よ……あちらは自分が死んだことなんて最後まで気付かなかったでしょうけど……」


アクシオンは涼しい声で言った。


これが本来の《ルミナ・レクイエム》の力……。

彼女は人だけでなく、精霊の内側まで見切る、その螺旋の瞳の本来の力を取り戻したのだ。

嬉しいはずなのに、アクシオンが遠い人になってしまったみたいで、寂しい。

――そして、少し怖い。


「エリシア?」


アクシオンが不思議そうに尋ねた。


「ううん……何でもない!……じゃあ、早速取りかかろ!」


エリシアは自分の声を立て直して、壊れた天雷槍座の方へ視線を向けた。


天雷槍座は、砲台の骨だけになっていた。

だが、完全に死んでいない。

黒竜の光線を直撃してなお、槍座には微弱なルミナの流れが残っている。

――消え残った火種みたいに。


アクシオンは槍座に駆け寄り、手で触れた。

三重螺旋が、ゆっくりと回転を始める。

その瞬間、槍座の内部で“何かが”噛み合った音がした。


「思った通りだわ……」


アクシオンの声が小さく落ちる。


槍座が――“砲の顔”をやめた。

そういう感触が、確かにあった。


「エリシア……今から私がありったけの意味ルミナを槍座に流すわ……あなたはあなたの糸状のルミナを使って、槍座を“編み直して”くれないかしら?」


「わかったわ……アクシオンちゃん」


エリシアは両手を広げ、金銀のルミナを糸状に幾重にも放出させる。

糸は空気を縫い、槍座の周囲を包む。

いつでも縫合できるように――いつでも、傷を閉じられるように。


「いくわね……」


アクシオンが短く言い、目を見開いた。

三重螺旋がさらに速度を上げて回転する。


呼応するかのように、散らばっていた部品の破片が本体へ吸い寄せられる。

砕けた黄金の飾り。

裂けた導線。

歪んだ骨格。

それらが紫色に発光しながら集まり、一本の“槍”へと組み替えられていく。


まるで、ちぎれた生地を練り直し、一本の形へ整えるみたいに。

槍座は自身を回転させ、ねじれていく。

ねじれが接合部を噛み合わせ、まだ甘い継ぎ目を、エリシアの金銀の糸が縫い留めていく。

糸は刺さり、引かれ、結ばれ、ほどけず、逃げない。


金属が軋み、火花が散る。

やがて、天雷槍座は一本の巨大な槍へと変化した。

槍は黄金に輝いている。

内部で雷が唸り、刃先が空気を震わせる。

“砲台”ではない。

“投げるための形”だ。


「……本当に……」


エリシアが感嘆の声を漏らす。


そのとき、ラファルが鋭く前を見た。

黒竜の方角だ。


「アクシオン……エリシア……急ぎましょう」


ラファルの声が低い。

黒竜はまだ沈黙している。だが巨大な胸がゆっくり上下し、鬣が金色に発光し始めていた。

“次”を作っている。

起きる前兆の光だ。


アクシオンは頷くと、術名を告げた。


「《ルミナ・レクイエム──律巫顕現スティリア・ノクターナ》……!」


紫紺のルミナが溢れ出し、彼女の背後に神々しき装束を纏った巫女が形成されていく。

三重螺旋の回転は止まらない。

巫女は上半身だけでなく、下半身の衣装まで形を持った。

もはや巨大な巫女――いや、女神が顕現したようだった。


「私の《律巫顕現スティリア・ノクターナ》で天雷槍座を投げ込む……」


アクシオンが凛とした声で言うと、エリシアとラファルは頷いた。


広場に立つ巨大な巫女は、沈黙する黒竜を見つめていた。

慈愛みたいな顔で殺す角度を測っている。


黄金の槍が、低く唸る。

エリシアの金銀の糸が、槍の周囲で最後の結び目を作った。


反撃の準備は、整った。



――つづく

ここまで読んでいただきありがとうございます✨

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