⑫三重螺旋
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
12.
人の体が焦げる匂い、
血の匂い、
建物が爆ぜ、燃えている匂いが鼻につく。
住民の悲鳴。
マーラ師団の悲痛な叫び、怒号。
建物が崩れ、瓦礫が積もる音が耳にこびりつく。
それとは別に――耳元に、心地よい翼がばさつく音が入ってくる。
アクシオンはぼんやりと目を開けた。視界がまだぼやけている。瞼の裏が熱い。まばたきするたびに、紫紺の光が火花みたいに散って、すぐに黒い滲みへ変わる。
しばらくは《ルミナ・レクイエム》を発動できないだろう。
いや――発動できない、というより、瞳が拒んでいる。意味ルミナを流そうとすると、内側から針で刺されるみたいな痛みが走って、息が詰まる。
「意識が戻りましたか……アクシオン」
透き通った声が頭上から降り注いだ。
アクシオンは驚き、体を起こそうとするが、節々に激痛が走り、顔を歪める。
「……っっ」
手足はある。だが、身体中に切り傷が走っていて、肌が裂け、服は煤で黒く汚れている。どこを動かしても痛い。喉が渇いて、舌の奥に鉄の味が残っていた。
ぼんやりとした視力で声の主を捉える。
天馬精霊――ラファルがアクシオンを背に乗せ、空を羽ばたいていた。白銀の翼が風を切るたび、空気が少しだけ澄む。けれど、その澄んだ空気さえ、下から立ちのぼる煙と焦げ臭さにすぐ汚されていく。
「ラファル……ありがとう……」
アクシオンは喉から声を絞り出した。
「礼には及びません……」
ラファルの声は優しい。だが、どこか重い。
翼音が一拍だけ乱れた気がして、アクシオンは背中越しにその躊躇いを感じ取った。
アクシオンはゆっくりと首を動かし、背後を見る。
エリシアが気を失ったまま、ラファルの背に横たわっている。淡い桃色の髪に煤が絡み、青白くなった唇はかすかに震えているようにも見えた。
「みんなは……?」
アクシオンが弱々しく聞くと、ラファルは一度、目を伏せた。ほんの一瞬。祈るみたいに。
そして、視線を下へ向けた。
アクシオンも倣って下を見る。
「ごめんなさい……」
その言葉が、翼のばさつきよりも重く落ちた。
「でもあなたたちを失えば、この戦争には負けてしまう……他の人々には申し訳ないと思いましたが、あなたたちの命を優先しました……」
ラファルが重い声で言った。
だが、それは殆どアクシオンの耳に入ってこなかった。
目を背けたくなるくらい凄惨な状況が広がっていたからだ。
二発目の黒い光線は容赦なく、アステリアを壊滅的状況に陥れていた。
《天雷槍座》を構えていた広場は消失し、かつて《天雷槍座》であった装置の残骸からは、消えることのないくらい炎が燃え上がっている。
あの黄金の装飾も、誇りも、調律線も――すべて、熱で捻じ曲げられた金属の塊として、赤黒い炎に舐められていた。
そこに、一匹のグリフォンが巣を構えるように鎮座していた。
全身が黒いグリフォン。その周囲には、マーラ師団の軍員の亡骸が転がっている。
ガーゴイルが複数、その亡骸を弄ぶように食い散らしていた。骨が折れる音が、やけに鮮明に聞こえる。血の匂いが風に乗り、喉の奥を焼く。
「うぅ……」
アクシオンは吐き気を催し、口元を手で抑えた。
胃の中に何もないのに、何かがせり上がってくる。涙が勝手に滲む。視界の黒い滲みが一瞬だけ濃くなり、世界が揺れた。
視線を街の方に向けたが、悲惨な状況は変わらなかった。
あの黒い光線は《天雷槍座》だけでなく、その背後に広がるアステリアの街並みを破壊尽くしていた。
住居の建物は無惨にも崩れ落ち、瓦礫の山と化し、炎と煙が立ち込めている。
逃げ惑う人影が見える。子どもの泣き声も混じっている。だが、叫び声は途中で途切れる。瓦礫の下敷きになったのか。炎に呑まれたのか。判断しようとした瞬間、アクシオンの胸の内側がひゅっと冷えた。
光線はアステリアの奥に鎮座するアステリア城まで抉っていた。
この地の象徴である淡い紫を基調とした城壁に、黒い弾痕が深く刻まれている。
城壁や城塔は崩れかかっており、かつての美しさは完全に失われていた。紫の石は煤で黒く染まり、黄金の縁取りは熱で溶け落ちて、ただの傷のようになっている。
「ひどすぎる……」
アクシオンは喉から声を絞り出した。そう言うのが精一杯だった。
もう一匹のグリフォン――全身が白色の毛並みのグリフォンが先導して、瓦礫の山と化したアステリアへ上陸している。
グリフォンは翼兵やガーゴイル軍を率いていた。
それを何とか防衛しようと、マーラ師団長が生き残った部隊を率いて、必死に抗っていた。
譜面は――もう、空にはない。
金銀の線が残滓のように点滅しては消え、消えてはまた微かに現れる。
エリシアの“歌”の痕跡が、空の海にまだ痛みとして残っている。
「ラファル……マーラ師団長たちの加勢に入らなきゃ……」
アクシオンが弱々しく言った。
だが、ラファルは一向にそちらに飛び立つ気配はない。翼は空の海の方角へ向いたまま、微動だにしない。
「ラファルっ!!」
アクシオンが大声で叫んだ。
「アクシオン……あなたのお役目は加勢ではない……あの黒竜を殲滅することなのでは?」
ラファルが優しい声で尋ねた。
その言葉は、優しいのに痛い。胸の奥に突き刺さって、抜けない。
「マーラ師団長らもそう願っているはずです。彼らが侵攻を食い止めて時間を稼いでくれている間に、あの竜を倒さなくてなりません。」
アクシオンははっとした。
視線が自然と、アステリアとは逆側――空の海へ向く。
黒竜と化したアメリは沈黙していた。
いくら竜王の力を取り込んだとはいえ、あれほどの高エネルギー光線を立て続けに二発も放ったのだ。
今の器では、諸刃の剣だったのかもしれない。
黒竜の巨大な胸が、ゆっくり上下している。
オッドアイの大きな瞳は閉じられていた。
黒紫のルミナが、潮のように周囲から引き寄せられて、鱗の隙間へ吸い込まれていく。
――充電。癒し。次の一撃のための静けさ。
「今があいつを打ち倒す絶好のチャンスって訳ね……」
アクシオンが言った。
「ええ……おそらく……この機を逃せば、今度こそアステリアは破滅するでしょう……」
ラファルは目を細めながら言った。
「でも……私にももう殆ど力は残っていないのよ……《ルミナ・レクイエム》も発動できないかも……」
アクシオンは唇を噛んだ。
目元には血痕が痛ましく残り、頬に乾いた血の筋ができている。
瞳の奥が、まだ熱い。痛い。怖い。
――それでも、逃げられない。
「諦めてはなりません……厳しいことを言うようですが、あなたも私も……そしてエリシアもこの世界を導く担い手です。」
ラファルの声が、静かに強くなる。
「私たちは自分の選択と言動に責任を持つ必要があります……逃げてはならないのです……」
アクシオンは目を見開いた。
その瞬間、脳裏にツクヨの言葉がよぎる。
――そろそろ時間のようですね……アクシオン……これから、どんなに苦しい決断を迫られても逃げてはなりません……
胸の奥で、何かが小さく鳴った。
怖さが消えたわけじゃない。痛みが消えたわけでもない。
ただ――「迷い」が、ひとつだけ削ぎ落ちた。
アクシオンは深呼吸した。
焦げ臭い空気が肺に入って、喉がひりつく。
それでも、吐かない。息を止めない。
「ありがとう……ラファル……私たちでアメリを殲滅しよう……」
アクシオンは前を向いていた。
ラファルは深く頷く。
「……あれほどの巨大なものを打ち倒すには、天雷槍座ほどの威力がないと、勝機はないでしょうね……」
ラファルが静かに言った。
アクシオンは視線を《天雷槍座》の変わり果てた姿へ戻した。
燃え上がる炎。溶けた黄金。ねじ曲がった槍身。
――“槍”が、まだそこに残っている。座も残っている。
壊れているのに、完全には死んでいない。
彼女の頭の中に、聖典の断簡の一節が浮かび上がる。
――正義とは、剣を抜く前に最後に問う問いである。
「その剣は、誰の痛みを救うのか」――
次の瞬間、アクシオンの頭に稲妻が走った。
「そうか……そういうことか」
声が自分のものじゃないみたいに、すっと出た。
「どうしたんです?」
ラファルが神妙な面持ちで聞いた。
「わかったの……本来の天雷槍座の役割が……」
その言葉に、ラファルの翼が一拍だけ強く鳴った。
――気づいたのか、と言うように。
「え?どういうこと……アクシオンちゃん?」
不意に後ろから弱々しい声が聞こえた。
エリシアがいつの間にか目を開けていた。
意識を取り戻し、アクシオンの肩越しに顔を覗かせている。
まだ瞳は揺れているのに、彼女はそれでも笑おうとしていた。
「あれは砲台のように撃つんじゃなくて……槍のように投げるものなんじゃないかって……」
アクシオンは言った。
「……槍、のように?」
エリシアが首を傾げる。だが、否定の響きはない。理解しようとしている。
「聖典には、天雷槍座を示している可能性のある言葉が“剣”って書かれていたわ。
それなのに、私たちは“砲”として扱っていた。固定して撃つためだけの装置みたいに……」
アクシオンは燃え上がる残骸を見つめた。
「でも……あれは“槍座”よ。槍を“座”に載せて、祈りで通して……
最後は、剣みたいに、手で選んで振るう。投げる。
そういう使い方が、元から用意されていたんじゃないかしら……」
言いながら、胸が熱くなる。
恐怖ではない。
意味ルミナが、内側でざわついている。
「言ってることは何となくわかるけど……もし、そうだったとしたら、あれをどうやって投げるの?」
エリシアが神妙な面持ちで聞いた。
アクシオンは一度、息を吸った。
そして、聖典の言葉をそのまま口にした。
台詞のトーンを変えずに、ただ、祈るように。
「正義とは、剣を抜く前に最後に問う問いである。
『その剣は、誰の痛みを救うのか』」
「え?」
エリシアが首を傾げる。
「聖典に記されていた言葉よ……私たちは今一度問わないといけないのかもしれない……この戦争で、誰の痛みを救おうとしているのか……」
アクシオンは視線を黒竜へ向けた。
瞳を閉じたままの黒竜。
その巨体の周りで、黒紫のルミナが静かに脈を打つ。
“抱え込む”ものの痛みが、そこにある。
「私はアメリを……ううん……影のものの痛みを受け入れることが運命なのね……
それが、この剣を振るう理由でもある……」
その瞬間だった。
アクシオンの身体の底から、突如、凄まじい量の意味ルミナが沸き上がってきた。
冷たいのに温かい。鋭いのに優しい。
それが血の中を逆流して、胸を満たし、喉を通り、瞳へ向かって流れ込む。
痛みが走る。
だが、今回は違う。
痛みの奥に、“道”がある。
彼女の紫紺の瞳に再び、螺旋状の紋様が姿を表す。
一重ではない。二重でもない。
三重の螺旋が、静かに――確かに回り始める。
瞳の奥で、何かが開く音がした。
「アクシオンちゃん……」
エリシアが感嘆の声を漏らした。
ラファルも、息を呑んだ気配を見せる。天馬精霊の翼音が、ほんの少しだけ澄んだ。
「エリシア……ラファル……ここからよ……必ずアステリアを守ってみせるわ!」
アクシオンは凛とした声で言った。
その声は震えていない。怖さが消えたわけじゃない。
でも、逃げないと決めた声だった。
下では、まだ人が叫んでいる。
炎が燃えている。
瓦礫が崩れている。
その全部が、痛みとして、アクシオンの胸に突き刺さったままだ。
だからこそ、彼女は目を逸らさない。
反撃の狼煙が、今まさに上がった。
――つづく
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