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三姉妹とリユニエの星環  作者: ケミパパ
第6章 譜面の戦場

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⑫三重螺旋

※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)

12.


人の体が焦げる匂い、

血の匂い、

建物が爆ぜ、燃えている匂いが鼻につく。

住民の悲鳴。

マーラ師団の悲痛な叫び、怒号。

建物が崩れ、瓦礫が積もる音が耳にこびりつく。


それとは別に――耳元に、心地よい翼がばさつく音が入ってくる。

アクシオンはぼんやりと目を開けた。視界がまだぼやけている。瞼の裏が熱い。まばたきするたびに、紫紺の光が火花みたいに散って、すぐに黒い滲みへ変わる。


しばらくは《ルミナ・レクイエム》を発動できないだろう。

いや――発動できない、というより、瞳が拒んでいる。意味ルミナを流そうとすると、内側から針で刺されるみたいな痛みが走って、息が詰まる。


「意識が戻りましたか……アクシオン」


透き通った声が頭上から降り注いだ。

アクシオンは驚き、体を起こそうとするが、節々に激痛が走り、顔を歪める。


「……っっ」


手足はある。だが、身体中に切り傷が走っていて、肌が裂け、服は煤で黒く汚れている。どこを動かしても痛い。喉が渇いて、舌の奥に鉄の味が残っていた。


ぼんやりとした視力で声の主を捉える。

天馬精霊――ラファルがアクシオンを背に乗せ、空を羽ばたいていた。白銀の翼が風を切るたび、空気が少しだけ澄む。けれど、その澄んだ空気さえ、下から立ちのぼる煙と焦げ臭さにすぐ汚されていく。


「ラファル……ありがとう……」


アクシオンは喉から声を絞り出した。


「礼には及びません……」


ラファルの声は優しい。だが、どこか重い。

翼音が一拍だけ乱れた気がして、アクシオンは背中越しにその躊躇いを感じ取った。


アクシオンはゆっくりと首を動かし、背後を見る。

エリシアが気を失ったまま、ラファルの背に横たわっている。淡い桃色の髪に煤が絡み、青白くなった唇はかすかに震えているようにも見えた。


「みんなは……?」


アクシオンが弱々しく聞くと、ラファルは一度、目を伏せた。ほんの一瞬。祈るみたいに。

そして、視線を下へ向けた。


アクシオンも倣って下を見る。


「ごめんなさい……」


その言葉が、翼のばさつきよりも重く落ちた。


「でもあなたたちを失えば、この戦争には負けてしまう……他の人々には申し訳ないと思いましたが、あなたたちの命を優先しました……」


ラファルが重い声で言った。

だが、それは殆どアクシオンの耳に入ってこなかった。


目を背けたくなるくらい凄惨な状況が広がっていたからだ。


二発目の黒い光線は容赦なく、アステリアを壊滅的状況に陥れていた。


《天雷槍座》を構えていた広場は消失し、かつて《天雷槍座》であった装置の残骸からは、消えることのないくらい炎が燃え上がっている。

あの黄金の装飾も、誇りも、調律線も――すべて、熱で捻じ曲げられた金属の塊として、赤黒い炎に舐められていた。


そこに、一匹のグリフォンが巣を構えるように鎮座していた。

全身が黒いグリフォン。その周囲には、マーラ師団の軍員の亡骸が転がっている。

ガーゴイルが複数、その亡骸を弄ぶように食い散らしていた。骨が折れる音が、やけに鮮明に聞こえる。血の匂いが風に乗り、喉の奥を焼く。


「うぅ……」


アクシオンは吐き気を催し、口元を手で抑えた。

胃の中に何もないのに、何かがせり上がってくる。涙が勝手に滲む。視界の黒い滲みが一瞬だけ濃くなり、世界が揺れた。


視線を街の方に向けたが、悲惨な状況は変わらなかった。

あの黒い光線は《天雷槍座》だけでなく、その背後に広がるアステリアの街並みを破壊尽くしていた。


住居の建物は無惨にも崩れ落ち、瓦礫の山と化し、炎と煙が立ち込めている。

逃げ惑う人影が見える。子どもの泣き声も混じっている。だが、叫び声は途中で途切れる。瓦礫の下敷きになったのか。炎に呑まれたのか。判断しようとした瞬間、アクシオンの胸の内側がひゅっと冷えた。


光線はアステリアの奥に鎮座するアステリア城まで抉っていた。

この地の象徴である淡い紫を基調とした城壁に、黒い弾痕が深く刻まれている。

城壁や城塔は崩れかかっており、かつての美しさは完全に失われていた。紫の石は煤で黒く染まり、黄金の縁取りは熱で溶け落ちて、ただの傷のようになっている。


「ひどすぎる……」


アクシオンは喉から声を絞り出した。そう言うのが精一杯だった。


もう一匹のグリフォン――全身が白色の毛並みのグリフォンが先導して、瓦礫の山と化したアステリアへ上陸している。

グリフォンは翼兵やガーゴイル軍を率いていた。

それを何とか防衛しようと、マーラ師団長が生き残った部隊を率いて、必死に抗っていた。


譜面は――もう、空にはない。

金銀の線が残滓のように点滅しては消え、消えてはまた微かに現れる。

エリシアの“歌”の痕跡が、空の海にまだ痛みとして残っている。


「ラファル……マーラ師団長たちの加勢に入らなきゃ……」


アクシオンが弱々しく言った。

だが、ラファルは一向にそちらに飛び立つ気配はない。翼は空の海の方角へ向いたまま、微動だにしない。


「ラファルっ!!」


アクシオンが大声で叫んだ。


「アクシオン……あなたのお役目は加勢ではない……あの黒竜を殲滅することなのでは?」


ラファルが優しい声で尋ねた。

その言葉は、優しいのに痛い。胸の奥に突き刺さって、抜けない。


「マーラ師団長らもそう願っているはずです。彼らが侵攻を食い止めて時間を稼いでくれている間に、あの竜を倒さなくてなりません。」


アクシオンははっとした。

視線が自然と、アステリアとは逆側――空の海へ向く。


黒竜と化したアメリは沈黙していた。

いくら竜王の力を取り込んだとはいえ、あれほどの高エネルギー光線を立て続けに二発も放ったのだ。

今の器では、諸刃の剣だったのかもしれない。


黒竜の巨大な胸が、ゆっくり上下している。

オッドアイの大きな瞳は閉じられていた。

黒紫のルミナが、潮のように周囲から引き寄せられて、鱗の隙間へ吸い込まれていく。

――充電。癒し。次の一撃のための静けさ。


「今があいつを打ち倒す絶好のチャンスって訳ね……」


アクシオンが言った。


「ええ……おそらく……この機を逃せば、今度こそアステリアは破滅するでしょう……」


ラファルは目を細めながら言った。


「でも……私にももう殆ど力は残っていないのよ……《ルミナ・レクイエム》も発動できないかも……」


アクシオンは唇を噛んだ。

目元には血痕が痛ましく残り、頬に乾いた血の筋ができている。

瞳の奥が、まだ熱い。痛い。怖い。

――それでも、逃げられない。


「諦めてはなりません……厳しいことを言うようですが、あなたも私も……そしてエリシアもこの世界を導く担い手です。」


ラファルの声が、静かに強くなる。


「私たちは自分の選択と言動に責任を持つ必要があります……逃げてはならないのです……」


アクシオンは目を見開いた。

その瞬間、脳裏にツクヨの言葉がよぎる。


――そろそろ時間のようですね……アクシオン……これから、どんなに苦しい決断を迫られても逃げてはなりません……


胸の奥で、何かが小さく鳴った。

怖さが消えたわけじゃない。痛みが消えたわけでもない。

ただ――「迷い」が、ひとつだけ削ぎ落ちた。


アクシオンは深呼吸した。

焦げ臭い空気が肺に入って、喉がひりつく。

それでも、吐かない。息を止めない。


「ありがとう……ラファル……私たちでアメリを殲滅しよう……」


アクシオンは前を向いていた。

ラファルは深く頷く。


「……あれほどの巨大なものを打ち倒すには、天雷槍座ほどの威力がないと、勝機はないでしょうね……」


ラファルが静かに言った。


アクシオンは視線を《天雷槍座》の変わり果てた姿へ戻した。

燃え上がる炎。溶けた黄金。ねじ曲がった槍身。

――“槍”が、まだそこに残っている。座も残っている。

壊れているのに、完全には死んでいない。


彼女の頭の中に、聖典の断簡の一節が浮かび上がる。


――正義とは、剣を抜く前に最後に問う問いである。

「その剣は、誰の痛みを救うのか」――


次の瞬間、アクシオンの頭に稲妻が走った。


「そうか……そういうことか」


声が自分のものじゃないみたいに、すっと出た。


「どうしたんです?」


ラファルが神妙な面持ちで聞いた。


「わかったの……本来の天雷槍座の役割が……」


その言葉に、ラファルの翼が一拍だけ強く鳴った。

――気づいたのか、と言うように。


「え?どういうこと……アクシオンちゃん?」


不意に後ろから弱々しい声が聞こえた。

エリシアがいつの間にか目を開けていた。

意識を取り戻し、アクシオンの肩越しに顔を覗かせている。

まだ瞳は揺れているのに、彼女はそれでも笑おうとしていた。


「あれは砲台のように撃つんじゃなくて……槍のように投げるものなんじゃないかって……」


アクシオンは言った。


「……槍、のように?」


エリシアが首を傾げる。だが、否定の響きはない。理解しようとしている。


「聖典には、天雷槍座を示している可能性のある言葉が“剣”って書かれていたわ。

それなのに、私たちは“砲”として扱っていた。固定して撃つためだけの装置みたいに……」


アクシオンは燃え上がる残骸を見つめた。


「でも……あれは“槍座”よ。槍を“座”に載せて、祈りで通して……

最後は、剣みたいに、手で選んで振るう。投げる。

そういう使い方が、元から用意されていたんじゃないかしら……」


言いながら、胸が熱くなる。

恐怖ではない。

意味ルミナが、内側でざわついている。


「言ってることは何となくわかるけど……もし、そうだったとしたら、あれをどうやって投げるの?」


エリシアが神妙な面持ちで聞いた。


アクシオンは一度、息を吸った。

そして、聖典の言葉をそのまま口にした。

台詞のトーンを変えずに、ただ、祈るように。


「正義とは、剣を抜く前に最後に問う問いである。

『その剣は、誰の痛みを救うのか』」


「え?」


エリシアが首を傾げる。


「聖典に記されていた言葉よ……私たちは今一度問わないといけないのかもしれない……この戦争で、誰の痛みを救おうとしているのか……」


アクシオンは視線を黒竜へ向けた。

瞳を閉じたままの黒竜。

その巨体の周りで、黒紫のルミナが静かに脈を打つ。

“抱え込む”ものの痛みが、そこにある。


「私はアメリを……ううん……影のものの痛みを受け入れることが運命なのね……

それが、この剣を振るう理由でもある……」


その瞬間だった。


アクシオンの身体の底から、突如、凄まじい量の意味ルミナが沸き上がってきた。

冷たいのに温かい。鋭いのに優しい。

それが血の中を逆流して、胸を満たし、喉を通り、瞳へ向かって流れ込む。


痛みが走る。

だが、今回は違う。

痛みの奥に、“道”がある。


彼女の紫紺の瞳に再び、螺旋状の紋様が姿を表す。

一重ではない。二重でもない。

三重の螺旋が、静かに――確かに回り始める。

瞳の奥で、何かが開く音がした。


「アクシオンちゃん……」


エリシアが感嘆の声を漏らした。

ラファルも、息を呑んだ気配を見せる。天馬精霊の翼音が、ほんの少しだけ澄んだ。


「エリシア……ラファル……ここからよ……必ずアステリアを守ってみせるわ!」


アクシオンは凛とした声で言った。

その声は震えていない。怖さが消えたわけじゃない。

でも、逃げないと決めた声だった。


下では、まだ人が叫んでいる。

炎が燃えている。

瓦礫が崩れている。

その全部が、痛みとして、アクシオンの胸に突き刺さったままだ。

だからこそ、彼女は目を逸らさない。


反撃の狼煙が、今まさに上がった。



――つづく

ここまで読んでいただきありがとうございます✨

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