⑪譜面に轟く黒竜の咆哮
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
11.
譜面の戦場に、乾いた拍手が木霊した。
ぱち、ぱち、と。
まるで、戦争という名の演奏に賞賛を送るみたいに。
アクシオンは螺旋の瞳の奥に走る痛みを噛み殺し、拍手のした方向へ視線を向けた。
空の海の中央。
アメリが、不気味な笑みを浮かべたまま拍手している。
「……見事だ……アクシオン」
短い感想。
だが、その一言に含まれる温度は、褒め言葉ではなく、刃だった。
二匹のグリフォンは、譜面の裂け目の上空で旋回している。
翼兵やガーゴイルのように落ちていない。
目も、死んでいない。
グリフォンは魔物の中でも知能の高い種族だ。
アクシオンの魔術の“届く距離”を測っているのだろう。
一歩踏み込めば悪夢に絡め取られる。
だが離れれば、獲物を逃す。
――その葛藤が、獣の目をさらに鋭くしていた。
「余裕でいられるのも今のうちよ……アメリ……この目には、数なんて無に等しい。」
アクシオンは冷たく言った。
声は震えていない。
震えたら、負ける。
「あはははは……」
乾いた笑い声が、譜面の戦場を滑る。
アメリは妖艶な表情を浮かべながら、優雅に笑っていた。
「お主の言う通りだ……確かにお主の前では、数の策は通じぬな」
首を何度か振り、同意するふりをする。
それが、なおさら侮辱に見えた。
「では……圧倒的な力を前にすれば……どうする?」
アメリが、いたずらをしたときみたいに八重歯を見せ、にやりと笑う。
次の瞬間だった。
アメリから凄まじい勢いで黒紫のルミナが溢れだし、彼女を包み込んだ。
優しく、ではない。
“慈しむように”見せかけて、絡み取る。
空の海に張り巡らされた譜面が、びり、と震えた。
金銀の譜線が波打ち、兵士たちの足元が一瞬だけ浮く。
血の匂いが風に乗って鼻にこびりつく。
太陽は出ているのに、空気が冷たい。
冷たいだけではない。息が、薄い。
――薄いのではない。
呼吸の仕方を、忘れさせられる。
アクシオンはアメリを凝視していた。
背筋に、嫌な汗が流れる。
黒紫のルミナは触手となって、アメリの白い肌に纏わりついていく。
触手はただの影ではない。
彼女の輪郭を、皮膚の上から“書き換える”みたいに這った。
鼓動のたびに脈打ち、律動のたびに増える。
アメリはそれを拒まない。
むしろ祝福を受け取る巫女みたいに目を細め、息を吐いた。
その吐息が落ちるたび、戦場のどこかで兵士の喉が鳴った。
敵味方の区別はない。
見惚れているのではない。
――見させられている。
目を逸らしたいのに、逸らせない。
瞼が重い。
頭の中に、黒い音が満ちていく。
やがて、触手が彼女の全身を包み込んだ。
黒紫の繭。
それは滑らかに膨らみ、脈を打ちながら大きくなる。
空鯨を丸呑みできるほど。
いや――空そのものを喉奥へ引きずり込むほど。
一瞬、譜面の戦場に静寂が訪れた。
空の海の波音も。
翼の音も。
剣の擦れる音さえも消えた。
繭は、脈打ち、ひび割れた。
パキパキ
パキパキ
割れ落ちる黒紫の破片が、空へ散る。
その中から――
巨大な黒竜が姿を現した。
胴体は蛇のように長く、黒と紫の鱗で全身が覆われている。
金色の鬣は太陽を浴びて美しく輝き、同時に、その光が不吉に見えた。
美しいのに、見てはいけないもの。
「ぐおおおおおおおおっっ!!!!」
耳が割れんばかりの雄叫びが、譜面の戦場を叩き割った。
金銀の譜線が震え、いくつかが、ぱちん、と音を立ててちぎれる。
空の海の波は荒れ、神が顕現したことを祝福するかのように白く泡立った。
「そんな…………」
天雷槍座の鎮座から、エリシアが弱々しい声を漏らした。
「アクシオン殿……やつは、竜王アメジスの力を?」
マーラ師団長が唇を噛む。
「ええ……アメリはアメジスを取り込んだ存在よ……」
アクシオンは戦場から目を逸らさないまま言った。
取り込んだのは“力”だけじゃない。
竜の型――器までだ。
黒竜の眼が、天雷槍座を捉える。
「アクシオン……憤怒の絶望というものを味わわせてくれよう……」
地鳴りのような声が空から降り注いだ。
アクシオンは敏感に、黒竜のルミナの流れを感じ取った。
引き潮みたいに、黒紫のルミナが黒竜へ吸い寄せられていく。
周囲の“影”が集まっている。
戦場に落ちた痛みも、恐怖も、血も――全部。
「いけない!!マーラ師団長!軍隊を引かせて!!」
アクシオンが血気迫る声を張り上げる。
「総員撤退せよっっ!!!」
ただならぬことを感じ取ったマーラ師団長が、喉を張り裂かんばかりに叫んだ。
譜面の戦場に侵攻していた全部隊が、一斉に天雷槍座へ走り出す。
――間に合わない。
アクシオンは唇を噛んだ。
黒竜の鬣が発光を始める。
黒竜の体内に、超高密度の黒紫のルミナエネルギーが圧縮されていく。
大きな鼻から蒸気がプシュゥゥゥと音を立てて吐き出され、空気がさらに冷える。
「エリシアっっ!!兵士たちを!!」
アクシオンが叫ぶと、エリシアは頷き、両手を大きく広げた。
譜面が波打ち、譜面上を走っていた兵士がこちらへ一斉に運ばれてくる。
まるで、ムービングウォークに乗っているみたいに。
――でも。
「遅い!!」
黒竜から凄まじい殺気を纏った黒紫の光線が放たれた。
空の海が一瞬、割れた。
譜面が、音もなく消える。
味方であるはずのガーゴイルも翼兵も、触れた瞬間に“無”へ還る。
抵抗の声さえ上がらない。
ただ、消える。
光線は一直線に天雷槍座へ向かってくる。
ぎりぎりで最後の兵士がこちらへ流れ込んできた。
その瞬間、アクシオンが凛とした声で叫ぶ。
「《ルミナ・レクイエム──律巫顕現》……!」
紫紺のルミナが溢れ出し、彼女の背後に神々しき装束を纏った巫女の上半身を形成していく。
――だが。
両目に激痛が走った。
「ぐっ……」
形成された巫女は不安定だった。
《夢葬輪唱》の副作用。
瞳の奥が焼ける。
視界が揺れる。
それでも巫女の手が、黒竜の光線を辛うじて受け止めた。
ギュイイイイイ――
耳を塞ぎたくなるような鋭い金属音が響いた。
パキ……
パキ、パキ……
巫女の手、腕に亀裂が走る。
あの黒点の構造体とは比べ物にならない。
質が違う。
重さが違う。
螺旋の瞳から一筋の血の涙が滴る。
アクシオンは歯を食いしばった。
「アクシオンちゃん!!」
エリシアが駆け寄り、後ろから強く抱き締める。
その瞬間、金銀の糸状のルミナが亀裂へ集まり、ひびを縫い付けていく。
顕現した巫女の身体に調律線が走り、頭上に音階の符号で構成された円環が出現した。
二人の魔術が、ひとつの巫女を完成させる。
《律巫顕現》は安定を取り戻した。
巫女の手に遮られた黒い光線は行き場を失い、霧散していく。
「このまま一気に!!」
アクシオンが声を張り上げると、巫女が両手をさらに前へ差し出した。
押し返す。
押し返す。
そして――ついに、光線が完全に消失した。
「はぁ……はぁ……はぁ……やった……」
アクシオンは肩で息をしていた。
立っているのがやっとだ。
膝がぷるぷると震える。
視界がぼやける。
また、両目に激痛が走った。
「ぐっ…………」
アクシオンが両目を覆うと、それに呼応するかのように《律巫顕現》は姿を消した。
鉄の味が、今度は喉まで上がってくる。
天雷槍座から歓喜の声が上がる。
マーラ師団の軍員たちが、恐怖を忘れたように叫ぶ。
「アクシオン殿!さすがです!」
「ありがとうございます!!」
だが、アクシオンは笑えなかった。
ぼやけた目で、黒竜を見据える。
黒竜は地響きのような声で笑う。
「これを弾くとは予想外だ……アクシオンよ」
その笑いが、すぐに消えた。
影が差す。
そして、低い声が落ちてくる。
「では……二発目はどうする?」
「え……」
――嘘でしょ。
腑抜けた声が漏れた瞬間、黒竜の喉奥がもう一度、赤黒く――いや、黒紫に発光した。
空気が引き絞られる。
さっきとは違う。溜めがない。迷いもない。
「――っ!」
アクシオンが息を呑んだときには遅かった。
黒竜の口が開く。
そして、二発目の黒い光線が放たれた。
目の前が、真っ黒な闇で覆い尽くされた。
――つづく
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