➉譜面の戦場
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
10.
アステリアの交易路は、黒点が爆ぜて生じた黒煙の渦が立ち上っていた。
煙にのって、金属の焼けた匂いがアクシオンの鼻につく。
喉の奥に、嫌な熱が残る。
――さっきの一撃の残響だ。
アクシオンはただ、黒煙の渦を凝視していた。
黒煙の渦は一向に収まる気配を見せない。
終わるはずがない。
そう直感が告げているのに、誰もそれを言葉にできなかった。
だが次の瞬間。
黒煙の渦が縦に割れて、あたりの視界が晴れた。
アクシオンは目を見開いた。
割れた煙の中から、踊り子のような舞踊衣装を纏った少女が現れたからだ。
淡いラベンダー色の髪を艶やかに下ろし、自信に満ちた表情を浮かべている。
黄金と紫のオッドアイが、光を冷たく反射する。
衣装から垣間見える透き通った白い肌が、逆に不気味さを増していた。
美しさが、刃のように尖っている。
近づきたくないのに、目が離せない――そんな質の光だ。
そこにいたマーラ師団の軍員全員が、ほんの一拍、彼女に見惚れていた。
妖艶さと残酷さを合わせもった存在。
竜王アメジスの力を取り込んだ“アメリ”だった。
「ご機嫌よう……諸君……」
アメリが冷たい冷気を纏った声で言った。
彼女がいるところからとても距離があるのに、いやにはっきりと声が聞こえる。
声が届くのではない。――“届かされている”。
「今しがた、我がリユニエ王国が配置した黒点が貴国の迎撃により、全て破壊されたことを確認した。」
「我々の文書の意図は伝わっておらなかったのだな……誠に残念だ……」
アメリは肩を竦めた。
その仕草ひとつが、戦場の空気を冷やす。
「これは明確な侵略行為だ……」
アメリはオッドアイの眼差しを向けながら、静かに言った。
侵略――。
その言葉が、いとも簡単に“正義”に化けることを、アクシオンは知っている。
文書の最後の一文。
迎撃すれば防衛的措置を取る、とあった。
あれは脅しではなく、“口実の準備”だったのだ。
「世迷い言を……それはこちらの台詞だ!!我がアステリアの海に勝手に兵器を配置し、侵略まがいなことをしていたのは貴国の方だろう!!」
マーラ師団長が声を荒げた。
「あははは……」
アメリは口に手を添えて、乾いた笑いをした。
いちいちその仕草が妖艶さを醸し出していて、軍員は彼女を凝視したままだ。
だが次の瞬間、その視線は恐怖に変わる。
「アステリアの海だと?驕るな……」
アメリから凍てつく殺気が、真っ直ぐに天雷槍座まで向かってきた。
周囲に黒紫のルミナの存在を感じる。
酸素が薄くなる。
いや、呼吸の仕方を忘れてしまったという方が正しいのかもしれない。
竜に睨まれた軍員たちは、何人か泡を吹いてその場で倒れてしまった。
その音が遅れて耳に届き、見惚れは一斉にほどけ、慌てと悲鳴が広がる。
倒れた者の白目が、空の海に浮かぶみたいに虚ろだった。
「貴様……」
マーラ師団長は唇を噛んだ。
倒れた軍員を見て、エリシアは震えていた。
彼女の脳裏に、アメリと初めて対峙したトゥリムの光景が過る。
「アメリ!やめなさい!」
アクシオンが螺旋の瞳で彼女を睨み返す。
目の奥が、じり、と痛む。
戦場の空気が歪む。
「アクシオン……いたのか……」
アメリは旧友に会ったような表情を浮かべた。
だが、すぐに凍てつくような視線を向ける。
「貴国が"裏切りの三姉妹"の一人を匿っている時点で、それは我が国への反逆行為であることに他ならない……」
「よって……黒点への迎撃による侵略行為……ならびに、裏切り者の保護による反逆行為を理由に、リユニエ王国はアステリアに報復措置を行う……」
アメリは何の躊躇いもなく言った。
次の瞬間、アメリの周りに数々の兵士と魔物が姿を現した。
背中から翼の生えた兵士で構成された軍団。
おびただしい数のガーゴイル軍。
二匹のグリフォン。
あっという間に空の海が、リユニエ王国の魔物軍に覆われてしまった。
影が増える。
影が増えるたび、空気が重くなる。
アメリは無言で静かに腕を振り下ろした。
それを合図に一斉に、兵士とガーゴイル軍がアステリアに侵攻を開始した。
「まずい!マーラ師団長、こちらも迎え撃たなくては!」
アクシオンが慌てて声を張り上げる。
「当然です!……エリシア姫!!」
マーラ師団長は天雷槍座に鎮座するエリシアに視線を向ける。
エリシアは深く頷いた。
「《天紋譜界》……」
エリシアが両手を空に向かって大きく広げて、術名を口にした。
すると、彼女を中心に金銀色の譜線のような糸状のルミナがゆらゆらと幾重にもなって編み出てきた。
糸状のルミナはエリシアを中心に同心円状に空へ伸びていく。
伸びた糸は五線譜のように形作られていく。
そのとき、空のどこかで、軽い羽音が弾けた。
天馬精霊ラファル。
目に見えないほど小さなきらめきが譜線の節々を走り、音程のズレを直すみたいに、譜面を“調律”していく。
「オーケーよ。マーラちゃん……空の海に"譜面"を引き終わったわ……」
エリシアが言うと、マーラ師団長は頷いた。
「ありがとうございます……エリシア姫」
「総員出撃!!」
マーラ師団長が声高らかにサーベルを空に掲げると、それを合図に軍員はエリシアの譜面に乗って、リユニエ軍を迎え撃った。
リユニエ王国とアステリアの空を賭けた戦争が開始した。
「私も援護するわ……《ルミナ・レク――……」
アクシオンがそう言いかけた、その瞬間だった。
「待って……!」
エリシアが鋭く声を上げる。
アクシオンははっとして、視線を空へ戻した。
――まだ、止めるには早い。
ここで《ルミナ・レクイエム》を解き放てば、敵だけではない。譜面に乗る味方の“拍”も、まとめて崩れる。
戦場を救うために、戦場を壊すことになる。
空の海に引かれた譜面は、今まさに“戦場そのもの”になっていた。
金銀色の譜線は、ただの線ではない。
兵士たちの足元で、たわみ、跳ね、伸び――
まるで指揮者の腕に合わせて形を変える“道”になっている。
「第一隊、四拍で上がれ!第二隊、休符で間を取れ!第三隊、和音で受け止めろ!」
マーラ師団長の号令は、音の指示で統一されていた。
兵士たちはそれを理解している。譜線に乗った瞬間、身体が軽くなる。
踏み込み一つで距離が縮む。
跳躍一つで高度が変わる。
譜面が、加速と減速を“正しいタイミング”で与えてくれる。
ラファルの羽音があちこちで弾け、譜線が微調整されていく。
兵士が踏み外さないように。
ガーゴイルの急降下が直撃しないように。
槍の一撃が、最短の軌道で届くように。
「来るぞ!!」
最初にぶつかってきたのは、翼の生えた兵士たちだった。
甲冑の隙間から覗く肌は青白く、目は熱のない硝子みたいに澄んでいる。
人間――
だが、どこか違う。
「斬るな!翼を潰せ!」
マーラ師団のスコット少尉が叫ぶ。
剣が火花を散らし、槍が軌道を描く。譜線の上で編隊が一斉に旋回し、敵の側面へ回り込む。
一体、二体、翼兵が落ちた。
だが落ちた先で、黒紫のルミナが揺らめいて――
再び空へ舞い戻ろうとする。
「……あれ、再生するの……?」
エリシアが呟く。声が震えている。
アクシオンは歯を食いしばった。
生きているのではない。
“命令通りに動くもの”だ。
そして――
次の波が、すぐ後ろに控えていた。
ガーゴイル軍。
おびただしい数の石のモンスターが、空の海を埋め尽くしていく。
翼を打つ音が、雨のように重なる。
その群れがひとつの塊になって押し寄せると、譜面の上の空気がひずむ。
音が、遠くなる。
「――息、が」
誰かが言った。
その言葉が終わらないうちに、別の兵士が喉を押さえて膝をついた。
酸素が薄い。
いや、薄いのではない。
アメリの“殺気”が、呼吸の仕方そのものを忘れさせる。
「怯むな!譜面に乗れ!!」
マーラ師団長が怒鳴った。
譜線が一段、強く光る。
兵士の足元の譜面が太くなり、隊列が立て直される。
「エリシア姫、変奏を!」
「わかった……!」
エリシアが両腕を振り上げると、空の海の五線譜が一瞬だけ“跳ねた”。
譜線が波を打つ。
その波に乗って、アステリア軍の槍が一斉に前へ滑り出した。
ガーゴイルの群れが、その槍の壁にぶつかる。
石の羽根が砕け、粉が散る。
落下しかけたガーゴイルが、譜線に触れた瞬間――
音もなく、動きが鈍った。
譜面が、敵の“拍”を奪っている。
「効いてる……!」
兵士の誰かが叫ぶ。
その瞬間だけ、戦場に希望が灯った。
だが、希望は長く続かなかった。
上から、影が落ちてきた。
二匹のグリフォン。
空を裂く咆哮が、譜面の振動を乱す。
金銀色の線が、ほんの少しだけ歪んだ。
それだけで足元が揺れる。
兵士たちの呼吸がまた乱れる。
「上だ!!」
グリフォンの爪が、譜線を“掴んだ”。
掴めるはずがない。
だが掴まれてしまった。
譜面が引きちぎられそうになる。
譜線が一瞬だけぱちん、と音を立てて裂けた。
同時に、空の海に不協和音が響く。
兵士たちの耳が、内側から圧迫される。
「っ……!」
エリシアが顔を歪め、胸元を押さえる。
口元から細く赤い血が滴る。
譜面は彼女の術だ。裂かれれば、術者に反動が返る。
「エリシア!」
アクシオンが叫ぶ。
だが、その声に答える余裕はなかった。
裂けた譜面の隙間から、翼兵が滑り込んでくる。
そしてガーゴイルの群れが、そこへ“流れ込む”。
堤防が決壊するように、一気に。
「隊列、崩れるぞ!」
マーラ師団長が叫んだ。
兵士たちが踏みとどまろうとする。だが、譜線が途切れた場所では足場が曖昧になる。
一人が、落ちた。
続けて、二人。
落下の叫びが風に吸われていく。
ガーゴイルの一体が、その落下する兵士へ飛びつこうとした。
次の瞬間、槍がそれを貫く。
だが貫いた兵士の腕も、ガーゴイルの重量で引きずられ――隊列から外れる。
「くっ……!」
マーラ師団長が歯噛みする。
戦場が、音を失っていく。
譜面はまだある。エリシアは必死に繋ぎ直している。
だが敵の数が多すぎる。
そして何より――
アメリが、動かない。
腕を組んだまま、空の海の中央で、ただ見ている。
その視線だけで、圧が増す。
息が浅くなる。
喉の鉄の味が濃くなる。
「……遊んでる……」
アクシオンは唇を噛んだ。
そのときだった。
譜面の裂け目を縫うように、黒紫の影が一直線に走る。
翼兵ではない。ガーゴイルでもない。
“速い”。
アクシオンは反射的に前へ出た。
――天雷槍座へ向かっている。
エリシアへ。
そして、譜面の中心へ。
「――っ!」
次の瞬間、冷たい風が頬を裂く。
グリフォンの影が、譜線を踏みつけるように降りてくる。
「まずい……!」
譜面が崩れれば、アステリア軍は空中で踏ん張れない。
踏ん張れなければ、落ちる。
落ちれば――
アクシオンの視界の端で、ガーゴイルの群れがいっせいに翼を畳んだ。
あれは突撃ではない。
“落下”だ。
譜面の中心を、質量で押し潰すつもりだ。
空の海が、黒い影で塞がれる。
エリシアの指先が震え、譜線が細くなる。
マーラ師団長がサーベルを握り直す。
兵士たちの顔から血の気が引いていく。
そして――アメリが、にやりと笑った。
紫色の口紅が不気味に光る。
「さあ……どうする?」
その声が、戦場の全員の鼓膜を撫でた。
彼女は爪を見ている。
まるで、戦況など眼中にないかのように。
アクシオンは、螺旋の瞳を細めた。
息を吸う。
胸の奥が、冷たく落ち着いていく。
「……もう、いい」
アクシオンは紫紺の瞳を閉じた。
全身の意味ルミナを両目に流し込む。
瞼の裏で螺旋が回り始める。
視界の端が、ほんの一瞬、白く滲んだ。
「エリシア……あなたの魔術……少し拝借するわ……」
「え?」
エリシアが虚をつかれたような顔をする。
アクシオンは答えない。
代わりに、譜面を見た。
譜線――それは音の道であり、拍の器だ。
その器を“増幅器”として借りる。
輪唱を成立させるための、空の檻として。
「お返しよ……夢の中で苦しみなさい……」
「《夢葬輪唱》」
アクシオンの螺旋の瞳が細くなる。
周囲の空気が静寂に包まれ、息する音すら聞こえなくなる。
彼女が歌った――
そう見えたのは、ほんの一瞬だけだった。
声は確かに、彼女の喉から生まれた。
だが次の瞬間、声はひとつではなくなった。
空の海に、同じ旋律が“遅れて”重なる。
一拍遅れ、さらに一拍遅れ――
見えない合唱が、四方八方から追いかけてくる。
エリシアの譜面が、その“遅れ”を刻む。
譜線が拍を保持し、空間に残す。
だから、輪唱が逃げない。
だから、恐怖は追いつく。
紫色のルミナが細い糸となって、兵士とガーゴイルの影へ縫い付けられていく。
糸は脳へではなく、“夢”へ繋がった。
最初に、ガーゴイルの翼がぎくりと止まった。
次に、兵士たちの指が剣を握る形のまま固まり、瞳だけが揺れた。
――そこから先は、静かな地獄だった。
マーラ師団の軍員も唾をごくりと飲み込んだ。
目の前に広がる凄惨な光景から目を背ける者もいた。
口が開く。
だが声は出ない。
代わりに、喉の奥で何かが焼けるような呻きが震え、涙が勝手に溢れ落ちる。
皆、同じ悪夢を“少しずつずれた時間”で見せられている。
逃げても逃げても、輪唱が追いついて、次の恐怖を上書きする。
ガーゴイルは空中で眠りに沈み、石像のように重くなって空の海から落下した。
兵士たちは膝から崩れ、剣を掲げたまま、祈るように頭を垂れる。
アクシオンは、冷たいほど穏やかな顔でそれを見届ける。
だが、その頬を一筋、汗が伝う。
喉の鉄の味が、さらに濃くなる。
目の奥が熱い。
――回り続ける螺旋が、痛い。
「……いい子ね。ちゃんと眠って」
その言葉が、最後の一声として――
また輪唱になった。
戦況はあっという間にアクシオンの手に委ねられた。
だが、アメリはそんな静かな地獄を目にしても、余裕の表情を浮かべたままだった。
彼女の足元で、黒紫のルミナが脈打つ。
まるで“次の拍”を待つみたいに。
――つづく
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