⑧口から落ちた言葉
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
8.
聖典を閲覧した日から五日経った朝、アクシオンは謁見の間に召集された。
リユニエ王国から抗議文書の返信文書が送られてきたためだ。
アクシオンが謁見の間に足を踏み入れると、張り詰めた空気が満ちていた。
セレノス王も、エリシアも、司祭も、書記官も、マーラ師団長も、みんな顔がこわばっている。
誰も声を出さない。
意味ルミナの温かさがこの場ではむしろ薄気味悪く、蝋燭の炎さえ息をひそめているようだった。
アクシオンが謁見の間の中央に立つと、王が口を開いた。
「みな……揃ったな……では、早速本題に入ろう。」
王が書記官に目配せした。
書記官は傍らに大事に持っていた封筒を掲げた。
封筒にはリユニエ王国の印が刻まれている。
「本日未明、リユニエ王国から正式に返信文書が送られてきました。開封し、内容を確認したいと思います。」
書記官は淀みなく言うと、封を切った。
彼が色褪せた紙で束ねられた書類を取り出すのを、皆は黙って見守っている。
紙の擦れる音が、やけに大きい。
書記官の指先は震えていない。声も揺れていない。
そこに感情が入る余地など、最初から用意されていないかのようだった。
「では……読み上げます。」
書記官は一度、咳払いすると、文書の内容を音読した。
アステリア セレノス王殿
件名:アステリア交易路境界に配置された構造体の即時撤去要求に関する見解
貴国の構造体の即時撤去要求に関し、当国の見解を述べる。
当該構造体はリユニエ王国が空の海を円滑に統治するために配置した装置である。
空の海はリユニエの歴史上、明確に境界を各国で定義してこなかった空白の海である。
当国はリユニエで発生している異常気象、ならびに三姉妹による裏切りにより発生した神器の不安定状態、またそれに伴う民への政治的不信の募りを鑑み、リユニエ全土を中央統治へ置く移行を図っている。
ゆえに、空の海もその一部であることに他ならない。
一方で、貴国の未だに当国の政策を独裁と誹謗し、非協力的な姿勢を貫いているだけでなく、今回のように我が国の政策の一部に対し、一方的な反論を展開していることは極めて遺憾である。我が国の立場からすれば、政治的な不安を促進させている反逆的な行為を試みているようしか見えない。
したがって、我が国としては断固として、貴国の要求は拒否する意向である。
もし、貴国が我が国の兵器を迎撃するようなことがあれば、こちらも防衛的措置を取ることに何の躊躇もないことを付け加えておく。
貴国の人道的判断に期待する。
リユニエ王国 アマリリス女王
最後の一行が読み上げられた瞬間まで、書記官の声は同じ高さだった。
そこに「民」も「死」も「痛み」も入っていない。
ただの手続きとして、戦争が紙の上で整えられていく。
ドン……
謁見の間に鈍い音が響いた。
見ると、セレノス王が鎮座に拳を打ち付けていた。
「ふげさるけなぁぁ!!!!」
セレノス王は顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がった。
雷鳴のような声が謁見の間に轟き、そこにいる者全員がびくっと体を跳ねらせる。
エリシアの肩がほんの少しだけ揺れたのを、アクシオンは見逃さなかった。
アマリリス……
とことんセレノス王を煽る気ね……
アステリアから手を"出させる"ために……
「アマリリス!!!絶対許さん……」
王は怒りが収まらないのか、体をぴくぴくと震わせ、肩で呼吸をしている。
傍らでは、父の容態を気遣うエリシアがいた。
「司祭……そなたの見解を述べよ……聖典には何と記されている?」
王は怒りの眼差しで司祭に視線を向けた。
司祭が緊張し、聖典を持つ手に力を込める。
きた……
アクシオンは司祭に視線を向けた。
司祭はそれに軽く頷いた。
「王よ……聖典によれば、我が国とリユニエ王国との衝突は避けられないのかもしれません」
「どういう意味だ?はっきりと申せ……」
王はいなすような目でじろりと司祭を見る。
「承知しました……では、該当する断簡を読み上げます。」
司祭は大きく深呼吸をして、先日アクシオンも確認した『報復の白さ』を読み上げた。
謁見の間に緊張した空気が満ちる。
王の顔から少しずつ怒りの表情がひいていく。
だが、目は怒りというより、聖典を受け入れる覚悟を纏った眼差しに変化していた。
拳はもう机を叩いていない。
代わりに、拳の骨が白く浮き、硬く握りしめられている。
怒りの向きが、相手ではなく「帰結」へ移っていくのがわかった。
「マーラ師団長……」
王が地響きのような声で呼んだ。
「はっ」
マーラ師団長は一歩前に出て、跪く。
「アステリアの天空迎撃兵器《天雷槍座》の整備を開始せよ……」
そこにいる者は全員目を開いた。
「よろしいのですか?」
マーラ師団長が神妙な面持ちで尋ねた。
「構わん……聖典で預言されているのなら、開戦は当然の帰結だ。」
王は迷いもなく、先日司祭が口にした言葉と全く同じ言葉を口に出した。
やっぱりこうなるのか……
アクシオンは唇を噛んだ。
「セレノス王……待ってください。」
アクシオンは凛とした声で言った。
やけに彼女の声が謁見の間に響いた。
全員が彼女の方に視線を向ける。
「迎撃兵器には……エリシアの歌の力が必要なのではないのでしょうか?」
言葉が、口から落ちた。
止める暇もなく。
心のどこかで「言うな」と叫んだ声があったのに、間に合わなかった。
言ってしまった瞬間、空気が一段、冷たくなる。
それは敵の文書より冷たかった。
「ほぉ……よく知っておるな……その通りだ。《天雷槍座》の起動・照準調整・出力調整など全面的にエリシアの"歌"の力が要となる。」
王が淀みなく話した。
隣でエリシアが虚を突かれたような表情を浮かべたが、すぐにその顔に影がさす。
「あなたはそこまでわかっていながら、実の娘を戦争に利用するのですか……」
アクシオンは涙じみた声で言った。
「いくら聖典がそう説いていも……あまりにも酷すぎる……」
「そんなことは……お主に言われなくてもわかっている……私も娘を持つ父親だ。娘を戦争に巻き込む……ましては、要として使うなど毛頭したくない……」
王は淀みなく言った。
「……だったら!!」
アクシオンが声を張り上げるより先に、それを制するように王が口を開いた。
「同時に私はアステリアを統べる王だ。この地に住む民への責任がある。この地の平和と安寧を勝ち取るために、聖典が戦争を必要としているのなら、喜んで……私は受け入れよう。その決断が実の娘を巻き込む選択であったとしてもだ。」
王は真っ直ぐとアクシオンを見つめた。
アクシオンも負けじと紫根の瞳で王を睨み返す。
《ルミナ・レクイエム》で屈服させるべきだろうか……このままでは、エリシアが危ない。
アクシオンの瞳の外縁に螺旋の紋様が浮かび上がろうとしている。
――でも。
それをやれば、私は“声で意志を封じる側”になる。
ツクヨが言っていた。
“声”をもって真なる意志を封じる、と。
アクシオンの喉がひゅっと鳴った。
躊躇が、遅れになっていく。
その迷いを、エリシアは見逃さなかった。
「……待って……アクシオンちゃん」
エリシアは透き通った声で名を呼んだ。
アクシオンは紫根の瞳にルミナを流すのを止めた。
外縁に滲み出ようとした螺旋の紋様は消えた。
「ありがとう……アクシオンちゃん。アクシオンちゃんの気持ち……とっても嬉しいわ……でも、私もこの地に王家として生まれた身……私はアステリアを守るために役割を全うするわ」
その声には断固とした覚悟が乗っていた。
エリシアの桃色の瞳には何の迷いも感じられない。
「……でも、エリシア――」
言い終えぬうちに、アクシオンは後ろから肩を掴まれた。
振り替えると、司祭が首を振っている。
"もう受け入れなさい"とでも言うように。
アクシオンは唇を噛んだ。
彼女の口の中でまた、鉄の味が広がる。
「エリシアよ……お前もマーラ師団長とともに《天雷槍座》の整備に当たれ……」
王が静かに言った。
「わかったわ……」
エリシアは短く言うと、マーラ師団長とともに謁見の間を出ていった。
「アクシオンよ……お主も戦にはもちろん協力してくれると思っていてよいな?」
王がじろりとアクシオンを見る。
「ええ……」
アクシオンは下を向いたまま短く答えた。
今の彼女にはそれが精一杯の返答だった。
「……期待している」
王はそう言うと、謁見の間を出ていった。
それが合図かのように、書記官や司祭など、謁見の間に集まっていた者が次々に退出していく。
謁見の間に一人残されたアクシオンには、後悔の念が生じていた。
さっきの一言が、頭の中で何度も反芻される。
迎撃兵器には、歌姫が要る。
それを言ったのは、私だ。
止めるために言った。
止めたいから言った。
なのに——言った瞬間から、歯車が噛み合って回り始めた。
アクシオンは拳を握りしめた。
握りしめたまま、ほどけない。
爪が掌に食い込み、痛みが走る。
それでも力を抜けなかった。
掌が、じわりと濡れる。
血だ。
落ちるほどではない。
けれど、確かに赤い。
アクシオンはそれを見て、笑いそうになった。
笑えるはずがないのに。
司祭は謁見の間の入口を抜ける際、ふと背後を振り返った。
螺旋の瞳を持つ女性はまだそこで深くうつめいたままだった。
――つづく
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