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三姉妹とリユニエの星環  作者: ケミパパ
第6章 譜面の戦場

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⑤月詠聖典

※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)

5.


謁見の間を後にしたアクシオンは、エリシアが教えてくれた"王らが口にする言葉"が、どうしても頭から離れなかった。


――"聖典の教えに照らせば、今は静観が最善だ"


聖典。


その二文字が、額の内側を小石で叩いたみたいに波紋を広げる。


知っているようで、知らない。

いや――知っている"はず"なのに、触れようとすると、指先から滑って落ちる。


アクシオンは回廊を歩きながら、何度もその感覚を確かめようとした。

だが、ダメだ。


思い出せない。

思考を深めようとすると、滑る……。


それなのに、胸の奥だけが妙にざわつく。

今後を左右するのは、剣でも槍でもなく、あの"書"なのだと――

直感だけが、確信に近い硬さで残っていた。


アステリア城の回廊には、不気味なくらい静謐な空気が漂っている。

意味ルミナに温かく包み込まれているはずなのに、どこか、おかしい。

嵐の前の静けさ、という言葉が、あまりにもぴったりだった。


口の奥に、まだ鉄の味が残っている。

雲の海で《律巫顕現》を無理に引き上げた代償だ。飲み込んでも、薄まらない。

それが――

歩くほどに、少しずつ濃くなっていく気がした。


アクシオンの足は、自然とある機関へ向かっていた。

理由はうまく説明できない。

ただ、身体の方が先に知っているみたいに、迷いなくそこへ運ばれていった。


金の蔦飾りに紫と桃色の宝石が散りばめられた、厳かな石畳の扉。

扉には、薄く機関の名が刻まれている。


――典礼院。


「あの"聖典"が保管されているとしたら……ここよね」


アクシオンは小さく苦笑した。

笑って誤魔化さないと、ここに立っているだけで背筋が粟立ちそうだったからだ。


扉を数回ノックする。


「……はい、どうぞ」


返ってきた声は乾いていた。

温度がないわけじゃない。むしろ逆だ。温度が"閉じ込められている"ような声だった。


アクシオンは取っ手に手をかけ、ゆっくりと扉を押した。

重たい扉が鈍い音をたてて動く。

その瞬間、鉄の味がまた濃くなった。


典礼院の部屋には壁一面に書棚が設けられていた。

リユニエ各地の文化、歴史、宗教――

それらを記した書が隙間なく並ぶ。

書棚が部屋を囲むように立ち、中央には大きな祭壇が置かれている。


祭壇の上には蝋燭が三本。


一本の大きな蝋燭を支えるように、左右に小さな蝋燭が二本添えられている。

左右の二本には紫色の炎。意味ルミナを象徴する色だ。

中央の一本には、目をつむりたくなるほど眩しい黄金の炎が灯っていた。


確固な意志を感じる。

――アステリアこそ、リユニエを治める。

そう主張しているかのように。


祭壇の前に、ひとりの男がいた。

司祭服の裾を整え、目を閉じ、静かに何かを呟いている。


アクシオンはしばらくその光景を眺めた。

長い時間が流れたように感じる。

言葉を挟めば、何かが壊れそうだった。


祈りを終えると、男はゆっくり立ち上がり、こちらに向き直った。


「これはこれは……アクシオン殿。このような場所へ足をお運びいただけるとは、珍しいことでございますね」


穏やかな言い方なのに、部屋の空気が一段締まった。


「ええ……たまたま通りかかったら、妙に気になってしまって」


アクシオンは、理由をそのまま口にした。

飾れば飾るほど、ここでは逆に嘘っぽくなる気がした。


「ほぉ……そうでございますか」


男は顎をさすりながら言う。


「もしかすると、あなた様も"聖典"にお呼ばれになられたのかもしれませんね……」


「やっぱり……ここにあるのね、聖典が」


アクシオンは辺りを見回した。


「はい、左様でございます。この典礼院では、アステリアをお導きになる聖典を管理させていただいております」


男はゆっくり続ける。


「そして私は、その聖典を読み、解き明かし、王へお言葉としてお渡しする役目を担わせていただいております」


なるほど。

司祭が聖典を読み、解釈し、王へ"教え"として届ける。

その言葉が政策になり、民を導き、縛る。


――この男の口が、王政の舵輪だ。


アクシオンの背中に冷たい汗が流れた。

王を操ることも、民を操ることも、理屈の上ではいくらでもできる。


「……聖典を持つ者が、この地を導いているのね」


思わず漏れた呟きに、司祭は小さく笑った。

否定しない笑いだった。


ふと男の腕を見ると、古びた書物を大事そうに抱えている。

表紙は擦れ、角は丸く、使い込まれている。


「それが……聖典なの?」


アクシオンが視線を向けると、司祭は一瞬だけ指先を強く握った。

"触れられたくない"癖が、ほんの少しだけ滲む。


「左様でございます」


「見せていただけるかしら」


短い言葉だった。

頼みというより、確認に近い声音だった。


だが司祭は首を横に振った。


「……誠に申し訳ございません。許可なくお触れいただくことは、できかねます」


「王の許可が必要だということ?」


「王ですら、全文にはお触れになりません」


司祭は淡々と言った。


「聖典は……読む者の"解釈"を試すのです。心揺らぐ者が出てしまう。ですから、お守りしなければならないのです」


守る――誰を?

民を?

王を?

それとも、"聖典そのもの"を?


アクシオンは息を呑んだ。

拒否されたことで、逆に確信が強くなる。


「……それでも、私は見る必要があるの」


「その理由をお聞かせ願えますか」


司祭の声が少しだけ硬くなる。


アクシオンは一瞬、言葉を探した。

政治の話をすれば、ここでも利用される。

戦争の話をすれば、ここでも結論が先に決まる。


だから――

本音を一つだけ置いた。


「"静観が最善"だなんて、いったい誰が決めたの?」


司祭の眉がわずかに動いた。


「それは……聖典の教えでございます」


「その教えを……あなたが"そう読んだ"だけじゃないの?」


アクシオンは静かに言った。

責める声ではない。

ただ、問いだった。


沈黙。


祭壇の黄金の炎が、ほんの一瞬だけ強く揺れた。

紫の炎もそれに遅れて揺れる。

まるで部屋が、会話を聞いているみたいに。


司祭は、視線をアクシオンの瞳へ向けた。

その瞬間、アクシオンの中で意味ルミナが微かにざらついた。


――ルミナ・レクイエム


意識していないのに、紫紺の奥が開きかける。

視界の縁に、螺旋の気配が滲む。


司祭の顔色が変わった。


「……まさか、そのようなことが」


司祭は、祭壇の前まで戻り、聖典を両手で抱え直した。

抱える手が、祈る手つきに変わる。


「あなた様は……」


声が震えていた。恐怖ではない。

畏れだ。


「……あなた様は、ツクヨ様の……」


アクシオンの口の奥で鉄の味が弾けた。

同時に、どこか遠い場所で鍵が回る音がした気がした。


「ツクヨの……後継ってこと?」


アクシオンは紫紺の目を手のひらで隠しながら、問い返すと、司祭は深く頷いた。


「大変失礼いたしました……あなた様をお拒みする理由など、ございません」


先ほどまでの硬さが、嘘みたいにほどける。

それでも司祭は、軽々しくは扱わない。


「月詠聖典――我らが仰ぎ奉るアウリア様とツクヨ様がお残しくださった、尊き書でございます」


「……アウリア?」


その名が引っかかった。


司祭が目を細める。


「……ご存じありませんか。あなた様ほどのお方が」


「ごめんなさい」


アクシオンは苦笑した。


「神器暴走の夜より前のことは、記憶が途切れ途切れなの。思い出そうとしても……滑るように消えてしまって」


司祭の表情が少しだけ曇る。


「……それは、あの夜の出来事と関係が……」


「たぶんそうね。だからお願い、アウリアのこと、教えてくれないかしら?」


懇願というより、真剣だった。

ここで逃せば、また"滑って"失う気がした。


司祭は少し考え込み、やがて、ゆっくり口を開いた。


「我らがお仕えする神――シン・ルミナのことは、ご存知でいらっしゃいますね?」


「ええ……リユニエの始まりよね」


「左様でございます」


司祭は近くのソファへ手で促した。

アクシオンが腰を下ろすと、司祭も向かいに座る。

距離が近くなったのに、空気はむしろ重くなる。


「聖典の創世記に描かれております。遥か遠い昔、シン・ルミナはこの空間も概念も何もなかった地に顕現なさいました。豊穣なる大地と、慈しみ深き母なる海を創造されたのです」


司祭の声は淡い。

淡いのに、逃げ道がない。


「やがて神はお気づきになられました。神は"一者"であるがゆえに、世界にそのままではお住まいになれぬと。それゆえ――二人の使者をお創りになられたのです」


司祭は一拍置く。

その間に、紫の炎がふっと揺れた。


「光の使者には、"分け与える"性質をお授けになりました。世界を成立させるために。影の使者には、"抱え込む"性質をお授けになりました。こぼれ落ちた痛みを受け持たせるために」


影――。


その言葉がアクシオンの胸に沈んだ。

雲の海で見た黒紫の網目。

女王に囁く"影のもの"。

点と点が、線で結ばれはじめる感覚。


アクシオンは無意識に手を握った。

爪が掌に食い込む。

痛みがないと、浮いてしまいそうだった。


「光の使者は役割を見事にお全うになられました。この地にお生まれになった人々は、彼の御手から異なるルミナを分け与えられ、それぞれに文明をお築きになっていかれたのです」


生命、論理、意味。

それは理解できる。

理解できるのに、なぜ今まで"アウリア"だけが抜け落ちていたのか。


「文明は発展し、光ルミナは増幅していきました。やがてその増幅したルミナを調整なさるために、象徴となる精霊と、エネルギーを調整する個体をお生み出しになられたのです」


三大精霊。古代大賢者。

その名が脳裏に並ぶ。

だが司祭の声は、そこを通り過ぎる。


「光のルミナによって発展した文明は、精霊と大賢者様のお陰で安寧に包まれました。永遠にも思える、祝福に満ちた時代でございました」


「そして――光の使者はご自身の死期をお悟りになられました」


司祭が、ほんの少しだけ言い淀んだ。

それは禁句に触れるような間のようだった。


「ご自身のお体に残されておりました光の残滓をお使いになられて、新たなる個体をお生み出しになったのでございます。」


司祭はアクシオンを見た。

まるで、答え合わせをするように。


「そのお方こそ……純光ルミナの始祖にして、我らが仰ぐべき御方――アウリア様でいらっしゃいます」


「……純光ルミナ……」


アクシオンの口から、その言葉が零れた。


言葉にした瞬間、祭壇の黄金の炎が、ほんの一瞬だけ黒紫に縁取られた気がした。

見間違いかもしれない。

だが、口の奥の鉄の味が、確かに濃くなる。


アクシオンは瞬きをした。

視界の縁に、螺旋が滲む。


――思い出せ。

――思い出すな。


二つの声が同時に囁いた気がして、背筋が冷たくなった。


「……司祭」


アクシオンは乾いた声で呼んだ。


「その聖典……私は、どこまで読むことが許されるの?」


司祭は答えなかった。

ただ、聖典を抱える腕に力を込めた。


そして、静かに言った。


「読めるところまで、お読みにならねばなりません」


まるで、祈りの続きみたいに。


アクシオンは唇を噛んだ。

血の味が、鉄の味に混じった。


――つづく

ここまで読んでいただきありがとうございます✨

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