③雲港が戦場になる前に
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
3.
雲港に戻ると、人だかりでごった返していた。
怒鳴り声。泣き声。怒号。
雲の海を渡る風に混じって、港の空気そのものがざらついている。
アクシオンが子鯨の背から降りると、子鯨が心配そうに鳴いた。
「キュぅ……」
「大丈夫よ……」
アクシオンは優しく子鯨を撫でた。
口の奥に、まだ鉄の味が残っている。さっきのルミナの反動だ。飲み込んでも、消えない。
「ありがとう……あなたのお陰でみんな助かったわ……」
「キュ~~」
子鯨は嬉しそうにその場で跳ねた。
アクシオンは微笑み、気持ちを切り替えるように息を整えると、受付の方へ向かった。
「あの結晶体はなんだ?」
「何が起こってるの?」
「帰らせてくれ! すぐにアステリアを出たい!」
受付には、状況説明を求める者、すぐにでもこの地を立ち去りたい人が殺到していた。
係員たちの声はかき消され、雲鯨たちも落ち着かない様子で低く鳴く。
アクシオンは例の雲港務官を探した。
受付の一つで人波を押し返しながら対処している。向こうも彼女の視線に気付いたようだ。彼は同僚に軽く耳打ちすると、すぐにこちらへ駆けてきた。
「アクシオンさん……お怪我はありませんか?」
「ええ……大丈夫よ……あの構造体の近くにいた鯨や乗客は?」
アクシオンが静かに聞く。
「問題ありません。あなたのお陰で、誰一人怪我人は出ておりませんよ」
男は息をつきながら言った。
周りは騒がしい。突然の出来事に混乱する人々で溢れかえっている。
「落ち着くのに……時間がかかりそうね……」
「仕方がありません……あんなことが起きたのですから……」
「王政は?」
「もう少し経てば、王政から軍隊が派遣されてくるはずです。現場確認と整備のためにね……」
男がそう言った矢先だった。
雲港に、淡い白色の軍服にサーベルを腰に差した集団が一斉に入ってきた。
雲の海が静かなぶん、靴音がやけに響く。
集団を先導していた者が声を張り上げる。おそらく少尉クラスだろうか。
「アステリア軍、マーラ師団第一部隊――スコット部隊だ。アステリア王の勅命により、これから現場を確認する。ここにいる者はしばし待機してもらいたい。混乱を煽る発言は控えろ」
雲港に重苦しい空気が漂う。
先程まで喚いていた人々が、言葉を飲み込んで硬直した。
隊員たちはすぐさま受付各所の人々に事情聴取を始め、構造体の近くにいた雲鯨の状態の確認、交易路の記録の回収に動いた。
ただの“慰め”ではない。軍の動きだ。
先導していた者がこちらへ近づいてきた。アクシオンの前で敬礼する。
「スコット少尉と申します……アクシオン殿。雲鯨と乗客をお守り頂き、深く感謝いたします」
少尉は深く頭を下げた。
その動きが、軍人のそれだった。礼が早い。そして、次に切り替わるのも早い。
「礼には及ばないわ……当然のことをしたまでよ」
アクシオンも礼を返し、静かに言う。
「……失礼。現場の優先順位を誤りました」
少尉は顔を上げた。目の光が変わる。
「まず確認します。あれは――何です?」
少尉は当然の疑問を口にした。
「まだ確定ではないけど……おそらく、リユニエ王国からもたらされたものよ……」
アクシオンは声を潜めた。
「なっ……」
少尉の喉が鳴る。驚きと、理解が同時に走った顔。
「王国の狙いは?」
「そこまでは……でも、あなたも薄々感じているはずよ。あんな攻撃してくるものが交易路の外にあるってことは……おそらく」
「侵略……ですか」
少尉が、恐る恐る言った。
「おそらくね。でも、まだ確証は持てない。下手にこちらから迎撃すれば、相手の思うつぼかもしれない……」
少尉は唸った。
そして、港の水平線――
黒点が漂う方角を一度だけ見た。
「……線を引く者が、ルールを作る。境界の既成事実化というわけですね……」
少尉が低く呟く。
アクシオンは一拍置いて頷いた。
「そう。こちらが撃てば、“防衛”って言い張れる。そういう形を作りたいのよ」
「何てことだ……知らぬ間に、我々は包囲されていたのか……」
「今は、何もしないで。あれを変に刺激したらダメよ」
「わかりました。現場検証までに留めます。――アクシオン殿はどうされます?」
少尉は重苦しい声で言った。
「私はこれから王に謁見を請うわ。この事を報告しないといけないし」
「それならよかった……私が勅命を受ける際、あなたを城に呼ぶよう指示されております。すでに馬車も用意してあります」
「わかったわ……」
「こちらへ」
少尉が短く指示を飛ばす。隊員が道を作り、人の波が割れた。
「じゃあ、行くわね……」
アクシオンは雲港務官にも目を向ける。男は深く頷いた。
その顔に、“面倒ごとが現実になった”という疲れが滲んでいた。
アクシオンは踵を返し、混乱に陥った雲港を後にした。
馬車の窓から見える街は、いつもの華やかさを保とうとしているのに、どこか薄い。
人々の目が、雲の海を探っている。
空がきれいすぎるほどにきれいで――
だからこそ、不気味だった。
やがて、アステリアの中心に鎮座するアステリア城が見えた。
淡い紫を基調とした城壁が陽光を弾き、装飾がきらめく。天空に浮かぶ城として、確かに美しい。
だが、外観とは異なり、城の内部では混乱と焦り、恐怖が渦巻いていた。
アクシオンが謁見の間へ歩を進めると、先ほどまで騒がしかった官僚たちがぴたりと口を閉じた。
沈黙が落ちる。
玉座にはアステリアを統治する王――
セレノス王が鎮座している。
傍らにはエリシアが立ち、こちらを心配そうに見つめていた。唇が、僅かに震えている。
「帰ったか……アクシオン」
地響きのような低い声で王が話しかけた。
「はい……ただいま戻りました」
「無傷で帰ったのか……さすがよのう」
王は目を細める。
「何とか……あれぐらいで済んだのは幸運でした……」
アクシオンはゆっくり答えた。
「あれは一体なんだ?」
王の短い言葉が、謁見の間にいる全員の疑問を代弁した。
アクシオンは深呼吸する。
ここで言葉を誤れば、取り返しがつかない。
だが、曖昧に濁せば、判断が遅れる。
「あれは……リユニエ王国の“軍事”兵器と思われます……」
思われます。
断定はできない。
だが、あの黒紫のルミナ――
その癖は、王国の“影”と同じだった。
謁見の間は重い空気で満たされた。
王の眉間の皺が、さらに深くなる。
「王国はこの地が欲しいのだな……」
王はゆっくりと口を開いた。
「偵察のつもりか……交易路の境界に配置しおって……」
怒りが滲む。
「王よ……このまま黙って見ているわけにはいきません。即刻あの兵器を迎撃してはどうかと」
隣に控えていたマーラ師団長が進み出る。
「ダメよ!!」
アクシオンが慌てて制した。
「なぜです?アクシオン殿」
師団長が視線を向ける。
アクシオンは一度目を閉じた。
自分の言葉に責任を持つために。
「こちらから手を出せば、それが相手にとっての“正当化”になるからよ……」
「あの構造体が出現したのは、雲鯨が交易路の境界を僅かに越えた直後だった。つまり、これは何を意味するのか……」
アクシオンは淀みなく仮説を組み立てる。
「交易路の外側は“相手の領海”だと言いたいのよ。意図的でなくても、侵入してきたものは敵とみなし、防衛的処置として――あれは起動する」
「そんな……それはあまりにも横暴が過ぎませんか……」
師団長の顔がひきつる。
「ええ……その通りよ。今まで、空の海に明確な境界なんて、取り決めてなかったはずよ……そうでしょ?」
「はい……これまでは、アステリアの領海と呼ぶべき領域を、明確に定義したことはありません」
「ふざけるなぁ!」
謁見の間に怒号が鳴り響いた。
王が玉座から立ち上がり、怒りを露にしている。
「アステリアはこれまでリユニエの空を統治してきた……ここにきて領海だと……ふざけたことをほざきおって……!」
「パパ……落ち着いて……まだそうと決まったわけじゃ……」
エリシアがたしなめる。だが、その声は細い。
――私、何もできない。
そう言ってしまいそうな顔だった。
「落ち着いてなどいられるか!」
王が雷のごとくぴしゃりと言う。
エリシアの背筋がぴんと伸びた。
「そんな道理はまかり通らん!即刻あれを破壊するのだ!」
「王よ……お気持ちは理解します。しかし、アクシオン殿の言うことも一理あります……」
師団長は丁寧に言葉を選んだ。
「ここでこちらから破壊工作に転じれば、最悪の場合――リユニエ王国と戦争になりますよ?」
戦争。
その言葉が、やけに重く聞こえた。
王の血の気が引いた。
さっきまでの怒りが、現実の重みに塗り替えられていく。
王はへなへなと玉座に座り込む。
エリシアが慌てて父の肩に手を添える。
「アクシオンちゃん……でも、このままではいられないはずよ……何か策はあるの?」
エリシアが聞いた。
涙ぐんでいるのは恐怖だけじゃない。
“また黙って見ているだけの自分”が悔しいのだ。
「まずは文書で正式に、今回のことをリユニエ王国へ伝えるべきでしょうね。抗議文書として」
アクシオンは静かに言った。
「あちらは、しらばくれるのではないですか?」
師団長は目を細める。
「それでも、まずやれることはそれしかないわ。こちらから強行手段に転じるのは危険よ。事実関係と、あの構造体の即時撤去を要求すべき」
王はどっと疲労の表情を浮かべた。
誇りが、現実に押し負けている。
「……よかろう。ここはアクシオンの策にかけようではないか……」
王の声は弱々しい。
「返信が返ってくれば、連中が何を考えているのか掴めるかもしれん……」
「師団長よ……書記官に抗議文書作成を指示せよ……」
「承知しました……」
師団長はそう言うと、謁見の間を出ていった。
「すまぬが、わしを休ませてもらう……アクシオン……報告ご苦労だった……」
王はのそのそと裏方へ消えた。
残されたのは、沈黙と、胸のざわめきだけ。
「アクシオンちゃん……」
玉座の傍らに残ったエリシアが、涙ぐんだ面持ちで呼ぶ。
「さっき……パパの背中が、急に小さく見えたの……」
アクシオンは胸が締め付けられた。
「大丈夫よ……乗り越えられるわ……」
大丈夫。
大丈夫なんかじゃないのに、そう言うしかなかった。
アクシオンは唇を噛む。
口の奥の鉄の味が、また少し強くなった気がした。
――つづく
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