②迎撃を撃たせる装置
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
2.
「だから、ダメですってば……いくら姫の許可があるからといって、雲鯨で空の海に出ようなど、私は許可できません!!」
男の緊迫した声が雲港に響き渡る。
アクシオンはアステリアの城を離れ、雲鯨に乗ってきた人や荷物が行き来する空の玄関――雲港を訪れていた。
雲の海に面した桟橋には、荷を背負った雲鯨がゆるやかに並び、係員たちが結び目を確かめ、声を掛け合いながら慌ただしく動いている。
「そこを何とか……事は一刻を争うのよ……」
アクシオンは静かだが凛とした声で言う。
「アクシオンさん……ご自身の置かれたお立場を考えてごらんなさい……」
受付台の向こうにいる男――
雲港務官は、眉間に皺を寄せたまま、ぴしゃりと言う。
「あなたのことは小耳に挟んでいます……私も王国が嘘を流布していると思っています。でも……今のあなたは、微妙な立場だ。ここで騒ぎを起こせば、アステリアの住民も不安がります」
「騒ぎを起こすつもりはないわ」
「問題はそこじゃありません。姫の許可“だけ”じゃ出せないんです」
雲港務官は言い切り、唇を固く結んだ。
「雲港は王政の管轄です。姫の許可は、せいぜい“通行”まで。出航の許可は――王と、港の監督官の印が要る。これは規則です」
なるほど。
至極まっとうな意見だ。
だが、アクシオンもそんなことで引き下がれなかった。
「そんなことは百も承知よ……でも、無理にでも行動に移さないと、状況は悪くなる一方よ」
アクシオンは静かに言った。
「アステリアでは、何も悪くなどなってないでしょう?」
男は首を傾げる。
「“今”はね。だからこそ、確かめに行くの」
「確かめるって……何をです?」
男の声音に、苛立ちと困惑が混じった。
「これから起こる可能性の確度をよ。あの雲の海の水平線に見える黒点――普通じゃない」
「黒点? あんなの雲海に浮かぶごみやほこりですよ。ルミナの粒子に反射して、黒く見えているだけでは?」
男は胡散臭そうに目を細める。
「それはないわ……減るどころか増えてる。
それに――“ただ漂ってる”動きじゃない」
アクシオンは淡々と言った。
淡々としているのに、声の奥がわずかに硬い。
「増えてる、というのは……?」
男が言い返そうとした、その勢いが少しだけ鈍る。
アクシオンは一拍置いて、言葉を選ぶように続けた。
「距離を保って、同じ帯に留まってる。
近づきすぎず、離れすぎず……まるで、こちらの反応を見てるみたいに」
男の眉がぴくりと動いた。
彼も港に立つ者だ。空の“流れ”を毎日見ている。
「……では、そうではなかったら、なんだと言うんです?」
男は努めて平静に尋ねた。
「それは……仮説の域を出てない。だから、確かめに行くのよ……」
「話になりませんな……」
男はもう切り上げたそうだった。だが、その足が、完全には向きを変えない。
「あなたにそれを話したら、考え直してくれるの?」
アクシオンは紫紺の目で見つめる。
男はしばし黙った。
周囲では荷が運ばれ、雲鯨の背が揺れ、空気のざわめきが絶えない。
けれど二人の間だけ、妙に静かだった。
やがて、男は少し顔を強ばらせながら口を開いた。
「……いいですよ。何を考えているんです?」
「私はあれを王国からの“偵察”だと考えてる」
男の喉が小さく鳴った。
「偵察で済めばいい。でも、偵察をするってことは……次がある。
こちらの迎撃範囲、航路、港の癖――全部、測ってる」
アクシオンはここで辺りを見回す。
雲港には多くの人が往来している。
荷を下ろした業者が忙しなく動いている。
彼女らのやり取りは、誰も気に留めていない。
だからこそ、声を落とした。
「……“軍事侵攻”よ」
男の顔から血の気が引いた。
重い空気が、その場に静かに流れ込む。
アクシオンは背筋に冷たい汗をかいた。
言いすぎだっただろうか。
自分の能力を使えば、この男を屈服させることもできる。
――でも、それでは意味がない。
ここで必要なのは、恐怖で従わせることではなく、“理解”だ。
男は逡巡した。
目だけが忙しなく動く。
水平線の方を一度だけ見て、そして、唇を噛んだ。
「……いいでしょう」
男はぼそっと言った。
「航海目的は、臨時の交易路の整備にしておきましょう。
ただし、出航記録は残します。戻らなければ――私も責任を問われる」
「わかってる」
アクシオンは短く頷いた。
男はくるりと踵を返すと、手続きのため受付の奥へ消えた。
「ありがとう」
アクシオンは深く礼をした。
礼をしたのに、胸のざわめきは消えない。
むしろ、決まってしまったことで、いよいよ現実になった。
――行かなければ。
雲鯨の背が、ゆっくりと空気を揺らしていた。
*
「キュ~~」
交易路を緩やかに泳ぐ雲鯨の列に逆らって、一匹の小さな子鯨がすいすいと泳いでいく。
整備用の若い雲鯨は、小回りが利く――
雲港務官がそう言っていた。
アクシオンはその背に座り、じっと黒点が集まる付近を見つめていた。
黒点は交易路の“外側”に、ぎりぎり沿うように漂っている。
不自然に列をなしているようにも見えて、不気味だ。
「……意図的に、踏み入れてないようね」
アクシオンはつぶやいた。
その瞬間、胸の奥に、小さな冷えが落ちる。
――境界。
ここから先は“別の海”だ。
「ルミナ……レクイエム」
アクシオンの紫紺の目に、螺旋状の紋様が顕現する。
視界の“奥”がほどけ、黒点の輪郭が、輪郭以上のものを持ち始める。
黒点同士が、神経細胞みたいに繋がっていた。
黒紫のルミナが網目状に伸び、点と点が、情報をやり取りしている。
偵察。
観測。
そして、反応待ち。
アクシオンはさらにルミナを流す。
視界を広げる。
黒点の集まりの“後方”。
そこに、一本ずつ伸びる黒紫の糸が見えた。
糸は束になり、太い幹みたいになって、雲の下――地上の方へ沈んでいく。
「あの方向……やっぱり、リユニエ王国……」
確信が、胸の底に沈む。
黒紫のルミナは、間違いなく“向こう”から来ている。
「……これは、一刻も早く――」
王に伝えなきゃ。
アクシオンが踵を返そうとした、そのときだった。
一匹の交易路を泳ぐ雲鯨が目についた。
蛇行している。
背に乗せた人が多いのか、荷が重いのか。
見るからに、その雲鯨は苦しそうだった。
「……無茶して……」
雲鯨は必死にバランスを取ろうと、大きく体を翻す。
その拍子に、交易路の境界を――ほんの、わずかに越えた。
その瞬間。
黒点が、一斉に灯った。
アクシオンの目には、網目の中を流れる黒紫のルミナの“流速”が、跳ね上がったように見えた。
活性化――いや、起動。
まるで、侵入検知の合図みたいに。
「まずいっっ!!」
アクシオンは叫ぶ。
「雲鯨!速度上げて!」
「キュっ!!」
子鯨が反応し、泳ぎが一気に速くなる。
背中が小さく揺れ、雲の海がざわついた。
黒点はくっつき始めた。
一点一点が結合し、密度を上げ、より大きな塊になっていく。
細胞分裂の“逆”――吸い寄せられるように、統合していく。
「なに……あれっっ」
雲鯨の列から声が上がる。
「見て見て!外にへんなのがいるぞ!」
「……でも、綺麗……」
綺麗。
その言葉が、ひどく嫌だった。
黒点の統合体は、黒紫の結晶みたいな幾何学構造体へ変わり、まばゆく光り出した。
雲の海が、怪しく照らされる。
だが、アクシオンの目には、その内部に――
黒紫の高エネルギーが、高密度に“練られている”のが見えていた。
しかも――
一発じゃない。
まず、細い線。
次に、太くなる予兆。
そして最後に、刺す。
段階がある。
警告射撃みたいに。
「……やめて……間に合って……!」
アクシオンは一度目を閉じ、自分のルミナを練る。
喉の奥が、からりと乾く。
次の瞬間。
幾何学構造体が、黒紫のルミナを吐き出した。
ビーム――
いや、槍みたいな一本線が、乗客船めがけて走る。
「うわ!!」
「鯨!!よけ――」
ギュイイイイイ――
凄まじい金属音。
線は乗客船の直前で遮られ、空気そのものを削るみたいに震えた。
「……な、なんだ?」
乗客が目を凝らす。
そこにいたのは、青紫の長髪の女性。
子鯨の背で、静かに佇む。
そして、その前に――
紫紺の“掌”が、幻影として現れていた。
「《巫女の遮手》……」
掌が、黒紫の線を受け止める。
だが、容赦なく圧が増していく。
警告が終わり、“本射”に移る。
パキ……
パキ、パキ……
掌に、ひびが走る。
「……っ」
口の中に、鉄の味が広がった。
血だ。
自分のものだと、すぐにわかった。
――この程度で。
それでも、噛み締めるしかない。
「仕方ないわ……」
アクシオンはもう一度、目を閉じる。
次に開いたとき、瞳の螺旋が“二重”になっていた。
視界の端で、世界がわずかにズレる。
音が遠くなり、逆に、黒紫の脈動だけが近い。
紫紺のルミナが溢れ出し、背後に神々しき装束を纏った巫女の上半身を形成していく。
祈りの形をした、暴力。
「フルパワーでいくわ……
《ルミナ・レクイエム──律巫顕現》……!」
顕現した巫女の幻影が、掌ごとビームを掴み取った。
握りつぶすのではなく、“向き”をずらす。
軌道が歪む。
黒紫の線が、雲の海へ逸れて、遠くで爆ぜた。
構造体が事態に気づき、怪しく光を増す。
再びエネルギーを練ろうとするが。
遅い。
黒点の統合が、ほどけ始めた。
分裂みたいに、細かく、黒紫の煙となって、交易路の外縁へ“縫い戻される”ように吸い寄せられていく。
撤退じゃない。
再配置。
……学習してる。
「……助かった……!」
乗客船から歓声が上がる。
「ありがとうございます!!アクシオン様!!」
手が振られる。
声が飛ぶ。
アクシオンは肩で息をしながら、かろうじて、そちらへ手を振り返した。
口の中の鉄の味を、飲み込む。
間に合った。
でも……終わってない。
アクシオンは交易路の境界へ視線を戻す。
そこには変わらず、黒点の群れがいた。
さっき“姿を変えた”ものとは別の帯域で、同じ距離を保ち、同じ角度でこちらを見ている。
観察。
記録。
そして……次の手順へ。
「……迎撃、じゃない……」
アクシオンは、喉の奥で呟いた。
「迎撃を……撃たせるための“装置”……」
境界を越えた瞬間に反応した。
段階を踏んで撃ってきた。
しかも、相手は引いたのではなく、整列を戻した。
……このまま、アステリアが迎撃を動かせば。
向こうは言える。
“撃たれた”と。
“侵攻された”と。
そして、次は“正当化”の番だ。
アクシオンの背筋を、冷たい汗が伝う。
「……急いで戻らなきゃ……」
雲の海が、薄く鳴った。
――つづく
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