①薄い空
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
1.
空は、いつもより薄かった。
雲の層が痩せ、光の膜が頼りなく透けている。
“空の海”が、今日は底まで見えそうな気がした。
城のバルコニーから見下ろす航路には、リユニエ各地からアステリアへと、特産物や人を乗せた交易が列をなしている。
交易船といっても、ただの船ではない。
アステリアの空の海を泳ぐ天空魚――
雲鯨が、背に荷を結びつけて、緩やかに列を引いていた。
雲鯨は、雲の流れに合わせて尾をひと振りするたび、銀色のしぶきを散らすように光をこぼす。
その背中に吊られた木箱や籠が、風に揺れて、ちいさく鳴った。
「また……増えてる……」
アクシオンは、雲鯨たちの泳ぐ空の水平線へ視線を向けた。
水平線の向こう。
ちょうどリユニエ王国が位置する方向に、黒い飛行物体が見える。
点――いや、点がいくつも。
ひとつがふたつになり、ふたつがいつの間にか、群れのように不規則にうごめいている。
アクシオンは紫紺の瞳にルミナを流し込んだ。
――ルミナ・レクイエム。
静かに世界の輪郭が研ぎ澄まされ、音のない波が胸の奥に触れてくる。
わずかに、例の黒紫のルミナの“匂い”が混じっていた。
船なのか、魔物なのか。判別はつかない。
だが、その数は日に日に増えており、アステリアを包囲するように、一定の距離を保ちながら巡っている。
まるで――こちらが動くのを待っているみたいに。
「“偵察”……のつもりかしら?」
ひとりごちた声が、薄い空に吸われた。
彼女がここに来て、数ヶ月の月日が流れている。
外の情報は、交易船に乗った商人から、ほそぼそと伝わるだけだった。
クヅラハで雪が降った。
ナヤカで大規模な騒乱が起きた。
どの話も、どこか“遠い”のに、胸の内だけが近づいてくる。
妹たちとも連絡がつかめない。
ルミナの流れがおかしい。
彼女たちのルミナは感じ取れる。
生きていることは、わかる。
なのに、ルミナを介した呼びかけが、途中でほどけて消える。
見えない壁が、アステリアの空の海に張られているようだった。
ジャミング――そんな言葉が頭をよぎる。
「オルディナ……ロゴス……大丈夫よね」
言いながら、言葉で自分を落ち着かせようとしているのがわかった。
嫌な予感が、胸の奥で小さく鳴っている。
「ここいたのね……アクシオンちゃん」
背後から、透き通った声がした。
振り向くと、白いドレスの女性が立っていた。
ぱっくりと背中の空いた透き通った白。
光をまとっているのに、どこか影が差して見える。
長い桃色の髪は、丸くお団子でまとめられている。
金色の蝶の髪飾りが、ふわりと揺れて眩しい。
「エリシア……会議はどうだった?」
アクシオンが尋ねると、エリシアは肩をすくめて、苦笑した。
「うーん……中々パパ……あっ、王も家臣も納得してくれないわね……今日も、流されちゃった」
その言い方が、妙に慣れていた。
慣れたくないものに慣れてしまった人の、笑い方だった。
「そんな……エリシアの言うことに、聞く耳を持たないなんて……」
アクシオンが眉を寄せると、エリシアは軽く手を振った。
「ううん。聞いてはいるのよ。ちゃんと“聞いたふり”はするの」
「……どういうこと?」
「私が話すでしょ?家臣が頷くでしょ?王が微笑むでしょ?
それで最後にね――“聖典の教えに照らせば、今は静観が最善だ”って言うの。はい、おしまい」
エリシアは自分の胸元を指でちょん、と叩いてみせる。
まるで台本の確認みたいに。
「今日なんて、私の言葉、議事録に一行も残ってないのよ?
書記官がね、“姫の発言は雑談枠に”って顔をして、最初から筆を止めてた」
笑いながら言っているのに、目が笑っていない。
アクシオンの胸が、ちくりと痛んだ。
――お飾り。
それは言葉で言うほど簡単じゃない。
場の空気が、“姫の意見は採用されない”ことを前提に動いている。
姫の存在は、民に希望を見せるための装飾。
王政の決めた方針を、美しく見せるための額縁。
「仕方ないわ……私はあくまで王政のお飾り。
指示されたことを“歌って”、祈って、笑って……それだけ。
そこに、発言権なんて、最初から置いてないのよ」
エリシアは半ば諦めたように、でもどこか怒っているように、息を吐いた。
アクシオンは視線を逸らせなかった。
逸らしたら、彼女のこの表情まで、誰にも残らない気がしたから。
「でも……エリシア、見て。……また増えてるのよ」
アクシオンは、空の海を指差す。
黒い飛行物体はなおも不規則にうごめいていた。
「うん……ほんとね……」
エリシアの反応は薄い。
薄いのは、無関心だからじゃない。
見ても変えられない現実に、何度もぶつかった人の、あの乾いた薄さだ。
「エリシア……私の方から王に打診してみようか?」
アクシオンが言うと、エリシアは即座に首を振った。
「それはやめておいた方がいいわ。アクシオンちゃんの立場が、余計に悪くなる」
今のアクシオンは、真実はどうであれ、リユニエ王国から「裏切り」とされ、指名手配の身。
アステリアの王政も、できれば厄介事を抱えたくない。
ここでアクシオンが前に出れば、王政は“面倒”を見つけた顔で距離を取るだろう。
「パパは古くさい人間だからね……過去の栄光にすがって、
“私たちこそがリユニエを光に導く存在だ”って豪語してる」
エリシアは冷めた目で言った。
「でも……それなら尚更、確かめた方がいいんじゃないの?
あれ、間違いなくリユニエ王国からの偵察よ?」
アクシオンは紫紺の瞳を黒い斑点へ向けたまま言った。
「言ったでしょ?パパは“聖典”さえあれば、この先も大丈夫って信じてるの。
都合のいい解釈だけ拾って、都合の悪い現実は見ない。
……それで、城で贅沢に暮らせればいいだけ」
「そう……」
アクシオンは短く言った。
つまり、アステリアの王は、自分がリユニエ王国をも越える存在と豪語しながら、実態は何もしない。
彼がそこまで意固地なのは、例の聖典のせいだろう。
“書かれていることが全てで、意味のあること”
――そう信じている。
そこに、人の恐れや葛藤が入り込む余地はない。
……なら。
その“意味”が、間違っていたら?
アクシオンは深く息を吐いた。
目立つ行動は控えたかった。けれど、この際仕方がない。
「わかったわ……エリシア」
「――あれは、私が調べる。近くまで行けば、何かわかるかもしれない」
「どうするの?」
エリシアの声が少しだけ揺れた。
止めたいのと、止められないのと、頼りたいのが混ざっている。
「考えがあるわ」
アクシオンはそう言うと、雲鯨をじっと見つめた。
ゆるやかに泳ぐ巨体。
群れは、雲の潮目に合わせて数を変える。
交易便の雲鯨が一匹増えたところで、誰も不思議に思わない。
アクシオンは静かに踵を返した。
――つづく
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