⑯切れない繋がり
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
16.
カゲツが構えている愛刀――ミラージュ・ヴェールナーダは、礼拝堂に差し込む月光を浴びて、瑞々しく青白く光っていた。
水面のように揺れる刃紋が、静かな海の底を思わせる。けれど、その静けさは刃の中だけだ。
剣先は執行先。
事態の危険源。
教壇に立つ教祖へ、まっすぐに向けられている。
教祖は不敵な笑みを浮かべたままだった。
システムに危険源と判断されても尚、その余裕の笑みは顔から消えない。
むしろ――楽しんでいる。自分の信仰が試される瞬間を。
「ふぅ……計画というのは本当に、その通りにいかないですものな……」
長い息。
言葉の端々に、悦びが混じる。
まるでカゲツとモナに、壇上から講義でも施すかのように。
教壇に手を添え、白磁の仮面の奥で、目だけが笑っていた。
「だが……その想定外こそが、生きているという活力を与えてくれる……神が我々に与えもうた試練としてね……」
「戯言はいい」
カゲツの声は張り詰めていた。息が浅い。だが目は揺れない。
「おとなしく逮捕される気はあるの?」
教祖は肩をすくめる。
「私を捕まえたところで、事態は何も変わりませんよ? 公安官殿……?」
「世界はまっすぐに、あのお方の思い描く未来に突き進んでいる……私はそれを受け入れるだけだ……」
「その未来は訪れないよ……三姉妹がいる限りはね……」
カゲツは静かに言い切った。
その一言は、祈りではない。誓いだ。
教祖の口許から、一瞬、笑みが消える。
白磁の仮面の縁が月光を受けて、細く光った。
「……その三姉妹のことを、あなた方はどう思っているのです?」
教祖は壇上から両手を広げた。
いよいよ名のある教授が講義を始めるような雰囲気が漂う。
傍らではユノが気を失って倒れている。黒紫のルミナの密度に耐えられなかったのだろう。
――彼女の微かな呼吸だけが、礼拝堂に“人間の生”を繋ぎ止めている。
「よく考えてごらんなさい……あの者たちが力を固持し、個々に境界を整えた結果、疲弊、不満、悲愴、憎しみは置き去りになった……」
「世界はあの者たちを、もう必要としていない……」
教祖は淀みなく語り続ける。
言葉の整い方が不気味だ。論理ではなく、教義として整っている。
「だが、あのお方はそうではない。影として沈殿した人々の感情も思いも、すべて受け入れた世界を作ろうとしている……」
「そこには個の境界などありはしない……全ての者が等しく救われる世界なのですよ……」
教祖の言葉には、理想への信仰心と高揚感が入り交じっていた。
自分の発した言葉に酔い、恍惚に浸っている――そんな陶酔が、空気ごと黒紫に染めていく。
カゲツの脳裏に、三姉妹の後ろ姿がよぎる。
自分とそう年も変わらない。いや、むしろ幼い。
それなのに――リユニエの精霊と人々を守る重圧を背負っている。
王政に“裏切り”の烙印を押され、一部の人々から冷ややかな目を向けられても、彼女たちは世界を救うために前へ進む。
私は救われた人間の一人だ。
彼女らがいなければ、この地もひとたまりもなかっただろう。
今度は私が助ける番だ。
カゲツは刀を握る手に、ぐっと力を込めた。
「御託はいい……」
吐き捨てるように言って、しかし声は震えなかった。
「あたしはあの子達を信じてる……あの子達が困っているなら、あたしは真っ先に駆けつける……それだけよ」
「私も同じです……」
隣でモナが凛とした声を重ねる。
「三姉妹の皆さんが築き上げてきたこの世界を、私は信じています……」
シエンもツキハネも、黙って深く頷いた。
一言も添えないのに、その沈黙が“味方の強さ”として礼拝堂に立つ。
「……繋がり、ですか……」
教祖が静かに呟く。
仮面の奥の目が、細くなった。
「では……守ってみなさい……その美しい繋がりとやらをねぇぇぇ!!!!」
次の瞬間。
教祖を黒紫のルミナが包んだかと思うと、背中が隆起し始めた。
「がぁ……あ……あ……あ……」
口許から涎が垂れる。
白銀の法衣が膨張した肉に裂かれ、裂け目から黒紫の触手が幾重にも突き出す。
皮膚は皮膚ではなく、瘴気を固めた膜のように光る。
身体は膨張し、ついに衣は弾け飛んだ。
――カン。
乾いた音。
教祖がはめていた白磁の仮面が床に落ちたのだ。
だが、それは“顔が露わになる”音ではなかった。
仮面の裏側は、空洞だった。
落ちた仮面は床を滑り、月光の円の中で止まった。まるで、舞台の幕が下りた合図のように。
その膨れ上がった体から、細く伸びた手足で四つん這いになる。
四つん獣の模倣に見えて、獣ですらない。
背骨の位置が定まらず、肩が盛り上がったかと思うと、腹から大きな口が裂けるように現れた。
額とおぼしき場所には、教祖の顔が残っている。
だがそれは顔ではない。貼り付けられた“記号”だ。
憎々しげにこちらを睨みつけ、口元だけが歪む。
「司書殿……今回は前と同じとはいきませんよ……」
どす黒い声が礼拝堂に木霊した。
喉から出るというより、腹の口から吐き出される声だ。
モナは震えていた。だが、目は諦めていない。
「いえ……今回も結末は同じですわ……ルナエールのときのように」
「ふふ……その余裕……どこまで続くか、見ものですな」
次の瞬間、教祖だったその怪物から、幾重もの触手が彼女らに迫った。
モナは華麗に回避する。
カゲツも回避しながら、触手を切り、突き、裂いていく。
だが、触手は切り落としても再生する。
断面から黒紫の糸が伸び、筋肉のように絡み合って、すぐ元の形に戻る。
――きりがない。
「ちょこまかと動かれても面倒だ……これにしましょう……」
教祖がそう言うと、黒い体についた腹の口が、ぐにゃりと開いた。
そこから、黒い瘴気が溢れ出す。
瘴気は礼拝堂を一気に満たし、肺の奥まで染み込んだ。
空気が重い。
吸った瞬間、神経が焼かれるように痺れ、指先の感覚が薄れていく。
筋肉が、命令に従わなくなる。――麻痺だ。
「ぐっ……!」
カゲツは刀を床に突き、膝をついた。
刃が石床を噛む音が、やけに大きい。
「……かは……」
モナも堪らなくなり、膝をつく。
唇の端から血が滲んだ。
「カゲツ! モナ!」
ツキハネが叫ぶ。だが、声が届くより早い。
触手が二人を殴りつけ、突き飛ばす。
「が……!」
カゲツは礼拝堂の椅子に背中を叩きつけられた。
鈍い音。
肋がきしむ。骨が何本か折れたのかもしれない。
モナも触手に突き飛ばされ、床に倒れ込む。
その上から瘴気と触手が容赦なく迫り来る。
「モナ!」
カゲツは短く叫ぶと、力を振り絞ってモナへ駆け寄った。
彼女を庇う形で刀を振るい、迫る触手をさばき続ける。
だが、瘴気のせいで筋肉と神経が鈍り、思った通りに刃が走らない。
空を切った刃の隙間を、触手がすり抜ける。
容赦なくカゲツの体へ突き刺さり、裂き、血を奪っていく。
シエンとツキハネが周囲に結界を張る。
だが瘴気に触れた瞬間、その結界は“溶ける”ように薄れていった。
割れ目から触手が侵入し、守りを砕いていく。
防戦一方。
じり貧。
――このままじゃ、終わる。
カゲツがそう思い始めた、そのとき。
また、あの“優しい声”が聞こえてきた。
「脅威レベルが上昇しました……」
「カゲツ公安官……直ちに執行してください……」
「わかってるわよ! 今やってる!」
苛立ちが声に滲む。
だが執行できるどころではない。守りながら攻撃に転じる隙がない。
「……」
システムが、一瞬沈黙した。
――判断の間。
そして、耳を疑うような問いが落ちる。
「カゲツ公安官……一つ質問します……」
あの優しい声のまま。
「なに? どうしたの?」
カゲツは刀を振りさばきながら、ぶっきらぼうに返す。
「あなたにとって……精霊……いえ、シエンは、なんですか?」
質問の意図がわからない。
こんな状況で、そんなことを?
だが――システムは今、確実に変わろうとしている。
自らの意志で介入し、最適化ではなく“選択”をし始めている。
「……何考えてるのか知らないけど……」
カゲツは息を吐き、言った。
「……あたしにとってシエンはね……うっとうしい存在よ」
「風呂とか着替えとか、スケベな目で覗いてくるし……刑務所にぶち込みたいくらい!」
ツキハネが、笑ってはいけない状況なのに、口元を引きつらせる。
肩が微かに震えた。
「ええい……カゲツよさぬか……!」
シエンは慌てている。状況の焦りか、自分の体裁の焦りか――どちらかはわからない。
カゲツは続けた。
声は荒い。だが、その荒さの奥に、確かなものがある。
「でも……それでも、あたしはシエンが必要」
「繋がりは切りたくても切れない……相棒であり、家族だと思ってる……」
触手を斬り払いながら、カゲツは吐き出すように言った。
そして最後に、ぶっきらぼうに付け足す。
「……これで満足した?」
「…………」
システムの長い沈黙。
礼拝堂の空気が、ほんの少しだけ変わる。
黒紫の濃度の中に、青白い輪郭が混じりはじめる。
「……承知しました……カゲツ公安官……」
「禁忌系統の試験運用下において、契約状態の更新を例外処理として許可します……」
淡々とした声。
だが、その淡々が“決裁”の重みを持っていた。
「人間と精霊の関係は……理屈のみでは表現できない……」
「記録……解析……不能。よって……新規分類を追加します……」
礼拝堂を包む空気が、明確に変わる。
「あなたを……猿精霊シエンの賢者として、正式に承認します……」
「仮契約を、正式契約へ移行……」
「これより……カゲツ公安官に“幻影の執行者”の称号を授与します……」
「直ちに危険源を執行してください……」
次の瞬間。
カゲツとシエンを、青白い論理ルミナが包んだ。
それは柔らかい光ではない。
高エネルギーの奔流。
炸裂。
触手と瘴気が、まるで霜が溶けるように消失した。
空気が軽い。肺が息を取り戻す。
「……な……」
教祖が驚き、額の顔が引きつった。
「何です……その格好は……」
そこには公安官の制服を着たカゲツが、仁王立ちしていた。
ミラージュ・ヴェールナーダは更に輝きを増し、刃が青白い稲妻を纏っている。
周囲の月光が、彼女の輪郭に沿って震える。
シエンが、短く言う。
「幻界昇華の完全出力だ……呑まれぬなよ……」
カゲツは一歩、踏み込んだ。
呼吸が整っている。
さっきまでの麻痺が嘘のように、身体が軽い。
その“余裕”が生まれた瞬間に、ようやくカゲツの口が毒を吐く。
「……シエン」
低く呼ぶ。
「……この衣装さ。へそ出しといい、ミニスカといい……アンタの趣味、百パー反映されてるよね?」
「ゴホン」
シエンは咳払いで誤魔化した。
カゲツは鼻で笑う。
「まぁいいよ……今はあいつを、ただ斬る」
刀を鞘に収め、構えを取る。
空気が張る。
一切の雑音が消えた。
「決めよ……」
シエンが言う。
「ええ……」
阿吽。
カゲツとシエンのルミナの波長が噛み合い、青白い光が刃の縁に集束した。
「そんなふざけた格好で、私をやれると思うなぁぁ!!」
教祖がありったけの黒紫の瘴気を身に纏い、触手を束ねて突進してくる。
壁も床も、黒紫に染まる。
礼拝堂が、影の胃袋に呑み込まれるようだ。
勝負は――一瞬だった。
キン。
金属音が一度したかと思うと、触手の動きが止まった。
静止画のように。
見えない居合の一閃が、触手の根元から先端まで、同時に斬り抜いたのだ。
そして、カゲツは姿を消す。
教祖の目には、何が起きたのかわからなかった。
次の瞬間、目の前に執行者が現れる。
――ああ。今回も負けるのか。
そんな諦めの感情が、額の顔に浮かんだ瞬間。
青白い一閃が、静かに教祖の体を真っ二つに切り裂いた。
決着は、静かだった。
教祖の肉体は黒紫の瘴気とともにほどけ、月光の差す空へ昇っていく。
だが、その裂け目から――黒紫の“核”のようなものが、羽虫の群れみたいに散った。
笑い声にも似たノイズを残しながら、床の割れ目――地下の暗がりへ吸い込まれていく。
肉体は斬られた。
だが“影”は、まだ終わっていない。
ステンドグラスから降り注ぐ月光が、執行者を静かに照らしていた。
その光の中で、カゲツは一度だけ肩を上下させる。
怒りでも、勝利でもない。
“次へ繋ぐ呼吸”だった。
――つづく
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