⑮ロック解除
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
15.
教会は古びているわりには、人に使われている痕が残っていた。
外壁の石は黒く煤け、窓枠の鉄は錆びている。
けれど、階段の中央だけが磨かれていて、扉の取っ手には新しい手垢がついている。
誰かが、つい最近もここを出入りした。
ロゴスは息を整え、重たい扉に手をかけた。
軋む音が鳴る。古い木が、痛みに耐えているような声だった。
扉を開けると、薄い香の匂いが鼻を刺した。
信仰が意味を持たない街のはずなのに、ここだけは“祈りの残骸”がある。
教会の中は、一本道だった。
まっすぐ奥に、礼拝堂へ続く扉が鎮座している。
飾りの教会――そう聞いていたのに、その扉だけがやけに“本物”だった。
古い木目の上に、半月の意匠が控えめに彫られている。
ロゴスらは駆け寄った。
礼拝堂の向こう側は、不気味なくらい静かだ。外の地獄絵図が嘘みたいに、音が吸われている。
ロゴスがドアノブを回す。
びくともしない。
「……鍵がかかっているね……」
扉の冷たさが掌に残った。
「ここで正解ってことなんじゃないかな……」
ツキハネが目を細める。
耳がぴくりと震え、空気の歪みを読むように動いた。
モナは目を閉じたまま、微かな波を拾い上げるように囁く。
「……向こう側から、カゲツ様とシエン様のルミナを感じます……とても弱い……でも、確かに……」
ロゴスは唇を噛んだ。
一刻を争うというのに。
この扉の向こうで、カゲツが囚われているはずだ。あの短いメッセージ――名詞だけを吐き捨てた文字列の切迫が、まだ指先に残っている。
ロゴスは携帯端末に視線を落とす。
画面は割れていない。
だが、あの送信の痕跡だけが、ひどく生々しい。
そのとき、ふと、信じがたい考えが胸の奥から浮かび上がった。
大胆すぎて、笑ってしまいそうなのに、口から出る言葉は驚くほど澱みがない。
ロゴスは扉に向かって、静かに告げた。
「S.G.S……見てるんでしょ」
声は凛としていた。
怒鳴らない。
泣き落とさない。
論理の刃で、相手の急所だけを突こうとする。
「この扉を開けなさい」
「ロゴス様……一体、何を……」 モナが言いかける。だが、その続きをツキハネが小さく首を振って制した。
ロゴスの目が、いつもの“研究者の目”になっているのを見て取ったのだ。
ロゴスは畳み掛ける。
「あなた……このまま黙って見ているつもり?」 「仮にもナヤカを、セフィロス地区を象徴するシステムでしょ……」
一拍。
言葉を研ぐように、さらに刃を足す。
「自分に測定できない。理解できない。だから何なの?」
「あなたは、その程度だったの?」
挑発だ。
けれど、ただの感情ではない。
相手の“矜持”を、意図的に揺らす問いである。
ロゴス自身、半信半疑だった。
相手は人でも精霊でもない。
だが、このシステムは、
人と精霊の言葉を、
行動を、
文化を、
長い間見続けてきた。
記録し、
解析し、
最適化し、
そして“推奨”してきた。
ある意味で、これは長寿の生命体だ。
人の言葉に反応しないはずがない。
教会に、“優しい声”が落ちた。
「……呼びかけを検知しました……」
「申請者……ロゴス様……」
いつもの声色だ。
しかし、ほんの僅かに……間が違う。
機械の癖のような間ではない。
判断の間だ。
「私が開発されて以来……そのような問いを投げかけたのは、あなたで二人目です……ロゴス様」
ロゴスの背筋が冷えた。
二人目なら、最初の一人は。
フリギアか……
短い沈黙が落ちる。
教会全体が息を止めたように静まり返った。
「……例外処理を許可します……」
「成功確率は低い。ですが……この事態を打破できる可能性に、試験運用として移行します……」
それは、初めてシステムが“推奨”ではなく、自己判断の形で介入した瞬間だった。
人に寄り添う声の皮を被ったまま、機械が、機械として決断した。
礼拝堂の扉を押さえていた“何か”が、すっと消える。
ドアノブが軽くなり、扉は静かに開いた。
同時に、礼拝堂中央の床が、鈍い音を立てて、ぱっくりと割れた。
石床の下に隠されていた金属の枠が露わになる。
階段。
地下へ続く縦の穴。
最初から“礼拝堂の下”は、祈りの場ではなく、制御のための通路として設計されていたのだ。
「……ここが“飾り”なわけないよね……」
ツキハネが低く呟く。
冗談めかしているのに、耳が硬く立っている。
S.G.Sの声が続く。
「ロゴス様……あなたに、私と直接会話する機会を付与します……」
「同時に……招かざる客の同行を許可します……」
招かざる客。
月華教団のことか……
そう思いかけて、ロゴスは喉の奥で言葉を飲み込んだ。
“客”は複数かもしれない。
教団だけではない。
もっと別の何かが、この場所に居座っている。
ロゴスは唇を結び、礼拝堂へ踏み込んだ。
瞬間。
肌が粟立つ。
礼拝堂の中は、ルナエールの悪夢を思い出させるくらい冷たい。
黒紫のルミナが、薄く、しかし確かに満ちている。
香の匂いは、どこか腐敗の匂いに変わった。
ロゴスらは天井を見上げ、息を呑んだ。
カゲツが磔のような姿勢で宙に浮かされていた。
四肢は見えない力で固定され、黒い炎が足先からゆっくりと侵食している。
傍らで猿精霊のシエンが歯を食いしばり、薄い結界で進行を食い止めていた。だが止めきれていない。
「カゲツ!!」
ロゴスの叫びが礼拝堂に反響する。
返事をしたのはカゲツではなく、シエンだった。
「ロゴスか……来てくれたのか……!」
「待ってて、今助ける!!」
「その前に、教壇の男に気を付けよ!」
シエンが負けない声量で警告する。
ロゴスははっとして視線を走らせた。
礼拝堂中央は割れたまま、地下へ続く階段が口を開けている。
その奥、教壇――
そこに、銀白の法衣の男が立っていた。
白磁の仮面。
上半分を覆うその仮面には、大きな斬撃の痕。
傷は口元まで刻まれているのに、口元だけは張りついた微笑みをやめない。
「……教祖……」
ロゴスの声に、怒りが混じる。
男は嬉しそうに、ゆっくりと両腕を広げた。
「感動的な再会ですな……愛しきロゴス殿……司書殿……」
「またお目にかかれるとは……」
指先で斬撃痕をなぞり、甘く囁く。
「この時を……どれだけ待っていたことか……」
「この傷の借り……今日ここで返させていただきますよ……」
憎しみが黒紫のルミナを伴って、礼拝堂に広がる。
だが、その声を上から塗り潰すように――天井から“優しい声”が降り注いだ。
「ただいまより……禁忌系統を試験運用として一時解放します……」
その場の全員が、耳を疑った。
「……な……」 教祖が、初めて動揺した顔になる。
S.G.Sの声は続く。淡々と、無慈悲に。
「影負荷……125」
「秩序係数……32」
一拍。
そして、決定的な宣告。
「影位相係数……+82」
「共鳴度、危険水域……都市崩壊プロトコルに接続します……」
「続けて、危険源の特定を開始します……」
「待て……やめろ……やめろぉぉ!!」
教祖が狂ったように叫ぶ。
その叫びは命乞いではない。自分の計画が崩れることへの恐怖だ。
それが“目印”になったかのように、システムが言い切る。
「危険源の特定が完了しました……」
「対象……月華教団教祖……」
「公安官は直ちに執行を開始してください……」
次の瞬間。
カゲツの身体を縛っていた力が解けたように、磔の姿勢が崩れる。
宙から、ゆっくりと床へ降りてくる。
「カゲツ!!」 ロゴスが駆け寄る。
カゲツはかろうじて意識を取り戻していた。視線が揺れ、息が浅い。
「……え……なに……何が起きたの……」
その混乱を撫でるように、S.G.Sの声が落ちる。
「カゲツ公安官……あなたのルミナ出力ロックを解除します……」
「落ち着いて……執行を開始してください……」
それだけを告げると、礼拝堂に再び沈黙が戻った。
優しい声が消えたことで、逆に現実の重さだけが残る。
沈黙を破ったのはカゲツだった。
床に膝をつきながら、しかし目だけは死んでいない。
「ロゴス……行って……」
ロゴスははっとして彼女の顔を見る。
身体中ぼろぼろだ。焼け焦げもある。
それなのに、その眼差しだけは“執行者”のままだ。
「……あのシスター」
カゲツは言葉を切り、息を吸って続ける。
「黒幕は、あいつよ……教祖は表に立ってるだけ……」
吐き捨てるように、けれど確信の速度で言い切った。
「前菜は……あたしとモナで何とかする」
カゲツは、いつもの口調を無理やり引き戻す。
笑う余裕などないのに、笑う形を作る。
「アンタはメインディッシュを――システムと一緒に、いただいてきな」
そう言うと、カゲツはゆっくりと立ち上がり、愛刀へ手を伸ばした。
「あっ……」
ロゴスの喉から、思わず息が漏れる。
ミラージュ・ヴェルナーダ。
月光を受け、刀身が静かに輝く。
ルミナが戻っている。
彼女の“本来の重さ”が、そこに帰ってきた。
「行って!ロゴス!」
カゲツが刀を教祖へ向けながら叫ぶ。
「……わかった……無茶しないでよ……」
ロゴスはそう言い残し、地下へ続く階段へ駆け出した。
モナが一瞬だけ頷き、背を預けるようにカゲツの隣に立つ。
そして、礼拝堂に再び沈黙が落ちた。
「さて……教祖とやら……」
カゲツは薄く笑い、刃先を揺らさない。
「こっから、たっぷりあたしが執行してあげるよ……」
教祖はなおも不気味な笑みを浮かべたまま、黙ってこちらを見つめていた。
その沈黙が、笑みよりも不吉だった。
――つづく
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