⑬影位相係数—噛みつかれる角度
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
13.
フォルダを開いた瞬間、アーカイブ室の空気がわずかに変わった気がした。
機械音は変わらず忙しなく鳴っている。けれど、ロゴスの視界の中だけ、世界の解像度が上がった。
ロゴスはスクロールを止め、ひとつの資料を開いた。
画面中央に、無機質な見出しが浮かび上がる。
《影位相係数(Umbra Phase) 設計資料/概要》
① 定義
秩序係数(集団の構造)と影負荷(個の沈殿)が、どれだけ“共鳴しているか”を示す指標。
すなわち、「その街の秩序が、影に噛みつかれる角度」を測る。
これにより、以下を解析することができる。
・影負荷が“どの方向”に向いているか(問いの方向)
・それが今の都市秩序と“噛み合っているか”(共鳴)
・共鳴時、影はノイズではなく「秩序を内側から破壊する信号」となる
② 性質
・対象:街区×個人(相互作用の指標)
・意味:事件化・崩壊の予兆
・特徴:量ではなく“向き(位相)”が効く
ロゴスは淀みなく、資料の内容を二人に噛み砕いて説明した。
ただ読み上げるだけじゃない。設計思想を拾い上げ、必要な箇所を切り取り、意味に変換していく。
――シグマ研究開発機構、最高顧問の顔だ。
「以上が、ここに書いてあることよ……」
説明し終えたロゴスの青碧眼が、モニターの白い光を受けて静かに揺れる。
「ありがとうございます、ロゴス様……」
モナが、息を詰めたような声で言った。
「にしても、フリギアも用意周到だね……」
ツキハネが目を細める。
「フリギアと同じオラクル・アイを持たないと、フォルダ内の文書が“読めない”なんて……」
モナとツキハネは改めてモニターに視線を戻す。
だが、二人には相変わらず、乱れた記号や文字化けした符号の羅列にしか見えない。
“そこに何かが書かれている”という事実だけが、逆に不気味だった。
ロゴスは苦笑する。
フリギアの策は功を奏している。
システムの設計文書、とりわけ「影位相係数」は、悪用されればナヤカだけでなくリユニエ全体を危険に晒す。
今回の月華教団のような存在に渡れば――
想像するだけで吐き気がする。
「それで……その影位相係数ってのは、普段はシステムは測定できないってことになるの?」
ツキハネが疑問を口にする。
「そうみたいね……」
ロゴスは資料を読み返しながら言った。
「通常モードなら、影負荷と秩序係数の二つで地区の安定度を測定している。……じゃあ、なぜフリギアはこれを“別枠”で作ったのか」
当然帰結する疑問。
既存の二つで足りるなら、新たな変数を導入する必要はない。
必要だったから開発したのだ。
――いや、開発せざるを得ない“例外”が発生したからだ。
「当時……例外が起きたんじゃないのかな」
ロゴスは、自分の仮説を噛み締めるように二人へ告げた。
「これを導入せざるを得ない事態が、過去に起きた」
「つまり今回のようなことが、フリギア様ご存命の時も……?」
モナが恐る恐る言う。
「少なくとも、私の記憶には残ってない……自信はないけどね」
ツキハネは頭を掻きながら続けた。
「年々、フリギアとの記憶も薄れていく感じがあってさ……」
「意外だね……ツキハネ」
ロゴスが驚いた表情を浮かべる。
「記録の精霊が、そんなこと言うなんて……」
「うん……でも本当だよ」
ツキハネは遠くを見るように言った。
「重要なことを忘れてる感覚がある。ロゴスが記憶を封じられてるのと、似てるのかな?」
ロゴスの胸の奥が、ひやりと冷えた。
ある仮説が、霧が晴れるみたいに組み上がる。
すぐ否定したかった。けれど、否定するほどに、妙に辻褄が合ってしまう。
「待って……いや、でも……あり得なくはないのかな……」
「どういうことですか?」
モナが尋ねる。
ロゴスは、もう一度資料の下段へ視線を落とした。
そこに、本文とは別に、小さな注記が埋め込まれているのを見つける。
――《補遺:同位相の汚染再発を想定》
――《履歴参照:欠損(封印指定)》
ロゴスの喉が鳴った。
「ツキハネ……たぶん、影の者は“今と似たこと”を、フリギアが生きていた時代にも起こしてる」
ロゴスは静かに言った。
「……!」
二人が、言葉を失う。
「そう考えると辻褄が合うよ」
ロゴスは続ける。
「影の者が黒紫のルミナを各地にばらまいたなら、ナヤカでも“影負荷と秩序係数が噛み合わない”現象が起きていたはず。通常モードでは対処できない――だから影を測定する技術を開発した。それが影位相係数」
ロゴスの声は淡々としている。
けれど、その淡々さが逆に恐ろしい。
研究者が“結論”を言う時の冷たさだ。
「当時フリギアが影を退けたのは確かだと思う……この技術も使ってね」
「それで、脅威を退けた後、フリギアはこう考えたんじゃないかな。……影は再び出現すると」
「今の状況を、予想されていたということですか?」
モナが息を呑む。
「そうだと思う」
ロゴスは資料の“閲覧制限”を思い出すように言った。
「じゃないと、完成図書にパスワードをかけたり、私の眼じゃないと読めないようにしたりしない」
「今は影位相係数が測定できていないのには、理由があるの?」
ツキハネが問う。
「そこが今回のポイントだと思う」
ロゴスは頷いた。
「フリギアは脅威を退けた後、敢えてこの技術をシステムから外してる。……たぶん、常時測定するのは危険だと判断した」
ロゴスは一拍置き、言葉を選ぶ。
「常に影の“向き”を測るのは、影に突き進む道筋を、システムが自分で探すのと同じ。――影に“噛みつかれる角度”を、神が自ら晒すようなものよ」
モナの背筋がぞくりと震えた。
「システム自らが、影に陥る危険性があると……?」
モナは小さな声で確認する。
「うん……システムが影に陥れば、その声を信じてる人たちはどうなる?」
ロゴスの視線が遠くなる。
「気づかない。抵抗できない。優しい声は、神の御言葉と同じ扱いだから。――あっという間に、人も街も落ちる」
アーカイブ室に、重たい沈黙が落ちた。
受信音だけが、秒針みたいに鳴り続ける。
「月華教団はこの技術を狙ってるってことだね……」
ツキハネが真実を掴んだ目で言った。
「この技術があれば、システムを“偽りの神の御言葉”として使える。人を導ける……いや、堕とせる」
優しい声が、静かに人を、街を、影へ導く。
人はそのことに気づかない。
――システムは正しい。システムは最適だ。システムは救ってくれる。
そう“信じさせられる”。
「であれば、なおさら止めないと……」
モナが焦った声で言う。
「ロゴス、文書にS.G.Sの中枢はどこにあるか書いてある?」
ツキハネが食い下がる。
「待ってね……」
ロゴスは文書一覧をスクロールした。
青碧の両眼が、次々にタイトルを読み抜く。
やがて、ひとつの文書を開く。
――《S.G.S 制御系統図》
モニターに、ナヤカ全域へ張り巡らされた回路図が映し出された。
影負荷の測定ライン。
秩序係数の判断ライン。
処置が必要な場合に起動するドローンの保管庫。
誘導・隔離・結界再編。
公安・術式ドローンの連携経路。
――システムの目と手足。ナヤカそのもの。
だが、その全ては、ある一つのブロックへ収束していた。
「W-07……」
ロゴスが呟く。
「やっぱ、そうなるか……」
ツキハネが苦い顔でため息をついた。
ロゴスの脳裏に、W-07で起きている異変がよぎる。
もう、月華教団は中枢に手を伸ばしているのか。
いや――“中枢に誘い込む罠”を張っているのか。
時間がない。
ロゴスは唇を噛んだ。
「思ったより事態は深刻みたいね……このことをすぐにカゲツに――」
言い終える前に、携帯端末が甲高い通知音を鳴らした。
三人の肩がびくりと跳ねる。
虫の知らせ、という言葉が、あまりにも現実味を持った。
ロゴスは震える指で通知をタップする。
「……そんな……」
青碧の瞳が、大きく見開かれた。
「どうされたのですか……ロゴス様?」
モナが緊張した声で聞く。
ロゴスは端末を二人に見せた。
画面には、途切れ途切れの短い文。
息をするたびに削れるような、切迫した文字列。
「……W-07……月華教団……シスター」
「ピン……中継……隔離……」
「中で……全部……罠……」
二人は、凍りついたように固まった。
「私は今すぐナヤカに戻る……カゲツが危ない……」
ロゴスはそう言い捨てると、コートを掴み、走り出した。
足音が螺旋階段へ吸い込まれていった。
――つづく
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