⑪閉架へ—バックアップ・アーカイブ
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
11.
ロゴスはカゲツと別れた瞬間、もう決めていた。
ナヤカの異常を追うなら、行き先はひとつ――
ルナエールだ。
ナヤカのターミナルを抜け、ルナエール行きの汽車が流れ込むプラットホームへ向かう。
床には白線が引かれ、空気は過剰に整っていた。整いすぎて、どこか息苦しい。
「7番ゲートからルナエール行きの電車が参ります」
「危ないですから、白線の内側までお下がりください」
白線の内側で待つ。
プラットホームの先、トンネルの闇から汽笛が唸り、汽車が滑り込んできた。金属が擦れる音、蒸気の匂い。
その瞬間、ゲート前で、いつもの“優しい声”が淡々とアナウンスした。
「乗車希望者の基礎情報を検索します」
「……No.653。ロゴス様。シグマ研究開発機構――最高顧問」
「影負荷:30。平常域。統治介入不要域。統治リスク:低」
一拍。
あまりにも丁寧な間が、妙に長い。
「出国を許可します……」
ロゴスは小さく息を吐き、汽車に乗り込んだ。
許可――その言葉だけで安心してしまう自分が、少しだけ怖かった。
ルナエール中央駅に到着したのは夕暮れ時であった。
汽車が古びた石造りのホームに流れ込むと、世界の温度が変わった。
湿った冷気が肌にまとわりつく。
かすかなインクの匂いと、羊皮紙の乾いた香り。
視界のすべてが柔らかな白い霧に包まれていて、街全体が“記録の呼吸”をしているように感じられる。
ナヤカの光は鋭い。
けれど、ルナエールの光はどこまでも鈍く、静かだ。
駅を後にしたロゴスは、その足でルナエール中央図書館へ向かった。
モナに会うためだ。
彼女は今や大司書として、ルナエールに集約されるすべての情報を記録し、管理している。
――“記録”はここでは、武器であり、盾であり、ときに鎖でもある。
都市中央にそびえ立つ巨大な図書館に足を踏み入れ、受付に向かう。
受付には一人、若い女性が今日の貸し出し記録を整理していた。ペン先の音が、小さく規則正しく響く。
「あの……モナ大司書はいらっしゃるかしら?」
ロゴスが声をかけると、記録を整理していた手が止まった。
ふと顔を上げ、ロゴスの顔をじっと見る。
「ロゴス様!!ご無事だったのですね……」
トゥリムの国際展覧会の事件が耳に入っていたのだろう。
確かに、ロゴスはあのときカゲツとともに、女王の追っ手から何とか脱出したのだった。
「ええ。おかげさまで。それもモナのおかげなんだけどね」
ロゴスは微笑み返す。
受付の女性はほっとしたように頷き、すぐに仕事の顔へ戻った。
「そうでしたか……モナ様は、まだ執務室におられますよ」
「執務室は右手の階段を登った先、奥にございます」
「ありがとう……」
ロゴスは礼を言い、踵を返して執務室へ向かった。
執務室をノックすると、
「どうぞ……」
と、静かで優しい声が返ってきた。
扉を開けた瞬間、壁一面にぎっしりと納められた書棚が目に飛び込んでくる。
書棚の前、応接用のテーブル、ソファ。
奥の執務机の周りにまで書物が積み上げられ、机の上は書物と大量の書類束でいっぱいだった。
その中心で、夜のように落ち着いた黒のドレスをまとった女が、書類に目を通している。
ドアが開く音に、その女が顔を上げた。
「ロゴス様……ご無沙汰ですわね……」
長い黒髪と、知性に満ちた瞳。
その目の奥は、いつも静かに燃えている。
「うん、こんばんは。モナ」
「相変わらず忙しそうだね……」
ロゴスは部屋一面に視線を向けながら言った。
「このご時世ですからね……怪しい記録や怪文書の類がないか、一つ一つ目を通しているようにしているんです」
「言われもないことでも、小さな種がやがて大きな火種となって、降りかかってくることもあるでしょうから」
「さすがだね……でも、ちゃんと休まなきゃダメだよ?」
ロゴスは神妙な面持ちで言う。
モナはわずかに微笑み、けれど笑みの奥に疲れが滲んだ。
「お気遣いに感謝します……」
一呼吸おいて、モナが訊く。
「今日こられたのは、ナヤカの件ですわよね?」
「ええ……システムに異常が起きているの。おそらく外部から、誰かが干渉しているわ」
ロゴスは目を細めながら言った。
“干渉”――その言葉が、ナヤカの整いすぎた空気を思い出させる。
「概要は事前の通知で確認済みですわ」
「あなたの言う通り、ここルナエールには、ナヤカの実証記録、観測データのバックアップが流れ込んできます」
モナは脈々と話した。
それが“当然の構造”であるかのように。
だが当然ほど、壊れたとき怖いものはない。
「その記録はやっぱり、ここに?」
「はい……ルナエール中央図書館の閉架式書庫で厳重に管理されています」
「わかった……見てもいいかな?」
「もちろん……ことは一刻を争うみたいですし、今から参りましょう」
そう言ってモナは席を立った。
モナにつられて、ロゴスは付いていく。
先ほど登ってきた階段を下り、地下へ向かう。
地下室の扉を開くと、そこには螺旋状の階段が下まで続いていた。
ロゴスが覗き込むと、真っ暗な闇が口を開けているようだった。
「行きましょう……この下です」
モナが灯りを灯しながら先導する。
ロゴスは黙って続いた。
階段の一巻きの高さ、ワンフロアの段差。
頭の中で大まかな数値を置き、巻き数を数えながら地上からの深さを見積もる。
数字に落とせば、不安は少しだけ形になる――それが、ロゴスの癖だった。
やがて、階段が終わりを告げる。
そこには古びたドアがあった。
だがドアには、うっすらと文字が刻まれている。
――セフィロス・ガバナンス・システム
――バックアップ・アーカイブ
目的地はここで、間違いがなかった。
「遅かったね……」
ドアの前に、小さなウサギの精霊が片耳を立てて佇んでいた。
「ツキハネ……あなたも来てくれたのね」
「うん……この扉は私とモナで共同照合しないと、開かない仕組みだからね……」
ツキハネは軽く笑い、すぐに真剣な顔になる。
「じゃ、早速中に入ろっか!モナ!」
「はい……ツキハネ様」
モナはそう言うと目を閉じ、静かに呟いた。
「月華の記録者として、入室許可を申請します」
すると――驚いたことに、その扉から“あの優しい声”が返ってきた。
「入室許可申請を検知しました……」
「申請者……モナ様……月華の記録者……ルナエール中央図書館大司書……兼務」
「精霊ツキハネのルミナも検知しました……入室条件を満たしています……申請を許可します」
告げ終えると、がちゃりと音を立て、扉がゆっくりと開いた。
扉の向こうから、システムがロゴスらを歓迎するかのように、記録の受信音が聞こえてきた。
――まるで、“こちらへ”と誘う合図のように。
--つづく
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