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三姉妹とリユニエの星環  作者: ケミパパ
第5章 優しい喉

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⑨空席の舞台—祈られない教会

※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)

9.


「ピンはW-07の各所に置かれているようね……」


カゲツは端末を見つめたまま、独りごちた。


表示された座標を、指先で一つずつなぞっていく。点は点のままではなく、いつしか線になり、線は形を帯び、まるで“紋様”の輪郭を浮かび上がらせていった。


「……やっぱり。置き方が偶然じゃない。意図がある」


『何かの紋様じゃろうな』


背後で、猿精霊のシエンの声が低く響いた。こだま――というより、耳の奥に直接届くような、妙に近い声だった。


「アンタもそう思う? あたしも同じことを考えてた……」


カゲツは肩を竦める。軽口の形をとりながら、目だけは笑っていない。


「この紋様……どっかで見たことがあるのよね……」


思考が加速する。点と点の距離、配置の偏り、中心が空いている“間”。――そして、半月。


カゲツは、まだピンの置かれていない位置を、端末の地図上でトン、と指先で叩いた。


「たぶん……ここに置かれたら完成する。完成させる前に止めるべきよ」


公安官の勘、というより、嫌な確信だった。胸の奥で何かが冷えていく。


「急ぐわよ、シエン」


カゲツは踵を返し、走り出した。





W-07の“中心”に該当する地点は、区画の中でも古い広場だった。


そこに、教会が建っていた。


――もっとも、ナヤカにおいて信仰は意味を持たない。住民が祈るのは神ではなく、S.G.Sだ。


神は存在しないが、システムは存在する。

神は何も示してくれないが、S.G.Sは最適に道を示してくれる。


住民は本気でそう信じていた。


だから教会は、ただの装飾だ。街の景観に添えられた“空席の舞台”。祈りのためではなく、秩序のために置かれた置物――。


そのはずだった。





その頃、礼拝堂へ足を踏み入れたのは――ユノだった。


片手に携帯端末を握り、もう片方の手で、何か小さなものを包むように持っている。冷たい石の床を、靴音が一度だけ鳴った。外の喧騒が、扉一枚で切り落とされる。


端末には、例のメッセージ。


《いい子ね。次はW-07の中心に向かいなさい。》

《教壇にピンを置きなさい。》


ユノは黙って教壇へと進みながら、これまでのことを思い返していた。


指示通りにピンを置いた場所の周囲では、確かに“異変”が起きていた。小さな衝突。軽い暴言。押し合い。転倒。暴力に届く手前の、しかし確実に人を削る摩擦。


影負荷は上がっているはずなのに、システムは介入してこない。

――いや、介入しないのではない。介入して“なかったことにしている”。


黒く滲み出した斑点を、白い絵の具で塗り潰していくみたいに。

染みが、最初から存在しなかったかのように。


思うだけで、背筋がぶるりと震えた。


自分は、とんでもない犯罪に手を染めているのではないか。

そう考えた瞬間、ユノは端末へ縋るように視線を落とした。


【影負荷:67 中程度】

【推奨:落ち着いて指示に従ってください】


ユノの口の端が、ゆっくりと吊り上がる。


大丈夫。影負荷が上がっても、システムは“大丈夫”と言ってくれる。

なら、私は間違っていない。


ピンを強く握りしめる。

掌に食い込み、血が静かに滲んだ。


痛みは、感じなかった。

むしろ――安心と、高揚だけが、胸の奥に灯る。


大丈夫。私は、選ばれている。


ユノは歩幅を早めた。





そのときだった。


「止まりなさいっっ!!」


静寂に包まれた礼拝堂に、鋭い声が木霊した。


ユノは大きく目を見開き、ピタッと足を止める。

ゆっくりと振り返ると、そこに例の公安官が立っていた。


よほど走ってきたのだろう。肩で息をし、額の汗が月光を弾く。乱れた黒髪が影を落とし、ステンドグラスから差し込む青白い光が、その輪郭を冷たく縁取っていた。


「ユノ。そこまでよ……」


公安官の女――カゲツは、息を整えきれないまま、それでも声だけは凛として言った。


「あたしと今すぐ来なさい」


「……嫌です。私は何も悪いことをしていません」


ユノは頑なに首を横に振った。


「それは署で聞く」


カゲツも下がらない。


「あなたの行動は、システムが推奨しているの?」


ユノはここで初めて意地悪な目をして、問い返した。


カゲツが口を開こうとした、その瞬間――礼拝堂に“優しい声”が流れた。


『街は安定しています』

『丁寧に』

『落ち着いて行動してください』


ユノはにやりと笑う。


「ほら。システムも大丈夫って言ってくれてるよ?」


「あんたは……本当にそう思ってるの?」


カゲツの声は低い。真剣な眼差しが、氷みたいにユノを刺した。


ユノは、その凍てつく視線に一瞬たじろぐ。反動で掌の痛みが戻り、息が詰まった。


「っ……」


ユノは、痛む手を開く。

赤く染まった半月型のピンが、月光を受けて鈍く輝いていた。


大丈夫。

あなたの信じていることを、やりなさい。


そう言われている気がした。


「……愚問ですね。私の――」


ユノはくるっと教壇の方を向いた。


「――やっていることは正しい!!」


全速力で走り出す。


「くそっ!」


カゲツも追う。腰の鞘に手をかけた。

だが、ルミナ出力がロックされたままの愛刀は、沈黙したまま動かない。


『ルミナ出力を検知しました。対象、カゲツ公安官』


一拍。

あまりにも丁寧な間。


『現在、この区画は安定しています。よって、ルミナ出力のロックを維持します』


「言うと思ったよ!! ちょっと黙っててぇ!」


堪えきれず、カゲツは吠えた。


同時に、端末が震える。通知。通知。通知。

画面いっぱいに、同じ語尾が並んでいく。


『あなたの影負荷上昇を検知しました』

『落ち着いて行動してください』

『推奨:立ち止まる』

『推奨:礼拝堂から出る』

『推奨:深呼吸』

『推奨:今から起きることを見守る』

『推奨:あなたは安全です』

『推奨:あなたは安全です』

『推奨:あなたは安全です』


――同じ文が、冷たい針みたいに繰り返される。


カゲツは戦慄した。

足が、ほんの一瞬だけ止まる。止まってしまう。反射的に、従ってしまいそうになる。


何、この……“優しさ”の圧。

完全にシステムが――いかれてる。


そのとき、バンッ、と乾いた音がした。


はっと我に返り、カゲツは視線を前へ向ける。


ユノが、ピンを持った手を教壇へ叩きつけたところだった。


「これで……いいんだよね? S.G.S……」


ユノは両目から涙を流しながら、恍惚な表情を浮かべていた。

壊れているのは涙なのに、笑っているのは口元だった。


『む?』


シエンが、すぐさま礼拝堂のルミナの流れの“綻び”を察知する。


『カゲツ……気づいておるな。この礼拝堂、流れが違う』


「ああ……微かだけど……これは間違いなく黒紫のルミナだ」


礼拝堂を包むルミナの流れに、確かに“異質なもの”が混じっている。

システムを構成する論理ルミナでもない。


微弱で、冷たく、黒紫に揺らぐ気配――。


その瞬間。


カゲツの背後で、すすり泣くような声がした。


「……シエン、泣いてるの?」


『何も言っとらん。儂が泣くわけなかろう』


答えた矢先、また聞こえた。

今度は、より近い。


『む? 誰か……泣いておる?』


シエンがきょろきょろと見回す。


カゲツは息を止め、意を決して振り向いた。


――誰もいない。


胸を撫で下ろす間もなく、カゲツはゆっくりと前を向いた。


そこに、シスターが立っていた。



――つづく

ここまで読んでいただきありがとうございます✨

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