⑨空席の舞台—祈られない教会
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
9.
「ピンはW-07の各所に置かれているようね……」
カゲツは端末を見つめたまま、独りごちた。
表示された座標を、指先で一つずつなぞっていく。点は点のままではなく、いつしか線になり、線は形を帯び、まるで“紋様”の輪郭を浮かび上がらせていった。
「……やっぱり。置き方が偶然じゃない。意図がある」
『何かの紋様じゃろうな』
背後で、猿精霊のシエンの声が低く響いた。こだま――というより、耳の奥に直接届くような、妙に近い声だった。
「アンタもそう思う? あたしも同じことを考えてた……」
カゲツは肩を竦める。軽口の形をとりながら、目だけは笑っていない。
「この紋様……どっかで見たことがあるのよね……」
思考が加速する。点と点の距離、配置の偏り、中心が空いている“間”。――そして、半月。
カゲツは、まだピンの置かれていない位置を、端末の地図上でトン、と指先で叩いた。
「たぶん……ここに置かれたら完成する。完成させる前に止めるべきよ」
公安官の勘、というより、嫌な確信だった。胸の奥で何かが冷えていく。
「急ぐわよ、シエン」
カゲツは踵を返し、走り出した。
W-07の“中心”に該当する地点は、区画の中でも古い広場だった。
そこに、教会が建っていた。
――もっとも、ナヤカにおいて信仰は意味を持たない。住民が祈るのは神ではなく、S.G.Sだ。
神は存在しないが、システムは存在する。
神は何も示してくれないが、S.G.Sは最適に道を示してくれる。
住民は本気でそう信じていた。
だから教会は、ただの装飾だ。街の景観に添えられた“空席の舞台”。祈りのためではなく、秩序のために置かれた置物――。
そのはずだった。
その頃、礼拝堂へ足を踏み入れたのは――ユノだった。
片手に携帯端末を握り、もう片方の手で、何か小さなものを包むように持っている。冷たい石の床を、靴音が一度だけ鳴った。外の喧騒が、扉一枚で切り落とされる。
端末には、例のメッセージ。
《いい子ね。次はW-07の中心に向かいなさい。》
《教壇にピンを置きなさい。》
ユノは黙って教壇へと進みながら、これまでのことを思い返していた。
指示通りにピンを置いた場所の周囲では、確かに“異変”が起きていた。小さな衝突。軽い暴言。押し合い。転倒。暴力に届く手前の、しかし確実に人を削る摩擦。
影負荷は上がっているはずなのに、システムは介入してこない。
――いや、介入しないのではない。介入して“なかったことにしている”。
黒く滲み出した斑点を、白い絵の具で塗り潰していくみたいに。
染みが、最初から存在しなかったかのように。
思うだけで、背筋がぶるりと震えた。
自分は、とんでもない犯罪に手を染めているのではないか。
そう考えた瞬間、ユノは端末へ縋るように視線を落とした。
【影負荷:67 中程度】
【推奨:落ち着いて指示に従ってください】
ユノの口の端が、ゆっくりと吊り上がる。
大丈夫。影負荷が上がっても、システムは“大丈夫”と言ってくれる。
なら、私は間違っていない。
ピンを強く握りしめる。
掌に食い込み、血が静かに滲んだ。
痛みは、感じなかった。
むしろ――安心と、高揚だけが、胸の奥に灯る。
大丈夫。私は、選ばれている。
ユノは歩幅を早めた。
そのときだった。
「止まりなさいっっ!!」
静寂に包まれた礼拝堂に、鋭い声が木霊した。
ユノは大きく目を見開き、ピタッと足を止める。
ゆっくりと振り返ると、そこに例の公安官が立っていた。
よほど走ってきたのだろう。肩で息をし、額の汗が月光を弾く。乱れた黒髪が影を落とし、ステンドグラスから差し込む青白い光が、その輪郭を冷たく縁取っていた。
「ユノ。そこまでよ……」
公安官の女――カゲツは、息を整えきれないまま、それでも声だけは凛として言った。
「あたしと今すぐ来なさい」
「……嫌です。私は何も悪いことをしていません」
ユノは頑なに首を横に振った。
「それは署で聞く」
カゲツも下がらない。
「あなたの行動は、システムが推奨しているの?」
ユノはここで初めて意地悪な目をして、問い返した。
カゲツが口を開こうとした、その瞬間――礼拝堂に“優しい声”が流れた。
『街は安定しています』
『丁寧に』
『落ち着いて行動してください』
ユノはにやりと笑う。
「ほら。システムも大丈夫って言ってくれてるよ?」
「あんたは……本当にそう思ってるの?」
カゲツの声は低い。真剣な眼差しが、氷みたいにユノを刺した。
ユノは、その凍てつく視線に一瞬たじろぐ。反動で掌の痛みが戻り、息が詰まった。
「っ……」
ユノは、痛む手を開く。
赤く染まった半月型のピンが、月光を受けて鈍く輝いていた。
大丈夫。
あなたの信じていることを、やりなさい。
そう言われている気がした。
「……愚問ですね。私の――」
ユノはくるっと教壇の方を向いた。
「――やっていることは正しい!!」
全速力で走り出す。
「くそっ!」
カゲツも追う。腰の鞘に手をかけた。
だが、ルミナ出力がロックされたままの愛刀は、沈黙したまま動かない。
『ルミナ出力を検知しました。対象、カゲツ公安官』
一拍。
あまりにも丁寧な間。
『現在、この区画は安定しています。よって、ルミナ出力のロックを維持します』
「言うと思ったよ!! ちょっと黙っててぇ!」
堪えきれず、カゲツは吠えた。
同時に、端末が震える。通知。通知。通知。
画面いっぱいに、同じ語尾が並んでいく。
『あなたの影負荷上昇を検知しました』
『落ち着いて行動してください』
『推奨:立ち止まる』
『推奨:礼拝堂から出る』
『推奨:深呼吸』
『推奨:今から起きることを見守る』
『推奨:あなたは安全です』
『推奨:あなたは安全です』
『推奨:あなたは安全です』
――同じ文が、冷たい針みたいに繰り返される。
カゲツは戦慄した。
足が、ほんの一瞬だけ止まる。止まってしまう。反射的に、従ってしまいそうになる。
何、この……“優しさ”の圧。
完全にシステムが――いかれてる。
そのとき、バンッ、と乾いた音がした。
はっと我に返り、カゲツは視線を前へ向ける。
ユノが、ピンを持った手を教壇へ叩きつけたところだった。
「これで……いいんだよね? S.G.S……」
ユノは両目から涙を流しながら、恍惚な表情を浮かべていた。
壊れているのは涙なのに、笑っているのは口元だった。
『む?』
シエンが、すぐさま礼拝堂のルミナの流れの“綻び”を察知する。
『カゲツ……気づいておるな。この礼拝堂、流れが違う』
「ああ……微かだけど……これは間違いなく黒紫のルミナだ」
礼拝堂を包むルミナの流れに、確かに“異質なもの”が混じっている。
システムを構成する論理ルミナでもない。
微弱で、冷たく、黒紫に揺らぐ気配――。
その瞬間。
カゲツの背後で、すすり泣くような声がした。
「……シエン、泣いてるの?」
『何も言っとらん。儂が泣くわけなかろう』
答えた矢先、また聞こえた。
今度は、より近い。
『む? 誰か……泣いておる?』
シエンがきょろきょろと見回す。
カゲツは息を止め、意を決して振り向いた。
――誰もいない。
胸を撫で下ろす間もなく、カゲツはゆっくりと前を向いた。
そこに、シスターが立っていた。
――つづく
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