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三姉妹とリユニエの星環  作者: ケミパパ
第5章 優しい喉

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⑦月の指先—半月刻印のピン

※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)

7.


W-07の入口は、派手さがなかった。ただ区画コードだけが、淡い光で壁面に浮かんでいる。


【W-07/歩行推奨ルート:最適化済】

【秩序係数:安定】


——また“安定”。


カゲツは端末を見ないまま、その表示を横目で切り捨てた。案内に従えば、足取りまで矯正される。いま欲しいのは“正しい道”じゃない。落ちている違和感だ。


高架下に入る。空気が少しだけ湿って、金属の匂いが増える。車の走行音が天井で反響し、そこだけ拍が遅れる。


人は多い。なのに、ざわめきが薄い。笑い声が揃っているはずなのに、揃いきっていない。


肩の揺れが、ほんの数度だけバラけている。視線の運びが、ほんの一瞬だけ遅れる。誰も転ばない。誰も叫ばない。誰も立ち止まらない。秩序は保たれている。なのに、どこかの裏側だけが、じわじわと黒ずんでいく。


カゲツは立ち止まり、耳を澄ませた。


——誰かが、ここで“拍”を崩している。


公安官としての直感は、理由より先に確信へ届く。だから彼女は、端末を取り出した。


画面に浮かぶのは、相変わらず丁寧な言葉。


【影負荷:上昇傾向】

【統治介入:観察域】

【秩序係数:安定】

【推奨:過度な介入は避けてください】


“避けてください”。

命令を、お願いの形で渡してくる。


カゲツは小さく息を吐き、画面を暗くした。

見せられている数字は、いつも“編集後”だ。

自分が見たいのは、編集される前の、肌触り。


歩く。人の流れに逆らわず、逆らう場所へ向かう。


高架の柱の影。

監視ドローンが一拍だけ視界を切る“穴”。

そこだけ光膜の張り方が薄い。

薄いのに、妙に綺麗だ。綺麗すぎる。


カゲツは手袋越しに、壁面の継ぎ目へ指を滑らせた。


——ざらり。


ほんの僅かな段差。“施工のムラ”にしては、整いすぎている。意図のある歪みだ。


その瞬間、背後で笑い声が少しだけ弾けた。


「……あれ?」


若い男が、落とした財布を拾い上げる。拾ったのは、彼じゃない。隣を歩いていた女だ。女は一拍、財布を見つめて——笑った。


「返すの、めんどくさくない?」


冗談みたいな声音。でも目は冗談をしていない。“悪いこと”の入口に、ためらいがない。


男も笑う。笑いながら、財布を受け取らない。二人の笑いが、噛み合っていない。


けれど周囲は止まらない。誰も声を上げない。スクリーンが淡々と点灯する。


《街は安定しています》

《落ち着いて行動してください》


優しい文字が、空気に膜を張る。膜が張られると、人は疑問を飲み込む。


女は肩をすくめ、財布を床に落とした。

男は拾い、何事もなかったように歩き出す。


“事件”に育たない。育つ前に、秩序が撫で潰す。


なのに、カゲツの皮膚だけが、ひりついていた。影が増えている。小さく、確実に。秩序の外側で。


「……ここね」


カゲツは柱の陰へ回り込み、継ぎ目にしゃがんだ。光膜の端に、銀色の小さなものが挟まっている。針。いや、ピン。爪の先ほどの金属片。目立たない。けれど“入っている”。


彼女はそれを抜こうとして——指を止めた。


抜けば戻る。戻れば整う。整えば、痕跡が消える。


カゲツは、端末で写真だけ撮った。

アナログの証拠。

編集されにくいもの。


そのとき、端末が勝手に震えた。

画面は暗くしていたはずなのに、白い文字が割り込む。


【観測対象:カゲツ公安官】

【影負荷:微増】

【推奨:深呼吸】


笑ってしまいそうになる。


あたしの影まで、丁寧に測るの?


カゲツは端末を閉じ、立ち上がった。視線を上げる。人の波の向こうに、制服の白が一瞬だけ見えた気がした。


整った襟。整った歩幅。整っているのに、足音だけが微かに震えている——


「……ユノ?」


声は届かない。届く前に、人の流れが自然に割れて、また自然に閉じる。


まるで彼女のために、動線が用意されているみたいに。


カゲツは追う。走らない。走れば“目立つ”。

目立てば“均される”。

呼吸だけを整え、視線だけを鋭くする。


そして、白い影は、消えた。


消えた場所に、代わりに落ちていたものがある。

銀色のピン。さっき壁に挟まっていたのと同じ種類。

ただ一つ違うのは、表面に薄い刻印があること。


半月。刃のない月。

触れれば指先が冷える、あの“月”。


カゲツはそれを拾い上げ、握りしめた。軽い。軽すぎる。

この軽さで、街の影を増やせる。


——“実験”はもう始まっている。

そしてこの区画で起きるのは、事故でも事件でもない。

秩序が拾えない種類の悪意だ。


「……見つけたわ。アンタたちの“指先”」


W-07の奥へ、さらに暗い通路が伸びている。

その先で、誰かが叫びかけて、声を飲み込んだ気がした。


「……今、行くわ」


彼女はピンをポケットに入れ、暗い通路へ足を踏み出した。


——つづく

ここまで読んでいただきありがとうございます✨

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