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三姉妹とリユニエの星環  作者: ケミパパ
第5章 優しい喉

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⑥白い優しさは刃になる—“編集”の空白

※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)

6.


礼拝堂を出た瞬間、外気が肺を刺した。


白い空気。白い石畳。白い制服。白い笑み。


——全部、同じ温度で整っている。


カゲツは門をくぐる直前で立ち止まり、背後を振り返った。


白い鉄柵の向こうで、校長が丁寧に会釈している。角度が整いすぎた会釈だ。


『お気をつけて。秩序係数は安定しています』


門の上の光膜が、優しく声を落とす。


その“優しさ”が、いまは刃物に見えた。


カゲツは低く言った。


「……逃がしたんじゃない。逃がされた」


ロゴスは返事をしない。


代わりに、礼拝堂の奥へ残った匂いが喉の奥に貼りついたままなのを、ゆっくり飲み込む。


甘い。


腐っている。


そして——覚えがある。


歩きながら、ロゴスの脳裏に“白い棚”が滑り込んだ。


無数の背表紙。整った番号。整った分類。整った沈黙。


あの都市は、暴力を振るう場所じゃない。


暴力の“根拠”を、静かに保存する場所だ。


——ルナエール。


胸の奥がひやりと冷える。


嫌な記憶は理由を説明してくれない。


ただ、匂いと空白と反射だけで、こちらを刺してくる。


一拍。


S.G.Sの声が礼拝堂で確かに挟んだ“空白”。


あの空白は、遅延だ。


検知してから結論を出すまでの遅れじゃない。


結論を“差し替える”ための遅れ。


ロゴスの足が無意識に止まった。


「……ロゴス?」


カゲツが振り返る。


その目はまだ怒っている。怒りを抑えるために冷えている。


ロゴスは唇を湿らせ、短く言った。


「ルナエールに行く」


「え?」


「ナヤカの中枢を直接見に行くのは、いまは危険よ。私たちはもう“観測されてる”。——今日のことで確信したわ」


カゲツが何か言いかけて、飲み込む。


公安官としての本能が、同じ結論に辿りついている顔だ。


ロゴスは続ける。


「このセフィロス地区の経済構造は、知識と検証で回ってる。シグマで生まれ、ナヤカで検証・運用され、成果と失敗は“記録”として収束する。——収束先は、ルナエール中央図書館。閉架式書庫」


「閉架?」


「一般公開されない層。技術文書、検証記録、運用ログ。ナヤカのリアルタイムバックアップも——“安全な保管先”として流れてる可能性が高い」


カゲツの眉がわずかに動く。


「ルナエールは図書館都市でしょ?支配だの教団だの、そういう話じゃないんじゃない?」


「分かってる。だからこそ、行くのよ」


ロゴスは息を吐く。


言葉の温度を落とし、論理の角を尖らせる。


「支配されてない場所に、データは集まる。信頼されてる場所に、バックアップは置かれる。——“安全”は、隠す側にとっても都合がいい」


ロゴスの視界に、モナの静かな背が浮かぶ。


中央図書館の大司書。知の秩序を守る人。


その傍らに跳ねる、兎精霊ツキハネ。


軽やかで、しかし耳は何よりも“違和感”を拾う。


「モナに会う。ツキハネの耳も借りる。閉架の出入り記録、差分同期、版管理——“誰が”“いつ”“何を”触ったか。痕跡は残る」


カゲツが言う。


「残ってなかったら?」


「残してある。運用のために必要だから。——そして、必要な痕跡だけ残せる人間がいるなら、なおさら」


言い終えた瞬間、ロゴスの喉の奥を、あの甘い腐敗がもう一度撫でた気がした。


匂いは、人間の記憶を最短距離で刺す。


ルナエールの空気は清いはずなのに、いまはそこに“同じもの”が混じる予感がする。


カゲツは機械タバコを指で弾いた。火も煙も出ないのに、苛立ちだけが跳ねる。


「……で、役割よね」


ロゴスは頷く。


「あなたはナヤカに残って。ユノは門の外に出た。“現場で起きる揺れ”を追えるのは、あなた」


「W-07ね」


「ええ。揺れの中心。私はルナエールで“編集前”の層を掴む。あなたはナヤカで“編集後”の現実を掴む」


短い交換。


それだけで二人の役割が決まる。


ロゴスは端末を握る手に力を込めた。


オラクル・アイを点けたい衝動が喉まで上がる。


けれど点けた瞬間、こちらが“観測された側”になる。


——ルナエールに辿り着く前に、糸を切られる。


だから、点けない。


点けないまま、思考だけを走らせる。


そのときカゲツの端末が震えた。


【追跡:不要】


【秩序:安定】


【統治介入:不要】


まただ。


追うな、と優しく命じる結論。


カゲツは笑った。怒りで笑うのは久しぶりだった。


「……望み通りにはしない。人間の足で追う」


そう言って端末をポケットの奥へ突っ込む。


スクリーンも誘導も最適化も要らない。


「まずW-07を踏む。あの娘が“門の外”で何を始めたか——現場に落ちてるはず」


すると、背後の空気が一瞬だけ沈んだ。


石畳の影が、猿の輪郭を結ぶ。


アレキサンドライトの光が、脈打つように瞬く。


『二人とも——慎重に行け』


低い声。だが、どこか“薄い”。


音の芯だけが削られている。


猿精霊シエンだ。


その声には、ナヤカの光膜と同じ匂いが混じっていた。——干渉。制限。


『ワシの目から見ても、今回の判断は異常だ。……だが、ワシはこれ以上“内側”を見られん』


「見られない?」ロゴスが眉を寄せる。


シエンは一拍、悔しさを飲み込むみたいに沈黙した。


『案内役は、道を示すだけだ。設計に触れる権限は、最初から与えられておらん。

——ナヤカは、“知っている者”から順に縛る』


ロゴスの喉の奥に、甘い腐敗がひと撫でした。


「……つまり、精霊でさえ“編集”される」


『そうだ。だから言う。点けるな』


「オラクル・アイ?」


『点ければ、お主らは“観測対象”として固定される。

ルナエールへ辿り着く前に、糸を切られるぞ』


シエンは、言葉を削って続けた。


『記録は……ルナエールに寄る。ナヤカで測ったものは、あそこへ“収束”する。

だから、上から掘れ。閉架だ。編集前の層は、まだ残る』


ロゴスは頷いた。


「このシステム、シグマでフリギアとソリウスが——」


『……フリギア。』


シエンがその名だけを、重く落とした。


『そこまで覚えているなら、話は早い。だが、ここで“説明”はできん。

——この街では、説明は罪になる』


カゲツが吐き捨てる。


「じゃあ、説明はいらないわね。やることは同じよ。

ロゴスはルナエール。あたしはナヤカ。——挟む」


ロゴスは一度だけ目を伏せた。


「ええ。私は上から。あなたは下から。どちらも、“最適化”の外側から」


カゲツが低く言う。


「……ええ。やるわ」


二人は同時に歩き出す。


ナヤカへ向かう足と、ルナエールへ向かう足。


別々の方向へ、同じ悪意の輪郭を掴みに行くために。


その頃。


ユノは、門の外に立っていた。


制服の襟は整っている。髪も整っている。呼吸も整っている。


整っているからこそ、足音だけが微かに震える。


女学院の白い鉄柵の外側。


“普通のナヤカ”の光が、目に刺さる。


ビル壁面スクリーンが淡々と光った。


《街は安定しています》


《あなたの選択は最適化されています》


文字が、ほんの一拍だけ滲む。


——祝福みたいに。


ユノは端末を見ない。見なくても分かる。


影負荷は、まだ低い。


統治介入は、まだ不要。


だから、裁かれない。


その安心が、いまは麻酔みたいに効いている。


背中に冷たい風が通る。


振り返れば、女学院がある。


振り返れば揺れる。


だから、振り返らずに歩く。


繁華街の端。


ネオンの冷たい色。


笑い声が同じ拍で揃っている。


肩が同じ角度で揺れている。


“見えない指揮者”が、今日もここにいる。


ユノは、ひとつ息を吸って、混雑の中に溶けた。


人の波は、彼女を拒まない。


むしろ自然に割れる。


——最適化された動線みたいに。


端末が、短く震える。


ユノは歩きながら、画面の端だけを盗み見た。


《実験》


《影を上げろ》


《秩序は、上げるな》


指先が一瞬、冷たくなる。


影負荷を上げる。


でも秩序係数は上げない。


——それは、これまでの“事故の美学”と逆だ。


今までは、死が秩序を美しくした。


今日は違う。


秩序を濁さずに、影だけを増やす。


ユノは、立ち止まった。


街角の小さな売店。


笑顔の店員。整いすぎた笑顔。


透明な箱の中に、小さな銀色のピンが並ぶ。


防犯タグ用。軽い金属。誰も気にしない。


ユノは、指先でひとつだけ取った。


取った瞬間、胸の奥に薄い棘が立つ。


——悪いこと。


でも、まだ軽い。


影負荷が上がる。


そんな確信が、皮膚の内側に走る。


次に、ユノは歩く。


人の流れに逆らわず、逆らう場所へ向かう。


高架下。


監視ドローンの死角が、ほんの数秒だけ生まれる“穴”。


その穴を、ユノはなぜか知っていた。


知っているのは——自分じゃない。


壁に、薄い光膜が張られている。


街の光膜。女学院と同じ“優しさ”の皮膜。


ユノは、さっきの銀色のピンを、光膜の継ぎ目にそっと差し込んだ。


刺すのではなく、挟む。


傷をつけない。見えない場所で、ほんの一拍だけ“遅れ”を作る。


——編集の間。


礼拝堂の空白と、同じ種類の“間”。


光膜が、ほんの一瞬だけ脈打ちを乱した。


その瞬間、通行人の笑い声が、僅かにズレた。


同じ拍が、揃いきらない。


肩の角度が、ほんの数度だけずれる。


ユノの胸が、ぞくりとした。


美しい。


でも、これは秩序を上げる美しさじゃない。


端末が震える。


影負荷:上昇


統治介入:観察域


秩序係数:——(変化なし)


ユノは息を呑んだ。


「……上がった」


影が増えた。


でも秩序は上がらない。


——“最適化”が、気持ちよくない。


その不快さが、逆に快感に似ていた。


自分の心臓の音が、久しぶりに自分の中で鳴っている。


そして、画面の隅に新しい文が走る。


《いい子》


《次は、もう少し大きく》


《刈るのではなく、増やせ》


送り主は表示されない。


けれどユノは分かった。


“月”だ。


ユノはピンを抜かない。


抜けば戻る。戻れば整う。整えば軽いまま終わる。


彼女はその場を離れ、雑踏へ溶けた。


背後で、壁面スクリーンが淡々と光る。


《街は安定しています》


その文字が、ほんの一拍だけ滲んだ。


さっきよりも——薄く笑っているみたいに。


ユノは、歩く。


“門の外”で始まった実験を、次の区画へ運ぶために。


——つづく

ここまで読んでいただきありがとうございます✨

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