表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三姉妹とリユニエの星環  作者: ケミパパ
第5章 優しい喉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/94

③月は、揺れを赦す──聖ルーネ女学院の外部支援

※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)

3.


鍵の解錠音はしなかった。


扉は、最初から開いていたかのように、カゲツが押した瞬間にすっと退いた。


「……ただいま」


帰宅の言葉は誰に向けたものでもない。けれど部屋の奥、見えない場所が一拍遅れて息をした気がした。


ロゴスはソファから立ち上がりかけて、やめた。


“窓際にも立つな”。その一文が、背中を椅子に縠として縫い付けている。


カゲツはコートを脱がずに、部屋の中央で立ち止まった。目だけが笑っていない。


「……上が動かねない……」


声が低い。怒りというより、冷えた確信だ。


「“問題なし”。封鎖も段階移行も、システムの通常運用だってさ。こっちのログは見ない。見ようともしない」


「通知経路が……切られてる?」


ロゴスが問いかけると、カゲツは小さく首を振った。


「切れてない。届いてるのに、握り潰してる。だからタチが悪い」


カゲツは端末を開き、空中に小さなホログラムを立ち上げた。数字が淡々と並ぶ。


――G1/L2→L3(PENDING)


――入国記録:欠落


――所有者照合:失敗


――“揺れ”の発生区画:W-07


「揺れ、って……」


「秩序係数の微振動よ。上は“誤差”って言った。けど、私は誤差の顔を知ってる」


カゲツはロゴスを見た。


見ているのに、視線が“窓の外”を避けている。


「ロゴス。今夜は何もしない。アンタの目で周辺を触るな」


「……この部屋、見られてるの?」


問いの代わりに、ロゴスはそう言った。


カゲツは一拍、沈黙した。


そして、吸いかけの機械タバコを机に置いたまま、火を点けずに言う。


「“見られてる”じゃない。“整えられてる”」


喫煙とアルコールの匂いの奥に、甘く腐った空気が潜む。


部屋の壁が、優しい顔でこちらを撫でてくる錯覚。


「明日、公安に行く。正面からは無理だけどね。監査評議会の外縁を叩く。……それと」


カゲツの指が、W-07を軽く叩いた。


「揺れの中心が、女学院側だ。あそこは“上”の子が多い。つまり、揉み消せない火種になる」


ロゴスは喉の奥が乾くのを感じた。


女学院。秩序の象徴。安全の展示室。


「……一旦、寝るわ。眠れるかは知らないけど」


カゲツがそう言って、ベッドルームへ消える。


残されたロゴスは、窓から離れた位置で、そっとカーテンの隙間を塞いだ。


その瞬間、遠い壁面スクリーンが淡く光るのが見えた。


《街は安定しています》


文字が、ほんの一拍だけ滲んだ。


まるで――こちらの“気配”を、確かめるように。


朝、七時三十分。


白い廊下に足音が吸い込まれていく。


聖ルーネ女学院は、ナヤカで唯一“古い形式”を残した学校だった。礼拝堂、制服、朝の祈り。


けれど古いのは形式だけで、中身は最新だ。廊下の壁面には薄い光の膜が張られ、生徒が通るたびに優しい声が耳の奥を撫でた。


『おはようございます。秩序係数は安定しています。焦らず、丁寧に』


それは校内放送ではない。各自の端末に、S.G.Sが直接、囁いている。


二年生のユノは、端末を握る指に力が入っているのを自覚していた。


今朝、秩序係数が少しだけ高い。


秩序係数:68


“上がる”のは悪いことじゃない。そう教わってきた。最適化が進んでいる証拠。余計な迷いが削がれていく証拠。


なのに、胸の奥がひやりとする。


礼拝堂に入ると、全員が同じ角度で膝を折り、同じタイミングで手を組んだ。


ステンドグラスは月を模した白銀で、差し込む光は冷たいのに、なぜか“優しい”。


『あなたの選択は最適化されています』


祈りの言葉の合間に、機械の声が混ざる。


それを誰も不自然だと思わない。


ユノは唇を動かしながら、ふと考えた。


――最適化って、誰にとって?


その瞬間、端末が微かに震える。表示されたのは、いつもの安心だった。


影負荷:低


統治介入:不要


「……よかった」


口から漏れた声は、ほっとしたはずなのに薄い。


心臓の音より先に、機械が“安全”を告げる。それが、この街の正常。


朝礼が終わり、廊下へ戻ると、担任がユノを呼び止めた。


笑みは柔らかい。けれど角度が整いすぎている。


「ユノさん。今日、礼拝堂の相談室に寄ってくれる?」


「相談室……?」


「新しい外部支援が入ったの。あなたたちの“学び”を支えるって」


外部支援――その言葉だけで、ユノの胸が小さく縮む。


女学院は安全の展示室だ。ここに“外”が入ること自体が、どこかちぐはぐだ。


相談室の扉の前に立つと、扉の横で小さな月形の紋章が光っていた。


半月を縁取る細い文字――見覚えのない意匠。


ノックをしようとした指が止まる。


扉は、音を待たずに開いた。


中は薄暗く、香の匂いがした。月光のような白い照明が、机の上の銀杯を静かに照らしている。


椅子に座っていたのは、白い法衣の女だった。


顔の上半分は白磁の仮面で覆われ、口元だけが柔らかく弧を描いている。


「……怖がらなくていいわ。ユノ」


名前を呼ばれる。


それだけで、背筋が冷えた。担任に伝えていないはずの呼び方だったのに。


「あなたの中に、ほんの少しだけ“揺れ”があるの」


「揺れ……?」


ユノは反射的に端末を見る。影負荷は低い。統治介入も不要。


――だから問題ない、はずだ。


女はその視線を見て、笑った。温度があるのに、角度が整いすぎた笑みで。


「大丈夫。あなたは裁かれない。だって――」


机の上の銀杯が、月光を吸って淡く光る。


女の指先が、ユノの端末ではなく胸元――心臓のあたりをそっと指した。


「“影”を持たないまま、揺れることができるから」


ユノの喉が鳴る。


揺れる。影を持たない。裁かれない。


耳の奥で、廊下の声が遠く響いた気がした。


『現在、この区画は安定しています。落ち着いて行動してください』


女は引き出しから、小さな薄い札を取り出した。紙ではない。薄い膜のように光っている。


表面に半月。裏面に微細な幾何学の刻印。


「これを、礼拝堂の換気口に貼るだけ」


「……それは、何ですか」


「月華。やさしい霧よ。心を落ち着かせ、余計なノイズを消す」


ノイズ――疑問。迷い。反抗。


ユノの胸の棘が、それだと指摘された気がした。


「誰も傷つけない。むしろ秩序は上がる。あなたは“良いこと”をしたと評価される」


女の声は、甘いのに冷たい。


“良いこと”。その言葉が、やけに強く響いた。


ユノは札を受け取った。指先に、わずかな重み。


たったそれだけのはずなのに、世界が少しだけ傾いた気がした。


礼拝堂。昼休み。


誰もいない時間を選んだつもりだった。


けれど、誰もいないはずの空間で――祈りの残滓だけが、整然と漂っている。


ユノは換気口に手を伸ばし、札を貼った。


ぴたり、と吸い付く。


その瞬間。


空気がほんの少しだけ甘くなり、光がほんの少しだけ白くなる。


そして、端末が静かに震えた。


秩序係数:68 → 76


影負荷:低(変化なし)


「……ほんとに」


胸の奥がざわめく。


正しいことをした、と身体が言っている。


なのに、心のどこかが置き去りにされる。


次の瞬間、礼拝堂の奥で、小さな物音がした。


振り向くと、扉の隙間に――月形の紋章が一瞬だけ浮かび、すぐに消える。


誰かが、見ていた。


ユノの端末に、見慣れない短文が表示された。


《月は、揺れを赦す》


送り主は表示されない。


けれどユノは分かった。背中の冷えが、答えを知っていた。


――戻れない。


廊下に出ると、壁面の声がいつもより近い。


『現在、この区画は安定しています。落ち着いて行動してください』


その“優しさ”が、今朝いちばん、怖く聞こえた。


--つづく

 

ここまで読んでいただきありがとうございます✨

ブックマークで追ってもらえると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ