⑪緋鎖で結ばれた賭け──オルディナ、影の奥へ墜ちる
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
21.
『どうしちゃったのさ~オルディナ~?』
黒紫のルミナを揺らしながら、カリンが不気味な笑みを浮かべ、身体をくねらせた。
その声音は甘く、軽く、まるで冗談を投げかけるようだった。
けれど、舞台結界を満たす瘴気は、確実に濃度を増している。
オルディナは、目を閉じていた。
これまで交わしてきた言葉。
触れ合った刃。
抱き締められた温度。
そして――ほんの一瞬、拳を交えたときに“聞こえた声”。
それらを、一つひとつ噛み締めるように、心の奥へ沈めていく。
……やっと、見えた
あの少女は、すべてを語っていなかった。
いや――語れなかったのだ。
「オルディナさん?」
ミカゲの、抑えた声が響く。
書き手としてではなく、仲間としての、切実な呼びかけ。
やがて、オルディナはゆっくりと目を開けた。
『何か掴んだのですね……』
頭上から降り注ぐサクヤオロチの声は、確信を帯びていた。
「うん……」
オルディナは、はっきりと頷いた。
「私が見えているあの娘は……“本物”じゃない……」
その言葉は、断定ではなく、実感だった。
「どういう意味です?」
ミカゲが眉を寄せる。
『あれは……器、というわけですか』
サクヤオロチの問いは、静かだった。
「そうだと思う……」
オルディナは視線をカリンに向けたまま、続ける。
「あの娘と交えていると……“本当”の声が聞こえた気がするの」
それは怒りでも、嘲りでもない。
置き去りにされたまま、呼び続けていた声。
『おーい、オルディナ!』
カリンが手を振り、無邪気に笑う。
『どうしたの~? こっち来て、うちとあそぼぉよ~』
その仕草はあまりにも自然で、あまりにも“生きている”ようで――だからこそ、痛々しかった。
オルディナは、深く息を吸った。
「ミカゲ……サクヤ……」
声は震えていなかった。
「ちょっと、試したいことがあるの。協力してくれないかな?」
彼女が語った“作戦”は、ミカゲの表情から一瞬で血の気を引かせた。
「……それは危険すぎます……無茶です……!」
ミカゲは思わず、オルディナの手を掴んだ。
「でも……これしかないと思うの。それに……」
オルディナは二人を、まっすぐに見た。
「私は、あなたたちのことを信じてる……大丈夫。絶対、戻ってくるから」
その微笑みは、覚悟の裏返しだった。
サクヤオロチは、しばし目を閉じていた。
やがて、静かに瞼を開く。
『……いいでしょう。オルディナ。あなたの賭けに、私ものります』
「サクヤさん……!」
ミカゲが息を呑む。
『ミカゲ……私たちは、この幕の助演です。 この幕の行く末は、オルディナに託されてい る』
「……わかりました……」
ミカゲは一瞬だけ唇を噛みしめ、そして頷いた。
「……万が一の時は、私が必ず、あなたを連れ戻します……」
「ありがとう。二人とも」
オルディナは、心から笑った。
その瞬間。
『もぉ~、がまんできない!!』
カリンが黒紫のルミナを爆ぜさせ、跳躍する。
『オルディナ! うちから突撃しちゃうからねっ!!』
「チャンスは一度だけだよ!」
オルディナは前へ踏み出した。
「ミカゲ! お願い!」
その声に応え、ミカゲは凛と詠唱する。
「《白蛇縛環》──」
地面から現れた無数の白蛇の緋鎖。それは音もなく、カリンと――
オルディナを、同時に絡め取った。
二人は、緋鎖によって“結ばれた”。
『きゃぁぁ、なにこれー? おもしろーい!』
カリンは楽しげに笑い、抵抗すらしない。
「カリン……いくよ……」
オルディナの身体を、温かな生命ルミナが包み込む。
その光は、緋鎖を伝い、まっすぐにカリンへと流れ込んだ。
『むぉぉ……どういうつもり? オルディナ?』
余裕の仮面が、わずかに揺らぐ。
オルディナの脳裏に、あの詞が蘇る。
傷は、閉ぢて消ゆるにあらず。抱かれてこそ、はじめて輪となる。
……知りたいあなたの“本当の声”を……
生命ルミナは、潤朱色へと変じた。再生ルミナの象徴。
それに反応するように、カリンの表情が歪む。
『……ちょ……いい加減にしてよ……』
黒紫のルミナが噴き上がる。
『やめて……やめてぇぇ!! 私の中に、入ってこないでぇ!!!!』
叫びは、初めて“恐怖”を帯びていた。
緋鎖を介し、二つのルミナが激しく拮抗する。光と影が、互いを侵し、溶かし合う。
やがて、影が逆流する。黒紫の瘴気が、オルディナの身体へ流れ込み、再び、禍々しい紋様が浮かび上がる。
『……もういいよ……オルディナ……』
カリンの声は、低く、冷たく変わった。
『ころす……』
凄まじい殺気が奔流となり、オルディナを呑み込む。
「っ……!」
「オルディナさん!!」
ミカゲの叫びが、遠くで響いた。
「……心配しないで……ミカゲ……」
闇に沈みながら、オルディナは微笑む。
「……必ず、帰ってくるから……」
次の瞬間、影の少女から溢れる憎悪と殺気が、彼女を完全に覆った。
世界は、闇に閉ざされた。
22.
ぽちゃん。何かが一滴、地面に落ちた。
音だけが、闇の中に溶けていく。空気は冷たく、澱んでいた。生命ルミナの流れは感じられない。ここに満ちているのは、邪悪な黒紫のルミナだけ――
それは、深い愛が歪みきった果ての苦悩、届かなかった想いの悲哀、そして、向けられることのなかった温もりが変質した、殺気を孕む感情の残滓だった。
オルディナは、ゆっくりと瞼を開けた。暗い。どこまでも暗い。上下も、距離も、境界も曖昧で、闇そのものが空間になったような場所。
だが――その闇の奥に、何かが“いる”。小さく、脆く、それでいて、確かな存在感を放つもの。
目が慣れるにつれ、それは人の形をしていることがわかった。
あちらも、こちらに気づいたようだった。『こんなところまで入ってきたのは、 あのお姉ちゃん以来だよ……』
声は幼く、けれどどこか底知れない冷たさを帯びていた。
さらに闇がほどける。
そこにいたのは、小さな黒髪の女の子だった。ずぶ濡れのように乱れた髪。痩せた肩。そして――紫色の閃光を宿した両眼。
まるで、オルディナの命など、いつでも奪えると言わんばかりの光。
『そんなところに突っ立ってないで、 こっちにおいでよ。紅蓮のお姉ちゃん』少女は、無邪気に手招きをした。
オルディナは言葉を返さず、ゆっくりと、その歩みを進めた。足音は、闇に吸い込まれて消える。
「わたし、オルディナっていうの。 あなたのお名前は?」
『わたしの名前……?』少女は一瞬、言葉に詰まった。
『……わからない』
「そっか……」
『でもね…… あのお姉ちゃんは、わたしのこと ネスちゃんって呼んでたよ……』
“お姉ちゃん”。
その言葉が、オルディナの胸に小さく引っかかる。
だが、問い詰めることはしなかった。
「ネスちゃんね。私もそう呼んでいい?」
『いいよ』ネスは、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。
「ネスちゃんは、ここに住んでいるの?」
『そうだと思う。 気づいたときから、ずっとここにいたの』
「……独りで?」
『うん。 ここが、わたしのすんでいるばしょ』
「……ママは?」
『ママ? 知らない…… ネスは、ずっと独りだったよ……』
オルディナの背に、冷たい汗が伝った。胸の奥で、否定したい仮説が、はっきりと形を取り始める。
――まさか。――この子が。
だが、口には出さなかった。確信を突きつける言葉は、この場所では、刃になる。
その沈黙を破ったのは、ネスだった。『でもね…… ずっと、わたしのなかで 浮かんでは消えるきもちがあるの』ネスは、小さな手を胸に当てた。
「……どんな気持ち?」
『どうして、置いていかれたんだろう?って…… それが浮かぶとね、 ここが、すごくいたいの』胸を押さえ、ネスは声を震わせた。
やはり――。この子が、あの時、オルディナの内側に聞こえた“声”の主。そう理解してなお、オルディナは首を振った。――まだ、決めつけるには早い。
『おねえちゃん?』
「ううん。何でもないよ。 それより…… もっとネスのこと、聞かせてくれる?」
オルディナは、ネスの隣に、そっと腰を下ろした。
『いいよ。 ネスがおねえちゃんの おはなしあいてになってあげる』その声は、どこまでも無邪気だった。
それから、とりとめのない話をした。時間の感覚は、とうに失われていた。
『ふぁ〜…… ちょっと、ねむくなってきちゃった……』ネスが、大きなあくびをする。
オルディナの瞼にも、重みが落ちてきた。「……ちょっとだけ、一緒にお昼寝しよっか」
二人は、闇の中に横たわった。
『おねえちゃん』
「なあに?」
『また…… ネスと、おはなししてくれる?』
答えようとした。だが、言葉は形にならなかった。
オルディナは、そのまま深い眠りへと落ちていった。
――つづく
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