⑩悔恨の舞台、影の抱擁
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
19.
暖かい。
だが、それはクヅラハの再生ルミナとは違っていた。
柔らかさの奥に、ざらつきがある。
幾つもの感情が混じり合い、澱のように滞留している。
ここは、どこ?……
オルディナは、ゆっくりと瞼を開けた。
眼前に広がっていたのは、異形の触手に支えられた浮遊舞台。
宙に張り巡らされた結界が、脈打つように淡く光を放っている。
ここは――。
「……トゥリムの舞台結界……」
思わず、声が零れた。
それはかつて、
女王に忠誠を誓ったリーヴァ、犬精霊ケルヴァスと刃を交え、
そして――影の少女、カリンと初めて邂逅した場所。
忘れようとしても、忘れられなかった記憶の舞台だった。
『ええ。』
背後から、穏やかな声が響く。
『破の幕は、己の影と向き合うところ。ゆえに、この世界は――あなたの心に最も深く刻まれた悔恨を基に、かたちづくられます。』
サクヤオロチは、静かにそう告げた。
オルディナは、無意識に周囲を見渡した。
舞台を包むルミナの流れの中に、確かに“異質なもの”が混じっている。
再生ルミナでも、生命ルミナでもない。
微弱で、冷たく、黒紫に揺らぐ気配――。
「……ということは……」
喉が、わずかに震えた。
「……あの子も、ここに……?」
だが、どこを見渡しても、姿はない。
「サクヤさん……」
ミカゲが、銀髪をそっとかき分けながら口を開いた。
「これから……あの者を、呼び出すのですよね?」
『ええ。その通りです。』
サクヤオロチは、一度だけ目を伏せた。
『これから、私は一つ、詩を詠みます。』
その言葉に、オルディナは微かに息を呑んだ。
――序と同じ流れ。
「……ってことは」
「その詩を理解するために、またサクヤと一戦交える……ってこと?」
イグニファとの修行を思い出しながら、そう問いかける。
『半分、正解です。』
サクヤオロチは、静かに首を振った。
『しかし、今回あなたが向き合う相手は……私ではありません。』
その一言に、ミカゲの瞳が大きく見開かれた。
「……サクヤさん……まさか……」
『ええ。あなたの察しの通りです、ミカゲ。』
サクヤオロチは、ゆっくりと目を閉じた。
『では……言葉よりも、実際に目の当たりにした方が早いでしょう。』
次の瞬間、
舞台を満たしていたルミナの流れが、静まり返った。
そして、蛇精霊の声が、深く、低く、世界に染み渡る。
ほのほのと燃ゆる炎は、
やがて影を生みいだし、
その影は 痛みのかたちを取りて、
すぎし日々を 幾度となく
かへり来たり、喰らはんとす。
守りえざりし命。
言ふべかりし言の葉。
手を伸ばさざりし あの日の己。
人の子ら、嘆きて曰く、
「これは穢れ、これは負の情」と。
されど――
大蛇は 静かにささやきぬ。
「痛みを切りすつるとき、そのところこそ、影ルミナは根を張る。」
逃ぐるなかれ。
忘るるなかれ。
傷は、閉ぢて消ゆるにあらず。
抱かれてこそ、はじめて輪となる。
涙も、悔いも、
肉を裂かれし痕さへ、
そのままいだけば 第二の環と成りて、
みづからを照らす光とならん。
ふたたび立たんと欲するたび、
その環は やはらけき光を放ち、
倒れし地をも 根と変へて、
そなたを支へん。
――痛みをゆるす者にこそ、
まことの再生は おとづる――
詩が終わったあと、舞台には、重く、張りつめた静寂が落ちた。
オルディナの胸の奥で、何かが――静かに、確かに、軋みはじめていた。
20.
生暖かい風が、頬を撫でた。
トゥリムの浮遊舞台は、張り詰めた静寂に包まれている。
だが、その静けさの奥で――
確かに、何かが脈打ちはじめていた。
舞台結界を巡るルミナの流れに、
再生とも生命とも異なる、
黒く、紫に濁った揺らぎが混じり込む。
「……来るね」
オルディナが、ほとんど息だけで呟いた。
胸の奥が、ひやりと冷える。
隣でミカゲが、いつも以上に背筋を伸ばしているのがわかった。
次の瞬間だった。
黒紫のルミナが、舞台結界を溢れんばかりに満たしはじめた。
床を這い、空を裂き、触手のように蠢く。
――形を、得ようとしている。
だが、不意に。
その気配が、すっと消えた。
確かに黒紫の流れは残っているのに、
「いるはずの存在」だけが、いない。
嫌な予感が、背骨を伝った。
一瞬。
背後から、強く――抱きしめられた。
「……!」
紅蓮がかった長い髪が、頬に触れる。
体温が、異様に近い。
動けない。
声も出ない。
ミカゲも、サクヤオロチも、同じだった。
世界そのものが静止し、
その静止画の中に、ただ一人――彼女だけが描き足されたような感覚。
『はろ……オルディナ~』
甘ったるい声が、耳元で囁く。
『呼んでくれたんだねぇ』
カリンだった。
偏愛に濡れた瞳。
無邪気な笑み。
少女のような顔立ちの奥に、
人も精霊も平然と壊す“影”を孕んだ存在。
恐ろしい――
それ以上に、近すぎた。
オルディナの胸が、わずかに軋む。
昨夜、誓ったばかりなのに。
――もう、楽になりたい。
――この子は、私を愛してくれている。
甘露のような誘いが、思考を溶かしかけた。
「オルディナさん!」
雷鳴のようなミカゲの声が、空気を裂いた。
はっとして、オルディナは身を翻す。
カリンの腕から抜け出し、距離を取った。
『そんなに警戒しないでよ~』
カリンは唇を尖らせ、不満そうに肩をすくめる。
『あたしに興味持ってくれてるんでしょ?
やだ~、両想いじゃん』
頬を染め、くすりと笑う。
「……そんなわけ……」
言いかけて、言葉が詰まった。
脳裏に、蛇精霊の詩が蘇る。
――「痛みを切りすつるとき、
そのところこそ、影ルミナは根を張る」
拒絶するだけでは、駄目だ。
でも、どうすればいい?
沈黙したオルディナを見て、
カリンは楽しげに言葉を重ねる。
『どんな心境の変化があったのかは知らないけどぉ~』
そして、真っ直ぐに、胸を指差した。
『あたしは、あなたの魂が食べたい。
そ・れ・だ・け』
影の少女は、鳳凰の黒炎を纏い、一歩踏み出す。
『んじゃぁ……いっくよ~』
「……わかった」
サクヤオロチの静かな視線を感じながら、
オルディナは息を吸った。
「《命門》……」
混沌を抱えたまま、
紅蓮の生命ルミナをその身に纏わせる。
『かんたんに死んじゃ、ダメだからね~』
カリンの黒炎が、刃となって迫る。
紅蓮と黒紫。
二つの刃が、舞台で激突した。
キィン――
鋭い金属音が、空間を裂く。
互いのルミナが、火花を散らす。
ミカゲが一歩踏み出しかけるのを、
サクヤオロチが静かに制した。
『……まだです。これは彼女の幕』
『そーらそらっ!
オルディナ、ギア上げてくよ~!!』
カリンは、心底楽しそうだった。
「望むところ!」
オルディナも応じ、出力を引き上げる。
『でも、これじゃ埒があかないねぇ……』
カリンが後方へ翻り、
黒紫の蝙蝠を無数に解き放った。
オルディナは――舞った。
華麗に。
優雅に。
線の上をなぞるように、
蝙蝠の群れをすり抜ける。
『わーぉ……オルディナ、綺麗』
カリンが、心から感嘆する。
「今度は、こっちから!」
「《深紅ノ裁》!!」
八本の深紅の護封剣が、円環を描き、カリンを襲う。
『やーん』
軽やかに、すべてを躱す。
だが――
「《紅蓮拳》!!」
回避直後のカリンに、拳が迫る。
パシッ。
カリンは体をしならせ、
その拳を掌で受け止めた。
紅蓮と黒紫。
二つのルミナが、真正面から拮抗する。
――どうして……
声が、聞こえた。
カリンの口は動いていない。
ただ、愉しげに微笑んでいるだけ。
オルディナは距離を取った。
『たっのしいねっっ、オルディナ!』
無邪気な笑顔。
少女そのものの表情。
……違う。
あの娘の中に、
“別の何か”がいる。
オルディナは、先ほど聞いた声を反芻する。
――どうして、
――わたしだけ、置いていくの?
胸の奥が、じくりと痛んだ。
つづく――
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