Ⅻ.堕影の接吻
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
12.
砕け散った黒紫のルミナの残響が、宙に霧散する。
それはまるで、誤った旋律が静かに終わりを告げるかのように、風に消えていった。
セナはその場に崩れ落ちた。
両手で顔を覆い、震える声を吐き出す。
「うっ……あ、ああ……わたし……わたし……っ」
その手の隙間から、溢れた涙が頬を伝って零れ落ちた。
エリシアは静かにその場へ歩み寄り、跪くと、彼女の肩にそっと手を置いた。
「セナちゃん……もう、大丈夫よ。もう、無理しなくていいの」
「どうして……どうして……私、アクシオンのことも、エリシアの歌も、全部嫌いになったはずだったのに……!」
「それは、嫌いになろうとしていただけ。
あの黒紫のルミナは、あなたの心の痛みにつけこんで、本当の気持ちを覆い隠していただけなのよ」
セナは顔を上げ、涙に濡れた目でエリシアを見つめる。
その瞳には、かすかに金色の光が戻り始めていた。
「わたし……あの時、ほんとは嬉しかったんだ。
アクシオンが私のことを褒めてくれた時も……
エリシアが歌ってくれた時も……でも、認めたくなくて……!」
「大丈夫よ。気づけたなら、もう大丈夫。
あなたの“音”は、今、ようやく“自分自身”に還ったのよ」
エリシアの言葉とともに、風がそっと吹く。
その風は優しく、まるで蝶の羽ばたきのように穏やかで――
セナの髪に留まった蝶の羽飾りが、静かに金色に輝いた。
「……わたし、戻れるかな……?」
「戻りましょう、セナちゃん。三姉妹の音は、まだ終わってない。
あなたがその旋律に戻りたいと願うなら、私たちは必ず一緒に奏でられる」
そして、アクシオンがふらつきながらも立ち上がる。
「セナ……おかえり」
「……ただいま」
セナは言いながら、震える手でアクシオンの手を取ろうとしたとき……
禍々しい紫紺の閃光が彼女を直撃した。
「……きゃぁぁぁぁ」
セナの手はアクシオンに届かず、その場で倒れてしまった。
「セナっ!!」
アクシオンが駆け寄ろうとした瞬間、セナの身体は紫紺の力に囚われ、浮遊する結界球へと閉じ込められた。
振り返ると――
そこに立つは、一糸乱れぬ漆黒の法衣を纏い、蒼雷のごとき双眸で静かに全てを見透かす影。
絶対なる支配と、神を汚す禁忌の優美が同居する存在だった。
髪にわずかに覗く蒼碧のメッシュ。指先には翡翠を思わせる紋様が脈動し、纏うルミナは、かつての竜王のものとは明らかに異質だった。
「あなたは……?」
『わらわの名はアメリ。この姿で会うのは初めてだな、アクシオン。』
「その名、そのルミナ……まさか、竜王アメジス?」
『お見通しか……さすがは時の巫女よ。ふふ。そうだ――この身体は、かつてお主が契約していた竜王アメジスの“ヒト型”。あのお方とアマリリスの力を得て、生まれ落ちた、新たなわらわの姿よ。』
その声は妖艶に微笑みを孕みながらも、肌を貫くような冷艶を纏っていた。
エリシアとラファエルも、一瞬でその“気”の質を察し、背筋に汗を浮かべる。
「セナちゃんをどうするつもり……?」
『この娘には、まだ役割がある。連れてゆく──それだけのこと。』
『もっとも……アクシオン。お主が共に来てくれるのであれば、話は早いのだがな?』
「どちらも選ばないわ」
その瞬間、空気が弾けるように一変した。
アメリのオッドアイが光を放ち、殺気が解き放たれる。
凍てつく死の静寂が、辺りを包んだ。
「……っ! はぁ、はぁ……」
あまりの威圧に、アクシオンもエリシアも膝を折り、呼吸すら忘れかけた。
『わらわは、まだお主を屠りたくはない……静かにしていろ。それがお主と、妹たちのためでもあるのだからな。』
「……あなた、オルディナとロゴスの前にも、同じような者を……?」
『察しが早いな。ふふ……その通りだ。鳳凰カリエンの器――カリン、白虎ソリウスの器――ソリア。今ごろ、お主の妹たちと邂逅している頃であろう』
アメリの視線が遠くを射抜いた。
『……よいぞ、アクシオン。お主は気に入っておる。わらわと契約していたあの頃以上に、な……。殺すには、惜しい』
アメリがアクシオンの前に現れたその同刻、残る二つの異形舞台にも――
黒影の三使徒の名を冠する、美しき影の具現者たちが、それぞれオルディナとロゴスの前に舞い降りていた。
『オルディナ~、うちらと一緒に来てくれないかな~?』
甘ったるい声で囁きながら、紅蓮の瞳を煌めかせる女が一人。
カリンと名乗るその影の使徒は、狂気を内包した笑みを浮かべていた。
彼女の力によって、炎の鳥籠に囚われたリーヴァはもはや微動だにできず――
その燃え盛る檻が、オルディナの心に焦燥を呼び起こしていた。
「誰が行くもんですか……っ!!」
身を焦がすような威圧の中、オルディナは必死に声を振り絞る。
隣のミカゲも、意識をかろうじて保っているのが精一杯だった。
『いやん、オルディナちゃんったら辛辣……うち、泣いちゃう~……』
とろけるように言いながらも、その声の裏には明確な殺意が潜んでいた。
『でも……そういうとこも、好き……ねえ、オルディナちゃん、欲しいの。食べちゃいたいくらい……!!!』
そう言ってカリンは、舌で唇を這わせ、不気味に身をよじらせる。
その異様な執着に、場の空気が張り詰めたそのとき――
『……カリン。目的をお忘れなきように』
凍てつくような声が空気を貫いた。
舞台の一角から、ソリアの気配が静かに滲み出る。
『わかってるよぉ、ソリア。でもさぁ……ちょっとだけ味見、ダ・メ~?』
『……わらわも、その気持ちが分からぬではない。しかし……まだ“時”は熟しておらぬ』
アメリの瞳が金色に瞬き、言葉を続ける。
『ここは……“あのお方”と“アマリリス”のご意向に従い、退くのが得策。いいな、カリン?』
『はーい……仕方ないねえ……』
唇を尖らせたカリンがしぶしぶ応じる。
『というわけで、今日はこれでバイバイ! オルディナちゃんっ!』
とびきりの笑顔と共に、カリンは投げキッスを放つ。
『……命拾いなさいましたわね、ロゴス。次に会う時は、あなたの心に――氷華を咲かせて差し上げますわ』
ソリアは静かに微笑み、消えゆく気配を残す。
『……また会おう、アクシオン。次は――もっとわらわを楽しませてくれよ?』
アメリは妖艶な視線を残して、次元の綻びへとその身を沈めていった。
こうして、黒影の三使徒はそれぞれの“標的”と“因縁”を確かめ合いながら、
リーヴァ、レナリス、セナの三人を伴い、闇の裂け目に姿を消した――。
――つづく
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