Ⅴ.月影と結界の夜
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
5.
トゥリム城の奥まった庭園を抜けた先、満天の星と月光に照らされた一角に、その湯殿は静かに佇んでいた。
羊の角を象った石造りの門構え。
橙色の灯火が窓越しに揺らぎ、湯気がほのかに立ちのぼる。
その建物の傍らには、透明な湯面を湛えた露天風呂が広がっている。
「本当に……お城の中に、こんな場所があるなんて」
ロゴスが感嘆を漏らすと、エレナが少しだけ得意げに微笑んだ。
「トゥリムは羊精霊ソレーユの国。旅人や精霊たちが安らげる場所は欠かせないの」
「ふーん、さすがトゥリム。でも――」
カゲツがくいと指を立て、後ろに浮かぶ猿精霊シエンを振り返った。
「シエン、あんたは精霊用ね。そこ、間違えんなよ?」
『……承知』
シエンのルミナがふっと揺れた。
アレキサンドライト特有の色彩が、夜の下では艶やかなガーネットの赤に変わっている。
どこか不服そうな顔を浮かべながらも、シエンは大人しく精霊専用の湯殿の方へ向かった。
「ふふ、ありがたいわね。ここなら完全に“安全”」
ミカゲが静かに言うと、モナとエリシアが頷いた。
三人は軽やかに歩みを進め、湯殿の入り口前で立ち止まる。
「じゃあ、張りますわよ」
モナが指先を掲げると、ツキハネの星光がふわりと宙に浮かび、蒼い輝きが夜気に広がった。まるで無数の小さな星が辺りを包み込むように、柔らかな結界が張られていく。
次いで、ミカゲが短く詠唱を唱えた。
地を這うように、潤朱色の蛇紋が湯殿の床と壁に浮かび上がる。
サクヤオロチの潤朱色のルミナが、空間の内と外を峻別した。
最後に、エリシアが薄く唇を開き、黄金の詠唱を紡ぐ。ラファルの青白い光翼が広がり、金と蒼の風がゆっくりと場を包み込む。
「これで、誰にも聞かれませんわ」
「……念には念を、ってやつだね」
カゲツがにやりと笑う。
三重に重ねられた精霊と賢者たちの結界。
その内側に立つと、まるで時が止まったかのような静寂と、外界から隔絶された安心感が広がった。
「じゃあ、入りましょうか」
三姉妹とエレナ姫、そして賢者たちは、それぞれ女湯へと向かう。
夜空に月が高く輝き、湯殿の湯気が白く立ちのぼる中――
やがて、柔らかな湯船の中で、彼女たちは“消された記憶”と“空白の七ヶ月”の真相を語り始めるのだった。
柔らかな湯気が立ちこめる湯殿。
湯船の水面は月光を映し、ほのかに金と青が揺らめいている。
「ふぅ〜〜、極楽極楽」
オルディナが湯船に身を沈め、心地よさそうにため息をついた。
ロゴスもアクシオンも、肩まで湯に浸かりながら静かにその温もりを堪能している。
少し離れた場所で、エレナ姫、ミカゲ、モナ、エリシアも湯に浸かり、夜の静寂と星空を眺めていた。
「そういえば——」
アクシオンが口を開く。
「あの夜から目覚めるまでの七ヶ月間……何があったのか、ちゃんと聞けてなかったわね」
ミカゲが最初に応えた。
「それを話す前に、ひとつ確認させて」
「いいよ」とオルディナが気軽に頷く。
「あなたたちは、あの夜以前のことをどこまで覚えていますか?」
ロゴスが寂しげに答えた。
「断片的には……でも細かいことは霧の中みたい」
賢者たちは顔を見合わせ、短く息をついた。
「……本当に、消されているのですね」
三姉妹は無言で小さく頷く。
「なら、今夜、知ってること全部話すわ」
エリシアが静かに言い、いつの間にか一行は湯からあがり、湯船の縁に腰かけていた。
「七ヶ月前、あなたたちはリユニエ各地の異常気象に対応して奔走していた。でも同時に、中央の不穏な動きにも気づいていた。その対抗策として——」
「対抗策……?」
アクシオンが眉をひそめる。
「“仮契約”です」
ミカゲが応える。
「仮契約……?」
三姉妹が揃って不思議そうに問い返す。
ミカゲ、カゲツ、エリシアは目を合わせ、やがてミカゲが静かに語り始めた。
「これは、私たち賢者とあなたたち三姉妹、そして精霊たちとの間で進めていた“保険”です。中央の影がどこまで入り込んでいるか不明だったため、一部の者にしか知らせていませんでした」
「ごめんね、ラオさん、モナさん」とミカゲが柔らかく視線を向け、二人は静かに頷く。
「もしものとき、あなたたちと精霊の契約が切れた場合、私たち賢者が一時的にその繋がりを引き継ぐ緊急回避システム-それが“仮契約”です」
「そんなこと……私は……」
「覚えていないでしょうね」
カゲツが苦々しく言う。
「状況から察するに、中央が全て消したんだよ。記憶も、力も」
ロゴスが目を見開く。
「記憶を……?」
「逆に考えればいいわ」
エリシアが言葉を継ぐ。
「中央は、あなたたち三姉妹と賢者、そして精霊たちとの“繋がり”と“共鳴”を脅威と見なした。だから、力を奪い、記憶を消した」
アクシオンが静かに言った。
「繋がりを壊すために……」
ミカゲたちが頷く。
「仮契約中の国々、クヅラハ、ナヤカ、アステリアは、中央の干渉を抑えられた。その結果、民も精霊も中央に従わずやっていけている」
カゲツが応える。
「一方、忠誠を誓った賢者——セナ、レナリス、リーヴァの国々は、中央の統制下にある」
湯気の向こうで、星空が静かに揺れている。
「……繋がりの力とか共鳴とか、言われても実感が湧かないな」
オルディナが言う。
「この前、ラオやイグニファとルミナを通じて力を借りられたけど……」
「そこも、忘れさせられてるのね」
カゲツがため息をつく。
「忘れてるって、何を?」
アクシオンが先を促す。
「《幻界昇華》よ」
ミカゲが呟く。
ロゴスが曖昧に首をかしげる。
「聞き覚えがあるような、ないような……」
「それは、ロゴス、アンタが提唱し、体系化した精霊共鳴技術よ。三姉妹だけが完全に習得していた」
カゲツが説明する。
「それって、女王と神器に奪われた力と関係あるの?」
オルディナが問う。
「ええ、《幻界昇華》は、精霊との共鳴を極限まで高め、一時的に契約の枠を超えた覚醒状態。人と精霊が意識と存在を重ね、異次元的な力を得る技術よ」
とエリシアが答えた。
「最強じゃん……」
オルディナがぽつりと漏らす。
「確かに習得したあなたたちは、この地で敵なしだった。ただし——」
ミカゲが続ける。
「アマリリスと、その背後にいる“影の者”を除いては……」
アクシオンが静かに言う。
「あの二人は私たちの力を無効化し、吸収する術を持っていた」
「しかも、あなたたちはあの夜以前、既に“影の者”の存在に気づいていた。でも、詳しいことを私たちには話さなかった」
ミカゲが付け加えた。
「私たちは、あの夜の前に、何を知ってしまったんだろう……」
ロゴスが呟く。
「羊精霊ソレーユが鍵だ」
カゲツが言う。
「中央がソレーユを封じ、あなたたちを消そうとした理由も、そこにある」
エレナ姫が俯き、拳を握りしめる。
「私も協力する。もう、黙っていられない」
湯気の向こうで、決意に満ちた視線が交わされた。
トゥリムの夜は、静かに、更けていく。
――つづく
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