Ⅰ.金色の朝、城塞の都へ
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
1.
汽車がルナエールを離れ、ゆっくりと丘陵地帯へと差しかかる。
車窓には、朝焼けに染まる草原と、遠ざかるルナエールの街並みが映っていた。
「ふぅ……やっと少し落ち着けるわね」
オルディナが大きく背伸びをしながら、ふわふわの座席に身を沈める。
アクシオンが苦笑しつつ、隣のロゴスを眺めた。
「でも、まさかあの宿屋で、服まで新調することになるとは思わなかったわね」
「仕方ないじゃない、あの店主さん、ものすごい勢いで勧めてきたんだから」
ロゴスは少し頬を膨らませながら、自分の青いドレスの裾を整える。
「“旅は見た目が九割”って名言っぽく言ってたけど、あれ、絶対ただの売り文句よね」
オルディナが笑う。
「でも、結果的に良かったわよ。このドレス、動きやすいし、精霊との儀礼にも耐えられる素材だって言ってたし」
アクシオンは自分の衣装の裾をひらりと揺らしてみせる。
「私は気に入ってるよ、この服。……ねぇ、似合ってる?」
オルディナがにこっと笑いながら身を乗り出す。
「似合ってるわよ。でも……あんまりはしゃぐとスカートめくれるよ?」
ロゴスが冷静に突っ込むと、オルディナは慌ててスカートを押さえた。
「もー!せっかく褒めてくれたのに台無しっ!」
三姉妹の笑い声が、汽車の小さな個室に広がっていく。
──丸一日の道のり、その始まりは、少しだけ肩の力を抜いた、穏やかな時間だった。
汽車の規則的な振動が、ほんの少し心地よい揺れとなって、車窓の外を流れる風景とともに三人を包んでいた。
ふいに、アクシオンが神妙な面持ちで口を開いた。
「ところで……少し気になっていることがあるの」
普段、誰より冷静で理知的な最年長の姉が、ほんのわずか迷うように言葉を選ぶ姿に、ロゴスもオルディナも自然と耳を傾けた。
「これまで私たちが“関係を取り戻せた”精霊は、二人。猪精霊イグニファと、ウサギ精霊ツキハネ。そして……その二人と新たに“契約”を結んだ賢者、ラオとモナ」
アクシオンは、オルディナとロゴスを順に見つめながら続ける。
「あなたたちは、それぞれ自分と同系統のルミナを持つ彼女たちを通じて、精霊たちの力を一時的に借りることができるようになった……でも、この“つながりの力”は、あの夜──7ヶ月前より“前”から、私たちも使えていたはずなのかしら?」
オルディナは少し考え込むように眉をひそめた。
「うーん……正直ね、よく分かんないんだよ。というか、あの夜より前のこと……変な言い方だけど、記憶がぼやけてるっていうか、霧がかかってる感じ」
彼女は苦笑いしつつ、こめかみを押さえた。
「無理に思い出そうとすると、頭痛がするんだ。まるで、誰かがそこだけ蓋をしたみたいに」
ロゴスも、少し顔を伏せ、静かに言葉を続けた。
「私も同じ。記録係の私が言うのも変だけど……以前のこと、本で読んだような気もするのに、実感がないというか。言葉にしようとすると、霧が濃くなっていく」
「……アク姉は?」オルディナが問いかける。
アクシオンは目を閉じ、静かに息を吐いた。
「私も、ずっと考えてる。オルディナがイグニファたちの力を借りた瞬間を見てから、ずっと……でも、やっぱり思い出せないの」
彼女は瞼を上げ、遠くを見つめるような目をした。
「本棚に鍵がかけられていて、必要な本だけ、誰かに取り出せなくされている……そんな感覚」
沈黙が落ちた車内で、汽車の振動だけが静かに響いていた。
だが、オルディナがふっと微笑んで、言葉をつなぐ。
「でもさ……私たち、自分たちのルミナのことも、仲間や精霊たちのことも覚えてるよね。それに、なにより──」
彼女は両手を軽く広げて、二人を見つめた。
「私たち三姉妹のことは、忘れてない」
その言葉に、ロゴスも、アクシオンも、自然と頷く。
「ただの推測だけど、私たちが思い出せない“何か”は、今起こってるすべての謎を解き明かす、重要な鍵なのかもしれない。そして……少なくとも、その封印は──記録と安寧の象徴である精霊ツキハネの救出だけでは、打ち破れなかったということよね」
ロゴスが静かに言うと、アクシオンの目がふと大きく開かれた。
「アク姉?」
オルディナが不思議そうに声をかける。
「……そうか、そういうことだったのね。次の街、トゥリムで待つ精霊と賢者が、この記憶の封印に関わる“もうひとつの鍵”を、きっと与えてくれるわ」
「え……どういうこと?」
オルディナが首を傾げると、今度はロゴスが静かに微笑んで答えた。
「金毛の羊精霊──《ソレーユ》。現実と夢想、記憶と忘却の狭間を行き来する、幻想の守護者」
「記録と知識のツキハネが、表層の真実を紡ぐなら……ソレーユは、私たち自身の心の奥、忘れてしまった“内側の記憶”と向き合うための、案内人よ」
アクシオンが静かに言い添える。
「きっと、ソレーユとその賢者に会えば、私たち自身の“深層”に踏み込む手がかりが見つかる。──今度こそ、この霧を晴らす鍵が」
「……なら、行かない理由はないね」
オルディナが力強く頷き、視線を窓の外に向けた。
いつの間にか、世界はすっかり夜の帳に包まれていた。
汽車は、静かに、月光を映すレールの上をトゥリムへと走り続けていた。
汽車は月夜を切り裂きながら、トゥリムへと進んでいた。
「ふぁあ……さすがに、眠気が限界……」
オルディナが座席に身を沈め、欠伸を漏らす。
ロゴスも隣で頷き、ブランケットをかけながら、窓の外の月を見つめていた。
「少し、休みましょう。明日の朝にはトゥリムに着くわ」
アクシオンがそう告げると、三人は静かに目を閉じていった。
──まどろみが、訪れる。
* * *
いつしか、アクシオンは薄闇に包まれた不思議な空間に立っていた。
目の前に広がるのは、どこまでも続く白い霧と、ゆらめく青紫の光。
「ここは……?」
ぼんやりとした月光が差し込むその空間に、細い声が響く。
『許して……許して、アクシオン』
振り返れば、そこにアマリリス女王の姿があった。
だが、その瞳は虚ろで、青白い唇は微かに震えている。
「アマリリス……?」
戸惑いながら近づこうとした瞬間、彼女の背後に、不気味な影が現れる。
仮面の下から嗤う影の者。
『哀れだな、女王様。お前の“絆”も“理想”も、すべて砂上の楼閣だ』
「あなたは……!」
アクシオンが構えようとする間もなく、影の者はアマリリスの肩に手を置き、彼女を脅えるように揺らす。
『助けて……アクシオン……』と、掠れた声が零れた。
「やめてッ!」
アクシオンが駆け寄ろうとしたその瞬間。
影の者が冷笑し、闇より黒紫のルミナの刃を繰り出す。
『思い出すがよい……貴様らの“空白”が誰の意志によるものかを』
刃がアクシオンに向かい、振り下ろされた、その刹那。
濃紫の光が霧を裂き、鋭い翼の影が間に割り込んだ。
『──焦るな、我が娘よ』
大きな身体と優雅な鱗を持つ、竜精霊アメジスがアクシオンを庇って立つ。
「アメジス……!」
『一歩ずつでいい……お前たちの絆は、急いで築くものではない』
影の者が忌々しげに唸る中、アメジスの身体が徐々に霧散していく。
「いや、待って、行かないで!」
アクシオンは手を伸ばすが、指先は虚しく宙を掴む。
最後に残ったのは、霧の中にほのかに揺れる黄色い光。
まるでトパーズのような暖かい輝き。
──金毛の羊の輪郭が、淡く姿を現す。
『目覚めのときは、近い。……アクシオン、まだ、終わりじゃない』
それは、金毛の羊精霊──ソレーユ。
だが、確かめる間もなく、光は霧を裂くように広がっていった。
* * *
「……アク姉?」
オルディナの声で目を覚ます。
「大丈夫?うなされてたよ」
ロゴスも心配そうに覗き込む。
「うん……大丈夫、ちょっと不思議な夢を見ただけ」
外を見れば、夜明けが迫り、汽車はトゥリムの影へと差し掛かっていた。
金色の朝日が、城の背後から静かに昇ろうとしている。
──目覚めのときは、近い。
その言葉が、アクシオンの胸に静かに残っていた。
汽車が揺れるたびに、夜の帳がわずかにほどけていく。
車窓の外、空は淡い青紫から、ゆっくりと金色の光を帯び始めていた。遥か地平から昇る朝日が、眠りから覚めた世界を優しく照らし出す。
「……もう、すぐそこね」
アクシオンが窓際に立ち、静かに呟いた。紫紺の瞳に、朝焼けの輝きが映り込む。
三姉妹が身を寄せて覗き込む先――その丘陵地帯の向こうに、広がっていた。
波打つ草原と、黄金色に染まる牧草地。その先、まるで空へと伸びるように、白亜の城がそびえ立つ。
丘の上に築かれた巨大な城砦――トゥリム城。
朝陽を受けて輝く石造りの壁面と、尖塔の先端に煌めく金羊の紋章。その背後に、まだ名残る淡い霧がたなびき、まるで幻想の中に城が浮かんでいるかのようだった。
「……すごい、本当に、金色に輝いてる……」
ロゴスが思わず息を呑み、胸元のペンダントを指でなぞった。
「派手な城だなぁ。でも、嫌いじゃないかも」
オルディナは腕を組み、どこか誇らしげに微笑む。
「ここが、私たちの次の舞台。忘れかけた“記憶”と、“鍵”が待つ場所」
アクシオンの声は静かだが、確かな決意が宿っていた。
汽車はゆっくりと、トゥリムの街へと差し掛かる。
草原を駆ける羊の群れ、朝市に向かう人々、石畳の道、そして、丘の上の城。
まどろみの夢は終わり、目覚めのときが、確かに近づいていた。
そして、三人の胸には、確かに響いていた。
──金羊の輝きのもと、失われたものを取り戻す旅が、また一歩、始まろうとしている。
ーーつづく
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