Ⅵ.黒炎の縛罪
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
14.
床を這い寄ってくる白いシスターは、まるで重力も骨格も無視するかのように、異様な速度で迫ってきた。
そのすすり泣きは、耳を通さず、まるで脳の奥に直接、濡れた指先を突っ込まれたような不快感をもたらす。
「まずい、来るわよ!」
アクシオンが構えた瞬間──
シスターの身体が、ぐにゃりと不自然に立ち上がる。関節が逆に折れ、首はぐるりと180度回転し、ヴェールの下から“それ”が覗いた。
顔の代わりに広がっていたのは、底なしの闇。
そこには、目も鼻も口もなかった。ただ、闇。深く、吸い込まれそうな、終わりのない黒が、そこに“穴”のように開いていた。
『ぎゃあああああ!!』
甲高い絶叫が礼拝堂に木霊し、同時にシスターが音もなく滑るようにオルディナとアクシオンに迫る。
「ロゴス、モナ、地下へ!早く!」
オルディナの叫びに、ロゴスは頷き、モナを伴って隠し扉の闇に消えた。
「アク姉、やるよ!」
「ええ!」
シスターが蜘蛛の脚のようにしなる指を広げ、空間そのものを引き裂く勢いで突き出してくる。
「《紅蓮・盾》!」
オルディナが展開した灼熱の炎は、シスターの前で虚しく揺らめいた。
シスターは、炎を恐れるどころか、その中を音もなく通り抜けてくる。
「効かない……!?嫌な感じ……」
「《ルミナ・レクイエム》!」
アクシオンの瞳から放たれた紫紺の光がシスターを撃つ。闇の中に、わずかにシスターの輪郭が浮かび上がった。
『ぐぎぎぎぎ……』
シスターが怯む隙に二人は後退する。
「物理は無効。でも精神干渉は通る……」
「じゃあ、あいつ、“完全な霊”だよ」
「加えて、この感じ……“向こう側”の存在ね」
アクシオンが指先に纏わせた雷を地面に這わせる。
「《亡霊ノ雷鎖》!!」
紫紺の霊的雷が、地を這い、螺旋状にシスターへと絡みつく。
『ぎゃあああ!!』
その絶叫は、生きた人間の声ではなかった。
甲高く、ひび割れ、腐食した鉄が擦れるような音と共に、シスターがよろめく。
「効いてる!アク姉、いいよ!」
「オルディナ、生命のルミナを、ぶつけて!」
「お安いご用よ、はぁぁっ!」
オルディナの紅蓮のルミナが生命の輝きを帯びて燃え上がり、拳と共にシスターへ叩き込まれた。
『ぎゃあああああ!!』
シスターは壇上まで吹き飛び、呻きながらうずくまる。
「やっぱり、あいつ……この世界の“理”に属してない」
「アク姉、このまま──」
だが、その時。
礼拝堂全体が、濃密な闇に包まれた。
壇上にうずくまっていたシスターの身体が、ふわりと重力を失ったかのように浮かび上がる。
その瞬間、礼拝堂の空気が、ひやりと凍る。
ステンドグラスが砕け、破片が凍りついた空気の中をきらめく。
黒紫のルミナが、螺旋を描きながら広がり、シスターを中心に球状を形成した。
それはまるで、深淵の湖面に広がる、闇色の蓮の蕾のようだった。
禍々しく、しかしどこか神秘的で、視線を奪う美しさが、そこにあった。
球体の表面は微かに脈動し、闇色の波紋が静かに広がっていく。
そして──
球体が、静かに“開いた”。
花弁のように、黒紫のルミナが重なり合い、ゆっくりと、だが確実に外側へと開き出す。
その内側から、禍々しい黒い両翼が、羽ばたくように広がり、同時に、頭上には不規則に歪んだ天環が形成されていく。
まるで、夜の闇と月光が混ざり合い、理を拒絶する異形の存在が、そこに“咲いた”かのようだった。
その姿は、天使──否、堕天使のそれに近い。
だが、そこには本来あるはずの“神聖さ”も“救済”も存在しなかった。
ただ、見る者の心に、不可解な美しさと、底知れぬ恐怖を同時に植えつける、不協和な存在。
「……出たわね、あの邪悪なルミナ……」
「影の者の領域の匂いがする……」
アクシオンの声は、かすかに震えていた。
幻想と悪夢が溶け合うように、壇上の異形が静かに空間を支配していく。
15.
アクシオンは、空気の異変を敏感に察知した。
「オルディナ!!避けてぇぇ!!」
「え?」
だが、遅かった。
壇上に浮かぶ白いシスターの“顔”──ぽっかりと口を開けた闇の中心で、赤い双眼が不気味に灯る。
次の瞬間、オルディナの身体が宙に引き上げられた。目に見えぬ何かに絡め取られ、磔にされたように空中に固定される。
「ちょっと、なにこれ!?離しなさいよっ!!」
叫ぶ彼女のつま先から、黒紫色の炎が這い上がり始めた。
「きゃあああ!!なにこれーー!!熱いっ……やだ、燃えるぅ!!」
灼熱ではない。もっと悪質で、精神ごと焼き切られるような黒い炎が、足元から腰へと忍び寄っていく。
「オルディナ!紅蓮の生命ルミナで自分を包んで!!急いで!!」
アクシオンの叫びと同時に、シスターの“顔”に、いつの間にか不気味な笑みが浮かんでいた。
暗闇の中で、口元だけが別の生き物のように“にたり”と裂け、異様な歪みと快楽に満ちた笑みを見せる。
「オルディナ!今助けるわ!《水環ノ聖雫》!!」
アクシオンの詠唱と共に、天井の彼方から無数の雫が生まれる。
それは、青白い輝きを帯び、まるで星屑が崩れ落ちるような神秘の雨だった。
その雫は、空間に祝福の気配を纏いながら、オルディナの上に降り注ぐ。
だが──
黒紫の炎に触れた瞬間。
祝福の水は、音もなく蒸発し、穢れに呑まれ、逆に炎は勢いを増して膨れ上がった。
聖なるものすら拒む、異質な黒炎が、冷たく蠢きながら、オルディナの腰元へと忍び寄っていく。
「んぐぐぐ……こんなもんに、負けてたまるもんですか……はぁぁ!!」
オルディナの身体から紅蓮のルミナが噴き上がり、黒炎の進行を必死に食い止める。
「もう一度、痺れてなさいっ!!《亡霊ノ雷鎖》!!」
アクシオンの雷撃が、螺旋を描きながらシスターに襲いかかる。
だが──
『きええええええ!!!』
シスターが悲痛とも狂気ともつかぬ叫び声を上げると、空間ごと震える衝撃波が発生した。
同心円状に広がる不可視の力が、雷撃をかき消し、そのままアクシオンを直撃する。
「くっ……!」
アクシオンの細身の身体が礼拝堂の扉へと吹き飛び、鈍い音と共に叩きつけられた。
意識が、暗闇に沈む。
「アクねぇぇぇーーー!!」
オルディナの悲痛な叫びが、冷たく歪んだ礼拝堂に木霊した。
宙に浮かぶ白いシスターの唇が、再び不気味に歪み、
まるで月の光を嘲笑うかのように“にたり”と微笑んでいた。
つづく──
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