Ⅲ.司書の告白
6.
別室に通された三姉妹は、ようやく小さく息をついた。
本を借りるのをやめてしまえば良かったかもしれない。だが、あの不気味な空間でそれはむしろ、より不自然に映っただろう。気配を悟らせずに逃げ道を見つけられたのは、目の前の女性──モナのおかげだった。
「助かったわ、モナ。ありがとう」
ロゴスが微笑む。
「知り合いだったの? ロゴス?」
オルディナが目を丸くする。
「ええ。私がセフィロス地区を管理していた頃、ルナエールの図書館で心を落ち着かせる場所は、ここだけだったの。モナとはその頃からの知り合いよ。ツキハネと、この街の管理も、彼女に半ば任せていたわ」
「ロゴス様……お帰りなさいませ」
モナは穏やかに微笑む。しかしその表情の奥に、かすかな不安が滲んでいた。
「女王陛下が中央集権体制を宣言した夜の出来事は、すぐにルナエールにも届きました。それからです……この街と、ツキハネ様が“おかしくなり始めた”のは」
「でも、モナだけは、どうして正気でいられるの?」
オルディナの問いに、モナは少しだけ目を伏せた。
「正直、自分でもわかりません。ただ、ロゴス様と三姉妹方を信じています。それが、違いを生んでいるのかもしれません。」
頬を染めながら、モナはわずかに微笑む。
「なるほどね。ロゴス、彼女のルミナ……あなたと同じ系統よね?」
アクシオンが目を細める。
「ええ、そうだと思うわ。内に秘められてはいるけれど、彼女の中には私と同じ《青碧色のルミナ》が流れてる」
「つまり、この異様な街と精霊を救う鍵は、モナというわけね」
アクシオンの言葉に、ロゴスは静かに頷いた。
「お三方は、どうしてこちらに?」
モナが問いかけ、ロゴスはこれまでの経緯を簡潔に語った。
「なるほど……ザンブロスでそんなことが……。精霊イグニファと同じように、ツキハネ様にも黒紫のルミナの分霊が取り憑いている可能性が高い、ということですね。そしてそれを拠り所に、この街全体に大幻術が張られていると」
「ツキハネは、今どこに?」
ロゴスが問うと、モナは小さく息をついた。
「教団の者たちの話によれば、ツキハネ様は北にある月華の教会の地下に……眠らされている、と」
「ちょっと待って。その教団、あなたと同じで正気を保ってるの?」
オルディナが首を傾げる。
「住民よりは、自ら思考し、行動しているように見えます。ただし、女王とツキハネ様への崇拝は……常軌を逸していますが」
「ロゴス、そんな教団、あなたが管理していた時にあった?」
「いいえ、聞いたこともないわ。きっと、この7ヶ月の間に、王国が送り込んだんでしょう」
「左様です。聖職者、司祭、神官、修道士、修道女──王国から派遣された彼らが、当初は住民から怪しまれていましたが、精霊ツキハネ様の幻術と共に、次第に人々を取り込み、街を掌握したのです」
「プロパガンダ布教部隊ってわけね。武力じゃなく、洗脳でこの街を支配した……」
アクシオンの声が低く響く。
「通りすがりの人に聞いたけど、明日の朝7時に教会で礼拝があるんだよね?」
「その通りです。発足以来、毎週欠かさず続けられています。」
「なら、ツキハネとこの異常の正体を探るためにも、参加するしかないわね。」
「私も同行いたします。この街の“異質”に関しては、多少なりとも心得がありますので」
「頼りにしてるわ、モナ」
ロゴスが微笑んだ。
「今夜はこの図書館の来訪者用の寝室をご利用ください。安心なさって。洗脳された住民や受付嬢は、決められた場所以外に立ち入れませんので」
「ちょっと不気味だけど、外で野宿する方がよっぽど危険だもんね」
オルディナは小さく身震いしながらも、苦笑を浮かべた。
7.
翌朝、三姉妹とモナは、静まり返った都市を抜け、図書館北に佇む月華の教会へと向かっていた。
「朝の六時半なのに、まだ月がこんな高く……どういうこと?」
オルディナが、夜空に輝く白銀の月を見上げて呟く。
「ルナエールは一日中、夜なのですわ。月が沈まず、太陽が昇らない──それが、この都市の“今”です」
モナの声には、わずかな疲弊と諦念が滲んでいた。
「ツキハネの《月環幻暦》ね……」
ロゴスが静かに言葉を継ぐ。
「あれは元々、時間と幻覚を操る大幻術よ。今はその術を、あの邪悪なルミナが利用して、都市全体を眠りと偽りに閉じ込めている……」
アクシオンが月を見つめ、眉をひそめる。
「ふーん、一日中お月様を眺められるのはロマンあるけど、たまには朝日も浴びたいなぁ……」
呑気なオルディナの呟きに、誰も苦笑する余裕はなかった。
まもなく、一行は教会に到着する。
巨大な月華の教会──真白な大理石で築かれ、至る所に月と蝶を象った装飾が刻まれていた。その静寂な美しさの裏側に、目に見えぬ不気味な気配が滲んでいる。
「住民のように静かに聞いていれば、怪しまれません。どうか……ご用心を」
モナが小声で促し、礼拝堂へと入る。
無数の住民が、椅子に整然と並び座っていた。その数は、都市の半数以上に見えた。
「あの図書館にいた奴らも、全員ここか……」
オルディナが息を呑む。
「正解ですわ。彼らも、この“儀式”には参加が許されています」
「……つまり、これが“洗脳の再調整”ってことね」
アクシオンの紫紺の瞳が鋭く光る。
辛うじて空いていた横並びの四席に腰を下ろすと、やがて重たい鐘の音が鳴り響いた。
壇上に現れた教祖は、銀白の法衣を纏い、顔の上半分を白磁の仮面で覆っていた。唯一覗く口元には、張りついた微笑みが絶えず浮かび、その背後には月光を模した巨大な輪が輝いていた。
つづく--




